【権狐 「赤い鳥に投ず」】

茂助と云ふお爺さんが、私達の小さかつた時、村にゐました。「茂助爺」と私達は呼んでゐました。茂助爺は、年とつてゐて、仕事が出来ないから子守ばかりしてゐました。若衆倉の前の日溜で、私達はよく茂助爺と遊びました。
私はもう茂助爺の顔を覚えてゐません。唯、茂助爺が、夏みかんの皮をむく時の手の大きかつた事だけ覚えてゐます。茂助爺は、若い時、猟師だつたさうです。私が、次にお話するのは、私が小さかつた時、若衆倉の前で、茂助爺からきいた話なんです。
  一
むかし、徳川様が世をお治めになつてゐられた頃に、中山に、小さなお城があつて、中山様と云ふお殿さまが、少しの家来と住んでゐられました。
 その頃、中山から少し離れた山の中に、権狐と云ふ狐がゐました。権狐は、一人ぼつちの小さな狐で、いささぎの一ぱい繁つた所に、洞を作つて、その中に住んでゐました。そして、夜でも昼でも、洞を出て来て悪戯ばかりしました。畑へ行つて、芋を掘つたり、菜種殻に火をつけたり、百姓家の背戸につるしてある唐辛子をとつて来たりしました。
 それは或秋のことでした。二三日雨がふりつゞいて、権狐は、外へ出たくてたまらないのをがまんして、洞穴の中にかゞんでゐました。雨があがると、権狐はすぐ洞を出ました。空はからつとはれてゐて、百舌鳥の声がけたたましく、ひゞいてゐました。
 権狐は、背戸川の堤に来ました。ちがやの穂には、まだ雨のしづくがついて、光つてゐました。背戸川はいつも水の少い川ですが、二三日の雨で、水がどつと増してゐました。黄色く濁つた水が、いつもは水につかつてゐない所の芒や、萩の木を横に倒しながら、どんどん川下へ、流れて行きました。権狐も、川下へ、ぱちやぱちやと、ぬかるみを歩いて行きました。
 ふと見ると、川の中に人がゐて何かやつてゐます。権狐は、見つからない様に、そーつと草の深い方へ歩いて行つて、其処からそちらを見ました。
「兵十だな。」
 と権狐は思ひました。
 兵十は、ぬれた黒い着物を着て、腰から下を川水にひたしながら、川の中で、はりきりと云ふ、魚をとる網をゆすぶつてゐました。鉢巻きをした顔の横に、円い萩の葉が一枚、大きな黒子みたいにはりついてゐました。
 しばらくすると、兵十は、はりきり網の一番うしろの、袋の様になつた所を水の中から持ちあげました。その中には、芝の根や、草の葉や、木片などが、もぢやもぢやしてゐましたが、所々、白いものが見えました。それは、太いうなぎの腹や、大きなきすの腹でした。兵十は、魚篭の中へ、ごみも一緒に、その鰻やきすを入れました。そして又、袋の口を縛つて、水の中に入れました。
 兵十は魚篭を持つて川から上りました。そして、魚篭をそこに置くと、着物の端から、ポトポトと雫を落しながら、川上の方へ何か見に行きました。
 兵十がゐなくなると、権狐はぴよいと草の中からとび出して行きました。魚篭には蓋がなかつたので、中に何があるか、わけなく見えました。権狐は、ふといたづら心が出て、魚篭の中の魚を拾ひ出して、みんなはりきり網より下の川の中へほりこみました。どの魚も、「とぼん!」と音を立てながら、にごつた水の中に見えなくなりました。一番お終ひに、あの太い鰻を掴まうとしましたが、この鰻はぬるぬるして、ちつとも権狐の手には掴まりません。権狐は一生懸命になつて、鰻をつかまうとしました。遂々、権狐は、頭を魚篭の中につゝ込んで、鰻の頭をくわへました。鰻は、「キユツ」と云つて、権狐の首にまきつきました。その時兵十の声が、
「このぬすと狐めが!」と、すぐ側でどなりました。
権狐はとびあがりました。鰻をすてゝ逃げようとしました。けれど鰻は、権狐の首にまきついてゐてはなれません。権狐はそのまま、横つとびにとんで、自分の洞穴の方へ逃げました。
 洞穴近くの、はんの木の下でふり返つて見ましたが、兵十は追つて来ませんでした。
 権狐は、ほつとして鰻を首から離して、洞の入口の、いささぎの葉の上にのせて置いて洞の中にはいりました。
 鰻のつるつるしたはらは、秋のぬくたい日光にさらされて、白く光つてゐました。
  二
 十日程たつて、権狐が、弥助と云ふお百姓の家の背戸を通りかゝると、そこの無花果の木のかげで、弥助の妻が、おはぐろで歯を黒く染めてゐました。
 鍛冶屋の新兵エの家の背戸を通ると、新兵エの妻が、髪を梳つてゐました。
 権狐は、
「村に何かあるんだな。」と思ひました。「一体、何だらう、秋祭だらうか―。でも、秋祭なら、太鼓や笛の音が、しさうなものだ。そして第一、お宮にのぼりが立つからすぐ分る。」
 こんな事を考へ乍らやつて来ると、いつの間にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前に来ました。兵十の小さな、こはれかけた家の中に、大勢の人が這入つてゐました。腰に手拭をさげて、常とは好い着物を着た人達が、表の、かまどで火をくべてゐました。
 大きな、はそれの中では、何かぐつぐつ煮えてゐました。
「あゝ、葬式だ。」
 権狐はさう思ひました。こんな事は葬式の時だけでしたから、権狐にすぐ解りました。
「それでは誰が死んだんだらう。」とふと権狐は考へました。
 けれど、いつまでもそんな所にゐて、見つかつては大変ですから、権狐は、兵十の家の前をこつそり去つて行きました。
 お正午がすぎると、権狐は、お墓へ行つて六地蔵さんのかげに隠れてゐました。いい日和で、お城の屋根瓦が光つてゐました。お墓には、彼岸花が、赤いにしきの様に咲いてゐました。
 さつきから、村の方で、
「カーン、カーン」と鐘が鳴つてゐました。葬式の出る合図でした。
 やがて、墓地の方へ、やつて来る葬列の白い着物が、ちらちら見え始めました。鐘の音はやんで了ひました。話声が近くなりました。
 葬列は墓地の方へ這入つて来ました。人々が通つたあと、彼岸花は折れてゐました。
 権狐はのびあがつて見ました。
 兵十が、白い裃をつけて、位牌を捧げてゐました。いつものさつま芋みたいに元気のいい顔が、何だかしをれてゐました。
「それでは、死んだのは、兵十のおつ母だ。」
 権狐はさう思ひながら、六地蔵さんのかげへ、頭をひつこめました。
 その夜、権狐は、洞穴の中で考へてゐました。
「兵十のおつ母は、床にふせつてゐて、鰻が喰べたいと云つたに違ひない。それで兵十は、はりきり網を持ち出して、鰻をとらまへた。所が、自分が悪戯して、鰻をとつて来て了つた。だから兵十は、おつ母に鰻を喰べさせる事が出来なかつた。それでおつ母は、死んぢやつたに違ひない。鰻が喰べたい、鰻が喰べたいと云ひながら、死んぢやつたに違ひない。あんな悪戯をしなけりやよかつたなー。」
 こほろぎが、ころろ、ころろと、洞穴の入口で時々鳴きました。
  三
 兵十は、赤い井戸の所で、麦を研いでゐました。兵十は今まで、おつ母と二人きりで、貧しい生活をしてゐたので、おつ母が死んで了ふともう一人ぽつちでした。
「俺と同じ様に一人ぽつちだ」
 兵十が麦を研いでるのを、こつちの納屋の後から見てゐた権狐はさう思ひました。
 権狐は、納屋のかげから、あちらの方へ行かうとすると、どこかで、鰯を売る声がしました。
「鰯のだらやす―。いわしだ―。」
 権狐は、元気のいゝ声のする方へ走つて行きました。芋畑の中を。
 弥助のおかみさんが、背戸口から、
「鰯を、くれ。」と云ひました。鰯売は、鰯のはいつた車を、道の横に置いて、ぴかぴか光る鰯を両手で掴んで、弥助の家の中へ持つて行きました。そのひまに、権狐は、車の中から、五六匹の鰯をかき出して、また、もと来た方へ駈けだしました。そして、兵十の家の背戸口から、家の中へ投げこんで、洞穴へ一目散にはしりました。はんの木の所で立ち止つて、ふりかへつて見ると、兵十が、まだ、井戸の所で麦をといでるのが小く見えました。
 権狐は、何か好い事をした様に思へました。
 次の日には、権狐は山へ行つて、栗の実を拾つて来ました。それを持つて、兵十の家へ行きました。背戸口から覗いて見ると、丁度お正午だつたので、兵十はお正午飯の所でした。兵十は茶碗を持つたまゝ、ぼんやりと考へてゐました。
 変な事には、兵十の頬ぺたに、擦り傷がついてゐました。どうしたんだらうと権狐が思つてゐると、兵十が独語を云ひました。
「いくら考へても分らない。一体誰が、鰯なんかを、俺の家へほりこんで行つたんだらう。お蔭で俺は、盗人と思はれて、あの鰯屋に、ひどい目に合はされた。」
 まだぶつぶつ云つてゐました。
 権狐は、これはしまつたと思ひました。可哀さうに、兵十は、鰯屋にひどい目に合はされて、あんな頬ぺたの傷までつけられたんだな―。
 権狐は、そーつと納屋の方へまわつて、納屋の入口に、持つて来た栗の実を置いて、洞に帰りました。
 次の日も次の日も、ずーつと権狐は、栗の実を拾つて来ては、兵十が知らんでるひまに、兵十の家に置いて来ました。栗ばかりではなく、きの子や、薪を持つて行つてやる事もありました。そして権狐は、もう悪戯をしなくなりました。
  四
 月のいゝ晩に、権狐は、あそびに出ました。中山様のお城の下を通つてすこし行くと、細い往来の向ふから、誰か来る様でした。話声が聞えました。
「チンチロリン チンチロリン」
 松虫がどこかその辺で鳴いてゐました。
 権狐は、道の片側によつて、ぢつとしてゐました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と、加助と云ふお百姓の二人でした。
「なあ加助。」と兵十が云ひました。
「ん」
「俺あ、とても不思議なことがあるんだ」
「何が?」
「おつ母が死んでから、誰だか知らんが、俺に栗や、木の子や、何かをくれるんだ。」
「ふ―ん、だれがくれるんだ?」
「いや、それが解らんだ、知らんでるうちに、置いて行くんだ」
 権狐は、二人のあとをついて行きました。
「ほんとかい?」
 加助が、いぶかしさうに云ひました。
「ほんとだとも、嘘と思ふなら、あした見に来い、その栗を見せてやるから」
「変だな―」
 それなり、二人は黙つて歩いて行きました。
 ひよいと、加助が後を見ました。権狐はびくつとして、道ばたに小くなりました。加助は、何も知らないで、又前を向いて行きました。
 吉兵エと云ふ百姓の家まで来ると、二人はそこへはいつて行きました。
「モク、モクモク、モクモク」と木魚の音がしてゐました。窓の障子にあかりがさしてゐました。そして、大きな坊主頭が、うつつて動いてゐました。権狐は、
「お念仏があるんだな」と思ひました。権狐は井戸の側にしやがんでゐました。しばらくすると、また三人程、人がつれだつて吉兵エの家へはいつて行きました。お経を読む声がきこえて来ました。
 権狐は、お念仏がすむまで、井戸の側にしやがんでゐました。お念仏がすむと、また、兵十と加助は一緒になつて、帰つて行きました。権狐は、二人の話をきかうと思つて、ついて行きました。兵十の影法師をふむで行きました。
 中山様のお城の前まで来た時、加助がゆつくり云ひだしました。
「きつと、そりやあ、神様のしわざだ。」
「えつ?」兵十はびつくりして、加助の顔を見ました。
「俺は、あれからずつと考へたが、どう考へても、それや、人間ぢやねえ、神様だ、神様が、お前が一人になつたのを気の毒に思つて栗や、何かをめぐんで下さるんだ」と加助が云ひました。
「さうかなあ。」
「さうだとも。だから、神様に毎日お礼云つたが好い。」
「うん」
 権狐は、つまんないなと思ひました。自分が、栗のきのこを持つて行つてやるのに、自分にはお礼云はないで、神様にお礼を云ふなんて。いつそ神様がなけりやいゝのに。
 権狐は、神様がうらめしくなりました。
  五
 その日も権狐は、栗の実を拾つて、兵十の家へ持つて行きました。兵十は、納屋で縄をなつてゐました。それで権狐は背戸へまわつて、背戸口から中へはいりました。
 兵十はふいと顔をあげた時、何だか狐が家の中へはいるのを見とめました。兵十は、あの時の事を思ひ出しました。鰻を権狐にとられた事を。きつと今日も、あの権狐が悪戯をしに来たに相違ない―。
「ようし!」
 兵十は、立ちあがつて、丁度納屋にかけてあつた火縄銃をとつて、火薬をつめました。
そして、跫音をしのばせて行つて、今背戸口から出て来ようとする権狐を
「ドン!」
 とうつて了ひました。
 権狐は、ばつたり倒れました。兵十はかけよつて来ました。所が兵十は、背戸口に、栗の実が、いつもの様に、かためて置いてあるのに眼をとめました。
「おや―。」
 兵十は権狐に眼を落しました。
「権、お前だつたのか…、いつも栗をくれたのは―。」
 権狐は、ぐつたりなつたまゝ、うれしくなりました。兵十は、火縄銃をばつたり落しました。まだ青い煙が、銃口から細く出てゐました。
  一九三一・一〇・四、



【ごん狐(「赤い鳥」版)】

  一

 これは、私が小さいときに、村の茂平といふおぢいさんからきいたお話です。
 むかしは、私たちの村のちかくの、中山といふところに小さなお城があつて、中山さまといふおとのさまが、をられたさうです。
 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」と言ふ狐がゐました。ごんは、一人ぼつちの小狐で、しだの一ぱいしげつた森の中に穴をほつて住んでゐました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出て来て、いたづらばかりしました。はたけへはいつて芋をほりちらしたり、菜種がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家の裏手につるしてあるとんがらしをむしりとつて、いつたり、いろんなことをしました。
 或秋のことでした。二三日雨がふりつゞいたその間、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしやがんでゐました。
 雨があがると、ごんは、ほつとして穴からはひ出ました。空はからつと晴れてゐて、百舌鳥の声がきんきん、ひゞいてゐました。
 ごんは、村の小川の堤まで出て来ました。あたりの、すゝきの穂には、まだ雨のしづくが光つてゐました。川はいつもは水が少いのですが、三日もの雨で、水が、どつとましてゐました。たゞのときは水につかることのない、川べりのすゝきや、萩の株が、黄いろくにごつた水に横だほしになつて、もまれてゐます。ごんは川下の方へと、ぬかるみみちを歩いていきました。
 ふと見ると、川の中に人がゐて、何かやつてゐます。ごんは、見つからないやうに、そうつと草の深いところへ歩きよつて、そこからじつとのぞいて見ました。
「兵十だな。」と、ごんは思いました。兵十はぼろぼろの黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、はりきりといふ、網をゆすぶつてゐました。はちまきをした顔の横つちように、まるい萩の葉が一まい、大きな黒子みたいにへばりついてゐました。
 しばらくすると、兵十は、はりきり網の一ばんうしろの、袋のやうになつたところを、水の中からもちあげました。その中には、芝の根や、草の葉や、くさつた木ぎれなどが、ごちやごちやはいつてゐましたが、でもところどころ、白いきものがきらきら光つてゐます。それは、ふというなぎの腹や、大きなきすの腹でした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しよにぶちこみました。そして又、袋の口をしばつて、水の中へ入れました。
 兵十はそれから、びくをもつて川から上りびくを土手においといて、何をさがしにか、川上の方へかけていきました。
 兵十がゐなくなると、ごんは、ぴよいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちよいと、いたづらがしたくなつたのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、はりきり網のかゝつてゐるところより下手の川の中を目がけて、ぽんぽんなげこみました。どの魚も、「とぼん」と音を立てながらにごつた水の中へもぐりこみました。
 一ばんしまひに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれつたくなつて、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくはへました。うなぎは、キユッと言つて、ごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから、
「うわァぬすと狐め。」と、どなりたてました。ごんは、びつくりしてとびあがりました。うなぎをふりすてゝにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたまゝはなれません。ごなはそのまゝ横つとびにとび出して一しようけんめいに、にげていきました。
 ほら穴の近くの、はんの木の下でふりかへつて見ましたが、兵十は追つかけては来ませんでした。
 ごんは、ほつとして、うなぎの頭をかみくだき、やつとはづして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。

  二

 十日ほどたつて、ごんが、弥助といふお百姓の家の裏をとほりかゝりますと、そこの、いちぢくの木のかげで、弥助の家内が、おはぐろをつけてゐました。鍛冶屋の新兵衛の家のうらをとほると、新兵衛の家内が、髪をすいてゐました。ごんは、
「ふゝん、村に何かあるんだな。」と思ひました。
「何だらう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしさうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが。」
 こんなことを考へながらやつて来ますと、いつの間にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こはれかけた家の中には、大勢の人があつまつてゐました。よそいきの着物を着て、腰に手拭をさげたりした女たちが、表のかまどで火をたいてゐます。大きな鍋の中では、何かぐづぐづ煮えてゐました。
「あゝ、葬式だ。」と、ごんは思ひました。
「兵十の家のだれが死んだんだらう。」
 お午がすぎると、ごんは、村の墓地へいつて、六地蔵さんのかげにかくれてゐました。いいお天気で、遠く向うにはお城の屋根瓦が光つてゐます。墓地には、ひがん花が、赤い布のやうにさきつゞいてゐました。と、村の方から、カーン、カーンと鐘が鳴つて来ました。葬式の出る合図です。
 やがて、白い着物を来た葬列のものたちがやつて来るのがちらちら見えはじめました。話声も近くなりました。葬列は墓地へはいつて来ました。人々が通つたあとには、ひがん花が、ふみをられてゐました。
 ごんはのびあがつて見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、位牌をさゝげてゐます。いつもは赤いさつま芋みたいな元気のいゝ顔が、けふは何だかしほれてゐました。
「はゝん、死んだのは兵十のお母だ。」
 ごんはさう思ひながら、頭をひつこめました。
 その晩、ごんは、穴の中で考へました。
「兵十のお母は、床についてゐて、うなぎが食べたいと言つたにちがひない。それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。ところが、わしがいたづらをして、うなぎをとつて来てしまつた。だから兵十は、お母にうなぎを食べさせることが出来なかつた。そのまゝお母は、死んぢやつたにちがひない。あゝ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもひながら、死んだんだらう。ちよッ、あんないたづらをしなけりやよかつた。」

  三

 兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでゐました。
 兵十は今まで、お母と二人きりで貧しいくらしをしてゐたもので、お母が死んでしまつては、もう一人ぼつちでした。
「おれと同じ一人ぼつちの兵十か。」
 こちらの物置の後から見てゐたごんは、さう思ひました。
 ごんは物置のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。
「いわしのやすうりだァい。いきのいゝいわしだァい。」
 ごんは、その、いせいのいゝ声のする方へ走つていきました。と、弥助のおかみさんが裏戸口から、「いわしをおくれ。」と言ひました。いわし売は、いわしのかごをつんだ車を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助の家の中へもつてはいりました。ごんはそのすきまに、かごの中から、五六ぴきのいわしをつかみ出して、もと来た方へかけ出しました。そして、兵十の家の裏口から、家の中へいわしを投げこんで、穴へ向つてかけもどりました。途中の坂の上でふりかへつて見ますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでゐるのが小さく見えました。
 ごんは、うなぎのつぐなひに、まづ一つ、いゝことをしたと思ひました。
 つぎの日には、ごんは山で栗をどつさりひろつて、それをかゝへて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、午飯をたべかけて、茶碗をもつたまゝ、ぼんやりと考へこんでゐました。へんなことには兵十の頬ぺたに、かすり傷がついてゐます。どうしたんだらうと、ごんが思つてゐますと、兵十がひとりごとをいひました。
「一たいだれが、いわしなんかをおれの家へほうりこんでいつたんだらう。おかげでおれは、盗人と思はれて、いわし屋のやつに、ひどい目にあはされた。」と、ぶつぶつ言つてゐます。
 ごんは、これはしまつたと思ひました。かはいさうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんな傷までつけられたのか。
 ごんはかうおもひながら、そつと物置の方へまはつてその入口に、栗をおいてかへりました。
 つぎの日も、そのつぎの日もごんは、栗をひろつては、兵十の家へもつて来てやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二三ぼんもつていきました。

  四

 月のいゝ晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を通つてすこしいくと、細い道の向うから、だれか来るやうです。話声が聞えます。チンチロリン、チンチロリンと松虫が鳴いてゐます。
 ごんは、道の片がはにかくれて、ぢつとしてゐました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と、加助といふお百姓でした。
「さうさう、なあ加助。」と、兵十がいひました。
「あゝん?」
「おれあ、このごろ、とても、ふしぎなことがあるんだ。」
「何が?」
「お母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに栗やまつたけなんかを、まいにちまいにちくれるんだよ。」
「ふうん、だれが?」
「それがわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ。」
 ごんは、二人のあとをつけていきました。
「ほんとかい?」
「ほんとだとも。うそと思ふなら、あした見に来いよ。その栗を見せてやるよ。」
「へえ、へんなこともあるもんだなァ。」
 それなり、二人はだまつて歩いていきました。
 加助がひよいと、後を見ました。ごんはびくつとして、小さくなつてたちどまりました。加助は、ごんには気がつかないで、そのまゝさつさとあるきました。吉兵衛といふお百姓の家まで来ると、二人はそこへはいつていきました。ポンポンポンポンと木魚の音がしてゐます。窓の障子にあかりがさしてゐて、大きな坊主頭がうつつて動いてゐました。ごんは、
「おねんぶつがあるんだな。」と思ひながら井戸のそばにしやがんでゐました。しばらくすると、また三人ほど、人がつれだつて吉兵衛の家へはいつていきました。お経を読む声がきこえて来ました。

  五

 ごんは、おねんぶつがすむまで、井戸のそばにしやがんでゐました。兵十と加助はまた一しよにかへつていきます。ごんは、二人の話をきかうと思つて、ついていきました。兵十の影法師をふみふみいきました。
 お城の前まで来たとき、加助が言ひ出しました。
「さつきの話は、きつと、そりやあ、神さまのしわざだぞ。」
「えつ?」と、兵十はびつくりして、加助の顔を見ました。
「おれは、あれからずつと考へてゐたが、どうも、それや、人間ぢやない、神さまだ、神さまが、お前がたつた一人になつたのをあはれに思はつしやつて、いろんなものをめぐんで下さるんだよ。」
「さうかなあ。」
「さうだとも。だから、まいにち神さまにお礼を言ふがいゝよ。」
「うん。」
 ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思ひました。おれが、栗や松たけを持つていつてやるのに、そのおれにはお礼をいはないで、神さまにお礼をいふんぢやァおれは、引き合はないなあ。

  六

 そのあくる日もごんは、栗をもつて、兵十の家へ出かけました。兵十は物置で縄をなつてゐました。それでごんは家の裏口から、こつそり中へはいりました。
 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいつたではありませんか。こなひだうなぎをぬすみやがつたあのごん狐めが、またいたづらをしに来たな。
「ようし。」
 兵十は、立ちあがつて、納屋にかけてある火縄銃をとつて、火薬をつめました。
 そして足音をしのばせてちかよつて、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたほれました。兵十はかけよつて来ました。家の中を見ると土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや。」と兵十は、びつくりしてごんに目を落しました。
「ごん、お前だつたのか。いつも栗をくれたのは。」
 ごんは、ぐつたりと目をつぶつたまゝ、うなづきました。
 兵十は、火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出てゐました。



【ごん狐(『花のき村と盗人たち』版)】

  一

 これは、私が小さいときに、村の茂平といふおぢいさんからきいたお話です。
 むかしは、私たちの村のちかくの、中山といふところに小さなお城があつて、中山さまといふおとのさまが、をられたさうです。
 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」といふ狐がゐました。ごんは、一人ぼつちの小狐で、しだの一ぱいしげつた森の中に穴をほつて住んでゐました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出て来て、いたづらばかりしました。はたけへはいつて芋をほりちらしたり、菜種がらの、ほしてあるのに火をつけたり、百姓家の裏手につるしてあるとんがらしをむしりとつて、いつたり、いろんなことをしました。
 或る秋のことでした。二三日雨がふりつづいたその間、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしやがんでゐました。
 雨があがると、ごんは、ほつとして穴からはひ出ました。空はからつと晴れてゐて、百舌鳥の声がきんきん、ひびいてゐました。
 ごんは、村の小川の堤まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしづくが光つてゐました。川はいつもは水が少いのですが、三日もの雨で、水が、どつとましてゐました。ただのときは水につかることのない、川べりのすすきや、萩の株が、黄いろくにごつた水に横だふしになつて、もまれてゐます。ごんは川下の方へと、ぬかるみみちを歩いていきました。
 ふと見ると、川の中に人がゐて、何かやつてゐます。ごんは、見つからないやうに、そうつと草の深いところへ歩きよつて、そこからじつとのぞいて見ました。
「兵十だな。」と、ごんは思いました。兵十はぼろぼろの黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、はりきりといふ網をゆすぶつてゐました。はちまきをした顔の横つちように、まるい萩の葉が一まい、大きな黒子みたいにへばりついてゐました。
 しばらくすると、兵十は、はりきり網の一ばんうしろの、袋のやうになつたところを、水の中からもちあげました。その中には、芝の根や、草の葉や、くさつた木ぎれなどが、ごちやごちやはいつてゐましたが、でもところどころ、白いきものがちらちら光つてゐます。それは、ふというなぎの腹や、大きなふなの腹でした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやふなを、ごみといつしよにぶちこみました。そしてまた、袋の口をしばつて、水の中へ入れました。
 兵十はそれから、びくをもつて川から上り、びくを土手においといて、何をさがしにか、川上の方へかけていきました。
 兵十がゐなくなると、ごんは、ぴよいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちよいと、いたづらがしたくなつたのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、はりきり網のかかつてゐるところより下手の川の中を目がけて、ぽんぽんなげこみました。どの魚も「とぼん」と音を立てながら、にごつた水の中へもぐりこみました。
 一ばんしまひに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれつたくなつて、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくはへました。うなぎは、キユッと言つて、ごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向かふから、
「うわァぬすと狐め。」と、どなりたてました。ごんは、びつくりしてとびあがりました。うなぎは、ごんの首にまきついたままはなれません。ごなはそのまま横つとびにとび出していつしやうけんめいに、にげていきました。
 ほら穴の近くの、はんの木の下でふりかへつて見ましたが、兵十は追つかけては来ませんでした。
 ごんはほつとして、うなぎの頭をかみくだき、やつとはづして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。

  二

 十日ほどたつて、ごんが、弥助といふお百姓の家の裏をとほりかかりますと、そこの、いちじゆくの木のかげで、弥助の家内が、おはぐろをつけてゐました。鍛冶屋の新兵衛の家のうらをとほると、新兵衛の家内が、髪をすいてゐました。ごんは、
「ふふん、村に何かあるんだな。」と思ひました。
「何だらう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしさうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが。」
 こんなことを考へながらやつて来ますと、いつの間にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こはれかけた家の中には、大勢の人があつまつてゐました。よそいきの着物を着て、腰に手拭をさげたりした女たちが、表のかまどで火をたいてゐます。大きな鍋の中では、何かぐづぐづ煮えてゐました。
「ああ、葬式だ。」とごんは思ひました。
「兵十の家のだれが死んだんだらう。」
 おひるがすぎると、ごんは、村の墓地へいつて、六地蔵さんのかげにかくれてゐました。いいお天気で、遠く向かふにはお城の屋根瓦が光つてゐます。墓地には、ひがん花が、赤い布のやうにさきつづいてゐました。と、村の方から、カーン、カーンと鐘が鳴つて来ました。葬式の出る合図です。
 やがて、白い着物を来た葬列のものたちがやつて来るのがちらちら見えはじめました。話声も近くなりました。葬列は墓地へはいつて来ました。人々が通つたあとには、ひがん花が、ふみをられてゐました。
 ごんはのびあがつて見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、位牌をささげてゐます。いつもは赤いさつま芋みたいな元気のいい顔が、けふは何だかしほれてゐました。
「ははん、死んだのは兵十のおつかあだ。」
 ごんはさう思ひながら、頭をひつこめました。
 その晩、ごんは、ほら穴の中で考へました。
「兵十のおつかあは、床についてゐて、うなぎが食べたいと言つたにちがひない。それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。ところが、おれしがいたづらをして、うなぎをとつて来てしまつた。だから兵十は、おつかあにうなぎを食べさせることが出来なかつた。そのままおつかあは、死んぢやつたにちがひない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいと思ひながら、死んだんだらう。ちよッ、あんないたづらをしなけりやよかつた。」

  三

 兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでゐました。
 兵十は今まで、おつかあと二人きりで貧しいくらしをしてゐたもので、おつかあが死んでしまつては、もう一人ぼつちでした。
「おれと同じ一人ぼつちの兵十か。」
 こちらの物置の後から見てゐたごんは、さう思ひました。
 ごんは物置のそばをはなれて、向かふへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。
「いわしやすうりだァい。いきのいいいわしだァい。」
 ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走つていきました。と、弥助のおかみさんが裏戸口から、「いわしをおくれ。」と言ひました。いわし売りは、いわしのかごをつんだ車を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで弥助の家の中へもつてはいりました。ごんはそのすきまに、かごの中から、五六ぴきのいわしをつかみ出して、もと来た方へかけ出しました。そして、兵十の家の裏口から、家の中へいわしを投げこんで、穴へ向かつてかけもどりました。途中の坂の上でふりかへつて見ますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでゐるのが小さく見えました。
 ごんは、うなぎのつぐなひに、まづ一つ、いいことをしたと思ひました。
 つぎの日には、ごんは山で栗をどつさりひろつて、それをかかへて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、昼飯をたべかけて、茶碗をもつたまま、ぼんやりと考へこんでゐました。へんなことには兵十の頬ぺたに、かすり傷がついてゐます。どうしたんだらうと、ごんが思つてゐますと兵十がひとりごとをいひました。
「一たいだれが、いわしなんかおれの家へはふりこんでいつたんだらう。おかげでおれは、ぬすとと思はれて、いわし屋のやつに、ひどい目にあはされた。」とぶつぶつ言つてゐます。
 ごんは、これはしまつたと思ひました。かはいさうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんな傷までつけられたのか。
 ごんはかうおもひながら、そつと物置の方へまはつて、その入口に、栗をおいてかへりました。
 つぎの日も、そのつぎの日も、ごんは、栗をひろつては、兵十の家へもつて来てやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二三ぼんもつていきました。

  四

 月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を通つてすこしいくと、細い道の向かふから、だれか来るやうです。話声が聞えます。チンチロリン、チンチロリンと松蟲が鳴いてゐます。
 ごんは、道の片側にかくれて、じつとしてゐました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と、加助といふお百姓でした。
「さうさう、なあ加助。」と、兵十がいひました。
「ああん?」
「おれあ、このごろ、とても、ふしぎなことがあるんだ。」
「何が?」
「おつかあが死んでからは、だれだか知らんが、おれに栗やまつたけなんかを、まいにちまいにちくれるんだよ。」
「ふうん、だれが?」
「それがわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ。」
 ごんは、二人のあとをつけていきました。
「ほんとかい?」
「ほんとだとも、うそと思ふなら、あした見に来いよ。その栗を見せてやるよ。」
「へえ、へんなこともあるもんだなァ。」
 それなり、二人はだまつて歩いていきました。
 加助がひよいと、後を見ました。ごんはびくつとして、小さくなつてたちどまりました。加助は、ごんには気がつかないで、そのままさつさとあるきました。吉兵衛といふお百姓の家まで来ると、二人はそこへはいつていきました。ポンポンポンポンと木魚の音がしてゐます。窓の障子にあかりがさしてゐて、大きな坊主頭がうつつて動いてゐました。ごんは
「おねんぶつがあるんだな。」と思ひながら井戸のそばにしやがんでゐました。しばらくすると、また三人ほど、人がつれだつて吉兵衛の家へはいつていきました。お経を読む声がきこえて来ました。

  五

 ごんは、おねんぶつがすむまで、井戸のそばにしやがんでゐました。兵十と加助はまた一しよにかへつていきます。ごんは、二人の話をきかうと思つて、ついていきました。兵十の影法師をふみふみいきました。
 お城の前まで来たとき、加助が言ひ出しました。
「さつきの話は、きつと、そりやあ、神さまのしわざだぞ。」
「えつ?」と、兵十はびつくりして、加助の顔を見ました。
「おれは、あれからずつと考へてゐたが、どうも、そりや、人間ぢやない、神さまだ。神さまが、お前がたつた一人になつたのをあはれに思はつしやつて、いろんなものをめぐんで下さるんだよ。」
「さうかなあ。」
「さうだとも。だから、まいにち神さまにお礼を言ふがいいよ。」
「うん。」
 ごんは、「へえ、こいつはつまらないな。」と思ひました。「おれが、栗や松たけを持つていつてやるのに、そのおれにはお礼をいはないで、神さまにお礼をいふんぢやアおれは、引き合はないなあ。」

  六

 そのあくる日もごんは、栗をもつて、兵十の家へ出かけました。兵十は物置で縄をなつてゐました。それでごんは家の裏口から、こつそり中へはいりました。
 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と、狐が家の中へはいつたではありませんか。こなひだうなぎをぬすみやがつたあのごん狐めが、またいたづらをしに来たな。
「ようし。」
 兵十は、立ちあがつて、納屋にかけてある火縄銃をとつて、火薬をつめました。
 そして足音をしのばせてちかよつて、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ぱたりとたふれました。兵十はかけよつて来ました。家の中を見ると土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや。」と兵十は、びつくりしてごんに目を落しました。
「ごん、お前だつたのか。いつも栗をくれたのは。」
 ごんは、ぐつたり目をつぶつたまま、うなづきました。
 兵十は、火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出てゐました。