【高千穂】

高千穂   赤千代

名にし負ふ
高千穂艦の
鷹ばなし
なんと皆さん
わかりましたか

 明治廿七年九月十七月! 此日は実に我々日本人の、忘れる事の出来ない愉快な日。いや、恐らく日本人斗りでは無く、世界中の人達が、何時まで経つても忘れない、面白い日であらうと思ひます。
 それは何故だと云ひますと、我が日本の海軍と、彼の支那の海軍とが、支那の黄海と云ふ処で、世界中に今迄無いと云ふ、大海戦をやつた日だからです。
 日本と支那との戦争の事は、此前玄武門の御噺の中に、詳く書いて置きましたから、今度は別に申しませんが、丁度戦争の初まる前、確か七月の廿五日、我が海軍の一部分は、朝鮮の豊島沖で、支那の軍艦に出会し、其一艘を撃ち沈め、一艘を分捕り、残余の二艘を追払つて、勇ましく凱歌を揚げましてから、凡そ二月斗りと云ふもの、まるで海上の戦争がありません。それと云ふのも、全く支那の海軍が弱虫で、威海衛の本陣に引込んだぎり、ちつとも外へ出て来ないからです。
 尤とも其間に、日本の海軍では、如何かして敵を誘ひ出して、一ト勝負しやうと思ひますから、丁度八月の十日の事、艦隊の列を揃へて、威海衛へと押しかけて参り、日の丸の軍艦旗を飜へし、大砲の筒口を向けて、頻りに戦争を仕掛ましたが、敵は矢張り小さく成つて、只砲台の中から、大砲を放して居る斗り、軍艦の出て来る様子がありませんから、敵手の無い角力は取れない道理で、『えい意気地無し奴が!』と、折角の力瘤を擦り擦り、其儘引揚げてしまひました。
 それからと云ものは、九月の十七日に成ります迄、ちつとも敵の軍艦が見えませんでしたが、丁度其十六日の事です、斥侯の艦の報知に、事によると敵の艦隊が、鴨緑江に居るかも知れないと云ふ事ですから、『よし、一番其処へ押し掛けてやらう。』と、我が聯合艦隊は、残らず勢揃ひをしまして、鴨緑江へと向つて参りました。
 其時の陣立を見ますと、真先には第一遊撃隊、即ち吉野、高千穂、秋津洲、浪速の四艦で。旗艦の吉野には、坪井少将が乘つて居ります。次か本隊で、松島、千代田、巌島、橋立、比叡、扶桑の六艦。松島が旗艦に成つて、これには聯合艦隊司令長官伊東中将が乗つて居ります。又其他には、御用船の西京丸に、軍令部長樺山中将が乗組み、赤城艦を護衛に連れて、これも本隊に加はつて居ります。都合十二艘の軍艦が、何れも黒煙を吐きながら、列を正して進んで行く様子は、実に目覚ましいものでした。
 ですから軍艦の中でも、上は艦長から、 下は水兵に至る迄、『いよいよ今度は戦争が出来るぞ。愉快ぢや愉快ぢや!』と、各自に勇み喜んで、勇気は日頃に百倍して来ました。
 其中に黄海の海洋島と云ふ処まで来ますと、真先に進んだ吉野艦から、合図の旗が揚りました。見ると、これは、『敵艦が見えた。』と云ふ事です。
 『何だ敵艦が見える?』と、此合図を見付た者は、急いで望遠鏡を出しまして、前の方を眺めますと、海の端の端の端に、細い筋が横に見えます。初めは一本でしたが、やがて二本に成り、三本に成り…初めは筋であつたものが、やがて煙草の煙の様に、段々太く成つて来まして…紛れもないこれは石炭…敵の軍艦の煤煙です。
 『来た来た! いよいよ来たぞツ!』と、士官も水兵も大喜悦、中には甲板を躍り廻つて、嬉しがつてる者もあります。
 其中に敵の軍艦の、段々近く成つて来たのを見ますと、定遠、鎮遠を中央にして、右手には来遠、致遠、揚威、超勇、左手には経遠、靖遠、平遠、広甲、又少し後には、済遠、広丙の二艦、都合十二艘の軍艦が、黄色い龍の旗を立てゝ、列を作つて来る処は、中々馬鹿に出来ません。
 其時はもう正午近くでしたから、腹が空いては戦争が出来無い、何でも早く飯を喰つてしまへーと、日本の軍艦では、残らず昼飯にかゝりました。かう云ふ大敵を前に扣へながら、悠々と御飯を喰べる度胸は、日本人で無ければ出来ない事で、此時支那の方では、日本の軍艦を見付ると、直ぐにもう周章て出して、まだ弾丸も届かない中から、無鉄砲にボンボン撃ち出す騒ぎ、気がわくわくして居りますから、御飯を喰べる事が出来ず、とうとう其為めに、大敗をしてしまひました。
 間も無く両方から近づいて来て、いよいよ弾丸が届く様に成つて来ますと、真先に進んだ吉野艦から、一発ドウンと放しました。それツと云ふと他の軍艦からも、各自に大砲の火蓋を切つて、ズドウンズドウンと撃ち出します。先方ても負けない気に成つて、ボウンボウンと打放す。其煙が一面に成つて、空の日も暗くなれば、其音が一所に成つて、天地も崩れる斗りの勢。こゝでいよいよ世界一の、大海戦に成つたのであります。
 すると、此処に不思議な事がありました。それは第一遊撃隊に居る、高千穂艦で出来ました事で。いかにも不思議な、いかにも御芽出度いお噺、これをこれから御話しゝましやう。
 一体この高千穂と云ふ軍艦は、名高い英吉利のアームストロング会社で出来た、三千七百〇九噸の大艦。今でこそ冨士、八島などゝ云ふ、一萬噸以上の艦が出来ましたが、其時分には高千穂も、日本での大艦で、足も速く、力も強う御在ましたが、これを又高千穂と名付けましたのは、彼の神武天皇様が、初めて御所を御拵へに成つた、日向の高千穂を取りましたので。まことに縁起の好い名なのです。
 さればこそこの軍艦が、今度の海戦に出ましてから、大勝利を得ます迄に、不思議な事、芽出度い事が、幾度となくありました。
 それは丁度戦闘の初めの事で。艦長野村大佐を初め、副艦長細谷少佐、砲術長には築山大尉、水雷長には小橋大尉、一番分隊長には高橋大尉、二番分隊長には八代大尉、三番分隊長には今井大尉、四番分隊長には子爵小笠原大尉などが、其持場々々を守つて、今にも『打ち方!』の号令を合図に火蓋を切つて放さうと云ふ途端、何処から飛で來ましたか、何百羽とも知れな白鳩が、この帆柱の周囲をば、頻りに飛び廻つて居りますから、『あれあれ、あれを見ろ! 鳩が大層来てるぢやないか。』『鳩は八幡の神使と云つて、武運を護る鳥ぢやぞ。』『この塩梅では今度の戦争は、吃度勝利に極まつとる。』などゞ、口々に云つて喜んで居りますと、又今度は海の上に、大きな亀が浮いて出まして、この高千穂艦と首を並べ、熱よく泳いで行きます。
『おゝ、彼処を見ろ亀が居る。』『おゝ亀ぢや亀ぢや亀は万歳と云ふから、わが帝国海軍の為めに、万歳を唱へに来たのぢやな。何にしても芽出度い芽出度い。』と、艦長から水兵に至るまで、皆この不思議の前兆に、一層勇み立つて見えました。
 其中にいよいよ戦闘に成りましたが、元より艦は良し、砲は良し、おまけに乗組の士官も水兵も、皆精選の人達斗りですから、其動作の目覚ましさ! 撃つ弾丸も、撃つ弾丸も、一々敵艦の急所に中つて、大砲を打破すやら、機関を微塵にするやら、帆柱をへし折るやら、火薬庫を焼撃するやら、散々な目に遭はせましたが、此方の傷と云つては、只定遠から来た弾丸が、後部の方へ中りまして、四番分隊長の部屋で破裂したのが、一番酷かつた位の事で、他は大した事もありませんでした。
 此時部屋の中にあつたものは、寝台でも、椅子でも、卓子でも、行李でも、粉微塵に打ち壊されて、其揚句に弾丸の破片が、部屋の外で働いて居た、萩原と云ふ水兵に中りましたので、此為めに、萩原水兵は、勇ましい討死をしました。
 志かし肝腎の部屋の主、小笠原四番分隊長は、此時甲版で働いて居りましたから、何の怪我もありませんせしたが、其代り部屋に置いてあつた、外套と洋刀とが、大尉の代理になりまして、外套は十二ケ所も裂け、洋刀は曲りくねつて、二つ共役に立たない様に成つてしまひました。
 尤もこれは、まだ弾丸の中り処が好かつたので。若しこの弾丸が、もう一間も前の方へ来やうものなら、それこそ大変。其処には火薬や弾丸が沢山置いてありましたから、それが一時に破裂して、艦中の人が、何様な惨酷い目に会つたかも知れません。是も全く、支那兵の照凖の下手な御庇ですが、兎に角御芽目度い事でありませんか。
 其中に第一遊撃隊、即ち吉野、浪速、秋津洲と、この高千穂の四艦は、ずつと進んで行つて、敵の艦隊の後へ廻はり、本隊と両方に分れて、 撃と出かけましたから、支那の軍艦は耐りません、見る見る中に揚威、超勇の二艦は、散々に弾丸を喰つて、黄色い煙をプンプン吹き出し、とうとう船火事を初めました。
 すると敵も一生懸命、今度は水雷艇を繰り出しまして、この高千穂を打破さうと云ふ様子ですから、早くも見付けた野村艦長、『それッ、水雷艇だぞ。気を付けろ!』と云ふが早いか、小笠原、今井の二大尉は、『よし、打方始めッ!』と号令を掛けまして、各自に扣へて居る機関砲を、一度にダヽヽヽヽッと撃ちかけましたから、何んぼ水雷艇でも敵ひません、夕立の様に降つて来る弾丸に、一寸も前へ進まれず、とうとう海洋島の陰へ遁げ込んでしまひました。この機関砲と云ふのは、一分間に何十発となく、続け様に撃てる大砲で、かう云ふ水雷艇の向つて来た時、防ぐ用意に出来て居るのです。
 此勢で、味方はいよいよ勝に乗り、劇しく撃ち立て攻め立てますので、支那兵はとても我慢が出来ず、来遠、経遠、致遠、済遠、広甲の五艘は、急いで陸地の方へ逃げ出しましたから、『それッ遁がすな。撃ち沈めろ!』と、遊撃隊の四軍艦は、其後から追つ駈けて、隙間なく弾丸を喰はせ、散々な目に遭せましたが、中にも経遠は、遁路を失つて、仕方が無しの死物狂、急に頭を向け直して、丁度高千穂の前へ出ましたから、待ち構へた今井大尉、『おのれ生意気な!』と云ひながら、廿六珊の大弾丸を、ズドーンと一発御見舞申すと、弾丸はビユルビユルと宙を切つて、経遠号の胴中に、巧く中つたから耐りません、軍艦は一面に火に成つて、大きな鼬花火の様に、くるくるくると廻はりなびら、とうとう沈んでしまひました。
 かう云ふ風で、敵の軍艦は、打ち破されたり、焼かれたりして、這々の体で逃げてしまひ、其中に日も暮れかゝつて来ましたから、こゝで海戦も中止にして、一とまつ引揚げる事に成りました。
 で、この高千穂も、舵を取り直して帰らうとしますと、丁度此時、不思議や一羽の鷹が、艦の上へ舞ひながら来ましたが、やがて帆柱の横木へ来て、ちやんと止まつてしまひました。
 下に居る野村艦長は、細谷副艦長と一所にこれを見付けて、『あれは鷹の様だぞ。』『成る程鷹です。これは不思議だ。如何かして捕まへ度いものですな。』と会話をして居る中、側に居た一人の水兵が、『私が行つて捕へて参りましやう』と、云ふ中にもうスルスルと、帆柱へ乗つて行きますから、野村艦長は手真似でもつて、『おいおい、今行くと遁がすぞ。もつと暗くなるまで待て!』と教へましたが、水兵は聴きませんで、側へ行つて捕へやうとしますと、鷹は『遠方御苦労。』とも何とも云はず、すウつと飛んでしまひました。
 『そら見ろ! 待てと云ふのに待たんからだ。』と、云はれて水兵は、頭を掻き掻き引込んでしまひましたが。さうすると又少時経つて、今度は後の方の横木へ、又以前の鷹が来て居る様です。
 『おゝ、又来た、先刻の鷹ぢやないか。』『さうだ。彼だ彼だ。』『よくよく高千穂が御好きだと見えるな。』『よし、今度は吾輩が行つて、巧く捕へて見せるぞ。』と、野元と云ふ二等兵曹が、手に唾を付けて、静かに檣索を登つて行き、そウつと鷹の側へ行つて、『へい、お迎ひで御在ます。』と、云ひながら足を攫みましたが、今度は奇妙に自若として、音無しく捕へられましたから、野元兵曹は大喜悦、直ぐに鷹を大切に抱へて、甲版へ下りて来ました。
 甲版には艦長を初め、士官も、機関士も、主計も、軍医も、水兵も火夫も、残らず見物に出て来まして、よくよく其鷹を見ますと、是は日本には余り居ない、まことに強い類の鷹で、少しも人間を恐がらず、只金色の眼を光らせて、悠然と四辺を見廻はして居る処は、如何にも勇ましく、そして又、如何にも貴く見えました。
 其処で艦長は、直ぐに大工に云ひつけて、大きな籠を拵へさせ、それにこの鷹を入れて、自分の部屋に飼つて置きましたが、さてその餌には困りました。
 一体鷹と云ふ鳥は、鳥の中でも気の荒い、力の強い烏で、生餌で無ければ喰べないと云ふ位ですが、艦の中では生憎雀や鶏を遣る事が出来ません。すると、誰が云ひ出しましたか、『そんなら鼠を遣るがよからう。』と、これから水兵が総掛りで、鼠狩を初めました。軍艦の中の鼠狩と云ふと、一寸可怪しい様ですが、何しろ普通の家よりは、十層倍も大きな艦ですから、鼠なんぞは何匹でも居ります。で、之を生捕にしては、チウチウ云つて居る奴を、籠の中へ入れてやりますと、鷹は大喜悦で、それを毎日の御飯にして居りました。
 其中に聯合艦隊は、残らず大同江へ引揚げますと、此処でも丁度陸軍が、平壊を乗取つた処ですから、直ぐに海軍も一所に成つて、合併の大勝祝宴を開きましたが、誰もこの鷹の話を聞きますと、『それは実に不思議な事だ。御芽出度い話だ。』と云ふので、頻りに見物に来ました。
 諸君も定めし御存じでしやう、前にも八咫鳥の時に御噺しましたが、往古彼の神武天皇様が、日向の高千穂宮を御出御に成つて、日本国中を御治めに成つた時、金色をした一匹の鵄が、何処からか飛んで來て、神武天皇様の御弓の筈に、止まつたと云ふ事がありますが、今度の鷹も丁度其通り、我が日本帝国の軍艦へ来て、帆柱の上に止まつたとは、何と云ふ御芽出度い事でしやう。而も其軍艦が、丁度神武天皇様に御縁のある、高千穂と云ふ軍艦、――其高千穂に鷹が来て止まつたとは、かへすがえすも不思議な御話です。
 さればこそこの鷹は、其後間も無く日本へ送られ、広島の大本営に御居でになる、大元師陛下へ献上に成りましたが、陛下も殊の外御喜悦で、『かやうな芽出度い鳥は、大切に飼うて置く様に!』との御仰で、やがて立派な籠に入れられ、結構な御手当で、其侭植物御苑に御餌置に成りました。鳥の仲間もいろいろありますが、実にまた此の鷹位、幸福な鳥がありましやうか。
 めでたしめでたし。