宮崎一雨の児童文学

「国際児童文学館紀要」第8号(1993.3.31 大阪国際児童文学館)に発表


 =目次=

(1)はじめに
(2)宮崎一雨の経歴
(3)歴史読物から熱血小説へ
(4)「熱血:小説|日米未来戦」と近未来戦小説
(5)「熱血:小説|日米未来戦」の評価をめぐって
(6)SF小説作家としての功罪
(7)冒険小説と探偵小説
(8)おわりに

(1)はじめに


 宮崎一雨は、大正初めから昭和初めにかけて、非常に人気のあった大衆的児童文学の書き手である。この時期、国家主義を基調とした冒険的要素の強い読物を〈熱血小説〉と銘うつことが流行したが、この呼称は一雨の発案によるものとされている。「熱血小説の宮崎先生か、宮崎先生の熱血小説か」(「少年倶楽部」1924年4月)と言われたほど、一時代を画した人気作家であった。
 代表作とされる「熱血:小説|日米未来戦」は、「少年倶楽部」の1922年1月から翌年2月にかけて連載された。連載中から人気を集め、単行本『日米未来戦』(1923年8月25日 大日本雄弁会)が刊行されるや、たちまちベストセラーとなっている。そして、この作品が日米間の近未来戦争を描いているため、従来から一雨はSF作家としての側面が評価されてきた。しかし、一雨の少年少女むけ作品は、主要な発表雑誌だけでも「飛行少年」「少年倶楽部」「少女倶楽部」「日本少年」「少年:少女|譚海」などがあり、作品数も多種・多数にのぼる。大陸や南海などを舞台に描いた一連の冒険小説や探偵小説、歴史読物、伝記・偉人伝など多くのジャンルにもまたがっている。その為、一雨の作品群の全体像を把握した上で、再検討がなされるべきであろう。

(2)宮崎一雨の経歴


 一雨は経歴について不明な点が多く、生い立ちについても殆ど分かっていない。わずかに、「危く鯉と討死 腕白時代思ひ出話」と題する一雨の随想が、「少年倶楽部」(1926年2月号)へ掲載されており、少年時代を探る手がかりとなっている。次に主要な部分を書き抜いておく。
一二三歳の頃であつた。どうにかして武芸が習ひたくて仕方がないのだが、東京とは名ばかり、彼方に二軒、此方に三軒、百姓家があるきりの郊外の事にて、撃剣の先生も柔道の道場も近くにない。何かいゝ方法はあるまいかと考へてゐる時、ふと目に付いたのは、新聞に連載中の赤穂義士杉野十平次の講談、十平次は竹槍で池の鯉を突いて槍の達人になつたと云ふ話。(略)其頃僕の住んでゐた家は、元は溝口伯爵の別荘だといふので二千坪もある宏大な屋敷で、六七百坪もある大池があり、真鯉緋鯉がウンと放してあつた。其鯉を突き止めようといふのである。(略)自称豪傑ドブンと水中に落込んだ。ところが其処は却々深く、背が立たない。お負けに其時は豪傑まだ泳ぎを知らなかつた時なので、あぶなく鯉と討死をするところ、折よく傍にゐた植木屋の爺さんが引き揚げて呉れなかつたら、後年の熱血屋さん玉なしになつてゐたかも知れなかつた。
 こように、東京郊外の広大な屋敷中で、武芸の修行と称して竹槍で鯉を突いて遊んでいる。そして、危うく溺れかけるところを屋敷に出入りの植木屋の爺さんに助けられたというのだから、一雨はかなり裕福で恵まれた環境のもとに少年時代を過ごしたと思われる。また、少年時代に新聞連載の書き講談を読み耽けっていたということも、後に歴史読物・講談ものを得意とするようになる片鱗が見える。
 作家として活躍するようになってからも、既成の人名事典や名簿類の中で触れられることは少なく、資料に乏しい。その中で、『明治:大正|文学美術人名辞書』(松本龍之助 1926年4月5日 立川文明堂)は貴重である。この辞書は、大衆文学作家や挿絵画家など他の事典類にはみられない人名を多数収録しているユニークな事典であるが、記述には間違いも多く、必ずしも全面的に信用できるものではない。しかし、一雨については重要な情報を収めているので、ここに全文を引用紹介しておく。
明治二十二年七月東京府北豊島郡日暮里村に生れ夙に文学に志し、四十二年東京日々新聞記者を振出しに、雑誌「新婦人」記者、「飛行少年」主筆を経て中央新聞記者となり、社会部主任、家庭部長、地方部長等を歴任したことがある。初めは純文芸に志したが、後に時代の風潮に感ずるところがあつて、大正三年青島戦役以来忠君愛国を標榜して専ら熱血小説に筆を染めてゐる。蓋し熱血小説の名は今日各種の通俗雑誌に見るところであるが氏の命名である。氏は主として「少年倶楽部」「少年」「飛行少年」「少女の花」「話の国」「雄弁」「面白倶楽部」「文芸倶楽部」等に投稿し時に「淑女画報」「少年:少女|譚海」「講談倶楽部」等に執筆する。氏は長短合せて一千篇の作を有してゐるが家庭小説「妻の悔悟」「通俗史談」「英雄の快挙」探偵小説「秘密の地下室」熱血小説「熱血国」「間諤団の全滅」「怪力義人」「絶壁魔城」「お伽玉手箱」「少年武勇講談」「日米未来戦」等は其中特に有名なものである。
現住所 東京府豊多摩郡千駄ケ谷町五九一
 上記の資料からは、一雨の経歴について、東京の出身で、雑誌・新聞記者の経験が長いことなどおおよそのことがわかる。「日暮里村」の生まれという記述は先の随想の内容とも一致する。しかし、この資料では、本名や学歴・没年などについて触れられておらず、従来、これらの情報については知られていなかった。ところが、近年になって、「新聞:通信|記者名鑑」(「新聞及新聞記者」1921年10月号所収 新聞及新聞記者社)の復刻版が出て、ここに一雨の名前を見ることができる。次に掲げるのは、その全文である。なお、この名鑑は、記者の一人一人に直接回答を求めて得たデーターをもとにして作成したものであるということを付け加えておく。
宮崎侃(一雨)中央新聞地方部大正六年十月入社。【現在】東京市外千駄ケ谷町五九一。明治十九年七月六日東京市に生る。【家族】三人【学歴】東京外国語学校。【新聞歴】東京日日。【著作】熱血団、間渫団の全滅、妻の悔悟、英雄の快挙、怪力美人其他十余種。【趣味】すべての人と物とに。
 上記の資料から出身学校が判明したため、東京外国語学校の後身である東京外国語大学に問い合わせたたところ、記録が保存されていた。同大学教務課より寄せられた回答は次のとおりであった。
(1)本名の読み方 みやざき(名前は不明)
(2)卒業年(修了年) 明治四一年三月修了
(3)学科名 韓語学科
 この回答によって、卒業の年月日と卒業学科が明らかになった。『明治:大正|文学美術人名辞書』の記載とあわせると、卒業の翌年に「東京朝日新聞」に入ったこともわかる。また、一雨の作品に海外、中でも大陸方面を舞台にしているものが多いことも、彼の学歴からすれば首肯できる。
 雑誌「飛行少年」の編輯記者時代の一雨については、同誌の記事を詳細に調査することによって、必要な資料を発見することができるかもしれない。だが、この雑誌については、実見することのできた冊数がまだ少ないため、この時代の一雨についても、今ひとつ明らかではない。現時点で、同誌の記事中から判明している事実は、次のとおりである。
 まず、「飛行少年」誌の編輯に携わるようになったのは、創刊の前年、すなわち1914年の暮れからである。「飛行少年」の編輯に携わっていた期間は、1917年10月の「中央新聞」入社までと推定することができる。因みに、大正11(1922)年版の「新聞:通信|記者名鑑」(「新聞及新聞記者」1922年6月号所収)には、「中央新聞」の欄にも他社の欄にも、一雨の名前は見あたらない。おそらくは、この頃に退職して文筆生活に入ったものと思われる。
 次に、初期の頃の一雨が、純文学に志していたことが確認できる。福田琴月の死にあたって、一雨は同誌の1915年11月号に「噫福田琴月君」と題する追悼文を書いている。この文中からは、塚原渋柿園や福田琴月と親密な交際のあったことが窺える。渋柿園は「東京日日新聞」にいたので、一雨とは同じ社の社員であった。交際の詳細は不明だが、渋柿園は多くの翻案・歴史小説・社会政治小説を物している。一雨も少なからずその影響を受けたことであろう。また、琴月とは1910年4月からの交際である。琴月は初め通俗的な家庭小説を書いていたが、「少年界」「少女界」の編輯者をつとめるなど児童文学とのかかわりが深い。「昨冬私が本誌に入るや、氏は私の為に自ら進んで作文の選者となられ、そしてそれのみならず、本誌の為には殆ど編輯顧問と云つても宜い程に力を尽して下すつた」という一雨の書きぶりからして、あるいは一雨と児童文学とをつなぐ鍵になる人物かも知れない。
 なお、一雨には〈白根凌風〉(時に〈凉風〉とも表記)という別名があった。この別名は、一雨が「飛行少年」の編集に携わっていた大正のはじめころから用いられている。宮崎一雨と白根凌風が同一人物である根拠は、加藤謙一の『少年倶楽部時代』(1968年9月28日 講談社)に「白根凌風というのは、宮崎氏の別名なので」云々という記載があることである。他に、「怪奇:冒険|空中征服」が「少年倶楽部」に連載(1924年4月〜25年3月)されていた時の著者は〈白根凌風〉であったが、単行本『空中征服』(1925年10月15日 大日本雄弁会)では〈宮崎一雨〉になっている。このことも、根拠として挙げることができる。別名を用いたのは、ひとりの作者が同じ雑誌の同じ号に何作も執筆するのは体裁が悪いということから生まれた配慮であろう。しかし、作品の内容によって名前を使い分けるというような配慮はないようである。
 以上のように、一雨の経歴については少しずつ明らかになってきたが、依然として重要な疑問が残っている。まず、本名の「侃」の読みが不明である。因みに、人名の読み方の辞典類にあたってみると、「侃」の字は〈あきら〉〈かん〉〈すなお〉〈ただし〉〈つよし〉〈なおし〉とあって、読みの決め手はない。「新聞:通信|記者名鑑」の配列(いろは順)から読みを特定する手がかりが得られるのではないかとも考えたが、一雨の一人前の配列の人物は「宮澤」姓であり、一人後の人物は「宮崎光男」であるので、手がかりにはならなかった。次に、『明治:大正|文学美術人名辞書』の記述と「新聞:通信|記者名鑑」の記述とを比較してみると、生誕については月こそ一致しているものの、生年に3年ものずれがある。また、没年についてはいまのところ全く手がかりがない。一雨は「日本少年」の1931年4〜5月号に「蕃地熱血小説 輝く阿里山」を掲載した後、約3年のブランクを経て、「少年倶楽部」に短い時代もの一篇を執筆して、消息が不明になっている。この最後の作品は、1934年7月号に掲載され、武田信玄に関するエピソードを描く「名将に迷信なし」と題した小品であった。その後、少年少女読物の世界から忽然と姿を消して、各種の人名事典や名簿類にも名前は登場していない。

(3)歴史読物から熱血小説へ


 一雨は児童文学の世界に足を踏み入れる前、歴史読物を手掛けている。その中で、『古今:名詩|通俗史談』(1922年12月8日 磯部甲陽堂)は、この頃の一雨の作品傾向が最も良く窺える歴史読物である。この著作では、源平の頃から日清・日露の戦争までを主体に、一部は菅公(菅原道真)の頃までについて、人物を中心にした記述を行っている。書名に〈通俗〉とあることからもわかるように、特に子どもむきの図書というわけではない。けれども、一般の人にとって読みやすいものにしていこうとする姿勢が、本作り全体に見受けられる図書であった。さて、この読物に見られる歴史観であるが、南北朝の頃については、北朝方を逆賊とし南朝方を正統とする立場に立っている。幕末から維新にかけては、会津藩や五陵郭の榎本武揚らの軍は主家を思うあまり順逆を誤ったとして同情的である。西南戦争の頃の西郷隆盛については、天皇に逆らう意思はなかったが行動はやむをえなかったとして、その行動を正当化している。現代史に属する部分では、清国はけしからぬ国であるとして征台の役の正当性を強調する。このように、全体として尊皇・忠君愛国を基調としている。
 一方、子どもを読者対象とした歴史読物では、日本の武士、中国・欧州の武人、英雄、烈女を題材とすることを好み、多くは武士道や愛国的精神を貫いた英雄たちを描いている。「武士:の華|真田幸村」(1920年7月「少年:少女|譚海」)、「頼光四天王」(1922年1〜8月「同」)、「支那史説 虞美人草」(1923年1月「少女倶楽部」)、「大英雄ナ:ポレオン|ウオータアローの大激戦」(1926年5月「少年:少女|譚海」)など、その姿勢は変わることなく続いた。ほかに、「南総里見八犬伝」から材をとった「八犬伝:物 語|京都の大試合」(1920年1〜2月「少年」)や、架空の烈女を描いた「少女講談 忍術をんな使者」(1923年8月「少女倶楽部」)のような、よりフィクションとしての要素が強く荒唐無稽な講談ものも書いている。ここでは、これら子どもを読者対象とした歴史読物にみられる歴史観や思想性が、『古今:名詩|通俗史談』と変わるところはないことに注目しておきたい。それは、こうした通俗的な歴史物語を書いていた経験が、子どもむけの読物へ転換していく際にも、無理なく活かされていたと考えられるからである。
 既述のように、一雨と児童文学との係わりが確認できる最初の業績は、新しく創刊される予定の「飛行少年」誌へ、編輯主任として迎えられたということである。同誌の創刊は、1915年1月のことであった。この当時、雑誌の編輯者が執筆者を兼ねることは普通であった。したがって、このことが直接のきっかけとなって、少年むけの作品を執筆するようになったものと思われる。なお、「飛行少年」の発行母体である日本飛行研究会という組織は、もともと飛行機の研究と飛行思想の普及を事業目的とする民間団体で、おとなむけには「飛行界」誌を刊行している。評議員には板垣退助を初め、陸海軍の将官、貴族院議員、衆議院議員など、政・財・官・軍の各界の要人が名前を連ねている。極端に軍国主義的・右翼的な団体ではないけれども、国家主義的な思想を旨とした団体であった。
 「飛行少年」の性格については、同誌創刊号の巻頭に掲げられた「発刊に際し」(無署名)に良く現れているので、次に主要な部分を引用しておく。
飛行少年!!! 飛行少年!!! 何と痛快なる名ではないか、
而して青島陥落して、国威愈揚らんとする大正四年の一月元旦を以て、此の痛快なる雑誌は生れた。
 来れ、満天下の少年諸君!!!、 本誌は諸君の良友にして、又諸君の指導たらんと欲する者である。啻に諸君に面白き事や、趣味ある事を報道するのみでなく剛健にして勇壮なる軍国的気風を鼓吹し、以て戦勝国少年の今後に処せんとする途を教へんとするは、実に本誌の任務である。
(中略)
 字義から考へて、飛行少年は飛行機の事のみ書く雑誌と誤解する勿れ、勿論飛行少年は飛行機の事も書く、否之を書く事は或意味に於ては、本誌発刊の主眼とする処だ、而し乍ら飛行少年は、飛行機の事を書くと共に、又色々の事をも書く、冒険談、戦争談、愛国談等を初め、何でも痛快にして面白く、而して読んで為めになる事なれば何でも書く、之が実に飛行少年の本領だ。
 以上のように、「飛行少年」の記事として、「飛行機の事」「冒険談、戦争談、愛国談等」を掲載することが表明されている。ここに言う〈痛快〉〈面白く〉〈為めになる〉という謳い文句には、〈剛健〉〈勇壮〉〈軍国的気風〉という価値基準がその前提にある。日本は、日英同盟を根拠として第一次世界大戦に参戦し、青島に駐留するドイツ軍に対し攻撃を行っている。青島への攻撃開始は1914年9月で、陥落は同年11月のことであった。したがって、翌15年1月の「飛行少年」創刊にむけ、この動きと同時進行で準備が進められたことになる。因みに、後に一雨が寄稿するようになる「少年倶楽部」は、1914年11月の創刊である。これら新興の少年雑誌にとって、第一次世界大戦の勃発という事態は、運命的な出来事であった。経済的な側面から見れば、欧州が主戦場となったことが影響して日本は空前の好景気となり、雑誌の販売実績の拡大に繋がっている。一方、日本が青島戦や南洋諸島などにおける一連の戦闘に勝利を収め、第一次世界大戦の戦勝国となったことによって、国威の発揚をもたらしている。そして、世界の一等国となったという意識は、雑誌の性格を形成していく上で大きく影響していくことになった。こうして「飛行少年」は、〈軍国的気風〉を売りものにして、この時期の有力な少年雑誌の一つとして、確固とした地位を築くまでに発展をとげている。
 一雨にとっては、丁度この頃が「大正三年青島戦役以来忠君愛国を標榜して」(『明治:大正|文学美術人名辞書』)云々という時期に対応している。おりからの第一次世界大戦は、もともと国家主義的な作品を書いていた一雨の心境を一層進展させ、〈熱血小説〉という独特の作風を確立させる背景となったのである。
 ただ、この時期には、まだ〈熱血小説〉という呼称は存在していなかった。「飛行少年」創刊号に、一雨は「奈翁:戦史|最後の一戦」というタイトルで、戦記読物を執筆している。この作品は、「ウアーテルロー」の戦いに於けるナポレオンの事績を題材にしたものである。後年ならば、当然、〈熱血小説〉という角書き類が附せられるべき内容であるが、ここでは〈奈翁戦史〉という角書きが附けられている。
 一雨が初めて〈熱血小説〉なる呼称を用いたのは、「熱血:小説|鴨緑江の血烟」においてである。「飛行少年」へ1917年1月から連載を開始し、同年7月に連載を終了(推定)している。「飛行少年」の実物を確認することができた号が限られているため、最初にこの名称を使用した時期はあるいはもう少し遡るかも知れないが、それほど大きく遡ることはないだろう。この作品は軍事探偵ものである。画家の谷洗馬が、得意の馬の絵に筆を奮って、内容をひきたてている。平壤の観察使をしていた柳王定が、日韓併合と同時に「多勢の鮮人を引き連れて、鴨緑江の上流に逃げ」る。そして、「中学校を建て、女学校を設けて、子弟を教育し盛んに排日思想を皷吹して、折あらば、日本の覊絆を脱して朝鮮を独立させやう」としている。この柳の下に、全羅南道出身の〈鮮人〉を装った日本人の少年が、柳に味方する馬賊に取り入って潜入する。以上がこの作品の梗概である。
 東京外国語学校で韓語を学んだ一雨はさすがに朝鮮半島の情勢に詳しい。だが、鴨緑江の北岸の満州側の地域に拠って反日運動を指導する柳を「実に厄介な老爺」とし、「東洋の平和を保全する為に、日韓が合邦したのは、寔に機宜を得た所置であつたが、頑迷な朝鮮人の中には、夫れでも多少の敵愾心があつて、これを喜ばぬ者も無いではなかつた」とするところに、一雨の政治的立場が現れている。一雨は、このような政治的立場に立つ愛国主義的な軍事冒険小説を〈熱血小説〉と銘打って、自ら世に送りだした。以後、この分野の作品を最も得意とするようになっている。なお、この時期に、〈熱血小説〉という呼称が用いられているのは一雨の作品に限られているようである。「飛行少年」において、他の作家の作品にこの呼称が用いられている例を見出すことはできない。
 この頃、「少年倶楽部」では、一雨を執筆陣の一人に加えている。この間の事情について、同誌の編輯に携わっていた加藤謙一は、『少年倶楽部時代』(1968年9月28日 講談社)において、次のように述べている。すなわち、「押川春浪式の熱血ものを少年倶楽部に導入しなければならぬと思った。宮崎一雨とか阿武天風とかは、その願望によって迎えた作家だ」という。厳密に言えば、当時はまだ〈熱血小説〉という呼称は確立していないのだが、この頃から一雨が押川春浪を後継する作家として注目されていたことがわかる。そして、国家主義を基調とした冒険的要素の強い読物を「少年倶楽部」に導入することによって、部数の拡大を図ろうとした編輯方針のありようが読み取れる証言である。
 「少年倶楽部」に発表の場を得た一雨が寄稿するようになった作品は、やはりおりからの第一次世界大戦を題材とした〈熱血小説〉であった。もっとも、同誌でも最初から〈熱血小説〉という呼称は導入されていない。同誌への最初の作品「冒険:小説|太平洋」(1917年2月)では、外国のスパイ船に潜入した日本の少年の活躍を描く。〈熱血小説〉と謳うにふさわしい内容であったが、〈熱血小説〉という角書き類は見当たらない。第二作めの「熱血:小説|天誅の爆弾」(同年3月)は、新発明の飛行艇に乗った理学博士と弟子の少年が活躍する軍事冒険小説である。「少年倶楽部」において最初に〈熱血小説〉という呼称を用いた作品であった。その後、「戦争:冒険|梶川聯隊長」(同年4月)「冒険:小説|海賊船」(1917年5月)を経て、「熱血:小説|天祐」(同年6月)の頃から、この〈熱血小説〉という呼称がほぼ定着するようになっている。「熱血:小説|天祐」は舞台を欧州戦線に設定し、日本人の義一少年が、活躍する作品である。以後、「少年倶楽部」には、軍事冒険小説を始めとした多彩な作品が発表されることになり、一雨は看板作家の一人となった。一雨の人気の高まりと同誌の部数拡大は相乗効果を上げている。
 なお、「少年倶楽部」の場合でも、〈熱血小説〉という呼称は暫くの間、一雨の作品に限られていたが、やがて他の作家の作品にも用いられるようになる。「少年倶楽部」の隆盛とともに、広く一般に流行するようになって行くのである。

(4)「熱血:小説|日米未来戦」と近未来戦小説


 「熱血:小説|日米未来戦」は1922年1月から翌年2月に「少年倶楽部」連載され、連載が終了するや、同年8月には大日本雄弁会より単行本『日米未来戦』として刊行されている。この作品は、南洋諸島の支配をめぐって大正十○年十二月に日米戦争が勃発するという設定の本格的な近未来戦小説である。作品中では、フィリピンへ日本の陸軍が上陸し、飛行機による爆撃の援護によって、米国の要塞・港湾を攻略する。在フィリピンの米国艦隊は、ハワイからの援軍を待たずして出撃せざるをえなくなり、日本の主力艦隊と交戦する。日本艦隊は在フィリピンの米国艦隊を全滅させるが、その直後に予定より早くハワイから急行した米国艦隊と戦う。この海上決戦は相討ち状態となって、両艦隊ともほぼ全滅してしまう。やがて、米国が大西洋艦隊をパナマ運河経由で太平洋に回航してくると、日本には対抗する艦隊がなく、制海権を奪われた日本の敗北は必至となる。ところが、日本の国家とは別に、日本の旧軍人らによって結成された秘密結社が、南海の孤島で、新型潜航艇を初めとする秘密艦隊を建造していた。彼らは日本の危ういところで援軍として潜航艇隊を出撃させ、太平洋に回航されてきた米国大西洋艦隊を密かに全滅させる。以上がこの作品の梗概である。
 一雨は『日米未来戦』に続いて、同じく大日本雄弁会から作品集『次の世界大戦』(1924年7月3日)を上梓している。表題作「次の世界大戦」は、ワシントン海軍軍備制限条約の締結後における近未来戦争を描いている。この作品は、第一次世界大戦の敗戦国であるドイツが復讐戦を挑むという設定になっている。ドイツでは、英・米・仏・日の各国が海軍の軍備をおろそかにしていることに付け込んで、秘密のうちに新鋭の大艦隊を建造する。そして、この新鋭の大艦隊を繰り出して英国艦隊を壊滅させる。陸戦でも欧州大陸を制覇し、英国本土へ陸軍部隊を上陸させる。日本は、巡洋艦と駆逐艦のみによって編成された小艦隊を地中海に派遣する。これは主力艦の数が足りないからであるが、この艦隊は強力な独国艦隊を相手に、奮戦しながらも全滅する。やがて、極東派遣の独国艦隊が太平洋に進出してくると、日本の主力艦隊はこれを迎え討つ。だが、日本艦隊は海軍軍縮の実行のために新鋭の主力艦の数が足りず、苦戦をしながら退却せざるを得ない。しかし、日本艦隊がこのような危機に陥った時、独国艦隊の旗艦に捕らわれていた日本と英国の少年二人が身を挺して火薬庫に火を放ち、旗艦を沈める。そのため、戦局は持久戦になるというところで、唐突に作品は終わっている。何とも中途半端な終わり方ではあるが、「あゝ驕れる大艦隊、必ずしも頼むべからず、又、将兵如何に勇なりと雖も、古昔の一騎討的戦争に非ざる以上は、軍器劣りては折角の勇も亦施すに由ない。ゆるがせにすべからざるは平素の心掛け如何にある。返す返すも三省しないわけには行かないのだ。」という言葉で締めくくられている。
 「長篇熱血小説 嗚呼国難来」は「日本少年」に連載され、海戦よりも陸戦に力点が置かれている。連載の開始時期は未確認だが、終了は1925年12月号で、おそらく一年間の長期連載であったと思われる。この作品は、「大正二十×年」に米・独・露の同盟軍と日本が戦うという設定の近未来戦小説である。日本海軍は辛くも米国艦隊を撃破する。しかし、大陸の戦線では、数を頼んだ米露同盟軍の攻勢や戦車部隊の出現などによって、日本陸軍は敗戦を続けた。その時、馬賊を組織した日本の遊撃軍が米露同盟軍の総司令部を奇襲して、形勢は逆転する。以上がこの作品の梗概であるが、連載の終了を急ぎすぎたため、結末が極めて貧弱である。作品の結末部は次のとおりである。
 米露同盟軍は二勝一敗、今度は又勝つのかも知れぬ。
 遂に陸戦は互に持重、持久戦に入つた。
 これで日本の海軍が、花々しく勝てばよいが、万一負けて制海権を全く失つた暁きには、此の満州の百万の貔貅は即ち無援孤立、次は餓死!
 だが、日本海軍は余りに貧弱だ、吾人は此上筆を執るに忍びない。噫! (大尾)
 以上引用したように、この作品は、突如として物語の展開を投出してしまった形で、連載を終了している。作品の完成度という点では「熱血:小説|日米未来戦」に較ぶるべくもない。しかし、長々と米露同盟軍と日本の陸戦を描いていながら、戦局を決するのは海戦の結果如何であるということについては、「熱血:小説|日米未来戦」と同じであることに注目したい。何等かの理由によって連載の終了を急がねばならなかったものの、戦局の帰趨を左右するのは海軍力であるという信念を曲げてまで作品を終了させることは、できなかったのであろう。大急ぎで書かれた締めくくりの言葉の「だが、日本海軍は余りに貧弱だ、吾人は此上筆を執るに忍びない。噫!」に、一雨が最も少年読者に訴えたかったことが凝縮されている。
 「熱血:小説|日米大決戦」(「少年世界」1926年1月〜27年12月)では、太平洋方面と大陸方面における戦いが、同時進行で交互に描かれている。日米両艦隊の戦いでは、ほぼ相討ち状態となる。しかし、数に優る米国艦隊では、僅かの主力艦が大破しながらも沈没を免れ、結局は優位に立つということになっている。大陸でも、兵器と兵数に劣る日本陸軍側に敗色が濃厚であるという設定になっている。
 以上、一雨の近未来戦小説を概観してきたが、特に「熱血:小説|日米未来戦」には、押川春浪の『海底軍艦』(1900年11月15日)以下の武侠六部作と呼ばれる一連の作品と、モチーフの共通点が多い。共通点としては、まず、新鋭の潜航艇の活躍があげられるが、それだけでは、ジュール・ヴェルヌの「海底二万哩」あたりから直接影響を受けたのかもしれない。あるいは、当時すでに潜水艦が実戦で活躍していたことからヒントを得たということも考えられる。しかし、軍艦〈畝傍〉の登場と南海の秘密結社の存在という設定をもって、春浪の影響が明白になるだろう。〈畝傍〉は日清戦争前に実在した新鋭艦であった。フランスで新造されたが、日本へ回航される途中の1886年12月、シンガポールを出港後に乗組員ごと行方不明になっており、沈没したと推定されている。作品中では、〈畝傍〉の乗組員の遭難死は表むきのことで、実は秘密の任務に就いている。〈畝傍〉を初め行方不明ということになっている日本の旧軍人によって、南海の孤島〈獅子ケ島〉を根拠地とする秘密結社が結成されているというのである。この設定が武侠六部作に共通しているのである。因みに、〈畝傍〉は春浪以後も繰り返し少年むけ軍事冒険小説に登場する素材であった。ところが、「熱血:小説|日米未来戦」では日米の開戦が大正十○年という設定になっているから、〈畝傍〉が行方不明になってより四十年前後を経ていることになる。したがって、〈畝傍〉の乗組員が秘密結社の現役の戦闘要員であるというのは、あまりにも老兵でありすぎて理屈にあわない。これは、合理性を追及するよりも、春浪の武侠六部作に親しんでいた読者を強く意識していたことを意味しているだろう。
 また、武侠六部作では、西南戦争で死んだはずの西郷隆盛が生きているという設定になっている。一雨の「熱血:小説|馬賊大王」(「少年倶楽部」1923年1月〜24年1月)でも、同じく戦死したはずの辺見十郎太が老英雄として登場する。明らかに春浪を意識している。ただ、この作品は日露戦争の開戦直前という時点から書き始められており、単独の作品として完結している。シリーズとして近未来戦小説にまで書き継ごうとする構想のないところに、春浪との違いが見られる。西南戦争の生き残りが老英雄として活躍するという設定までをも、大正10年代にもってくることには、さすがに無理があると考えたのかもしれない。
 他に、「熱血:小説|幽霊島」(「少女倶楽部」1925年1月〜12月)では、新発見の南洋の孤島を日本領土にするため、山中に証拠の石碑を建てるという場面がある。その途中には、獅子の襲撃を受けている。この場面は「海底軍艦」中の一場面を意識していると思われる。
 一雨の後、この系列の作品は平田晋策の「昭和遊撃隊」(「少年倶楽部」1934年1〜12月)に引き継がれることになる。二上洋一は、『少年小説の系譜』(1978年2月25日 幻影城)で、押川春浪・宮崎一雨・平田晋策へと続く作品の系列を指摘する。そして、平田晋策の「昭和遊撃隊」について、「この系列の源流を辿れば宮崎一雨の「日米未来戦」を経て、押川春浪の「海底軍艦」に行き着くのだが、当然、作者の脳裏にもこの二作が影を落としていたに違いない」と位置付けている。「海底軍艦」から「熱血:小説|日米未来戦」を経て「昭和遊撃隊」へという作品の系列については、二上の指摘のとおりであろう。だが、これらの作品にはそれぞれ時代背景の違いがあり、その違いを反映していることも忘れてはならない。
 「熱血:小説|日米未来戦」は、第一次世界大戦の結果、ドイツ領南洋諸島が日本の委任統治領となって、当時、南方への関心が高まっていたこと、南洋諸島をめぐって米国と利害の対立が生じていたこと、米国における排日の動きが高まっていたことを反映している。この頃、〈日米戦ふ可きか〉(「東京」誌1924年9月)といった類の論議が盛んに行われていた。こういう状況下において、一雨はこの作品で初めて敵国を米国と名指しているのである。同時代の他の作家の作品からみても、日米間の未来戦争を描き、しかも敵国を米国と明記した作品の先駆けの一つである。一雨の作品においても、この作品までは、敵国を米国に想定する場合、「太平洋の彼方に、厖大な国土と、無限の富力とを有してゐる星旗国」(「冒険:小説|太平洋」既出)というように、米国と明記することは避けられていた。なお、横谷順弥によると、「いち早く日米開戦の危機をフィクションの形式で表現したのが、水野広徳『次の一戦』(大正3年)と大戸愿勝『日米若し開戦せば』(同)の二篇」であり、一雨は「熱血:小説|日米未来戦」で「少年小説に未来戦記というジャンルを植えつけた」(「少年小説大系」第8巻「解説」 1986年10月31日 三一書房)という。ただし、管見によれば、「冒険世界」の1910年4月に「未来:小説|日米戦争夢物語」(虎髯大尉)があって、これらの作品に先行する試みであった。著者の虎髯大尉は阿武天風の別名であり、「太陽は勝てり」(「少年倶楽部」1926年1月〜27年12月)でも日米間の戦争を描いている。
 また、ワシントン会議の結果、海軍軍備制限条約が締結されて、軍縮(主力艦の制限)の方向に世界の情勢が変化している。「昭和遊撃隊」の場合でも、運送船に偽装した米国の空母20隻が登場しているが、これはロンドン海軍軍備制限条約(補助艦の制限)を意識したものであろう。一雨は「時代の風潮に感ずるところ」(『明治:大正|文学美術人名辞書』既出)があり〈熱血小説〉に筆を染めた云々、とされている。これは「青年の大部分が、文弱に流れ」(「熱血:小説|日米未来戦」)て海軍軍縮を米英の言うままに受入れる〈時代の風潮〉に感ずるところがあり云々、というように解釈することができるだろう。しかし、このように自由主義的な風潮に反発しながらも、後述するように、一雨は自分が〈軍国論者ではない〉〈軍備制限に反対する者ではない〉と記さざるを得ない。一雨の場合は、基本的には国家主義的な思想に基づきながら、軍備はあくまで〈国防〉の範囲にとどめ、日本に不利な軍縮反対を唱えているのである。
 「熱血:小説|幽霊島」(既出)では、軍縮の結果廃艦となった巡洋戦艦を富豪が献金の意味を込めて破格の高値で落札する。そして、この船を使って、南海の孤島で発見した巨万の財宝を国に献納することになっている。ここには、軍備の拡張は財政の破綻を引き起こすということが反映されている。このように、一雨は何が何でも軍備の拡張を優先せよと主張して、他の状況を省みないというような立場には立っていない。
 「老将軍の娘」(「少女倶楽部」1923年9月)では、〈労農露国〉からの使節の暗殺を謀る極右団体の計画を少女が阻む。この作品では、少女の父親の将軍の言葉として、「例の社会主義といふ、我国の国体の如何なる物かとも考へずして、只徒らに国体主義の違つた他国の人々の意見を善いとし、貴き歴史ある我国をして危殆の地に置かんとする彼の社会主義の連中は、誠に憎むべき奴輩、神州人士の倶に齢する事を恥ぢる者共であるが、其等に反対の所謂暴力団体の理も非も分たぬ振舞も誠に困つたものぢや」「況や大切なる使節に危害を加へやうなどとは、以ての他の心得違ひである」と書かれている。ここにも、一雨の政治的立場が窺える。すなわち、国体の護持を行うために可能な限り〈国防〉に力を注いでいかなければならないが、その行動は〈正義〉〈武士道〉という価値観によって律せられねばならないとする立場である。狂信的な反ソ反共という極右の立場ではなく、あくまでも冷静に国体の護持を図ろうとする比較的穏健な国家主義の立場が窺える。
 上笙一郎は「日本児童文学におけるナショナリズムの系譜」(加太こうじ・上笙一郎編『児童文学への招待』1965年7月5日 南北社)において、春浪の死後「作品は春浪のエピゴーネンばかり、見るべきもの皆無で、この状態はそれからのちほぼ十五年間もつづいた」として、次のように述べている。
この事実は、春浪の才能と情熱とがいかに他にぬきん出ていたかを語るとともに、また一方、当時の日本の社会状勢が、ナショナリズム児童文学の発展に適さぬ方向に向かっていたことも語っている。すなわち、第一次世界大戦で日本が漁夫の利をえたことによって成立したいわゆる大正デモクラシーは、それまでの南進論的ナショナリズムに代えるにインターナショナリズムをもってしたため、ナショナリズム児童文学は、その基盤を弱められてしまったのであった。
 上の「見るべきもの皆無」という一括の仕方には問題があるものの、「ナショナリズム児童文学は、その基盤を弱められてしまった」という指摘は重要である。一雨の〈熱血小説〉を後継する山中峯太郎や平田晋策たちの時代には、もはやあからさまな侵略の思想を否とする社会的風潮は存在していない。彼らは白人の支配からアジアを解放するとか、ユダヤ資本による世界制覇の陰謀や赤色ロシアによる〈日本赤化〉の陰謀を打ち破るとかいう大義名分をたてることによって、日本による侵略戦争を正当化している。これに対して、一雨の作品には、単純明快に侵略戦争を正当化する点に欠けている。善悪は別にすると、山中や平田のような単純明快なアジテーションは極めて分かりやすく、子どもたちを熱狂させる。ところが、一雨の近未来戦小説においては、単に愛国・報国、国体護持、富国強兵という理念を一般的に述べるにとどまっている。何ゆえに日本が米・独・露といった国々と大陸や太平洋で戦わねばならないのかという理由が薄弱なのである。軍縮の流れをさえも、一応はやむを得ないものとして受入れざるを得ない。子どもの読者にとって、一雨のこのような姿勢はどうしても複雑で分かりにくいものになりがちである。
 こういった複雑さを一雨が見せざるを得ないのは、大正から昭和の初めという時代背景のなせるわざであろう。大正期の自由主義的な風潮の拡がりによって、一雨の作品は確かにその基盤を弱められているのである。

(5)「熱血:小説|日米未来戦」の評価をめぐって


 「熱血:小説|日米未来戦」において、日清・日露の戦争で活躍した老英雄の孫にあたる少年、南郷卓爾が秘密潜航艇隊の司令官として活躍する。この少年の活躍について、二上洋一は『少年小説の系譜』(既出)で「卓爾を潜水艦の司令にするという無理な設定と理屈っぽさが、残念ながら少年小説として、不滅の地位を確保するのを妨げる原因になった」と述べている。なるほど、卓爾少年の祖父が東郷平八郎を連想させる退役将軍であり、秘密結社の首領の旧友ではあっても、少年をいきなり潜航艇隊の司令官に任命するというのは、確かに〈無理な設定〉である。また、〈理屈っぽさ〉という点に関して言えば、作品中では、屡々、次のように作者自身が作品中に直接姿を見せて読者に呼びかけを行い、自らの主張を明らかにしている。
今のやうに、青年の大部分が、文弱に流れ、空論に走り、筋骨の鍛練、精神の健全を図るべき大切な少青年時代を、女の腐つた如く過してゐる者が多いやうでは、上下三千年、松柏の風雪を凌いで凛として立つやうに、世界に輝き来つた大和魂も追々消滅して、何年かの後には、此の米国将校(捕虜になり味方の機密を喋る将校―引用者)のやうな軍人も出来ないとも限らない。あゝ恐るべし、恐るべし、此の危急を救ふのは、目下の少青年諸君の奮起と努力とに待たねばならぬのだ。

此様な高い軍艦を、十隻も二十隻も拵へなければならないのであるから、軍備を縮小して、軍艦を製造する数を減らさうと云う議論も尤もである。併し相手が沢山持つてゐるのだから、此方も拵へない訳には行かぬ。拵へなければ戦争の時に負けて了ふ。然り、建国三千年光輝ある大日本帝国も亡国の嘆きを見なければならないのである。

吾人は決して軍国論者ではない、軍備制限に反対する者ではない。だが、只所謂お人好で、彼の列国の云ふ事を御無理御尤、ハイハイと云つて云ひ成り次第になつて引下る事を最も厭ふ者なのである。それには文をも磨け、武をも励め、縮小した軍備は飽くまで堅固なれ、世界の外交場裡へ出て、一歩も退けを取らぬやうに心懸けよ、是れ次の大日本帝国を背負つて立つ我が少年諸君の大任務ではないか。
他に、一雨は登場人物の会話という形を借りながら、次のような記述によって自らの政治的立場の表明を行っている。
「これに付けても、馬鹿々々しいのは、大正十年頃の軍備制限騒ぎさ、幾ら主力艦の建造を制限したつて、巡洋艦以下を無制限に作らせたり、要塞の完備を思う侭にさせたりしちや何にもならないからね。我国なんかに取つちや、駆逐艦を無尽蔵に製造させて呉れりや反つて幸福な位さ。」(日本兵の会話)

「さうだとも、此の大艦隊を提げて彼れ小猿の国日本へ迫り、到る処の海岸を脅かし、海上を横行して欧州貿易の途を断つて見給へ、彼れ小猿は、戦はんか軍艦なく、退かんか内には糧食なく手も足も出なくなつて、無条件の講和となる。そうなればぢや台湾も此方の物、小笠原島も此方の物、南洋の統治権は云ふ迄もなく、場合に依れば、四国、九州から北海道、樺太までも、我が星条旗が翻へるやうになるのだ、愉快じやないか」(米兵の会話)
 それでは、このように〈無理な設定〉や〈理屈っぽさ〉に満ちているにもかかわらず、「熱血:小説|日米未来戦」はなぜ圧倒的な人気を集めたのだろうか。
 二上洋一はこの作品の〈理屈っぽさ〉について、「宮崎一雨には、太平洋決戦を描く『次の世界大戦』『世界征服』等の書もあり、押川春浪の啓蒙の姿勢を意識してとっていたのかも知れない」(『少年小説の系譜』既出)と述べている。また、『新・日本SFこてん古典』(横田順弥・会津信吾 1988年8月15日 徳間文庫)では、一雨の作風について「内容的には平田晋策に似ているようでもありますけど、晋策ほどには冷静に情報を収集し分析し、緻密にストーリイを進めていくタイプじゃありません。かなり、文章が感情的になっていて、それだけに、少年の読者には、印象深かっただろうとは思うんですが。」と述べられている。このことは、作品中に作者が直接顔を出して、文章が感情的になること、すなわち〈理屈っぽさ〉のあることが、かえって読者にとっては印象深いということを意味しているのであろう。読者はこういった一雨の独特の記述を通して、作者による強烈なアピールを的確に読み取り、共感していたのではあるまいか。
 「熱血:小説|日米未来戦」は、冒頭「日本海軍の八々艦隊は完成した」という書き出しで始まる。その書き出しからして、海軍の軍備問題と極めて密接な関連のある作品である。因みに、〈八八艦隊〉とは、艦齢八年未満の戦艦八隻、巡洋戦艦八隻を日本海軍の主力としようという構想のもとに提唱された艦隊である。1911年以来、海軍はこの計画の実現をめざしたが、財政上の理由などから実現はしなかった。1920年7月の臨時議会でついに予算が成立通過したものの、23年8月の海軍軍備制限条約により、建造は中止されることになった。結局、実際には建造済みの戦艦〈長門〉〈陸奥〉が残る。この当時、補助艦については無制限であった為、〈赤城〉〈加賀〉は航空母艦に転用された。こうして、現実には〈八八艦隊〉構想が実現することはなかったのであるが、作品中では近未来に〈八八艦隊〉の建造・配備が実現したという想定になっている。こういう点を捉えて、『新・日本SFこてん古典』(既出)では、「熱血:小説|日米未来戦」のSFとしての側面を評価しているのだろう。
 しかし、「熱血:小説|日米未来戦」の掲載時期はワシントン会議の時期と重なりあい、現実の政治・軍事の動きと密接に連動している。作品の意図としては、SFの要素は第二義的であり、むしろ、こういった現実の政治・軍事の動きとの関連が第一義的なのである。ワシントン会議は、1921年11月12日の第1回総会で米国全権ヒューズによって建造中の主力艦の廃棄と国別の保有比率の設定が提案されたことに始まり、翌年2月6日に海軍軍備制限条約等が調印(公布は1923年8月17日)されたことで終わっている。「熱血:小説|日米未来戦」の第一回掲載が「少年倶楽部」の1922年1月号であり、最終回が翌年の2月号であるから、この作品は文字どおりワシントン会議と同時進行で連載されたことになる。
 この作品の単行本版の「序」において、一雨は「少年諸君! 戦争はイヤなものである、決して望むべきものでない、併し治にゐて乱を忘れゝば、其国は危うい、殊に表に平和を装ひ、内に爪牙を磨く、横着な、現代の世界の大勢に至つては、ますます油断は大敵である。(中略)然るに戦争を呪ふ余り、軍備は制限どころか撤廃してしまへ、軍人は無用の長物だ、土方にでもしろなどゝ途方もない愚論を吐く所謂新時代の青年が無暗矢鱈に続出する」と、軍備制限に対する批判的見解を力説する。そして、単行本版の「凡例」では、次のようにことわっている。
一、本篇は華府会議に我が加藤全権以下がまだ横浜を出発しない前の大正十年十月一日筆を執り同十日に脱稿したもの、従つて華府会議がどう決着が付くか分からぬ時の作品である。只今とは自ら事情の異つている点も尠くない。
一、前条の次第ゆゑ、著者は取敢へず我が軍艦は戦艦に於て、加賀、土佐、巡洋戦艦に於て高雄、愛宕まで完成したものと仮定して筆を執つた。本篇を雑誌少年倶楽部に連載中、某艦乗組の一軍人はわざわざ書を寄せて、何故戦艦は長門以下の十六吋備砲のものばかりにせなかつたか、扶桑級の十四吋を加へては、戦闘上不利であるとの注意があった、併し長門以下に仮定すれば、紀伊、尾張を加へても、以下の第十一号第十二号はまだ命名以前であるから、やるとすれば出鱈目の名を付けねばならぬ、それ故扶桑以下にしたのであつたのだ。米艦亦之れに準じた。
一、予は軍事には全然門外漢である、且又た本書は素より十三四歳より十六七歳の少年諸君に当て、理論よりも興味を主としたもので、専門家は勿論、多少其の知識を有する者から見たら、愚にも付かぬ著書であらう、蓋しそれは事情巳むを得ぬところなのである。(以下略)
 以上のことから、「熱血:小説|日米未来戦」は、ワシントン海軍軍備制限条約が締結される前に執筆されていること、したがって、この作品中では、大正10年頃に海軍軍縮問題がやかましく議論されたことは事実としながらも、海軍軍備制限条約自体については存在していないことを前提として書いていることがわかる。また、〈扶桑〉級以下の旧型艦を含めると、真の〈八八艦隊〉にはならないことを承知していながらも、敢えて当時現に保有されていた旧型艦の名前と艦の戦力・性能をそのまま使用していることがわかる。すなわち、この作品に登場する日本艦隊はすべて長門・陸奥・加賀・土佐など、実在しているか、現実に建造が予定されている戦闘艦が登場・活躍するように配慮されているのである。米国艦隊も同様である。その理由は、少年読者の誰もが知っている戦闘艦を登場させることによって、作品にリアリティーをもたせるということもあるが、それ以上に日・米両艦隊の現実の戦力の差を浮かびあがらせるための措置であろう。現実の戦闘艦の質と量を比較し、いかに〈大和魂〉をもって奮戦しても、劣勢は如何ともしがたいことを明らかにすることに狙いがあった。こうして、論文や解説記事という形式ではなく、読物という形式で日本にとって不利な海軍軍縮を真っ向から批判し、少年読者の危機感に訴えかけることを一雨は意図していたのである。
 一方、掲載誌の「少年倶楽部」において、ワシントン会議の開催という局面が注目されるように、誌面づくりがなされていたことも重要である。1921年12月号の「少年新聞」欄のトップには各国の代表と日本の代表の紹介などがされているし、1922年2月号の同欄では「四国協約が出来た」「海軍問題意見一致」というタイトルの記事が掲載されている。「熱血:小説|日米未来戦」の掲載にあたっても、作品とは別に、作品の末尾に軍事問題に関する囲み記事の欄を設けて、読者の啓蒙を図っていた。例えば、1922年2月号の末尾では当時の最新鋭艦の戦艦陸奥の写真を掲げ、「今度の華盛頓会議で廃艦となりさうな陸奥艦」というタイトルで次のように書かれている。
 噸数三万三千八百噸。工費七千万円。五ケ年の日数を費して大正十年五月三十一日に進水し、十月二十四日美事公試運転に成功した陸奥艦。今では一千三百名の帝国海軍兵を乗組まして大海に堂々たる雄姿を浮べ、天晴れ護国の浮城と七千万の国民が心強く思つて居たのに、米国ではどうしても未製艦だから廃艦にしてしまへと云ふ。陸奥艦に霊があつたならば定めて悲憤やるかたない事であらう。(十二月十三日記)
 現実には、戦艦陸奥は廃艦にはなっておらず、主力艦の総噸数で日本が譲歩する見返りとして保有を認められている。〈十二月十三日記〉という記述には、月刊誌という制約があるにせよ、ワシントン会議での途中経過をも含めて、可能なかぎり報道しようとする姿勢が窺える。1922年5月号の末尾では「米国最大軍艦ローミング号」という説明をつけた写真を掲載している。作品掲載中の頁の途中にも、同年9月号で「米国が創造工夫した新砲艦」という説明をつけた絵、「世界最大軍艦陸奥の一六吋砲弾」云々という説明をつけた写真を掲載している。これらの写真や絵は、山田隆憲の筆になる挿絵とは全く別の扱いで、本文の内容とも無関係のものであった。単行本化にあたっては、これらの記事は省かれているものの、掲載誌では、物語に読者の興味を引き付けることとは別に、軍事の知識を通じて海軍軍縮問題への読者の関心を高めることにも留意されていた。このように、「少年倶楽部」では海軍軍備制限問題について、誌面づくりの上で重点が置かれていたのである。ここに、「少年倶楽部」編輯部の意図が窺える。
 他に、単行本の宣伝においても、次のように、愛国主義の強調や海軍の軍備の重要性に焦点をあてた宣伝の仕方をしている。
宮崎一雨先生の大快著『日米未来戦』が本社出版部から単行本になつて出てからは飛ぶ様な売れ行きなさうな。排日問題のやかましい今日、此の『日米未来戦』が歓迎されるとは日本も頼母しいものだ。と或る海軍の将軍が非常に満足さうに談されたさうだ。此の際愛国の少年は是非一冊をもとめて忘るべからざる恥を肝に銘じると共に一大覚悟を考へたまへ(「少年倶楽部」1924年9月)

愛国の熱情に燃ゆる我が少年諸君、本書を以て単なる小説と見なす勿かれ、今や大洋を隔てゝ暴慢なる米国あり、更に独逸の復讐来らば真に国家の一大事である。本書を愛読して日本魂を奮ひ起し、他日の外敵に備ふるこそ諸君刻下の急務ではないか。(「危いかな我日本」と題する『次の世界大戦』の広告文 「少年倶楽部」1924年10月)
 しかも、単行本『日米未来戦』『次の世界大戦』の出版にあたっては、〈大日本雄弁会講談社〉の社名ではなく、あえて〈大日本雄弁会〉の社名を用いている。この時期の講談社の社名には二つの名称があった。このうち、後者の社名を用いたというところに、単なる読物としては受け取られたくないとする出版社側の政治的な意味づけを見ることができるだろう。この二つの単行本を相次いで上梓した講談社の意向としては、これらの作品が「単なる小説」ではなく読者に「日本魂を奮ひ起し、他日の外敵に備ふる」ことを訴えることにあった。いずれの作品も、文学的完成度というものを度外視したところで、送り手側の意向を、明確に見出すことができる。送り手としては、社会的に大きな関心事であった海軍軍縮問題について、時機にあわせた啓蒙的な姿勢を込めて、未来戦争という少年に親しみ易い形の作品を世に送りだそうとしたのである。
 以上のように、送り手の側としては、「熱血:小説|日米未来戦」と「次の世界大戦」の二つの近未来戦小説の二つの想定を通して、ワシントン海軍軍備制限条約に対する批判的見解をアピールしている。
 読者の側からしても、「熱血:小説|日米未来戦」の背景となっている南洋諸島をめぐる利害の対立や、米国における排日の機運の高まりは関心の高いテーマであった。こういった要素に加えて、日本が不利になるような海軍の軍縮が問題となっていることも、読者の関心を集めていた。こうして、「少青年の奮起と努力」(「熱血:小説|日米未来戦」)を促したいとする送り手側の意向が、受け手側である少年読者の要請、すなわち海軍軍縮という〈時代の風潮〉について知りたいという要請と一致したところに、「熱血:小説|日米未来戦」が人気を集める理由があったのである。さらにその上、近未来戦小説という形式の新しさと、作品中に敵国を米国と明記する目新しさが、読者の目をひいたことは想像に難くない。
 なお、読者の側に、文学的な完成度の追求よりも、テーマの重要性を読み取る方向で作品を享受したいという要請があるならば、作品の持つ〈理屈っぽさ〉ということは人気の妨げとはならない。教訓臭ふんぷんたる〈良い子〉のための作品や名作再話・偉人伝の類、テーマ主義に陥って文学性に欠ける作品に、意外な人気があるという例をひくまでもなかろう。ある時期に限って圧倒的な人気を集める作品が、文学的な完成度において欠陥のある作品であったということは、とりたてて珍しい現象ではない。

(6)SF小説作家としての功罪


 一雨の作品に描かれた飛行機は、草創期の飛行機の発達とそれに伴う一般の関心の高まりを背景としている。
 日本における飛行機の歴史は、1910年12月、代々木練兵場で日野熊蔵・徳川好蔵の両陸軍大尉が飛行に成功したことに始っている。「熱血:小説|日米未来戦」では、この初飛行に成功した徳川大尉の後身を思わせる奥川少将が、航空旅団長として登場する。また、飛行機の国産については、1911年5月、奈良原式二号機が飛行に成功するなどの実績がある。しかし、これらは試作機か外国機のコピーに留まっており、本格的に国産機の製造が開始される為には、1919年2月の中島飛行機製作所による試験飛行の成功を待たねばならない。それまでは、もっぱら外国からの輸入機が活躍することになる。作品中では「熱血:小説|天誅の爆弾」(既出)に日本人による新発明の飛行艇が登場している。この作品では、ドイツのスパイ団が伊豆諸島の青ケ島から本国へむけて無電を発信しているのを突き止める。新型飛行艇は、敵機と空中戦をしてこれを撃墜し、爆撃によって地上の秘密基地とスパイ船を破壊する。本格的な国産機の成功は、この作品に遅れること一年半あまりであるから、大いにSF的要素に満ちた作品であった。
 日本の軍用機が最初に実戦に投入されたのは、青島攻撃においてである。1914年9月、第一次世界大戦への参戦に伴って、海軍の水上機が青島要塞を偵察・爆撃し、独軍の飛行機と空中戦をも行った。飛行機の投入は一定の戦果を上げ、大いに国民の関心を集めている。また、1915年には、日本の滋野男爵がフランス陸軍の航空隊に入って、大尉に任命されている。そして、同年5月には偵察飛行や爆撃を行うなど、日本人パイロットとして、欧州における初の実戦参加を行ったというニュースが、花々しく報道されている。一雨の作品中では、飛行機が戦場で活躍することが多いが、こういった出来事が当時の少年の関心を集めていたことを反映したものであろう。「熱血:小説|天祐」(既出)では、独軍の機密を握った日本人の義一少年が、独軍の飛行機を乗っ取って仏軍側に脱出する。「熱血:小説|空中の一機打」(「少年倶楽部」1919年7〜8月)では、仏軍に従軍していた日本の少年義勇兵が飛行機に乗り、戦死した仏軍飛行将校の仇を討つことになっている。「熱血:小説|日米未来戦」では、米軍の強固な要塞に手をやく日本軍が突破口を切り開く為には、新型の焼夷弾を積んだ飛行機からの爆撃が必要であり、海戦でも日米両軍の水上飛行機による偵察が重要視されている。
 1915年12月には米人飛行家のチャールス・ナイスル、翌年3月には同じく米人飛行家のアート・スミスが相次いで来日し、曲乗り飛行を披露している。〈空とぶ飛行機はナイスル、スミス〉と流行歌にも歌われるほどの人気であり、大いに青少年の夢をかきたてた。1915年1月に創刊された「飛行少年」は、このような飛行機熱の高まりを背景に、発行部数を伸していた。一雨は同誌の編輯記者時代に、軍事演習の一環として行われた飛行機の飛行ぶりを取材して、同年4月には「大鵬突破す五十三次 本邦未曾有の大飛行」という署名入りの記事を物するなど、飛行機の紹介に努めている。こうして、一雨は陸海軍の飛行将校とも交際があり、飛行機については相当の知識があった。一雨の作品では、戦争もの以外にも探偵小説やスパイ小説で、犯人やスパイが逃走する手段、または逆にこれらを追跡し攻撃する手段として、飛行機は大活躍をしている。この当時は、飛行機が登場するというだけで、SF・冒険の要素のある作品として子ども読者の人気を獲得することができたのである。
 一雨の作品中、最もSFの要素の強い冒険小説に「怪奇:冒険|空中征服」があるが、この作品でも飛行機が活躍している。この作品は「少年倶楽部」の1924年4月から翌年3月にかけ、白根凌風名で掲載された。ちょうど、「怪奇:小説|熱帯海底魔」の連載終了を受ける形で掲載されている。
諸君を熱狂せしめた「熱帯海底魔」は大歓呼の裡に終りを告げた。次号からは白根先生の大傑作長編怪奇冒険小説「空中征服」と云ふ痛快無比の熱血小説が掲載されます。こんな傑作を掲載出来る事は本誌の誇りです。此の小説を読んで諸君は如何に熱狂するであらう。その熱狂ぶりが見度いものです。
 これは、同誌の1924年3月号、「怪奇:小説|熱帯海底魔」の連載最終回の末尾に掲載された広告である。このように、「少年倶楽部」の編輯部では、当初から、相当に期待を込めていたことが分かる。一般にこの種の広告には誇大なものが多いが、この作品に関しては掛け値なしにSF冒険小説の傑作である。実際に「怪奇:冒険|空中征服」は連載中から人気を集め、連載終了後、大日本雄弁会講談社の社名で単行本が刊行されている。なお、この作品が単行本にされた時の著者名が、雑誌連載中の〈白根凌風〉から〈宮崎一雨〉に変っていることは既に述べたとおりである。
 ここでは、飛行機によって、15日間で世界を一周するという競争が描かれている。現実の世界では、この作品の連載開始の年にあたる1924年、米国ダグラス社製のワールド・クルーザー機によって初の飛行機による世界一周飛行が成功している。このおりには、ほぼ同時期に英国機も世界一周飛行に飛び立ち、米国機と競争になっていた。この時の世界一周飛行については、ダグラス社が自社製の飛行機の優秀さをアピールするために大々的な宣伝を行っている。世界一周の途中には、日本へも立ち寄って、わが国の新聞・雑誌でも大いに報道された。また、世界一周に要した実際の飛行日数は作品の設定と同じ15日間であるが、補給と修理や休憩などの為、この年の3月に米国を出発してから5ケ月後に帰着をしている。したがって、連載が始った時点では、まだ、飛行機による世界一周は実現していないのである。
 この作品では、英国の「大倫敦新聞」で「空中世界一周競争」が企画され、先着者には、当時の金額で20万ポンドという巨額の賞金が出されることになる。日本からも新型飛行機を開発した春海浩一飛行士が参加することになるが、何者か卑怯な妨害者がしきりに妨害工作をする。そして、仕組まれた自動車事故による負傷のため、春海飛行士はついに参加を断念せざるを得なくなった。そこで、長男の征矢雄少年が父に代って冒険飛行に出る。卑怯な妨害者と目される米国のダグマー飛行士は、飛行中も故意に飛行機を衝突させようとしたり、征矢雄をスパイだとして官憲に偽りの密告をしたりする。しかし、征矢雄は同乗の森村技師や、競争相手ではあるが友人でもある仏国のギンメル飛行士など周囲の人々に助けられながら、遂に一着で競争に勝つ。以上がこの作品の梗概である。
 この作品では、主人公の少年がいきなり世界一周飛行競争の冒険に出発するのではなく、優れた飛行家である父の負傷により、やむを得ず代理として参加する設定になっている。また、少年は飛行士としては未熟でも、並はずれた勇気と智恵があり、周囲の支えもある。このように、少年飛行士が世界一周をするということについて、不自然さをなるべく打ち消すように配慮されている。しかも、暴風雨や〈蛮人〉の襲撃など変化に富んだストーリー展開に加え、世界各地の風物や国情に関する記述を挟んで、読者を退屈させることはない。何よりも、この作品は現実と同時進行の近未来SF小説であり、少年読者にとっては非常に興味をそそられる設定であった。
 少女むきの作品としては、「熱血:小説|炎の大帝都」が1924年1月から6月まで連載され、同年7月から「熱血:小説|征空万里」と改題して、この年の12月まで連載されている。「怪奇:冒険|空中征服」とほぼ同時期の連載ということになる。この作品は新型飛行機による南極探検を描いた作品である。現実に飛行機による極地探検がなされるのは、1925年5月のロアルド・アムンゼンによる北極飛行、1929年11月のリチャード・バードによる南極飛行であるから、この作品も近未来に実現する出来事を描いていることになる。高畠華宵の迫力ある挿絵を得たこともあって、少女読者からの人気が高かった。連載中、「少倶ちやんが来ると第一に見るのが『炎の大帝都』です。(略)記者様何卒いつまでも続けて下さい」(1924年6月)など読者からの投書が紹介され、編輯部から「愛読者皆様から熱狂的歓迎を受けて、賞賛の御通信が山と積まれ居ります」(同年4月)というコメントがなされるほどの人気ぶりであった。
 この作品は、前年9月1日に発生した関東大震災を背景にしている。関東大震災の当日、時任理学博士の夫人と令嬢時子は、命からがら逃げる途中、博士の助手を勤める篭原理学士と出会う。だが、時子は混乱の中で二人とはぐれてしまう。実は、篭原は大悪人であり、密かに博士の〈耐熱耐寒動力無制限飛行機〉の発明を狙い、出張中であった博士を震災前に九州で殺害していた。その上、突然の震災を利用し、混乱に紛れて夫人を殺害して博士の遺した秘密書類を奪い、行方をくらましてしまったのであった。時子は篭原の計略によって何度も窮地に立つが、小間使をしていた才子とその兄の一男の手によって救われる。そして、博士の弟子たちの助けを借りながら、ついに博士が発明中であった新型飛行機を完成することに成功した。ちょうど前後するように、ニューヨークにのがれて〈支那人〉に姿を変えた篭原も新型飛行機を完成し、時子と篭原は南極で対決することになる。結局、時子らの一行は一味の者を捕らえて氷河の割れ目に落とし、相手側の飛行機に火を放つ。作品は「大東京を包んだ炎は悲しかつたが、今度の炎は嬉しいわ」という時子の言葉で締めくくられている。
 このように、この作品は新型飛行機による南極探検というSF小説の要素と、犯人を追求して正体を暴くという探偵小説の要素を兼ね備えている。同時に、関東大震災という読者の記憶に新しい現実の事件を背景にして作品に現実感を持たせ、少女読者の興味を引くことに成功している。作品の舞台も、震災中・震災直後の東京、日本からアメリカへ向かう船の途中、ニューヨーク、南極と多彩である。しかも、最後の南極の対決の場面に向かって全てが集約されており、長編であるにもかかわらず、ストーリーの破綻や無理な設定がない。また、主人公である少女の時子には勇気と智恵があり、ピストルも巧い。けれども、腕力がないばかりに何度も篭原とその一味によって窮地に追い詰められ、その度に他者の力に助けられる。ニューヨークまで悪人を追いかけて時子を助けるのは腕力のある一男である。博士の研究を見ていたとはいえ、一少女にすぎない時子が博士の発明を完成させることができるのも、博士の弟子たちの協力があったからである。以上のように、主人公が腕力のない少女であるため、超人的な活躍をしたりして不自然な展開になるということがない。こうして、この作品も、一雨の代表作の一つというに相応しい作品に仕上がっている。ただ、作品中では日本と米国から飛び立った飛行機が直接南極に到達するという設定であるため、航続距離の関係から〈耐熱耐寒動力無制限飛行機〉を発明するということになっており、SF小説の道具だてとしては荒唐無稽になっていることが惜しまれる。
 ところで、一雨の戦争ものには、飛行機の他にも、第一次世界大戦中に活躍した新兵器が登場する。「熱血:小説|空中の一機打」(既出)では飛行機と並んで当時の最新兵器であった連合国側の戦車が挿絵入りで登場し、少年読者の興味をひくような設定がなされている。因みに、世界最初の戦車は英国製で、欧州戦線に投入された。この作品の前年にあたる1916年9月のことであった。「長篇熱血小説 嗚呼国難来」(既出)でも、戦車が米軍側に登場する。これに対抗する日本軍側の兵器は飛行機であることになっており、飛行機が戦局を左右する鍵になっている。
 また、「熱血:小説|日米未来戦」では潜航艇が活躍する。この潜航艇は、長い航続距離を持ち、暴風雨の中でも自由に活動が可能であり、わずか十数隻で米国大西洋艦隊を全滅させ得る能力を持つという設定になっている。因みに、日本最初の潜水艇は、日露戦争中の1904年12月に米国へ発注され、完成は戦後の1906年9月のことであった。ところが、当時の潜水艇は性能が悪く、実用性に乏いものであり、1910年4月には沈没事故を起こしている。その後は、英・仏・伊の各国から購入または国内生産されているが、日本の潜水艦が著しい発達をとげるのは、第一次世界大戦後、ドイツの潜水艦を戦利艦として日本に回航し、技術研究を行ってからのことであった。ワシントン海軍軍備制限条約の締結以降、主力艦の製造が制限されてからは、日本海軍では特に潜水艦隊の充実に力を注ぐようになり、実際に航続距離の長い海大型の潜水艦が完成するのは、1924年のことであった。したがって、「熱血:小説|日米未来戦」の連載が開始される1922年の頃では、この作品に登場するような性能を有する潜航艇は、すぐれてSF的であり、現実に先んじる設定である。
 他に、大艦隊の出撃を封じ込めるほどの威力がある新型水雷や、果ては〈飛行機吸取器〉といった荒唐無稽な兵器(ともに「熱血:小説|日米大決戦」より)までが登場している。
 このように、一雨の作品では新兵器が多数登場する。けれども、「熱血:小説|日米未来戦」においては、日米両国の運命を賭けた海上決戦は水上の艦船どうしの砲撃戦・雷撃戦によって決着がつくようになっている。この決戦では、飛行機などの新兵器が活躍する設定は見られない。もっとも、秘密結社では飛行機から米艦を攻撃する能力を有していることが、作品中に暗示されている。だが、ここで問題にしたいのは、作品中に描かれる日本軍の戦いぶりについてなのである。日本軍では航空旅団を編成したり新型の焼夷弾を装備していながら、米国艦隊との決戦には陸軍機も海軍機も出撃しない。これには当時の飛行機がまだ未発達であり、日本海軍が最初の雷撃機を完成するのが1922年8月、最初の航空母艦〈鳳翔〉を就航させるのが同年12月のことであったという事情も考えられるだろう。
 しかし、一雨は飛行機に詳しく、早くからその威力に注目していたのである。近未来戦小説においては、日本軍の航空戦力は敵軍より優位に立っている傾向があり、ここに新時代の戦争には飛行機が重要であることを認識していた一雨の願望が込められている。にもかかわらず、一連の近未来戦小説においては、大艦巨砲主義を前提にしたストーリー展開に終始している。これらの作品においては、若干の奇襲攻撃や偵察行動の場合を除いて、飛行機が攻撃の主力になるという設定は見られない。日米の正規軍どうしの戦いでは、あくまでも、水上の艦船による砲撃戦・雷撃戦によって決戦が行われることになっている。もともと、これらの作品は日本に不利な海軍軍備制限条約に反対して〈八八艦隊〉に固執するところから出発しているのであるから、これは当然のことであったかも知れない。つまり、一雨が作品中において大艦巨砲主義の呪縛から離れた自由な発想を持つことができなかった理由は、もともと作品の出発点にあったのである。
 これに対して、平田晋策の「昭和遊撃隊」では、米空母群から発進した〈荒鷲〉〈隼〉の両機による艦隊への攻撃や本土空襲、それに対抗する飛行潜水艦〈富士〉や〈青木光線〉というような斬新なアイデアがあった。この違いは単に現実の軍事技術の発達や時代背景の違いにとどまるものではなく、SF作家としての一雨の限界を意味している。特に、軍事SF小説作家としては、限界がはっきり見えている。すなわち、一雨の軍事SF小説の道具だては、いずれも現実の軍事技術のやや延長線上に位置するものに過ぎず、斬新で画期的なアイデアとは言えないのである。そもそも、一雨の作品に、陸海軍の戦略なり国家の政策なり体制にかかわるような根本的な問題について、これを批判しようという発想は見られない。
 ただ、一連の近未来戦小説において日本の陸海軍の敗戦を描いたことについては、一雨の大きな功績であろう。二上洋一はこの点を高く評価して、「熱血:小説|日米未来戦」と「昭和遊撃隊」は「同じく、日米の激突と日本の敗北を描いて」いるが、「ミッドウェーで敗北した昭和遊撃隊が、飛行潜水艦富士の活躍で勝利を納めるストーリー展開は、決して平田晋策の独創ではなかった」(『少年小説の系譜』既出)ことを指摘する。このように、実在する現役の軍艦多数が登場し、敵味方とも次々に沈んでいく状況を描くという発想は春浪にはないものである。「熱血:小説|日米大決戦」(既出)では、日本軍は開戦後いちはやく比律賓とグワムを占領する。しかし、日本軍が制海権を失うと、米軍では大部隊を動員してこれらの地域を奪還する。現地の日本軍は糧食が尽き、破れかぶれの逆襲に出て、全滅をした。また、日本軍の兵力不足を補う為、植民地である台湾の現住民から兵員を補充していたりして、第二次世界大戦における敗戦の惨状を先取りする状況が描かれている。むろん、作品中で日本が最終的に敗北することはありえないのだが、それにしても、このように日本の陸海軍の敗北の状況を具体的かつリアルに描くということは、当時としてはかなり思い切ったことである。この発想は後の時代に続く近未来戦小説に引き継がれて、大きな影響を与えている。

(7)冒険小説と探偵小説


 「熱血:小説|日米未来戦」の連載を終了した一雨は、引続き「少年倶楽部」に「熱血:小説|馬賊大王」(既出)を連載している。これは日露開戦を控えた満州を舞台に、日本人の少年の猪熊大八が馬賊を率いて活躍する軍事冒険小説である。日本陸軍の作戦上、馬賊を味方として組織するというストーリーの作品としては、他に青島戦を舞台にした「熱血:小説|怪鳥の叫び」(「少年倶楽部」1919年1月増刊)や「長編熱血小説 嗚呼国難来」(既出)があるが、「熱血:小説|馬賊大王」は中でも特に優れた作品に仕上がっている。
 日本の大八少年は、個人の立場から満州の地理や風俗を研究し、日露開戦を前に国の為に尽くそうとして、満州に潜入する。偶然、馬賊の頭目で男気のある張青龍と出会って意気投合する。張は元日本陸軍特務曹長で、日清戦争の時に負傷して行方不明となっていた。実は、馬賊の頭目となり、密かに日本国家の為に尽くしていたのである。張の依頼で大八少年が正体不明の馬賊団を調べに行ったところ、この馬賊団の頭目は西南戦争で戦死したはずの老英雄、辺見十郎太であった。大八少年は、少年の祖父にあたる猪熊大之進が、辺見の身代わりに城山で戦死したことを聞かされる。そして、今度は辺見からの依頼を受け、旅順要塞の秘密地図を奪取して日本軍に引き渡す。その後は、張と辺見の二つの馬賊団を併せ、これを指揮して露軍の後方を脅かし、大活躍をする。
 この作品は、「熱血:小説|日米未来戦」で大人気を獲得した後の連載として、未来戦争から一転して過去の戦争に材を求め、舞台を太平洋から大陸に移すなど、対照的な設定になっており、新機軸を打出そうとした工夫が見られる。一雨としてはすでに「熱血:小説|鴨緑江の血烟」(既出)があるから、大陸に舞台を求める作品を書くことには手慣れている。そのためか、「熱血:小説|日米未来戦」に見られるような〈理屈っぽさ〉は見られない。また、次々に人物関係や舞台が広がっていく長編であるにもかかわらず、結末へむけて一気に収束させていく手腕もみごとである。
 大八の活動は、日露役ばかりでなかつた。青島戦の時にも西伯利亜の過激派討伐の時にも、随時随所に出没して、大活動を演じたのであつた。
 今、満州で馬賊大王と聞いて見給へ。ウムあれかと誰でも頷くであらう。
 もう大分年を取つたが、張青龍も尚ほ健在だ。(大団円)
 以上のように、単に過去の物語として終わらせず、現代との接点を保たせながら余韻を持たせて、少年読者に〈大陸雄飛〉の夢を抱かせることに成功している。なお、主人公の大八少年には、並外れた肝力はありながらも、経験が少なく年若い少年であることに由来する未熟さがみられ、その弱点を張が補うという展開になっている。また、大八少年は、当初から馬賊団の頭目になるのではない。老英雄の代理を務める中国人の頭目の思わぬ戦死という事態に直面し、老英雄の遺言によって頭目になっている。このように、少年が突然超人的な活躍をする英雄になることは避けられて、ストーリーの展開上、合理性と自然な流れということに考慮が払われている。
 「熱血:小説|蛮勇快傑」(「少年倶楽部」1924年4月〜25年3月)は、軍事目的の探検ということとは別に、〈大陸雄飛〉の夢を描いた作品である。この作品では、会津武士の流れをくむ巌野頑鉄少年が、シベリアからイランを放浪する。放浪の目的は「国家の為」で、まず、シベリアに入り、「地理人情を研究して、他日大いに雄飛する下準備」を行うというものである。シベリアでは、山賊を退治したりロシアの官憲の横暴を懲らす。その後、イランに入っては、国王に謀反を起こす議会派の手から王の身柄を奪いかえす。だが、この作品では、豪傑少年の超人的な活躍ぶりだけが先走り、大陸放浪についても一種の武者修業のように描かれて、目的がはっきしない。ストーリーも、夫々の事件に連続性や関連性がなく、まとまりが見られない。結局、〈大陸雄飛〉という気分だけが先行した作品で、前出の「熱血:小説|馬賊大王」とは較ぶるべくもない作品である。そもそも、15歳の少年が超人的な力を持つという設定自体に無理がある。
 一方、白根凌風名で「少年倶楽部」に連載した「怪奇:小説|熱帯海底魔」(1923年5月〜24年3月)は、舞台を南海の孤島に設定し、孤島と附近の海に生息するカッパのような水陸両棲の怪物を退治するという作品である。この作品では、船長をはじめ士官は全て少年ということになっている。
「諸君、云ふ迄もなく我が図南号は、大分変つたる使命を帯びてゐる汽船であります。四面環海の我が大日本帝国に在つて、建国三千年、鎖国主義を棄ててより既に五十余年、爾も今尚海事思想は遅々として発達せず、是れを彼の小学児童等すら海を以て家としたいと願ひ、渺たる小本国にも拘らず、世界の日入らざる国と誇称してゐる英国に較べて、誠に恥かしき次第でありまする。茲に於てか予は、素より微々たる少年の身、意余つて力足らず、思ふ事の幾部分をも果す事が出来ないのでありますが、せめて九牛の一毛なりとも、此の海事思想養成なる一事に努めんと、父より授かりし微財を擲ち、同志の親友諸君と共に、此の汽船図南号を手にし、世界の海といふ海を乗り廻し、彼の有名なる大西洋の北海艦隊探検もしよう、支那海の海賊とも戦はう、南北極点も踏査しようと決意し、先づ手始めに、我が新領土南洋諸島に現はれたる風物、隠れたる秘密を普ねく国民に知らせようと、横浜阜頭を出帆したのは、ツイ先日の事でありました」
 以上の引用は、少年船長の演説の一部である。作品中では、水夫火夫等については「屈竟の荒男」であるという設定になっている。しかし、たとえそういうことがあるにしても、少年だけで危険な探検航海を企図し、しかも高級船員として探検航海の実行を指導するというのは、いかにも無理な設定であり不自然さを感じる。こういった不自然な設定は、子どもが潜航艇隊の司令官になるという「熱血:小説|日米未来戦」の無理な設定を思い起こさせる。
 上笙一郎は「日本児童文学におけるナショナリズムの系譜」(既出)で「海底軍艦」における「児童文学としての致命的な欠陥」として、主人公の日出雄少年の描き方について、次のように述べている。
この日出雄少年は、武侠団体の英雄たちの愛玩物となって、巻きおこる事件の周囲をうろついているだけだ。自分の主体的な判断で何ごとかを計画し、自分の主体的な責任において行動をするということは、ただの一回もないのである。
 上記に引用した春浪の場合と一雨の少年小説の場合は正反対で、一雨の場合は少年が主体的に行動するように描かれることが多い。ただし、その行動が少年にとって不自然な超人的活動を行うように描かれてしまうことに、大きな欠陥があるのである。子どもむきの作品では、子どもが中心的に活躍しなければならないという思い込みから、子どもを主人公として活躍させている。大人のヒーローを登場させても、子どもの関心を引き付け得るのではないかという発想は、思いつかなかったのであろう。そのため、作品中では子どもが潜航艇隊の司令官になったり、超人的な腕力を発揮したりするという設定が多くなりがちである。子どもに親しみやすい読物にしようとする意識からこのようなことになったのであろうが、こういった設定には必ず無理が生じる。
 それに引き換え、「熱血:小説|幽霊島」(既出)では、17歳の少女が指導者になる必然性が巧みに書込まれている。この作品は、冒険好きで愛国者の日本の富豪が、海軍軍縮のため廃艦になった旧巡洋戦艦を買取り、未発見の南海の孤島〈幽霊島〉を探検する。一方、米国では、日米開戦に備えて比律賓群島近辺に新たな海軍の根拠地を探すため、飛行機による探検隊を派遣しており、幽霊島にも一隊が飛来する。この米国の秘密軍事探検隊によって、富豪の娘は、船長にして探検隊長である父を殺されるという事態に直面する。次に掲げるのは、父に代って探検隊の指揮を取り、隊員にむかって年頭の訓示をする時の少女の発言の一部である。なお、この部分だけを取り出すと概念的な作品であるようにも思われるが、連載中にストーリーを再確認する意味も込められた部分であることをことわっておく。
「皆様! こゝに御用始めに当つて、一言申し述べようと思ひます。御承知の如く昨年、私の父、清瀧龍之助は、此の世界の一奇跡と云ふべき、未だ何処の国の所有にも属せぬ幽霊島を発見し、これを我が大日本帝国の版図に加へようと、皆様の御尽力の下に、元の帝国軍艦、巡洋戦艦たりしあの八ケ岳丸を艤装し、此の島へ参りました。航海中にも、此の島へ上陸してからも、皆様の御承知の通り、数多の事件が踵を次いで湧き起りました。併しながら、いつも忠実熱誠なる皆様の努力の下に、着々之れを解決して行く事の出来たのは、深く感謝いたすところであります。然るに、残念ながら昨年の暮、父は山中に命を殞しました。父と同行したる隊員の方々は、千難万苦の下に帰着され、此の変事を報告された事も、皆様はよく御存知のところであらうと思ひます。だが、彼の憎むべき碧眼奴(米国の秘密軍事探検隊―引用者)と権六の一派(悪徳な反乱船員の一味―引用者)とは其際姿を山林中に眩ました者も大分あつたとの事であります。彼等は既に此の島が宝の島、往昔、秘露の宝を埋めた島であるといふ事を既に知つてゐるのでありますから、百方手を尽し、策を廻らし、一面に於ては、宝の在家を探り知らうと努めつゝあります。又、碧眼奴の本国よりも、更に第二第三の探険隊と申しませうか、侵略者と申しませうか、夫等の者を派遣するであらうと思ひます。我々は束の間も油断は禁物であります。彼等の奸手段を防ぐと同時に、進んでは彼等を倒して、私には父、皆様には船長にして又隊長たりし清瀧龍之助の無念を霽し、それと同時に巨万の財宝を発見して我が故国の富強を増大せしめなければなりませぬ。我々は、よしや屍は此の熱帯の一孤島に埋める共、誓つて故国の為に尽さん事を期してやまぬのであります。」
 この作品では、主人公が少女であることによって、少女読者の共感を得ることを狙っている。しかし、少女を主人公にするといっても、17歳の少女に並外れた体力や腕力を期待するのは不自然である。したがって、少女は身に備った知力・勇気・思いやり、父の代から家族のように気心の知れた百余名の船員、少女に心服する土着の〈蛮人〉といった人々の力を借りて、島の支配者となっている。引用文中に「いつも忠実熱誠なる皆様の努力の下に、着々之れを解決して行く」とあるように、少女を中心とした周囲の人々の集団の力によって、一部の悪徳船員や米国の秘密軍事探検隊と対抗することが可能となっているのである。主人公が少女であるがゆえに、年少者がいきなり超人的な腕力ないし能力を発揮して指導者になるという不自然な展開は避けられている。そのためか、この作品は連載中から評判が高く、「幽霊島は読みでのある様に長くして下さいといふ皆様の希望で今月から二倍に致しました」(1925年7月号の社告)というように、一回あたりの掲載枚数を増やしている。また、椛島勝一の挿絵についても「椛島先生の挿絵はとても他にない名画で大評判になつてゐます」(同前掲載の読者の投書)と人気をもりあげた。
 他に、「熱血:小説|神魔去来」(1920年4〜11月)は、台湾の〈生蕃〉の反乱を描く。日本の植民地支配に対する反乱に、一度は敗れた〈大巨魁〉の団土番が、再び反乱を企むという作品である。団土番は何度も日本の官憲に追い詰められたり、逮捕され処刑されそうになっても、その都度、危機を脱する。むろん、この作品は、本来、日本の植民地支配を当然のこととし、団土番を人殺しの悪人として描く作品である。だが、何度も危機を脱し不屈の精神で反乱を企み続けるうち、団土番という人物に、悪人ながらも不思議な人間的魅力を感じるようになるのは、私だけではあるまい。これは、一雨自身もおそらくは意図しなかったことであろう。ここではそれに加えて、もう一人の主要人物である謎の少年に注目したい。この少年は両親を団土番に殺された孤児で、猿に育てられた日本人である。団土番の企みが成功しかける度に現れて、その陰謀を妨害する。この少年は年少者ながら超人的な活躍をするにもかかわらず、猿に育てられたという不思議な出自であるのだから、不自然さを感じさせることはない。この作品は、魅力的かつ個性的な人物の登場によって、成功した作品の一つである。
 一雨の子ども向け探偵小説の最初の作品は、1915年3月から7月にかけて「飛行少年」に連載(連載の開始・終了はいずれも推定)された「探偵:奇談|秘密の地下室」である。この作品は「タイガー組」を名乗る怪盗賊団と名探偵モルナーが活躍する作品である。しかし、「宮崎一雨先生の『秘密の地下室』は活動写真を見る様た」(1915年5月号の同誌「読者通信」欄)というように、活劇としての要素の強いジゴマばりのギャング小説の類であり、本格的な探偵小説とは言い難い。因みに、この年には、日本飛行研究会から、この作品と「軍事探偵町口中尉」「破獄の仏国間諜」をあわせて収録した作品集『秘密の地下室』が上梓されているが、未見であるため、現時点ではこれ以上詳細な検討を行うことはできない。
 推理や謎解きを伴う本格的な探偵小説は、外国のスパイを日本の少年が摘発するという展開の短編のスパイ小説から書き始められた。「冒険:小説|太平洋」(既出)における〈星旗国〉こと米国のスパイ船、「熱血:小説|天誅の爆弾」(既出)「熱血:小説|暗号電報」(「少年倶楽部」1917年9月)における〈独探〉、すなわちドイツのスパイの登場する作品などがこれにあたる。特に、後者については、第一次世界大戦に日本が連合国側として参戦したことを背景に、日本の少年が活躍して〈独探〉を摘発するという設定に新味があった。ただし、これらの作品をスパイ摘発の探偵小説として評価するならば、先行する三津木春影の作品などの後追いにとどまり、論理よりも主人公の勇敢さに焦点をあてて、凡庸な作品に終わっている。だが、すでにこの時期に、名指しすることは避けながらも〈星旗国〉という名称で、連合国側の米国を敵性国として暗示しているのは、後の「熱血:小説|日米未来戦」へ繋がる動きとして興味深い。
 やがて、作品の傾向としては、「熱血:小説|陰謀魔団」(「少年倶楽部」1919年10〜11月に掲載、「熱血:小説|倫敦塔」と改題して20年1〜3月に継続連載)のように、長編の連載に移行するようになっていく。この作品では、旧ドイツ皇帝を戴いて再起を謀る陰謀団の陰謀に、弱冠17歳の日本の少年新聞記者、力石雷造が巻き込まれる。執筆の時点では、新ドイツ共和国が成立しているものの、帝政の復活を望む陰謀が現実に続出して、ドイツ国内は混乱している。こういった状況を反映した作品であろう。力石はアルゴン青年と強力して、陰謀団の火薬庫に火を放ち、陰謀を破る。アルゴン青年は「嘗て仏国の領土にして、独逸の為に奪はれ、寝ても醒めても独逸を怨んでゐたアルサス州」出身であるという。なお、力石は陰謀団に幽閉されて陰謀に加わることを強制されるが、「将来世界の形勢が一変して、我国と独逸とが提携する時が来たならば、其時は幽囚の前皇帝を奪ひ奉る企てにも参加しようが、目下のところでは何で、此一団の味方となるものか、僕は前皇帝の今の御境遇には、最も御同情はしてゐるが、それと是れとは別物だ」と述べている。敵性国であり廃帝となってはいても、〈皇帝〉にはあくまでも敬意を払うというところに、一雨の政治的立場が窺える。また、作品中では、力石少年が17歳というある程度高い年齢に設定されているものの、超人的活躍をして、不自然な展開になっている。他に、陰謀団では、見ず知らずの日本の少年新聞記者に対して加担することを勧めている。だが、これも用意周到な陰謀団の行動としては納得できない。主人公が外国へ派遣される新聞記者としてはあまりにも若すぎることについても、「イヤ、僕だけは特別なのだよ。恐らく日本中に、僕と同じ位の記者は二人とは居ない筈だ」と作品中に記されているものの、不自然な印象を拭い去ることはできない。
 こういった傾向の作品の一方、「熱血:小説不滅の秘宝」(「少年倶楽部」1926年9〜12月)は、古文書に記された謎を解くことによって、先祖が遺した財宝を発見するという作品である。少年探偵が登場し、七百年来の謎解きに加えて、推理により悪人を追い詰める要素があって、本格的な探偵小説として読みごたえがある。
 また、短編には「探偵:小説|少年の奮闘」(「少年倶楽部」1922年4月 白根凌風名で発表)がある。この作品では、参謀本部の川勝大佐の弟は海軍の中佐である。主人公の忠雄少年はこの海軍中佐の長男であり、大佐にとっては甥にあたる。大佐は東京駅で機密書類を奪われるが、忠雄少年は犯人の一味が伯父の身辺にいると推理した。そして、伯父の家へ行って、自分は海軍中佐の父から言付かった役所の機密書類を明日海軍へ届ける予定であることを言いふらす。これは犯人を誘き出す罠で、結局、伯父の家の書生が、某国の軍事探偵の手先であることが暴かれて、憲兵隊に逮捕される。締めくくりの部分では、忠雄少年の言葉で「伯父さん、軍人も大切だが、探偵も必要な事業ですな。僕は未来は日本一の探偵になる積りですよ。ハゝゝゝ。」と、探偵も国につくす職業であることが強調され、例によって一雨の政治的立場が反映している。なお、いくら父の言付けではあっても、14歳の少年が役所の機密書類を海軍まで届けに行くというのは、不自然である。だが、作品中には「それにしてもお前が役所の使ひをするのは少し変だが、併し都合とあれば仕方がない」という伯父の言葉があり、書生が罠にかかる過程をできるかぎり自然に描こうとする姿勢がみられる。スパイの逮捕の場面についても、少年が腕力を振るうのではなく、憲兵が逮捕するのを少年が補助することになっている。少年が探偵として行動する際に、子どもが不自然なまでに活躍することをできる限り抑えており、この作品は短編ながら佳品に仕上がっている。
 この頃、佐川春風(森下雨村)や小酒井不木らが、しきりに少年むきの探偵小説を発表し始めており、従来の冒険ものに飽き足りない少年読者の人気を集めつつあった。こういう状況の中で、一雨が本格的な探偵小説に力を入れたということは、推理によって謎解きを行う論理性よりも、軍事冒険や未開の地への探検という類の興味性に頼る従来の作品に対して、限界を感じ始めていたのかも知れない。
 ところで、いかにも一雨らしい特徴のある探偵小説の展開は、少年雑誌よりも少女雑誌という媒体において、より明確に見ることができる。そこで、次に、少女雑誌における一雨の探偵小説について述べることにしたい。
 初め、一雨は「少女倶楽部」に中国の史記から題材を得た「虞美人草」(既出)のような歴史読物、講談の荒木又右衛門から題材を得た「武勇の鑑 不思議の体面」(1923年6月)のような講談ものを執筆していた。他の少女雑誌においても同様である。だが、「熱血少女小説 老将軍の娘」(既出)から、探偵小説を描くようになっている。以後、「少女倶楽部」には、長編探偵小説の佳品が連載されている。
 「殉国の歌」(1927年10月〜28年9月)では、皆月予備海軍少将の娘の順子が主人公である。順子は17歳の〈明眸皎歯、絶世の美少女〉であり、〈勇敢活溌、早く云へば男優り〉で〈探偵趣味に富んでゐる〉という。つまり、鋭い推理力と行動力がある。また、順子の兄の道雄は20歳で、〈憂鬱な詩人膚〉であり、妹とは対照的である。兄は文弱ではあるが、妹の為や国の為には思わぬ勇気が出る。作品中では、この兄妹が、父が盗まれた海軍の機密書類を、世界征服を企む陰謀団の手から取り戻すために活躍する。犯人を追跡するにあたっては、富士本大探偵や、米国で知合になった老柔道家の荒木田剣南の助けを借りている。東京の神宮外苑、茨城県下の女化ケ原、太平洋上の汽船、米国の桑港の魔窟〈殺人街〉というように舞台が広い。ストーリーの展開も、日本と米国における探偵活動が同時平行で進展して広がりがあるけれども、結末に向けて無理なく収束している。また、少女主人公は推理力や機知に富み、一応は柔道の心得もあるということになっているが、飛行機を利用した悪漢に出し抜かれたり、悪漢の変装にまんまと騙されて幽閉されたり、悪漢に自らの変装を見破られたりして、失敗を重ねる。このように、常に、探偵や老柔道家などの助けを必要としているのである。部分的には、皆月海軍予備少将の名前が〈信道〉と〈重道〉に混乱したりする欠点が見られるものの、主人公が少女であり、超人として描かれないことによって成功作となっている。
 この他に、「世界覆滅」(1926年4月〜12月)では、ユングフラウの山中に拠点を構えて世界征服を企む陰謀団が登場する。この陰謀団と、表向き曲馬団に偽装した正義の秘密結社が対決する。曲馬団の団長に扮した〈日東の快男児〉田上武夫や、曲馬団のスターに扮した雲井龍子こと、海軍少将の令嬢大海原龍子などが活躍をしている。「正義の楯」(1928年8月〜29年12月)では、世界的な飛行家であった忠雄少年の父親が墜落事故で頭部に打撃を受け、精神に異常をきたす。忠雄少年は父の病気を直すため、世界的な医学者である吾妻医学博士の弟子となった。博士の発明が完成した時、博士の令嬢がサーカス団を隠れ蓑にした悪の秘密結社に誘拐され、発明の秘密と令嬢の身柄とを引き換えることが要求される。善悪という点では正反対であるけれども、二つの作品はサーカス団(曲馬団)に偽装した秘密結社を描いており、特に後者は見世物小屋風の化物や大蛇といった仕掛けを用いて怪奇的な効果を狙っている。なお、「熱血:小説|炎の大帝都」(既出)については既に述べたとおりである。
 以上のように、少年むけの冒険小説や探偵小説では、少年主人公が超人的な腕力を奮って活躍するあまり、不自然な展開になっている。これに引き換えて、少女むけの作品では、主人公または準主人公の少女が腕力に欠けるため、周辺の人物に助けられながら、勇気と推理力・知力とによって事件を解決・克服する設定になっている。そのため、「少女倶楽部」によせた長編の冒険小説や探偵小説には、不自然な展開が少なく、読物として見るべきものが多い。殊に、探偵小説については、この当時、人気が高まりつつあった佐川春風や小酒井不木らの作品と比べてみても、遜色がなく、この時期の「少女倶楽部」を代表する探偵小説であるといってよい。

(8)おわりに


 一雨は1934年7月号の「少年倶楽部」に「名将に迷信なし」を掲載したのち、少年少女むけ読物の世界から姿を消している。一雨は冒険小説や探偵小説において、高い水準の業績を遺している。けれども、このジャンルの作品は、必ずしも、時代に擢んでた独創的な作品であるとまでは言えない。後の児童文学にも大きな影響力をもたらすほどの大きな業績は、やはり未来戦争小説の分野を確立したということにあるだろう。しかし、やがて、山中峯太郎・平田晋策・海野十三といった作家たちが登場し、一雨と交替するようにこの世界で活躍するようになる。一雨の作品には、彼等のような強烈な個性は見られない。時代は新たな少年少女読物の書き手を欲していたのである。一雨が少年少女読物の世界から手を引いた理由は不明であるが、すでにこの時代には、一雨の役割は終わっていたと言える。
 一雨が新しい書き手たちに席を譲らざるをえなかった理由の第一は、ヒーローを描いていないことである。概ね、一雨の作品では、人物を描くことよりも、啓蒙することに力が注がれていた。山中峯太郎の本郷義昭、海野十三の川上機関大尉のように強烈な個性のある人物を、一雨は創造することができなかったのである。このようにして、時代を越える個性あるヒーローを描かなかったことが、ある時期には絶大な人気を獲得しても、時代背景の変化によって作品が古びてしまうことに繋がったのである。また、ここに例としてあげたヒーローは、超人的な力を持つ大人である。それに対して、一雨は大人を主たる人物として設定することはない。あくまでも、超人的な活躍によって事件の解決や展開に関与する主要人物として、子どもを設定することにこだわっている。ただし、少女ものでは超人的な腕力を発揮したり軍艦を指揮したりするということはない。推理力や勇気を活用し、優れた人格から周囲の力を借りて主人公として行動するという設定になっている。したがって、特に、少女むけの作品に見るべき作品が多いのは、既に述べたとおりである。  第二は、子どもを引き付けるに足る斬新な新兵器、道具だてを考案することができなかったことである。登場する新兵器といえば、第一次世界大戦において新たに登場した飛行機、戦車、潜航艇といった兵器にすぎない。これらは、大正初めの時点では目新しくても、やがて時間の経過とともに、それほど珍しいものではなくなってくる。新型飛行機による世界一周や極地探検といった時代を先取りするSF的要素についても、平田晋策の飛行潜水艦〈富士〉などには較ぶるべくもない。また、〈動力無制限飛行機〉や〈飛行機吸取器〉といった発想は、SFとしてはあまりにも荒唐無稽でありすぎた。
 第三は、現実に進行しつつある出来事や計画と離れて、独創的な想像力を駆使して未来を描くことができなかったことである。日米間の未来戦も、当時、現実に日米間の戦争の勃発が取りざたされていたことと、巨艦巨砲主義に基づく艦隊決戦の戦略を背景としている。ドイツ皇帝派の巻き返しについても、現実にそういう動きがあった。飛行機による世界一周飛行・極地探検飛行も同様である。確かに、これらの作品は、近未来を舞台に描くということから、荒唐無稽な展開を避けて読者にも親しみ易いという点に、長所の見られる作品である。けれども、平田晋策や海野十三のような、独創的な想像力を駆使した新しい作家の登場を前にしては、一雨の手法は色あせざるを得ない。
 第四は、大陸や南方を侵略する単純明快な思想的根拠を、時代の制約から打出すことができなかったことである。その結果、平田晋策や山中峯太郎らの作品に比べ、わかりにくい作品となっている。一雨は、露骨ではあるが単純な軍国主義や侵略主義のイデオロギーにかえて、〈国防〉の重要性を訴えることで、少年少女をして熱狂的に賛同せしめようとする姿勢に徹したといえる。しかし、〈国防〉の思想は、時代の変化に応じて、容易に軍国主義や侵略戦争を正当化する口実へと転化しうることに注意したい。こうして、一雨は明治期から昭和期への橋渡しの役割を担うことになった。それは、少年少女読物が、国粋主義・侵略主義を当然のこととする方向に転換していく時代にむけて、紆余曲折を経ながらも、一雨の作品が橋渡しの役割を担っていたということを意味している。
【附記】
 本稿において取上げた宮崎一雨の作品のタイトルについては、角書き類に至るまでそのままに採用している。角書き類が著者自身の手によって附されることは例外的で、多くは雑誌等の編集者の手によって附されるものであることは言うまでもない。しかし、本稿をお読みいただければわかるように、一雨の場合には〈熱血小説〉という呼称が重要な意味を持っている。その為、記述がやや煩雑とはなったが、やむを得ないと考える。 なお、『明治:大正|文学美術人名辞書』では、一雨の作品のうち「特に有名なもの」の一つに「お伽玉手箱」を挙げている。題名から受ける印象のとおり、この作品が〈お伽噺〉系統の作品であるとすれば、大変興味深いが、残念ながらこの作品を見ることができなかった。したがって、本稿では、一雨の〈お伽噺〉について触れることができなかったことを断っておく。
(1993.1.31.)


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