【牛をつないだ椿の木】
一
山の中の道のかたはらに、椿の若木がありました。牛曳きの利助さんは、それに牛をつなぎました。
人力曳きの海蔵さんも、椿の根本へ人力車をおきました。人力車は牛ではないから、つないでおかなくつてもよかつたのです。
そこで、利助さんと海蔵さんは、水をのみに山の中にはいつてゆきました。道から一町ばかり山にわけいつたところに、清くてつめたい清水がいつも湧いてゐたのであります。
二人はかはりばんこに、泉のふちの、しだやぜんまいの上に両手をつき、腹ばひになり、つめたい水の匂ひをかぎながら、鹿のやうに水をのみました。はらの中が、ごぼごぼいふほどのみました。
山の中では、もう春蝉が鳴いてゐました。
「ああ、あれがもう鳴き出したな。あれをきくと暑くなるて」
と、海蔵さんが、まんぢゆう笠をかむりながらいひました。
「これからまたこの清水を、ゆききのたンびに飲ませてもらふことだて」
と、利助さんは、水をのんで汗が出たので、手拭でふきふきいひました。
「もうちと、道に近いとええがのオ」
と海蔵さんがいひました。
「まつたくだて」
と、利助さんが答へました。ここの水をのんだあとでは、誰でもそんなことを挨拶のやうにいひあふのがつねでした。
二人が椿のところへもどつて来ると、そこに自転車をとめて、一人の男の人が立つてゐました。その頃は自転車が日本にはいつて来たばかりのじぶんで、自転車を持つてゐる人は、田舎では旦那衆にきまつてゐました。
「誰だらう」
と、利助さんが、おどおどしていひました。
「区長さんかも知れん」
と、海蔵さんがいひました。そばに来てみると、それはこの附近の土地を持つてゐる、町の年とつた地主であることがわかりました。そして、も一つわかつたことは、地主がかんかんに怒つてゐることでした。
「やいやい、この牛はだれの牛だ」
と、地主は二人をみると、どなりつけました。その牛は利助さんの牛でありました。
「わしの牛だがのイ」
「てめえの牛? これを見よ。椿の葉をみんな喰つてすつかり坊主にしてしまつたに」
二人が、牛をつないだ椿の木を見ると、それは自転車をもつた地主がいつたとほりでありました。若い椿の、柔らかい葉はすつかりむしりとられて、みすぼらしい杖のやうなものが立つてゐただけでした。
利助さんは、とんだことになつたと思つて、顔をまつかにしながら、あはてて木から綱をときました。そして申しわけに、牛の首つたまを、手綱でぴしりと打ちました。
しかし、そんなことぐらゐでは、地主はゆるしてくれませんでした。地主は大人の利助さんを、まるで子供を叱るやうに、さんざん叱りとばしました。そして自転車のサドルをパンパン叩きながら、かういひました。
「さあ、何でもかんでも、もとのやうに葉をつけてしめせ」
これは無理なことでありました。そこで人力曳きの海蔵さんも、まんぢゆう笠をぬいで、利助さんのためにあやまつてやりました。
「まあまあ、こんどだけはかにしてやつとくんなす。利助さも、まさか牛が椿を喰つてしまふとは知らずにつないだことだで」
そこでやうやく地主は、はらのむしがおさまりました。けれど、あまりどなりちらしたので、体がふるへるとみえて、二三べん自転車に乗りそこね、それからうまくのつて、行つてしまひました。
利助さんと海蔵さんは、村の方へ歩きだしました。けれどもう話をしませんでした。大人が大人に叱りとばされるといふのは、情ないことだらうと、人力曳きの海蔵さんは、利助さんの気持をくんでやりました。
「もうちつと、あの清水が道に近いとえゝだがのオ」
と、とうとう海蔵さんが言ひました。
「まつたくだて」
と、利助さんが答へました。
二
海蔵さんが人力曳きのたまり場へ来ると、井戸掘りの新五郎さんがゐました。人力曳きのたまり場といつても、村の街道にそつた駄菓子屋のことでありました。そこで井戸掘りの新五郎さんは、油菓子をかぢりながら、つまらぬ話を大きな声でしてゐました。井戸の底から、外にゐる人にむかつて話をするために、井戸新さんの声が大きくなつてしまつたのであります。
「井戸つてもなア、いつたいいくらくらゐで掘れるもんかイ、井戸新さ」
と、海蔵さんは、じぶんも駄菓子箱から油菓子を一本つまみだしながらききました。
井戸新さんは、人足がいくらいくら、井戸囲の土管がいくらいくら、土管のつぎめを埋めるセメントがいくらと、こまかく説明して、
「先づ、ふつうの井戸なら、三十円もあればできるな」
と、いひました。
「ほオ、三十円な」
と、海蔵さんは、眼をまるくしました。それからしばらく、油菓子をぼりぼりかじつてゐましたが、
「しんたのむねを下りたところに掘つたら、水が出るだらうかなア」
と、ききました。それは、利助さんが牛をつないだ椿の木のあたりのことでありました。
「うん、あそこなら、出ようて、前の山で清水が湧くくらゐだから、あの下なら水は出ようが、あんなところへ井戸を掘つて何にするや」
と、井戸新さんがききました。
「うん、ちつとわけがあるだて」
と、答へたきり、海蔵さんはそのわけをいひませんでした。
海蔵さんは、からの人力車をひきながら家に帰つてゆくとき、
「三十円な。…三十円か」
と、何度もつぶやいたのでありました。
海蔵さんは薮をうしろにした小さい藁屋に、年とつたお母さんと二人きりで住んでゐました。二人は百姓仕事をし、暇なときには海蔵さんが、人力車を曳きに出てゐたのであります。
夕飯のときに二人は、その日にあつたことを話しあふのが、たのしみでありました。年とつたお母さんは隣の鶏が今日はじめて卵をうんだが、それはをかしいくらゐ小さかつたこと、背戸の柊の木に蜂が巣をかけるつもりか、昨日も今日も様子を見に来たが、あんなところに蜂の巣をかけられては、味噌部屋へ味噌をとりにゆくときにあぶなくてしやうがないといふことを話しました。
海蔵さんは、水をのみにいつてゐる間に利助さんの牛が椿の葉を喰つてしまつたことを話して、
「あそこの道ばたに井戸があつたら、いゝだろにのオ」と、いひました。
「そりや、道ばたにあつたら、みんながたすかる」
と、いつて、お母さんは、あの道の暑い日盛りに通る人々をかぞへあげました。大野の町から車をひいて来る油売り、半田の町から大野の町へ通る飛脚屋、村から半田の町へでかけてゆく羅宇屋の富さん、そのほか沢山の荷馬車曳き、牛車曳き、人力曳き、遍路さん、乞食、学校生徒などをかぞへあげました。これらの人ののどがちやうどしんたのむねのあたりで乾かぬわけにはいきません。
「だで、道のわきに井戸があつたら、どんなにかみんながたすかる」
と、お母さんは話をむすびました。
三十円くらゐで、その井戸が掘れるといふことを、海蔵さんが話しました。
「うちのやうな貧乏人にや、三十円といや大した金で眼がまふが、利助さんとこのやうな成金にとつちや、三十円ばかりは何でもあるまい」
と、お母さんはいひました。海蔵さんは、せんだつて利助さんが、山林でたいさうなお金を儲けたそうなときいたことをおもひだしました。
ひと風呂あびてから、海蔵さんは牛車曳きの利助さんの家へ出かけました。
うしろ山で、ほオほオと梟が鳴いてゐて、崖の上の仁左エ門さんの家では、念仏講があるのか、障子にあかりがさし、木魚の音が、崖の下のみちまでこぼれてゐました。もう夜でありました。行つてみると、働き者の利助さんは、まだ牛小屋の中のくらやみで、ごそごそと何かしてゐました。
「えらい精が出るのオ」
と、海蔵さんがいひました。
「なに、あれから二へん半田まで通つてのオ、ちよつとおくれただてや」
といひながら、牛の腹の下をくぐつて利助さんが出て来ました。
二人が縁ばなに腰をかけると、海蔵さんが、
「なに、けふのしんたむねのことだがのオ」
と、話しはじめました。
「あの道ばたに井戸を一つ掘つたら、みんながたすかると思ふがのオ」
と、海蔵さんがもちかけました。
「そりや、たすかるのオ」
と、利助さんがうけました。
「牛が椿の葉をくつちまふまで知らんどつたのは、清水が道から遠すぎるからだのオ」
「そりや、さうだのオ」
「三十円ありや、あそこに井戸がひとつ掘れるだがのオ」
「ほオ、三十円のオ」
「あゝ、三十円ありやえゝだげな」
「三十円ありやのオ」
こんなふうにいつてゐても、いつかう利助さんが、こちらの心をくみとつてくれないので、海蔵さんは、はつきりいつてみました。
「それだけ、利助さ、ふんぱつしてくれないかエ。きけば、お前、だいぶ山林でまうかつたさうだが」
利助さんは、いままで調子よくしやべつてゐましたが、きふに黙つてしまひました。そして、じぶんのほつぺたをつねつてゐました。
「どうだエ、利助さ」
と、海蔵さんは、しばらくして答をうながしました。
それでも利助さんは、岩のやうに黙つてゐました。どうやら、こんな話は利助さんには面白くなささうでした。
「三十円で、できるげながのオ」
と、また海蔵さんがいひました。
「その三十円をどうしておれが出すのかエ。おれだけがその水をのむなら話がわかるが、ほかのもんもみんなのむ井戸に、どうしておれが金を出すのか、そこがおれにはよくのみこめんがのオ」
と、やがて利助さんはいひました。
海蔵さんは、人々のためだといふことを、いろいろと説きましたが、どうしても利助さんには「のみこめ」ませんでした。しまひには利助さんは、もうこんな話はいやだといふやうに、
「おかか、めしのしたくしろよ。おれ、腹がへつとるで」
と、家の中へむかつてどなりました。
海蔵さんは腰をあげました。利助さんが、夜おそくまでせつせと働くのは、じぶんだけのためだといふことがよくわかつたのです。
ひとりで夜みちを歩きながら、海蔵さんは思ひました。―こりや、ひとにたよつてゐちやだめだ、じぶんの力でしなけりや、と。
三
旅の人や、町へゆく人は、しんたのむねの下の椿の木に、賽銭箱のやうなものが吊されてあるのを見ました。それには札がついてゐて、かう書いてありました。
「ここに井戸を掘つて旅の人にのんでもらはうと思ひます。志のある方は一銭でも五厘でも喜捨して下さい」
これは海蔵さんのしわざでありました。それがしようこに、それから五六日のち、海蔵さんは、椿の木に向かひあつた崖の上にはらばひになつて、えにしだの下から首つたまだけ出し、人々の喜捨のしやうを見てゐました。
やがて半田の町の方からお婆さんがひとり、乳母車を押してきました。花を売つて帰るところでせう。お婆さんは箱に目をとめて、しばらく札をながめてゐました。しかし、お婆さんは字を読んだのではなかつたのです。なぜなら、こんなひとりごとをいひました。
「地蔵さんも何もないのに、なんでこんなとこに賽銭箱があるのじやろ」そしてお婆さんは行つてしまひました。
海蔵さんは、右手にのせてゐたあごを、左手にのせかへました。
こんどは村の方から、しりはしよりした、がにまたのお爺さんがやつて来ました。「庄平さんのぢいさんだ。あの爺さんは昔の人間でも、字が読めるはずだ」と、海蔵さんはつぶやきました。
お爺さんは箱に眼をとめました。そして「なになに」といひながら、腰をのばして札を読みはじめました。読んでしまふと、「なアるほど、ふふウん、なアるほど」と、ひどく感心しました。そして、懐の中をさぐりだしたので、これは喜捨してくれるなと思つてゐると、とり出したのは古臭い莨入れでした。お爺さんは椿の根元でいつぷくすつて行つてしまひました。
海蔵さんは起きあがつて、椿の木の方へすべりおりました。
箱を手にとつて、ふつてみました。何の手ごたへもないのでした。
がつかりして海蔵さんは、ふうツと、といきをもらしました。
「けつきよく、ひとは頼りにならんとわかつた。いよいよかうなつたら、おれひとりの力でやりとげるのだ」
といひながら、海蔵さんは、しんたのむねをのぼつて行きました。
四
次の日、大野の町へ客を送つてきた海蔵さんが、村の茶店にはいつていきました。そこは、村の人力曳きたちが一仕事して来ると、次のお客を待ちながら、憩んでゐる場所になつてゐたのでした。その日も、海蔵さんよりさきに三人の人力曳きが、茶店の中に憩んでゐました。
店にはいつて来た海蔵さんは、いつものやうに、駄菓子箱のならんだ台のうしろに仰向けに寝ころがつてうつかり油菓子をひとつ摘んでしまひました。人力曳きたちは、お客を待つてゐるあひだ、することがないので、つい、駄菓子箱のふたをあけて、油菓子や、げんこつや、ぺこしやんといふ飴や、やきするめや餡つぼなどをつまむのが癖になつてゐました。海蔵さんもまたさうでした。
しかし海蔵さんは、今、つまんだ油菓子をまたもとの箱に入れてしまひました。
見てゐた仲間の源さんが、
「どうしただや、海蔵さ。あの油菓子は鼠の小便でもかかつてをるだかや」
といひました。
海蔵さんは顔をあかくしながら、
「ううん、さういふわけぢやねえけれど、けふはあまり喰べたくないだかや」
と、答へました。
「へへエ。いつかう顔色も悪くないやうだが、それでどこか悪いだがや」
と、源さんがいひました。
しばらくして源さんは、ガラス壷から金平糖を一掴みとり出すと、そのうちの一つをぽオいと上に投げあげ、口でぱくりと受けとめました。そして、
「どうだや、海蔵さ。これをやらんかや」
といひました。海蔵さんは、昨日まではよく源さんと、それをやつたものでした。二人で競争をやつて、受けそこなつた数のすくないものが、相手に別の菓子を買はせたりしたものでした。そして海蔵さんは、この芸当ではほかのどの人力曳きにも負けませんでした。
しかし、けふは海蔵さんはいひました。
「朝から奥歯がやめやがつてな、甘いものはたべられんのだてや」
「さうかや、そいぢや、由さ、やらう」
といつて、源さんは由さんと、それをはじめました。
二人は色とりどりの金平糖を、天井に向かつて投げあげてはそれを口でとめやうとしましたが、うまく口にはいるときもあれば、鼻にあたつたり、たばこぼんの灰の中にはいつたりすることもありました。
海蔵さんは、じぶんがするなら、ひとつもそらしはしないのだがなあ、と思ひながら見てゐました。あまり源さんと由さんが落してばかりゐると、「よし、おれがひとつやつて見せてやろかい」といつて出たくなるのでしたが、それをがまんしてゐました。これはたいへんつらいことでありました。
はやく、お客がくればいゝのになあ、と海蔵さんは眼をほそめて明るい道の方を見てゐました。しかしお客よりさきに、茶店のおかみさんが、焼きたてのほかほかの大餡卷をつくつてあらはれました。
人力曳きたちは、大よろこびで、一本づつとりました。海蔵さんもがまんできなくなつて、手が少しうごきだしましたが、やつとのことでおさへました。
「海蔵さ、どうしたぢや。一銭もつかはんで、ごつそりためておいて、大きな倉でもたてるつもりかや」
と、源さんがいひました。
海蔵さんは苦しさうに笑つて、外へ出てゆきました。そして、溝のふちで、かやつり草を折つて、蛙をつつてゐました。
海蔵さんの胸の中には、拳骨のやうに固い決心があつたのです。今までお菓子につかつたお金を、これからは使はずにためておいて、しんたのむねの下に、人々のための井戸を掘らうといふのでありました。
海蔵さんは、腹も歯もいたくありませんでした。のどから手が出るほど、お菓子はたべたかつたのでした。しかし、井戸をつくるために、今までの習慣をあらためたのでありました。
五
それから二年たちました。
牛が葉をたべてしまつた椿にも、花が三つ四つ咲いたじぶんの或る日、海蔵さんは半田の町に住んでゐる地主の家へやつていきました。
海蔵さんは、もう二タ月ほどまへから、たびたびこの家へ来たのでした。井戸を掘るお金はだいたいできたのですが、いざとなつて地主が、そこに井戸を掘ることをしやうちしてくれないので、何度も頼みに来たのでした。その地主といふのは、牛を椿につないだ利助さんを、さんざん叱つたあの老人だつたのです。
海蔵さんが門をはいつたとき、家の中から、ひえつといふひどいしやつくりの音がきこえて来ました。
たづねて見ると、一昨日から地主の老人は、しやつくりがとまらないので、すつかり体がよはつて、床についてゐるといふことでした。それで、海蔵さんはお見舞ひに枕もとまできました。
老人は、ふとんを波うたせて、しやつくりをしてゐました。そして、海蔵さんの顔を見ると、
「いや、何度お前が頼みにきても、わしは井戸を掘らせん。しやつくりがもうあと一日つづくと、わしが死ぬさうだが、死んでもそいつは許さぬ」
と、ぐわんこにいひました。
海蔵さんは、こんな死にかかつた老人と争つてもしかたがないと思つて、しやつくりにきくおまじなひは、茶わんに箸を一本のせておいて、ひといきに水をのんでしまふことだと教へてやりました。
門を出やうとすると、老人の息子さんが、海蔵さんのあとを追つてきて、
「うちの親父は、ぐわんこでしやうがないのですよ。そのうち、私の代になりますから、そしたら私があなたの井戸を掘ることを承知してあげませう」
といひました。
海蔵さんは喜びました。あの様子では、もうあの老人は、あと二三日で死ぬに違ひない。さうすれば、あの息子があとをついで、井戸を掘らせてくれる、これはうまいと思ひました。
その夜、夕飯のとき、海蔵さんは年とつたお母さんに、かう話しました。
「あのぐわんこ者の親父が死ねば、息子が井戸を掘らせてくれるさうだがのオ。だが、ありや、二三日で死ぬからえゝて」
すると、お母さんはいひました。
「お前はじぶんの仕事のことばかり考へてゐて、悪い心になつただな。人の死ぬのを待ちのぞんでゐるのは悪いことだぞや」
海蔵さんは、とむねをつかれたやうな気がしました。お母さんのいふとほりだつたのです。
次の朝早く、海蔵さんは、また地主の家へ出かけていきました。門をはいると、昨日より力のない、ひきつるやうなしやつくりの声が聞えて来ました。だいぶ地主の体が弱つたことがわかりました。
「あんたは、また来ましたね。親父はまだ生きてゐますよ」
と、出て来た息子さんがいひました。
「いえ、わしは、親父さんが生きておいでのうちに、ぜひおあひしたいので」
と、海蔵さんはいひました。
老人はやつれて寝てゐました。海蔵さんは枕もとに両手をついて、
「わしは、あやまりに参りました。昨日、わしはここから帰るとき、息子さんから、あなたが死ねば息子さんが井戸を許してくれるときいて、悪い心になりました。もうぢき、あなたが死ぬからいゝなどと、恐ろしいことを平気で思つてゐました。つまり、わしはじぶんの井戸のことばかり考へて、あなたの死ぬことを待ちねがふといふやうな、鬼にもひとしい心になりました。そこで、わしは、あやまりに参りました。井戸のことは、もうお願ひしません。またどこか、ほかの場所をさがすとします。ですから、あなたはどうぞ、死なないで下さい」
と、いひました。
老人は黙つてきいてゐました。それから長いあひだ黙つて海蔵さんの顔を見上げてゐました。
「お前さんは、感心なおひとぢや」
と、老人はやつと口を切つていひました。
「お前さんは、心のえゝおひとぢや、わしは長い生涯じぶんの慾ばかりで、ひとのことなどちつとも思はずに生きて来たが、いまはじめてお前さんのりつぱな心にうごかされた。お前さんのやうな人は、いまどき珍らしい。それぢや、あそこへ井戸を掘らしてあげよう。どんな井戸でも掘りなさい。もし掘つて水が出なかつたら、どこにでもお前さんの好きなところに掘らしてあげよう。あのへんは、みな、わしの土地だから。うん、さうして、井戸を掘る費用がたりなかつたら、いくらでもわしが出してあげよう。わしは明日にも死ぬかも知れんから、このことを遺言しておいてあげよう」
海蔵さんは、思ひがけない言葉をきいて、返事のしやうもありませんでした。だが、死ぬまへに、この一人の慾ばりの老人が、よい心になつたのは、海蔵さんにもうれしいことでありました。
六
しんたのむねから打ちあげられて、少しくもつた空で花火がはじけたのは、春も末に近いころの昼でした。
村の方から行列が、しんたのむねを下りて来ました。行列の先頭には黒い服、黒と黄の帽子をかむつた兵士が一人ゐました。それが海蔵さんでありました。
しんたのむねを下りたところに、かたがはには椿の木がありました。今花は散つて、浅緑の柔かい若葉になつてゐました。もういつぱうには、崖をすこしえぐりとつて、そこに新らしい井戸ができてゐました。
そこまで来ると、行列がとまつてしまひました。先頭の海蔵さんがとまつたからです。学校かへりの小さい子供が二人、井戸から水を汲んで、のどをならしながら、美しい水をのんでゐました。海蔵さんは、それをにこにこしながら見てゐました。
「おれもいつぱいのんで行かうか」
子供たちがすむと、海蔵さんはさういつて、井戸のところへ行きました。
中をのぞくと、新しい井戸に、新しい清水がゆたかに湧いてゐました。ちやうど、そのやうに、海蔵さんの心の中にも、よろこびが湧いてゐました。
海蔵さんは、汲んでうまさうにのみました。
「わしはもう、思ひのこすことはないがや。こんな小さな仕事だが、人のためになることを残すことができたからのオ」
と、海蔵さんは誰でも、とつつかまへていひたい気持でした。しかし、そんなことはいはないで、たゞにこにこしながら、町の方へ坂をのぼつて行きました。
日本とロシヤが、海の向かふでたゝかひをはじめてゐました。海蔵さんは海をわたつて、そのたゝかひの中にはいつて行くのでありました。
七
つひに海蔵さんは、帰つて来ませんでした。勇ましく日露戦争の花と散つたのです。しかし、海蔵さんのしのこした仕事は、いまでも生きてゐます。椿の木かげに清水はいまもこんこんと湧き、道につかれた人々は、のどをうるほして元気をとりもどし、また道をすすんで行くのであります。
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