【独活の大木】

何時の時代であつたか、或る山の中に、馬鹿に大きな独活の木がありました。
 独活と云へば諸君御存じ、お汁へ入れたり煮物にしたり、或時は膾にしたりして、大層人の賞翫するものですが、それはまだ若い萠芽の頃の事で、なまじ大きく成てしまつては、煮ても焼いても食へればこそ、花もなければ実も成らず、其の癖又材木にも成らないから、云はゞ無用の長物、誰もかまひ手はありません。
 然し当人…ではない当木の身に取ては、結句それが気楽ですから、只ヌウヌウと伸び放題法図もなく増長して、今では此山の中に、梢をならべる物もない位な、馬鹿々々しい大木に成りました。
 すると又其独活の大木の側に、これは又まことに少さな、可愛らしい、山桜が一本ありました。
 右の独活に較べて見ると、殆んど其十分一にも足りませんが其代り其木の美しいことや、其花の麗はしいことは、とても独活の敵ふ処ではなく、例へば春の曙に、露を含んだ花弁が、山の端を出る朝日に照りそふて、妙なる香を放つ風情は、実に画にもかけない位で、此山を通りかゝる旅人は、何れもそれに心を奪はれ、一人として賞賛さぬものはありませんでした。
 或日の事で、隣の独活の大木は、此の稚木の山桜に向ひ、
(独活)オイ山桜!お前は少さな躰の癖に、大層人に賞められるが、一躰何処にそんな有難味があるんだ。
 と、少し嘲弄す様な調子で云ふと、山桜も体こそ少さけれ、根が負けぬ気ですから、少し勃然として、
(山桜)知れた事よ。此の花がお前には見えないか、
(独)見えない事があるものか。乃公だつて目があるぞ。
(桜)見えたら解りそうなものぢやアないか。
(独)そんなら其の花で賞められるのか。
(桜)まアそんなものだらう。
(独)馬鹿々々しい、そんな花が何処が面白い。
(桜)高慢な事云つたつて、悔しくもそつちには花があるまい。
(独)べらばうめ、そんな花なんぞ欲しくは無いぞ。
(桜)欲しく無けれヤ、そんなに羨ましがらずとも可いや。
(独)何時乃公が羨ましがつた?
(桜)たつた今よ、
(独)何だつて?
(桜)もう忘れたか耄禄奴!お前は少さな躰をしてる癖に、人に賞められるのはどうしたものだと、たつた今云つたぢやないか。そんな耄禄をしてるから、躰ばかり大きくツて、何の役にも立たず、人も禄々見ては呉れないんだ。大男総身に知慧が廻り兼ねとは、ほんとに好く言つた俚諺だ。ハヽヽ。と反対に馬鹿にされたから、独活ももう黙つては居ません。
(独)此小僧奴、生意気な事をぬかしやがるな。もう一言云つて見ろ。根から引こ抜いて投り出してしまふぞ。
(桜)オヽ面白い。引こ抜けるなら引こ抜いて見ろ!乍憚躰は少さくつても、三千年来風折れのない、地から生へ抜きの山桜だ。さア引こ抜けるなら抜いて見ろ!
(独)まだそんな事をぬかしやがるな。己ツどうするか見やがれ!
と、独活はもう躍起となつて、唐突に山桜に喰てかゝると、山桜も去る者、ヒラリと躰をかはし、素速く独活の足を払つて、ズデンドウと投げ出しました。
投げられて独活は増々腹を立て、
(独)おのれ小癪な事をしやがる。今のは油断して敗けたんだ。もう今度は其手を喰はんぞ。
 と、大手をひろげて又飛びかゝりましたが、何しろ大木の事ですから、其働きも随てのろい。此方は小兵で手も敏捷いから、今度も亦山桜の為めに、物の見事に投げ付られました。
 一度ならず二度まで負けて、大抵の者ならば、ウヌ三度目の正直と、尚もいらつて組付くのが当然ですが、其処が独活の独活たる処で、根が大の弱虫ですから、小さいからとて馬鹿には出来ぬ、案に相違の山桜の本事に、内心舌を捲いて恐しがり、こりやとても敵はぬわイと、頭をかゝへ、涙を啜りながら、スゴスゴ以前の坐へ帰りました。
 すると、先刻から向ふの木蔭で、勝負の様子を見て居た一匹の大猿、之れも平素から山桜の評判の好いのを、内々猜んで居たものと見えまして、今目前に独活の大木が、山桜の為めに散々な目に遭はされたのを、苦々しい事に思ひ、やがて独活の傍へやつて来て、
(猿)オイ独活公、大きな躰をして意気地が無いぢや無いか
(独)イヤもう大失索で…
(猿)何故もう一遍やつて見ねエんだ。
(独)もう懲り懲り。
(猿)何だなア腰抜奴!
あんな少さな奴にやられて、黙つて引込む奴が何処の国にあるもんか。さアこれからは乃公が加勢してやるからもう一遍やつて見ろ!
猿も飛んだ好事な奴で、止ぜはよいのに独活の腰に両手をかけ。
(猿)さア独活、しつかりやれ!
と云ひながら、力を入れてウンウン押しました。
独活は加勢が付いて、有難い事は有難いが、元より二度まで酷い目に遭はされて、充分憶気の付いてる時ですから、寧ろ有難迷惑の方で、
(独)そのお志は嬉うございますが、私はもう止めましやう。
(猿)そんな事云はずに行れといふのに。さア何を愚頭々々してるんだ?ヨイシヨ、ヨイシヨ!
(独)アヽもしもし、さう酷く押しちや痛い痛い。
(猿)だから此力で向へと云のに。
(独)ア痛た、た、もう廃して下さい。さう押しちや痛いから、
云つても猿は中々聴かず、尚も力一杯に、独活の尻を押したからたまらない。元より幹は脆い独活の大木、中央からペキンと折れ、其の弾力で大猿は、前へのめつて谷底へ、真逆様にコロコロコロ…
 山桜は之を見て、
(桜)あれがほんとの猿智慧だ、醜態を見ろ、やアいやアい!