【大和玉椎】

 オヽ寒小寒、山から小僧が飛んで来た、と云ふ位はお安い事、今日本の軍勢が、ドンドン敵を追ひつめて行く、あの満州の奧の方と来た日には、何しろ雪や氷の本場で、寒いの寒くないの、それこそ燃えて居る火が其侭氷つて、珊瑚珠でも出来上りさうな勢です。
 殊に今は寒の中、雪や氷、霙などゝ云ふ連中は、此時分に幅を利かせて、下界の奴等を悩ましてやらうと云ふので、三人巴形に坐をかまへ、其真半に地図を開けて、氷は此処の川と此の池に張り詰めろ、霙は此処等の町へ降るがよい、又雪は此辺の山や野原を、片端から銀世界にして呉れやうと、頻りに軍議を凝らして居る処へ、御注進御注進と云ふ見得で、駈けつけて来たのは風の神です。尤も風の神の中でも、此処等に居る奴は北風で、年が年中冷たい呼吸ばかり吐いて居る、誠に意地の悪い風の神です。
 雪はそれと見て、
(雪)誰だと思つたら風の神さんか、大層急き込んで来たが、一体何事が出来上つたのだ。
 風の神は只胸ばかり撫でゝ
(風)アヽせつねエ、オヽ苦しい、湯でも水でもいゝから、一杯飲ましてくれ。
(雪)エヽ、お前にも似合はねエ、野暴を云つたものだ、此寒気に何処を尋ねたつて、湯や水があるものか。みんな氷にして仕舞つた。
(風)成る程左様だなア、それぢやア仕方が無エ、雪でもいゝから一ト攫み!
(雪)そんならまア、雪でも食つて息を入れるがいゝ。(ト云ひながら自分の身を切断てやる)
(風はそれを受取つて)やレ難有エ、甘い甘い。
(雪)さア息が次げたら話を聞かうぢや無エか。一体何事が出来上つたのだ。
(風)出来上つたも、出来上つたも、大変なものが出来上つた。
(雪)何だ大変なものとは?
(風)さればさ、聞きなさい、今日何の気無しに下界の方を吹き巡つて見ると、丁度満州の南の方に、ついに見なれない大木があるのさ。ハテ去年迄は見えなかつたが、何時の間に生へたらうと思つて、そばへ寄てよく見ると、―幹の太さは二抱余もあらうか、枝は欝蒼と茂つて、何さま三千年近くは経て居るものらしいのだ。
(雪)はアてネ。
(氷)それは不思議だの。
(霙)フンフン、それから、
(風)それから尚もよくよく見ると、幹や枝の様子では、まるで椎の木の様に見えるが、其葉を見るとをかしいや、まるで日本の旗の様に、真半の処に玉があつて、それから四方に御光の様な線が出て居る、余程変つた大木さ。
(雪)成る程此奴は変てるなア。
(風)それに第一不思議な事には、此の寒空の中に立て、ちつとも弱はる気色はなく、私が其辺を吹いてまはツても、一向平気の平左衛門で、まるで馬の耳を吹いてる様なものさ。で、あんまり癪にさはるから、此奴一番驚かしてやれと思つて、力一杯に吹きつけて見ると、聞きなせエ、その大木め、妙な処へ力を入れて、枝を靡かせる処か、却て此方へ向つて来て、私を後へはね返すのさ。私も此年に成るまで風の神をして、所々方々を吹いて廻つて、高い木は幹からへし折り、低い草は根から押伏せて、何処で一度敗を取た事は無エのに、あの椎の木ばつかりには、葉一枚吹き飛ばす事も出来ず、却て反対に跳ね返されて、こんな悔しい事は無エのさ。
 と鬼の眼に悔し涙で、さも無念さうに物語りますと、側に居合はせた氷は、角ばつた顔を一層角張らして、
(氷)これは如何もけしからん、此の満州は乃公達の領分、此の寒気に向つた日にや、草一本だつて生やさせは仕ねエのに、何処の何奴の許可をうけて、そんな大木が出来やがつたのだ。 それに今聞けば、乃公達の兄弟分の、風の神を跳ね返すたア、小癪な真似をしやアがる、ヨシこれから乃公が行て、其の幹の横腹を撲挫いてくれベイ。
 と力味返つて云ひますと、霙も其の尾について、
(霙)さうともさうとも、全体癪に障るのは、其葉が日本の旗の様だと云ふぢやねエか。篦棒奴此満州の領分へ、日本の旗なんぞ押立てられてたまるものか。追払へ追払へ。
 すると又雪も一所に成て、
(雪)大きにさうだ。寒いで通つた此の満州路、而も此の寒の中に、そんな意体の知れない樹が生へたとあつては、吾々共の名折れぢや無エか。構はねエから、これから一同で押しかけて行て、其の樹の野郎を追払つてやらうぢやないか。
 と、三人共力瘤を入れて云ひますから、風の神は大きに喜んで、
(風)オヽさう一同が加勢して呉れりやア、私も大きに心丈夫だ、それぢやア私が案内するから、これから一同押掛けてやらうぢや無エか。
(氷)それがいゝそれがいゝ。
(霙)さうさ行け行け。
(雪)出陣だ出陣だ。
 と始めの手筈は其方退けで、是から風の神が先に立ち、例の大木の在る処へ、進め進めと向つて来ました。

* * * * *

 やがて間近く進んで来て、前面の方を見ますと、果して右の大木があります。聞けば兼ねての話の通り、幹の具合は椎の木の様ですが、葉は何れも日本の旗の通りで、鬱々蒼々と茂つた塩梅、此様な満州の雪の中には、見やうと云つても見られない大木で、而も一層奇特な事には、其木のある近所には、何処となく春風のソヨソヨと吹く様に覚えて、草なども青々と、さも心持よさゝうに生へて居ます。
 真先に立た風の神は、まづ後の面々をふり返り、
(風)あれを見たか、あの高慢な態は、あれが今云つた大木だ、随分強情な木だから、みんな共心算で掛るがいゝぜ。
 すると霙はゝや出しやばつて、
(霙)ナニなんぼ強情だつて、敵手は高の知れた木ぢや無エか、山椒は小粒でヒリヽと辛い、外見はケチな野郎でも、憚ながら霙様だ、本事の程を見せてくれるぞ。
 と云ふより早くパラパラと、大木をめがけて打てかゝるや否、何をくらつたか忽ちに、四五間ばかり跳ね飛ばされて、
(霙)ア痛た、た、たァ、此ア如何だ。
 と頭をかゝへて逃げ出しました。
 此の体に兄分の氷は苦笑をして、
(氷)えイ意気地の無エ霙野郎め、乃公が讎を取てやるぞ。
 と云ひながら踊りかゝつて、大木の幹へ撲つかると、こは如何に先方の木には、かすつた程の瑕もつかず、却て氷の体には六七本の亀裂が這入て、今にも微塵に砕けさうです。
(氷)オヽ痛エ、此奴はたまらぬ。
 と之も同じく泣面をして引返す。
 すると雪は腹を立つて、
(雪)おのれ糞大木奴、よくも兄弟を酷い目に逢はしやがつたな。今の奴等は短気で失策つたが、此上は此雪様が、真綿で頸の遠巻の計略で、グウの音を出さしやア仕ねエぞ。ソレ風の神手伝つたり。
 と言葉の下から件の雪は、鵞毛の如く飛で散乱し、風の風の神に煽がせながら、紛々として降りかけましたが、元より氷や霙でさへ、跳ね飛ばすと云う大木の勢、大勢を頼みの雪が、一生懸命に降り掛つたつて、葉の上にすら寄りつけず、みんな四辺へ跳ね返されて、カラもう意気地がありません。
 此の有様に流石の雪も、果は草臥れて我を折ると、以前の氷や霙も、片息に成て雪に向ひ、
(氷)オイ兄貴もう好い加減にしねエ。迚も此奴にやア敵はねエから。
(霙)いつそ降参した方が無事だよ。
 風の神も一所に成て、
(風)なんとお前方にも敵はねエか、それぢや仕方がない降参の事だ。
 と、みんなが弱い音を吹きますから、今は雪も溜息をついて、
(雪)そんなら是から一所に成て、残念ながら降参に及ばう。
 と遂に四個は一所に成て、大木の前へ平突張り、
(雪)イヤどうも恐入つたる貴君様の御威勢、私共の迚も及ぶ処では■{ム}りませぬ故、今日只今から降参を致します。何卒先程からの御無礼は、御許しなすつて下さいまし。
(風)就きましては甚だ無躾ながら、貴君様のお名前を、お聞かせなさる訳には参りますまいか。
 と、恐入て申しますと、大木はさも大様に、
(大)ナニ乃公の名が聞き度いか。
(風)ヘイ一寸お見うけ申した処では、椎の木の様でもありますが、鉄も及ばぬ幹の厳畳さ、只の椎の木様でもムりますまい。何分野蛮盲昧の私共、お目に掛るのは初度でムいますゆゑ、せめてお名前丈でも伺ひ度いもので。
(大)オヽ貴様達の知らんのも道理だ、是は此度大日本から押し渡つた…
(風)さては矢張り日本の、
(大)オヽ日本の大和玉椎だ。

* * * * *

 之を聞いて雪も霙も、氷も風の神も、さては音に聞えた大和玉椎か。それでは敵はないのも道理だと、いづれもコソコソ雲の上へ帰つて、再び側へ寄りつかず、後は大和玉椎いよいよ繁茂して、此処から起る神風には、靡かぬ草もありません。