宮沢賢治『注文の多い料理店』データ集から見た
イーハトブの風と空

上田信道



 『注文の多い料理店』に限らず、イーハトブの世界を特徴づける事物の一つは〈風〉であろう。
そこで、直喩表現に着目して、〈風〉にまつわる表現を抜き出してみたい。直喩表現は子どもにとって容易にイメージ化することが容易な表現方法である。それゆえ、児童文学の作品の特性を解明する上でカギとなる表現の一つであるやに思われる。
 『注文の多い料理店』中の直喩表現を検索すると、全部で109例がある。その中からさらに〈風〉に関する直喩表現に絞り込んで抜き出してみると、次の8例(数字はID)がある。なお、ここに言う〈風〉に関する直喩表現とは《風で比喩する表現》と《風を比喩する表現》のことである。

181するとある年の秋、水のやうにつめたいすきとほる風が、柏の枯れ葉をさらさら鳴らし、岩手山の銀の冠には、雲の影がくつきり黒くうつつてゐる日でした。
629雪童子は、風のやうに象の形の丘にのぼりました。
655そらはすつかり白くなり、風はまるで引き裂くやう、早くも乾いたこまかな雪がやつて来ました。
750風がそれをけむりのやうに飛ばしました。
1219鹿どもの風にゆれる草穂のやうな気もちが、波になつて伝はつて来たのでした。
1292向ふの一疋はそこで得意になつて、舌を出して手拭を一つべろりと甞めましたが、にはかに怖くなつたとみえて、大きく口をあけて舌をぶらさげて、まるで風のやうに飛んで帰つてきました。
1313走りながら廻りながら踊りながら、鹿はたびたび風のやうに進んで、手拭を角でついたり足でふんだりしました。
1348鹿はおどろいて一度に竿のやうに立ちあがり、それからはやてに吹かれた木の葉のやうに、からだを斜めにして逃げ出しました。

 このように、ほとんど総てが動的なイメージのある比喩に関連していることがわかる。〈風〉は常に変化し移動し続ける動的なイメージで捉えられていて、いかにも「変」を好んだ『注文の多い料理店』の作者らしさが窺えよう。そして、また、〈風〉のイメージというものは、『注文の多い料理店』の作者に限らず、元来そうしたものであろう。
 そういう中で、ID181は例外である。〈風〉は「水のやうにつめたい」ものであり、かつ「すきとほる」ものとして表現されている。ここに見られる〈風〉のイメージは、『注文の多い料理店』の作者に特有のイメージではないかという仮説が成り立つのではないだろうか。
 したがって、まず、〈水〉に着目してみたい。〈風〉の場合と同様の条件で〈水〉に関する直喩表現について抜き出してみると、次の7例(数字はID)が抽出できる。

29笛ふきの滝といふのは、まつ白な岩の崖のなかほどに、小さな穴があいてゐて、そこから水が笛のやうに鳴つて飛び出し、すぐ滝になつて、ごうごう谷におちてゐるのをいふのでした。
181するとある年の秋、水のやうにつめたいすきとほる風が、柏の枯れ葉をさらさら鳴らし、岩手山の銀の冠には、雲の影がくつきり黒くうつつてゐる日でした。
948お月さまは、いまちやうど、水いろの着ものと取りかへたところでしたから、そこらは浅い水の底のやう、木のかげはうすく網になつて地に落ちました。
1018お月さまの光が青くすきとほつてそこらは湖の底のやうになりました。
1129でんしんばしらは、まるで川の水のやうに、次から次とやつて来ます。
1333右から二ばん目の鹿が、俄かにとびあがつて、それからからだを波のやうにうねらせながら、みんなの間を縫つてはせまはり、たびたび太陽の方にあたまをさげました。
1349銀のすすきの波をわけ、かゞやく夕陽の流れをみだしてはるかにはるかに遁げて行き、そのとほつたあとのすすきは静かな湖の水脈のやうにいつまでもぎらぎら光つて居りました。

 7例のうち、ID181は〈風〉の場合と共通であるからここでは除外する。
 注目すべきはID948とID1018である。この表現では「林の中の様」を「浅い水の底」「湖の底」に例えている。すなわち、『注文の多い料理店』の作者は、しばしば地上の世界を水中ないし水底のイメージで捉えているのであり、これは他に類例を見ない特有のイメージであろう。6例の用例を見れば明らかなように、『注文の多い料理店』の作者は〈水〉を変化し移動を続ける動的なイメージで捉えられており、これは〈風〉と同様である。つまり、『注文の多い料理店』の作者は〈風〉についても〈水〉についても同様のイメージで捉えている。そして、この世界が水中ないし水底のイメージに例えて表現されるならば、〈風〉の動きは〈水〉の動きに例えて表現されるはずである。現にID1349の「すすきは静かな湖の水脈のやうに」という表現からこのことは明らかであろう。
 地上の世界が〈水〉に例えられるのであれば、水面あるいは水上、すなわち天上の世界はどのようなイメージで表現されているのだろうか。
 ここでは、従来と同様の条件で〈空〉及び〈天体〉に関する直喩表現について抽出(数字はID)してみよう。

571もう東の空はあたらしく研いだ鋼のやうな白光です。
588桃の果汁のやうな陽の光は、まづ山の雪にいつぱいに注ぎ、それからだんだん下に流れて、つひにはそこらいちめん、雪のなかに白百合の花を咲かせました。
644すると、雲もなく研きあげられたやうな群青の空から、まつ白な雪が、さぎの毛のやうに、いちめんに落ちてきました。
715そして、風と雪と、ぼさぼさの灰のやうな雲のなかで、ほんたうに日は暮れ雪は夜ぢう降つて降つて降つたのです。
737まもなく東のそらが黄ばらのやうに光り、琥珀いろにかがやき、黄金に燃えだしました。
766お日さまは赤と黄金でぶちぶちのやまなしのやう、かれくさのいいにほひがそこらを流れ、すぐうしろの山脈では、雪がこんこんと白い後光をだしてゐるのでした。
793山男はほんとうに呑んでいいだらうかとあたりを見ますと、じぶんはいつか町の中でなく、空のやうに碧いひろい野原のまんなかに、眼のふちの赤い支那人とたつた二人、荷物を間に置いて向ひあつて立つてゐるのでした。
895清作はすつかりどぎまぎしましたが、ちやうど夕がたでおなかが空いて、雲が団子のやうに見えてゐましたからあわてて、「えつ、今晩は。よいお晩でございます。えつ。お空はこれから銀のきな粉でまぶされます。ごめんなさい。」と言ひました。
1075月の光は真珠のやうに、すこしおぼろになり、柏の木大王もよろこんですぐうたひました。
1085林を出てから空を見ますと、さつきまでお月さまのあつたあたりはやつとぼんやりあかるくて、そこを黒い犬のやうな形の雲がかけて行き、林のずうつと向ふの沼森のあたりから、「赤いしやつぽのカンカラカンのカアン。」と画かきが力いつぱい叫んでゐる声がかすかにきこえました。

 こうして見ると、〈空〉及び〈天体〉に関する比喩には一つとして類似のものはない。空(水面)は刻々に変化しているものだからである。ここにも「変」を好んだ『注文の多い料理店』の作者らしさが窺える。
 〈空〉についてはさらに検索の対象を拡げ、名詞中データから〈空〉の類語について全データを検索する。類語機能の活用である。この場合は用例が多すぎるので、いちいちここに引用することはせず、いくつかの特徴的な表現についてのみ取り上げることにしたい。
『注文の多い料理店』における〈空〉のイメージで特徴的なことは、「新しく灼かれた鋼」(ID538)「もう東の空はあたらしく研いだ鋼のやうな白光」(ID571)など、「鋼」のイメージで表現されることであろう。とりわけ、「たうたう薄い鋼の空に、ピチリと裂罅がはいつて、まつ二つに開き、その裂け目から、あやしい長い腕がたくさんぶら下つて、烏を握んで空の天井の向ふ側へ持つて行かうとします。」(ID539)と「東の遠くの海の方では、空の仕掛けを外したやうな、ちいさなカタツといふ音が聞え、いつかまつしろな鏡に変つてしまつたお日さまの面を、なにかちいさなものがどんどんよこ切つて行くやうです。」(ID650)は特徴的である。すなわち、鉱物質で固い材質の天球によって〈空〉ができているというイメージは『注文の多い料理店』の作者に特有のものであろう。また、ID625の「空からは青びかりが波になつてゆくわくと降り」云々は、天球が水で満たされているイメージから来ているのかもしれない。
 また、天球にこのようなイメージがある中で、〈雲〉は天球と地上の間に位置する存在としてイメージされる。
 名詞中データから、今度は〈雲〉の類語について全データを検索する。この場合も、用例が多すぎるので、いくつかの特徴的な表現についてのみ取り上げる。
 「つめたいいぢの悪い雲が、地べたにすれすれに垂れましたので、野はらは雪のあかりだか、日のあかりだか判らないやうになりました。」(ID479)と「烏の義勇艦隊は、その雲に圧しつけられて、しかたなくちよつとの間、亜鉛の板をひろげたやうな雪の田圃のうへに横にならんで仮泊といふことをやりました。」(ID480)及び「雲がやつと少し上の方にのぼりましたので、とにかく烏の飛ぶくらゐのすき間ができました。」(ID494)というイメージは、『注文の多い料理店』の作者に特有のイメージである。こうした表現からは〈雲〉は天球にも属さず、地上にも属さず、その中間に位置するもの。天球のように鉱物質で固い材質でできているものではないというイメージが読み取れる。そして、〈雲〉は「ちぢれたぎらぎらの雲」(ID612及び1180)や「どんどんかける黒雲」(ID669)のように動的で激しいイメージで捉えられるかと思うと、一転して「ふわふわうるんだ雲」(ID768)や「月のひかりがはらわたの底までもしみとほつてよろよろする」(ID1094)ゆうたりとしたイメージで捉えられることもある。
 こうした〈雲〉の動きを左右するのが〈風〉である。すなわち、「(ぜんたい雲といふものは、風のぐあひで、行つたり来たりぽかつと無くなつてみたり、俄かにまたでてきたりするもんだ。そこで雲助とかういふのだ。)」(ID770)という山男の感想がそれである。このように、〈風〉は常に変化し移動し続ける動的なイメージの存在であり、イーハトブの世界の変化は多く風の動きに由来している。名詞データ中から〈風〉の類語について検索すると、このことは容易に裏付けられる。すなわち、ID78、ID346、ID393にみられる「風がどうとふいてきて」という表現がもっとも適切な例であろう。
 次に、〈風〉のもうひとつのイメージである「すきとほる」に着目したい。
 この場合、名詞データ中から〈風〉の類語について全データを検索する。検索した全データ中から、さらに用例について検索の対象にする。すなわち、用例である本文中に「すきとおる」「すきとほつた」を含むデータに絞り込む。すると、次の5例(数字はID)が抽出できる。

2わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
23すきとほつた風がざあつと吹くと、栗の木はばらばらと実をおとしました。
181するとある年の秋、水のやうにつめたいすきとほる風が、柏の枯れ葉をさらさら鳴らし、岩手山の銀の冠には、雲の影がくつきり黒くうつつてゐる日でした。
678そんなはげしい風や雪の声の間からすきとほるやうな泣声がちらつとまた聞えてきました。
1351それから、さうさう、苔の野原の夕陽の中で、わたくしはこのはなしをすきとほつた秋の風から聞いたのです。

 このうち、ID678で「すきとほる」のは〈風〉ではなく泣声であるから除外する。
 〈風〉は透明な存在であるから〈風〉そのものを直接見ることはできない。しかし、栗の実が落ちる動き、柏の枯れ葉の音、秋の風の声(音)として感じ取ることはできる。ID1351は風の音イコール自然界からの声というイメージであろう。名詞データ中から〈風〉の類語について検索すると、「その裂くやうな吼えるやうな風の音の中から」(ID660)雪婆んごの声が聞こえたり、雪童子の声が「子どもにはただの風の声ときこえ」(ID684)たり、「ちやうどそのとき風が来ましたので、林中の柏の木はいつしよに、『せらせらせら清作、せらせらせらばあ。』とうす気味のわるい声を出して清作をおどさうとしました。」(ID907)、「わたくしが疲れてそこに睡りますと、ざあざあ吹いてゐた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行はれてゐた鹿踊りの、ほんたうの精神を語りました。」(ID1181)というように、例示するにことかかない。
 そして、ID2はこの童話集全体の序文である。ここでは、「きれいにすきとほつた風」は氷砂糖よりもさらにすばらしいたべものであるとされる。つまり、童話集全体を通して〈風〉は読者にさまざまな好ましいものを与えてくれるものとしてイメージされているのである。
 このように、童話集『注文の多い料理店』データから見たイーハトブの世界は、鉱物質で固い材質でできた〈空〉すなわち天球によってくっきりと区切られた世界である。そして、〈空〉によって区切られた世界をすきとおった〈風〉が吹き抜ける。世界は〈風〉によって刻々と変化し、様々な姿を見せるのである。
 以上のことは必ずしも新見とはいえないが、従来は直感的な印象として指摘されてきたにすぎないように思われる。また、従来の表現から作品にアプローチした研究には、ともすればデータの取り方が恣意的であったり、統計処理に疑問のあるものが見られた。しかし、童話集『注文の多い料理店』データを活用することによって、直感はデータによって裏付けられる。そして、誰にでもいつでも再検証が可能となるのである。