【国際射的大競技】

「少年倶楽部」第16巻第4号(1929年4月1日)


 昨年オランダに開かれたオリンピツク大会で、わが日本選手が三段跳の第一等に入選したとき、私たち内地の日本人がどんなに喜んだかは、恐らくまだ皆さんの記憶に新なるところであると思ひます。あの新聞記事を読んだ刹那、思はずも私の眼には熱い涙がたまりました。すべての競技がさうでありますけれど、就中国際競技ほど人の血を沸かし肉を躍らすものはありません。
 今から凡そ五十余年の昔、普仏戦争の起る少し前、フランス陸軍省の主催で巴里の郊外に射的大会が開催されました。当時フランスには世界各国から軍事研究者が留学に来て居て、わが日本からも十人余の士官が派遣され、それ等の人々が射的大会に招待されたのでありますから、いはば国際射的大会となつたわけです。
 当時日本人は、欧洲人から見れば、まつたく眼中になかつたのであります。日本といふ国さへも認められては居ないくらゐでした。さうして、日本人そのものはといへば、欧洲人よりも体格は劣るし、有色ではあるし、言語も不自由であるから、自然軽蔑されたのも無理はありません。
 けれども日本人には、祖先伝来の日本精神があります。如何なる困難とも戦つて、あくまで目的に進むといふ尊い精神があります。その精神が事々にあらはれますから、当時の滞仏士官も、さほどの屈辱を受けずにすみました。その證拠には、射的大会へ招待されたのでもわかります。
 大会へ招待されたのは、当の仏国の外に、英、独、露、伊、西、日の六ケ国でした。 前日予選が行はれましたが、仏、英各三人、独、露各二人、伊、西、日各一人が選に入つただけでありました。この予選に入つた十三人が、翌日晴れの競技を行ふことになつたのであります。日本人で入選したのはMといふ陸軍工兵大尉でありましたが、予選の点も甚だ振はず、辛うじて入選したくらゐでありました。
 その日、同僚の士官たちは、M大尉を囲んで、
『おいM、明日はしつかりやつてくれ、日本人の名声をあげるには絶好の機会だ、どうか祖国のために万丈の気焔を吐いてくれ!』
と、ロを揃へて激励しました。
 M大尉は、歩兵銃の研究に来て居たのでして、いはば射撃では専門家なのです。M大尉は静かに語りました。
『ありがたう。大いに注意して見苦しい成績はあげぬつもりだ。今日の不成績は、卑怯な言ひ方だが、銃がよくなかつたといふよりも、僕の使つた銃の研究が足りなかつた。明日の競技につかふ銃はこゝへ貰つて来てあるから、これから諸君と共に、この銃の研究に行きたいと思ふ。一緒に来てくれないか』
 誰も異議のある筈がありません。一同は、射的場近くの野へ出て、M大尉の射撃演習を手伝ひました。御承知の通り、銃には一本一本違つた個性があります。同じ人間が作つた銃でも、それぞれ、その弾道だとか、着弾距離だとかゞちがひます。それ故、射撃を行ふ前には、銃の個性を十分研究しなければならないのであります。
 M大尉はおよそ二時間あまり熱心に研究しました。的を射ては、弾丸のあたつた場所を検べて研究すること、数十回に及びました。
『よし!』
 最後にM大尉はきつぱりと言ひました。
『明日は大丈夫だ! 決してヒケをとらぬつもりだ!』
 さう自信ありげな□調に、士官たちは歓声をあげて引きあげました。
 いよいよ大競技の当日が来ました。四月の空は美はしく晴れて、遠くに見ゆる伽藍の塔が絵のやうに霞んで見えました。早くも観衆は場外にあふれ、勇ましい軍楽隊の合奏が天地に響き渡りました。
 遥か二百米を隔てた彼方に十三個の的が土堤の前に並び立つて居ります。こちらから見ると、まるで一点にしか見えません。それほど当日の的は小さかつたのであります。普通は大きな的で、あたり場所によつて点数がきまるのですが、この日は、あたれば十点、あたらねば零点、而も僅かに三発しか与へられて居ないのであります。
 先ず十三人の順序が抽籤によつて定められました。すると、どうであらう、わがM大尉は緑起悪くも最後の十三番となりました。西洋では十三といふ数を忌みきらひます。その忌まれて居る数を日本人が引き当てたのです。わが応援の士官たちも思はず顔を見合せましたが、M大尉の顔は凛として輝いて居るだけでしたので、人々は先づ安堵の胸を撫で下しました。
 いよいよ第一番のドイツ人が火蓋を切りました。ドン! と一発。
 人々は固唾をのんで、的の下の濠からの合図を待ちました。赤い旗が出て上下に振れば十点、黒い円形の弾痕指示器が出て左右に振れば零点なのです。
 ヒヨイと出たのは黒い指示器。それが左右に振れました。あゝ!
 次で第二番、第三番と進みましたが、いづれも零点ばかり、最後にM大尉の番になりました。あゝ。見て居た日本士官たちの心はどんなだつたでせう。
 やがてドンと一発!
 おゝ! 赤い旗が上下に! 揺れる揺れる。
 わッ! といふ歓声は天地を轟かしました。日本士官は思はずも抱き合つて踊り上りました。暫らくはすべての人の拍手が鳴りやまなかつたのであります。この光栄、この名誉!
 次で第二回目になりました。第一番のドイツ人は見ごとにあてました。それからあたらぬ人とあたつた人が相伯仲し、最後にM大尉の番になりました。人々は一斉に注目しました。
 ドン!
 あゝ、あはれ、黒い指示器が。
 士官たちの歎き! けれども当のM大尉は少しも落胆しないのみか、につこりとして居りました。
 次で第三回。その結果二十点を取つたものはドイツ人とフランス人が一人づつで、スペイン人が零点。あとは十点づつでした。若しM大尉があてれば、三人の決選になります。
 そのときの応援士官の心持はどうでしたでせう。日本の名誉はこの一発にかゝつて居ります。
 ところがです。あはれにも第三回の発射には黒い指示器が左右に振られたのであります。
 審判官はまさに宣言を下さうとしました。
 そのときM大尉はつかつかと進みよつて、流暢なフランス語で大声に申しました。
『審判官殿。私はたしかに三回とも的を射あてました。けれども、それは濠の中に居る人にわからなかつたのであります。第二第三の弾丸は第一の弾丸の貫いた孔を通つた筈です。どうか土堤を掘つて弾丸の位置を御しらべ下さい』
 この言葉ばに人々はM大尉が発狂したのではないかと思ひました。けれども自信ある態度に侵すべからざる威厳がありましたから、審判官は、大尉の願をきゝました。
 やがて土堤が掘り返されました。
 見よ、其処には三発の弾丸が鼠のやうに重なつて居たではありませんか。
 この奇蹟! この妙技!
 再び起る喝采の声! かくてM大尉は第一等の栄冠を得て、予定通りわが日本のために方丈の気焔を吐きました。(をはり)