新美南吉「屁」にみられるこども像

「国際児童文学館紀要」第5号(1988.3.25 大阪国際児童文学館)に発表




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 南吉の作品「屁」は「哈爾賓日日新聞」の1940年3月23日から30日にかけて連載されている。この時期の南吉は安城女学校の教員として生涯の中でももっとも安定した境遇にあり、精神的にも充実した時期であった。ところで、「哈爾賓日日新聞」は当時、満州で発行されていた日本語新聞のひとつである。南吉が原稿を寄せることになったのは、南吉の友人の江口榛一が同紙の学芸欄を担当していたからであるが、この間の事情について、江口は『新美南吉童話全集』(1960 大日本図書)「付録」中の「哈爾賓日日の頃」で次のようにのべている。
哈爾賓日日の文化欄だが、連日七段、下の連載小説もふくめると九段の、スペースだけは大新聞のそれにおとらぬ堂々たるもので、これがわたくしの意のままになるところから、さっそく親友に登場してもらうことにして、就任ただちに第一報を発していわく、
「なんでもいいから、どしどし送れ!」
 さいしょになにを送ってきたかおぼえていないが、とにかく、短篇小説をはじめ、詩・童謡・俳句、その他なににかぎらず、送ってきた原稿は、ほとんど間髪を入れず、割付けをして工場におろした。
 こういった事情であるから、この新聞は他者の意向やその他の制約をまったく気にする必要のない発表舞台であった。南吉は新進の作家の一人としてようやく世に認められつつあり、外地の日本語新聞であるとはいえ、自分の作品を自由に発表する場を確保するようにまでなっていたのである。この意味は大きい。それは、新人の作家であった南吉には、作品を発表するために様々な制約から自分の意志を曲げざるを得ないことがしばしばおこっていたことが、当然予想できるからである。一例をあげると、南吉の第一童話集のタイトルは、当初、南吉としては『久助君の話』という題名を予定していたものを、巽聖歌の助言を受けて『おぢいさんのランプ』という題名にあらためている。「本の名は『久助君の話』ではいけないさうだ。ちやちだが『おぢいさんのランプ』といふことにした」(『昭和十六・十七年ノート』1942年4月16日)という南吉の日記の書きぶりからすると、『おぢいさんのランプ』という題名が本人にとってかなり不本意なものであったことが窺える。こういうことから考えると、「なんでもいいから、どしどし送れ」と言われて「哈爾賓日々新聞」に執筆していたこの時期は、南吉にとって自分の思うままに作品を書くことができた非常にめぐまれた期間であったと言えるだろう。江口も前記「付録」中で「いま思うに、書く側としてはこんな重宝なことはなかったのではないか」「新美とおれとのあいだのような、ああいう編集者か記者がいてくれたらなあ!」という感想を記している。このように、「屁」は、誰に遠慮することもなく、南吉の生涯でもっとも自由にその才能を発揮できた時期の作品なのである。

(2)


 南吉の作品には、同時代の他の作家の作品に比べると、大変個性的な人物像が多くみられる。こういうところに南吉の作品が高く評価される理由が存するのであろう。
 「屁」に登場する人物にも大変個性的な人物が多くみられる。この作品に登場している人物像を類型別に分けてみると、いじめられっ子である石太郎、いじめっ子である同級生たち、いじめに荷担する教師である藤井先生、そういった事態に傍観的なこどもである春吉君ということになる。そして、その中でも、事態を傍観している春吉君の屈折した思いを描くことを中心に作品が構成されている。詳しくは後述することになるが、春吉君は自分の手を汚すようなことには決して手だしをしようとはしない少年である。作品中では、目の前に展開する事態を冷たい眼でじっとみつめていくタイプのこどもとして描かれている。例えば、石太郎が鼬を泡まえるために泥溝の中に入っていても、自分からは決して泥溝の中へ入って行こうとはしない。そして、そのほかの同級生たちに対しても、彼らは下卑た非文化的な田舎ものにすぎないという眼で冷たく見下している。春吉君には、自分自身が彼らと同じ田舎の学校の一員なのだというような意識は全く見られない。このように、春吉君という少年は、自分は秀才であるから下卑た非文化的な田舎の生徒たちとはちがうのだという鼻もちならないエリート意識に凝り固まった少年として描かれている。こういったタイプの、ひとくせもふたくせもある個性的なこども像を描くという点で、南吉は非常な才能を発揮しているのである。
 ちなみに、このような強烈な個性をもつこどもと対照的なこどもとしては、「歌時計」に登場する廉という少年が想起される。「歌時計」はしばしば指摘されるように実験的な試みの作品であって、人物に関する描写をほとんどはぶき、登場人物の会話だけでその心理状態を表現することを試みている。読者をしてあたかも上演中の芝居を見ているような印象を与えさせる作品である。だが、ここに登場する人物を「屁」に登場する人物と比較してみると、あまりにも平板で生彩を欠いている印象を受けるということにあらためておどろかされる。その理由は、実験的な手法を試みたということにあると考えられないでもないが、より本質的には登場する人物が善人と改心する悪人というように類型的で個性がない人物であるということに理由があるのではないか。つまり、「歌時計」に登場する廉は無邪気で人を疑うことをしない。廉という純真でかげりのないこども像には、その姿があまりにも理想化されすぎているがゆえに存在感がなくなってしまっているからであろう。悪人である周作についても、あまりにもあっさりと改心をするところに無理があるように思われる。このように、廉と春吉君とを比べてみると、全く対照的な人物であるばかりか、リアリティという点では雲泥の差がある。南吉という作家の資質は、やはり、「屁」に登場するような屈折した心理を持つ人物を描く場合に最大限に発揮されうるのであろう。
 ところで、「屁」には至るところユーモアに満ちた表現、描写が見られる。例えば「是信さんは押しも押されもせぬ屁こきである」という表現ひとつとってみても滑稽であるが、「是信さんは屁で引導を渡す」「或る家の法会で、鐘を叩く代りに屁をひつてお経をあげた」といううわさや「正午の梵鐘を瞳きながら、鐘の音の数だけ屁をぶつ放すことが出来る」「石太郎が是信さんの屁弟子であるといふ噂」という設定など、きわめて滑稽に描かれている。そのほか、鼬をつかまえた屁こきの石太郎が逆に鼬の屁をくらうという滑稽さ、たかが屁のことで「防空演習のときの様に下知なさる」藤井先生の滑稽な姿、「本当の茶碗のやうに、土を薄く、しかも正しい円型に作ることは、なかなか容易ではない」などと授業中に芸術家きどりで粘土をこねていた春吉君が思わず油断をして屁をしてしまうという滑稽さなどが、作品のいたるところに散りばめられている。南吉が落語や講談に興味を持っていたことは良く知られている。だが、ここではそういったところから影響を受けてユーモアのある表現、描写が作品中にちりばめられているということを指摘するだけでは、この作品のもつ独得な特質を解明することにはなるまい。即ち、「屁」の場合には、滑稽な中にもさまざまな深刻な問題が描かれているということが重要なのである。もしも、「屁」において提起されているさまざまな深刻な問題を写実的な描写で描こうとしたならば、おそらくやりきれない暗さに満ちた陰惨な作品として仕上がってしまっていたに違いない。しかし、実際にはユーモアのある表現によって、内容の陰惨さがかなり救われるという効果があげられている。このように、「屁」という作品は細部にいたるまで周到な計算の上に成り立っているのである。

(3)


 ここで、藤井先生の人物像に目をむけてみよう。
 喘息もちで年寄りの石黒先生にかわって藤井先生が町からやってくる。最初のうち、彼は「都会風の近代的な明るい」人物として描かれる。そして、春吉君はこの藤井先生を一目見たとき、「文化的な感じに魅せられ」て「息づまる程好きに」なってしまうのである。前任者の石黒先生については「生れが村の人なので、言葉が生徒や村の大人達の使ふのと殆ど変らないし年を取ってゐられるので、体操なども新しいのをちつとも教へてくれない」し、「長い長い苦しげな咳」をしたあと「咽喉からやつと口まで打ち出した痰」をポケットの中の新聞紙に「ベツベツと吐き込み」、その新聞紙を「又大事さうにポケツトにしまふ」というように徹底的に否定的な面からこれを描いている。石黒先生は授業についても全く熱心ではない。このように、石黒先生の外見は全くスマートではない。それにひきかえ、藤井先生は非常に都会的、文化的でスマートな先生として描かれている。だが、ここでは、藤井先生が都会的、文化的であるのは、あくまでも外見だけ、表面上のことだけにしかすぎないということに注意したい。
 藤井先生は、ロイド眼鏡、長い髪というように視覚的なイメージで描かれている。そのほか、聴覚的な要素としては言葉があって、「君読みなさい」という都会風の言い方に春吉君はすっかり感激してしまう。こうして、藤井先生の都会的文化的な風貌が繰り返し描かれている。そして、春吉君にとっては「もう何から何までこの先生のすることは好かつた」のである。だが、藤井先生はたしかに都会的、文化的で洗練されたスマートな外観を備えているものの、その外観にふさわしい内実が伴つていない。結局、時がたつとともに藤井先生のメッキは簡単に剥がれていってしまう。あれほどすてきだった藤井先生も、いつのまにかごくあたりまえのつまらない田舎の人間のひとりになってしまうのである。
或る人々は、保護色性の動物のやうに、ぢき新しい環境に同化されてしまふ。で藤井先生も半年ばかりの間に、すつかり同化されてしまつた。つまり都会気分がぬけて、田舎じみてしまつた。洋服やシヤツは垢じみ、無精ひげはよく伸びてをり、言葉などもすつかり村の言葉になつてしまつた。
 藤井先生の変貌ぶりはこのように描写されている。服装や言葉が変わるとたちどころに田舎風になってしまうということは、かつての都会風の外観には内実がともなっていなかったということを証明しているだろう。
 ちなみに、南吉のポートレートの一つに、ロイド眼鏡に長髪、東京外国語学校の制服姿といういでたちで読書中の姿を写したものが残っている。このボートレートと中学卒業時に撮ったボートレートとを比較してみると、前者の都会的で洗練された風貌と、後者のいかにも素朴な風貌とのあまりの落差に戸惑いを感じてしまう。南吉は愛知県の片田舎の出身者としては珍しい東京の旧制高等専門学校の学生であった。いかにも得意そうなやや気取ったポーズの写真からは、藤井先生の風貌にどことなく似たものが感じられないこともない。だが、作品の解釈において、いたずらにモデルを詮索することは作品論の深化にはつながらないだろう。例えば、春吉君のモデルを南吉自身に求めるといった類の作品論がしばしば見受けられるが、春吉君は教練が得意であるのに対して、南吉は教練を苦手としている。この点だけをもってしても登場人物のモデルを南吉にもとめとることにははっきりと無理がある。したがって、ここでは南吉のもつ都会的で洗練されたスマートなスタイルというイメージには、ロイド眼鏡に長い髪といった既成概念があるといえることにとどめておくべきであろう。いずれにせよ、書き手の側からしても、都会的で文化的なイメージを創りだすためには、まず、それにふさわしい外観を描くということから出発しているということは確かに言えるだろう。
 ところで、視覚的な表現といえば、春吉君が町の子供にコンプレックスをもっているのは、「うすいメリヤスの運動シヤツ、白いパンツ、足に塗つたヨヂユウム」である。また、町の学校についても、講堂、海老茶のペンキで塗られた優美な鉄柵、遊動円木、廻旋塔といった設備の面に関して春吉君はまずコンプレックスをもつ。そして、春吉君が一歩町の学校の門にはいった瞬間、「自分達一団のみすぼらしさ」に恥しくなり、「何といふ生彩のない自分達であらう。友達の顔が猿みたいに見える。よくまあこんな、弁当風呂敷を爺さんみたいに背負つて来たものだ。全くやりきれない田舎風だ」というように春吉君は羞恥を覚える。このように春吉君の町にたいするコンプレックスはまず外観ということから描かれている。さらに、町のこどもの使う言葉が「小鳥の獺囀りに似て軽快だ」というように、話の内容よりも言葉の調子といった外面的なことがらに春吉君の関心が向いていることも、このことに通じていくだろう。
 以上のことから、春吉君にとっては実際に田舎の風習や生活が非文化的で野卑であるかどうかということよりも、他人である町の人から非文化的で野卑であるというように見られている、あるいは春吉君の方でそのように見られているように思い込んでいるということの方が重要であるということがわかる。例えば、「町の見物人達の一人が、春吉君達のことを、まあ丈夫さうな色をしてと呟いたとしても、春吉君は恥辱に思ふ」という。「丈夫さうな色」をしていること自体は決して恥しいことではないのだが、春吉君にとってみれば「町の人が驚く程の健康色、つまり日焼けした肌の色といふものは町風ではなく、在郷風だから」恥しいという。些か被害妄想的でさえある。こういったところに春吉君の羞恥の意味を垣間見ることができる。
 ここで、視点を変えて、石太郎がみんなに見下されている理由について考察してみよう。石太郎が見下される理由は醜悪な屁の芸をすること、家は小さくてみすぼらしく一種異様なにおいがすること、彼自身からたえず貧乏のにおい、ポンツクのにおいがすることである。ちなみに、ポンツクとは「金網でつくった楕円形の網を『どじょうすくい』(方言)と呼び、それを使って鮒やどじょうを捕る川漁」(校定全集「語注」)という意味のほかに「まぬけ、ぼんやり」(広辞苑)という意味もあることに注意したい。石太郎がポンツクをすることは、彼が貧乏であるということを象徴するばかりではなく、動作が緩慢で「ぼんやり」した「まぬけ」のように見られていたということをも象徴している。また、石太郎の風貌は「顔の割合に耳が馬鹿に大きい、まるで二つの団扇を頭の両側につけてゐるやうに見える汚い着物の手足が垢じみた石太郎」というように、極めて見栄えがよくない。そして、彼は運動会というハレの舞台でも「二十年も前に流行らなくなつた膝の下まで来る、そして横の縫目に沿つて、太い黒い線のはいつた半ズボン」といういでたちであらわれて、さんざんみんなの笑いものになる。このように、石太郎が「不潔な野卑な非文化的な下劣なもの」として見下されるのは、まずなによりも、外観からそのような存在に見えるからなのである。そして、石太郎自身も、自分がみんなから見下される状況に慣れ、諦めてしまっている。そのような状況であることが「寧ろ気楽」でありさえする。「生徒ばかりでなく、大抵の先生まで」から「屁えこき虫」とさげすまれても、石太郎は「自分でも虫に」なってしまう。
 ところが、石太郎という少年像についてこれを客観的に見てみると、ポンツク漁でじいさんの食べ物の調達をしたり、魚を売ることによって家計の助けにしたりしている。石太郎にも彼なりに結構けなげに生きているという側面があるのである。また、確かに石太郎は晋段はまるで生彩のないこどもである。大事なハレの舞台たる運動会においても、「右向け」の号令で左を向き、「場所をかへて集れ」の時でもぬかるみで一つ転んでから集まって来るようなこどもである。けれども、鼬をつかまえるときには「畜生つと口走つて、眼にもとまらぬ敏捷さで鼬を地べたへ叩きつけ」るということもある。「いつも水藻のやうな石太郎が、こんなにはつきり畜生つといふ日本語を使」ったり、「こんなに素ばしこい動作が出来る」というような普段には見られない思いがけない側面を見せることもあるのである。このように、石太郎はここぞというときには敏捷な面をみせることもあって、時には、はっきりした意志表示をすることもある少年なのである。
 しかし、作品中では、そういうことよりも、石太郎の外観からは、とても優れた側面をも持ち合わせている少年のようには見えないということが重要である。この作品では外観が真実を語っているかどうかということはむしろどうでもよいことであるという価値観の見られることに注目しておきたい。真実はかならずしも外観どおりとは限らないけれども、他人からどう見えるか、どう思われるかということの方がより大事なのである。そういう意味で、石太郎は同級生たちから「不潔な野卑な非文化的な下劣なもの」として見下されている。石太郎の同級生たちは、石太郎を自分たちの集団から排除することによって、自分たちの優位性を確認する。したがって、石太郎が自分たち以外の他の集団に属する者(例えば下級生)から見下されたとしても、「石太郎のことで義憤を感じるなんか可笑しい」ことなのである。それは自分たちが石太郎と同じ仲間であるはずはないからである。このような図式は石太郎の座席をみても明らかである。石太郎は教室の一番うしろに一人で二人分の机を与えられている。となりにすわってくれる子がいない。そして、担任の教師からも、そのような状況を当然の事として押し付けられている。石太郎が授業に注意せず、授業中に「大抵はナイフで鉛筆に細工」していても、それはあたりまえのこととして放置されている。そして「真面目になる時がなくなつて」「屁の注文を受ける場合の外は、いつもぐにやぐにやし、えへらえへら笑」うという態度をとるようになってしまっている。こうして石太郎は現実に妥協し諦めてしまっている。それは、彼自身、自分が現実の前に敗北しているという意識すら持っていることはないだろうと思われるほどの徹底した敗北ぶりである。以上のように、石太郎は同級生たちの集団から徹底した排除をうけており、そのような状況を当の石太郎自身をも含めて誰もおかしいと思う者はいない。

(4)


 ここで、もう一度、春吉君の人物像に目をむけてみよう。
 春吉君は徹底した傍観者として描かれている。春吉君は石太郎という存在に限りなく羞恥する。春吉君にとっては「自分の組に石太郎のやうな、不潔な野卑な非文化的な下劣なものがあるといふことを、都会風の近代的な明るい藤井先生がどうお考へになるかと忠ふと、全く居たたまらなかつた」のである。それは春吉君にとって、石太郎みたいな「野卑な非文化的な下劣なもの」とほかならぬ自分自身とが同じ田舎ものというように一括して見られてしまうことがたまらなく屈辱的だからである。春吉君は田舎を嫌悪する。そして、石太郎の屁というものは、春吉君が嫌悪する下卑た非文化的な田舎の象徴的存在であった。しかし、いかに田舎を憎悪しようと、春吉君自身も田舎の人間のひとりであること自体は否定しようもない事実である。作品中にも「石太郎みたいな奴と同級であることは、春吉君にとつて何といふ大きな屈辱だつたらう」という描写がある。つまり、春吉君にとって石太郎の屈はあたかも自分自身の田舎臭さが露呈したようで恥しいのである。このように、春吉君も、同級生たちと同様の観点から、自分とはまったく異質な者として石太郎を見下していることには違いない。
 だが、春吉君が見下しているのは、単に弱者である石太郎というひとりのこどもについてだけではない。田舎の人間全体を下劣なものとして見下していることに注意したい。そういう眼は容赦なく同級生たちにも向けられている。そして、同級生たちの中でも、古手屋の遠助にとりわけ厳しい眼がむけられている。まず、なによりも、遠助がいかにも田舎らしくあまりぱっとしない古手屋という家業を営む家のこどもである設定自体、春吉君の軽蔑を受ける要素の一つになっているのかもしれない。さらに「学科の嫌ひな、騒ぐことの好きな口が蟇に似てゐる」ことや、「先生の真面目なお話など些かも解らない」というように、優等生である春吉君の眼からみると、遠助は石太郎以外の同級生たちの中でも特に軽蔑されるべき要素を十分に備えている。このような遠助は屁という下卑た非文化的なことに関心が行き、授業中でもすぐさわぎたてる。屁に対する遠助の行動をみると、「今日は大根屁だとか、今日は芋屁だとか、今日は豌豆まめ屁だとか、正確に臭ぎわけて、手柄顔にいふ」というように、下卑た非文化的な人物はやはり下卑た非文化的なことにきわめて敏感であり、そういった行動はますます春吉君の軽蔑をさそうことになる。春吉君は遠助が「糠でもないことを手柄顔して語る」ことを藤井先生が「どんなに軽蔑されるかと思って実にやりきれなかつた」と思う。しかも、春吉君の軽蔑の眼差しは古手屋の遠助ばかりではなく、その他の同級生たちにも容赦なく向けられている。「みんなは遠助の鑑識眼を信用してゐるので、彼の云つた通りの言葉を、又伝へ始める」というように、春吉君にとっては、同級生たちもまた遠助と同類の人間である。彼らもまた下卑た非文化的なことに関心の行く下卑た非文化的な人間なのである。
 作品中で春吉君は「この片田舎の、学問の出来ない、下劣で野卑な生徒達」「度胆をぬかれて顔付の変つた醜悪な仲間達」というように自分の同級生たち総てを徹底して見下している。そして、自分自身は秀才であることによって、下卑た非文化的な田舎者の人間である同級生たちとは決して同類ではないということを主張しようとしている。春吉君は「きりつとした声をはりあげて朗々と読み、未知の若い先生(藤井先生(引用者)に、自分が秀才であることを認めて貰ふつもり」で読本を読もうとする。すなわち、秀才であることによって自分がみんなとはちがうのだということを町からきた若い先生にはっきりと認めて欲しいのである。
 こうして、春吉君は同級生の集団から意識的に自分自身を排除することによって、自分自身の優位性を確保しようとしている。春吉君は自分が紛れもなく下卑た非文化的な田舎の人間のひとりであるという事実を限りなく羞恥している。春吉君は自分が田舎の人間と同類の人間であるということはどうしても認めたくないのである。例えば、町の学校で行われる運動会に参加したときでも、「自分達一団のみすぼらしさに羞かしくなってしまふ。何といふ生彩のない自分達であらう」というように、春吉君は自分が田舎風の一団のひとりであることを非常に恥じ入っている。したがって、「一寸でも自分達の不体裁なことを喘はれたりすると、春吉君はつきとばされた様に感じる」ほどである。彼にとって、自分たち一団の不体裁なことが笑われることは、あたかも自分の田舎臭さが笑われているかのように感じられ、自分の誇りが傷つけられるということになる。
 このような春吉君の意識をみるとき、一見すると、南吉自身の田舎に対する意識と重ね合わせてみることは容易であるかのように思われる。一例をあげると、1935年3月24日の日記(『メモ&日記』)に、南吉の従姉にあたるおかぎの結婚式に出席したおりの記述があって、この中では郷里の人々について次のように記されている。
 私は油をつけてない頭髪を時々かきあげた。私は内心得意であつた。若くてしかも教養をうけたものといつては私一人だからである。私はこの無智な逞ましい人々の中でやさしさに於て異彩を放つてゐるに蓮ひあるまい。それで私は見物人の方へ向いて座を定められなかつたのが残念であつた。それならば仕方ない。私は横顔を彼等に見せよう。私のうしろで見物に来た二人の老婆が私のことを呟いてゐた。「これが畳屋さの息子だがん」「さうかん」私はその時有頂点(ママ)であつた。又私はわざと私を目立たせるために彼等のすることに従はないで、勝手なことをした。(略)
 酒宴がたけなわとなる頃私は彼等無智な男達から一種の圧迫を感じた。私は彼等の逞しい肉体をうらやましいと思つた。そして彼等こそ本当の人間であるといふやうに思へた。では私は何だらう。私は一種のひこばえの如きものかも知れない。しかも不幸なことには生活力のないひこばえが人一倍思考力を持つてゐるのだ。(略)
 要するに彼が私の東京人であること、しかも兵営などといふ非文化的なところにゐるのではなしに学校にゐることを解つてくれゝばそれでよいのだつた。(略)
 おかぎはこの丘のてつぺんの一軒家に嫁いで来たのだ。私達はやがて丘を下りてみな帰つていつてしまふ。けれど彼女は帰るわけにはいかない。明日も明後日も彼女はここにゐなければなるまい。この村の習俗にしみ、この村の人間となつて、やがてはこの家で一生を了るのだ。東の方に東京といふ華かな都会のあることも知らないで、文学といふ美い遊びごとのあるのも知らないで。何といふ寂しいことであらう。
この当時、南吉は東京外国語学校在学中で、確かに東京在住であるには違いないが、決して「東京人」などではなかった。それをあえて自分は「東京人」であって田舎の人間ではないということを強調すること、田舎の人々を「この無智な逞ましい人々」と呼び、自分は「教養をうけたもの」「人一倍思考力を持つてゐる」と認識していること、すなわち秀才であることをよりどころに優越感を持っていること、自分は田舎の人間ではないのだということをことさらに誇示しようとすることなどをみると、春吉君と南吉には重ね合わさるところが多い。この点については、安藤美紀天が「新美南吉と《田舎》」(「日本児童文学」別冊 1976.7.10)の中で《田舎》をキーワードに南吉という人物像を解明していることを想起させる。だが、安藤の論はあくまでも作家論の立場からのアプローチであって、作品中の登場人物たる春吉君を作家たる南吉と同一視するというようなことを語っているわけではないことに注意したい。また、作品の展開からみても、春吉君を南吉と同一視することのできないことは明かであろう。春吉君は結局田舎の現実を仕方がないことだと諦めてしまう。したがって、自らを「東京人」であるなどという意識を持ち自分を「人一倍思考力を持つてゐる」というように語る南吉と春吉君との間には明確な違いが存在する。そこで、もう一度作品の検討にたちもどってみることにしたい。

(5)


 まことに皮肉なことではあるが、春吉君は手工の時間に、今度は自分が屁をしてしまう。この時、あれほど軽蔑していた古手屋の遠助の敏感な嗅覚によって自分が追い詰められるという結果を招いてしまうのである。春吉君の追い詰められた心理については、例によって幾分笑いの要素を込めながら次のように描かれている。
古手屋の遠助が、今日は大根菜屁だといつた。何といふ鋭敏な嗅覚だらう。確かに春吉君は、今朝大根菜のはいつた味噌汁で喰べて来たのである。
 このように作品中ではやや滑稽な調子で春吉君の困惑が描かれているが、当人にとっては極めて深刻な問題である。この事件を通して、下卑た非文化的な者は、やはり下卑た非文化的なことに関心がいくものだというように田舎の人間を軽蔑していた者が、今度はその下卑た非文化的なことに敏感な人間によって追い詰められていくことになるからである。秀才であることによって、自分は下卑た非文化的な田舎の人間とは異なっているのだということに誇りをもっている春吉君には、このことはたいへんな痛手であるに違いない。それはなによりも自分の誇りが崩壊することを意味しているからである。そして、これは、春吉君にとっての∧正義∨の意味について考察するうえで、重要な手がかりとなってくる。
 春吉君は自分の屁が石太郎の屁と間違えられた時、確かに、「心の底から、正義感がむくつと起きて」あれやこれやと思い悩むことになる。だが、春吉君が真剣に悩めば悩むほど、客観的には滑稽さが増すばかりである。例えば、春吉君が自分の煩悶をお母さんにぶちまけようとしても、「複雑さが春吉君の表現を超えてゐる。屁をひつた話などしたらまつさきにお母さんは笑ひ出してしまふだらう」と思ってしまう。例によって、滑稽な表現が作品を陰惨な印象を与えることからかなり救ってはいるのだが、その裏には非常に深刻な問題が横たわっている。確かに第三者から見ると滑稽であるには違いないのだが、本人にとっては極めて真剣な問題なのである。もともと、春吉君の悩みというものは、自分の屁が石太郎のせいにされたことが気の毒だと思うようなところから発生したものではない。そもそも、春吉君は今まで自分は「修身の教科書の敦へてゐる通りの正しいすぐれた人間である」と思っていたのであり、そのことに誇りを持っている人物である。つまり、春吉君にとって何が〈正義〉であるかということは、修身の教科書どおりの行動をとっているかということがその基準となっていたのである。このように春吉君にとっての〈正義〉とは、教科書どおりであること、すなわち、秀才であるということに支えられている。この事件がおこるまでの春吉君は、自分が秀才であることによって田舎の人間とは異なっているのだと思いこむことによって誇りを維持してきたのであるが、いまや、その前堤たる秀才であること自体が揺らぎだしたのである。かくして、「春吉君は口惜しさの余り、泣きたいやうな気持になつて来た」のであるが、それは春吉君のくやしさが修身の教科書どおりでないことに由来しているからである。したがって、春吉君は一般的な意味で言う〈正義〉感から煩悶をした訳では決してない。
春吉君は、たゞ自分の正しさといふものに汚点がついたのが癪だつた。丁度買つたばかりの白いシャツに汚泥の飛沫をひつかけられた様に。
 作品中では春吉君の煩悶についてこのように描かれている。つまり、春吉君にとっては石太郎の立場などといったことを思いやるより、白いシャツが汚泥で汚されるような思いをすることの方が肝心なことなのである。このように、彼の煩悶というものは極めて利己的な煩悶であった。彼にとっては、下卑た非文化的な田舎のものたちと自分は違うのだと信ずるに足る根拠が崩れたことがたまらなく癪であったのだ。春吉君の煩悶は、こうして、自分が修身の教科書どおりの人間ではなくなったことを自覚するところから始まっている。したがって、春吉君が自分の屁の事件のあとでも、「石太郎にすまないといふ気持や、石太郎は犠牲に立つて偉いなといふ心は、全然起らなかつた」のは当然であり、彼は平然として石太郎を見下し続けているのである。
 ところで、石太郎を見下し続けることの根底には春吉君のあまりにも身勝手な論理の存在がある。その身勝手な論理とは「石太郎が弁解しなかつたのは、他人の罪を被て出ようといふ如き高潔な動機からではなく彼が歯がゆい程のぐづだつたから」みんなから疑われても仕方がないという論理であり、「石太郎は、何度鞭で小突かれたとて一向骨身にこたへない、まるで日常茶飯事のやうに心得てゐるのだから、些も彼にすまないと思ふ必要」がなく、「寧ろ石太郎みたいな屁の常習犯がゐたために、こんな悩みが残つたのだと思ふと彼が恨めしい」という論理である。このような春吉君の身勝手な論理は、まぎれもなく弱者に対する強者の論理であるが、この論理が出現するに至る必然性をつきつめていけば、春吉君の処世術の問題に行き着くことがわかるだろう。つまり、結局、重要なことは、春吉君のこの身がってさが事件の責任を総て石太郎に押し付け、彼自身の誇りの崩壊を辛うじて食い止めようとしているということなのである。だが、いったん崩壊の兆しを見せ始めた彼の誇りを単なる責任の転嫁によって再びとりもどすことは到底不可能なことであった。彼の誇りを支えていた根拠の一端の崩壊は、やがて彼の誇りの全面的な崩壊にまで拡大していくのである。

(6)


 春吉君は煩悶をするだけで結局何をするわけでもない。ただあれこれと思い悩むだけの少年である。これは南吉の作品によく登場する少年像のひとつである。といっても、これを行動力に欠ける人物であるということからこれを否定的に評価するつもりはない。むしろ、こういったタイプの少年の屈折した心理状況を描くという点で南吉の作家としての力量を高く評価しておきたいのである。春吉君は「気持ちに背負ひきれぬ程の負担」ができることによって煩悶を続ける。しかし、その煩悶も時の経過とともにしだいに忘れられていく。けれども、「時が、春吉君の煩悶を解決」するということは、決して問題の根本的な解決につながっていくものではないのである。これは現実に敗北して、結局はその現実のありようを諦めていくようになることを意味している。そして、このような、現実に敗北し、現実を諦めていくという姿勢は、藤井先生の姿勢に通じていく。
或る人々は、保護性の動物のやうに、ぢき新しい環境に同化されてしまふ。で藤井先生も半年ばかりの間に、すつかり同化されてしまつた。つまり都会気分がぬけて、田舎じみてしまつた。
 作品中では藤井先生の田舎に対する姿勢をこのように描きだしている。もともと春吉君には藤井先生が田舎に馴染むこと、すなわち、田舎という現実に敗北し、諦めていくことを肯定する気持ちがあった。「別段失望したわけでもない。結局親しみを覚えてそれがよかつた」というのである。かくして、春吉君の敗北、現実への諦めという問題は藤井先生の生き方と符合する。しかも、それは春吉君があれほど忌み嫌っていた石太郎の生き方にも通じていくことになるのである。
 たとえそれがいかに歪んだエリート意識であったにせよ、自分が秀才であると思い続けることは春吉君が田舎の現実に諦め妥協してしまうことをかろうじて押しとどめうる唯一の支えであった。それがいかに鼻もちならない歪んだ考えではあろうとも、自分は田舎の人間たちのように下卑た非文化的な人間ではないとおもうことが彼のアイデンティティーを支え続けていたのである。だが、いったん秀才としての誇りを失ってしまった春吉君は際限もなく現実に敗北と妥協を続け、やがて現実のありように諦めていくことになる。そればかりではなく、田舎という現実の前に敗北し、現実のありように諦めていくことは、もう一段高い次元の敗北を招くことになる。すなわち、この敗北は社会の不正や仕組みにまで諦め妥協していくことに広がっていくことになるのである。
みんなの狡猾さうに見える顔を眺めてゐると、何故か春吉君はそれらの少年の顔が、その父親達の狡猾な顔に見えて来る。大人達が世智辛い世の中で、表面は涼しい顔をしながら、汚いことを平気でして生きてゆくのは、この少年達が濡れ衣を物云はぬ石太郎に着せて知らん顔をしてゐるのと、何か似通つてゐる。
 作品中では、問題の広がりをこのように描いている。そして、いったん現実への敗北に諦めることを覚えた春吉君は「心の何処かで、かういう種類のことが、人の生きてゆくためには、肯定されるのだ」と思うようにまでなっていく。かくして、屈の問題は初めはたしかにこどもの世界の問題であったものが、やがておとなの世界の問題にまでひろがっていくのである。
 このように、この作品では、現実に敗北し、敗北することによって現実のありようを諦めていく様々な人物像が繰り返し描かれていく。石太郎は「屁えこき虫」としてさげすまれることに認めて自分でも虫になってしまう。都会的、文化的でスマートな藤井先生は田舎風に染まってしまい、下卑た非文化的な人間になってしまう。秀才であることによって田舎の人間とは違うのだという信念をもっていた春吉君は田舎という現実を諦めることを通して、社会の不正や仕組みをしかたのないものだというより高い次元の諦めの心境に到達するようになる。こうして、南吉はこの作品の中でさまざまな個性的な人物像を描く中で、社会に対する敗残の姿に焦点を絞り込んでいくことによって作品をまとめあげている。

(7)


 ところで、「屁」にみられるような人生における無惨な敗残の姿をこどもたちの前に提示するとということについて考察するとき、児童文学における「理想主義」「向日性」という問題に必然的に突き当たらざるを得ない。この問題について、神宮輝夫は「現代の児童文学におけるリアリズム」(「日本児童文学」1968年4月号)の中で次のように述べている。
歴史の若い、そしてたえず子どもを守る立場から創作してこなければならなかった、また、伝統的に人間性から発する問題意識よりもむしろ環境に発する問題意識がっよい日本の児童文学にあって、たとえそれがまちがっていないとしても、現状では質の向上にマイナスにしかはたらかない。理想主義、向日性というマジカルなことばは、必然的に人間の暗い部分、世の中の悪などを排除しようとする。だから人間を一面的にとらえたり弱点をかばい長所を誇張する。世の動きも、理想に対してセンチメンタルな飛躍をするか、使いふるしたハピーエンドに堕していく。
 引用文は児童文学の本質が「理想主義」「向日性」にあるとする通説に全面的な否定を行なった発言の一つである。だが、その一方、今日の時点で児童文学における「理想主義」「向日性」という用語は、それが論じられるたびに論者ごとにきわめて多様な意味をもって語られることも事実である。たとえば、前記の引用文に対しては、一方では、児童文学における「理想主義」「向日性」について「本質的に秩序だったものであったり、必然的に人間の暗い部分、世の中の悪を排除するものではない。逆に、秩序を破壊し、人間の暗い部分をひきずり出して、それをよりよく変えていこうとする働きをもつ」(鳥越信『児童文学の世界』1973 鳩の森書房)として「変革への意志」(前掲書)という観点から「理想主義」「向日性」が児童文学においてはたすべき役割を肯定的にとらえなおそうとする異論も存在している。
 しかし、ここで重要なことは、1940年という時点で南吉が敗残者の人生を描いているということである。つまり、南吉の時代においては、神宮のいうように「人間の暗い部分、世の中の悪などを排除」し、「人間を一面的にとらえたり弱点をかばい長所を誇張する」ことが常識として通用していたと考えられるからである。したがって、後ろむきの暗い人生観をこども読者の前に描きだしてみせるようなことはあってはならないというようなことがまだ一般的に信じられていたはずである。
 この問題について考察するとき、ここにもうひとつ検討しなければならないことが残っている。それは、「屁」は果してこどものための文学かという根本的な疑問である。「哈爾賓日日新聞」は南吉が何事にもとらわれず自由に作品を発表できる場であっただけに、作品の内容は幅が広く多様であり、童話集『おぢいさんのランプ』(1942 有光社)に収録の「久助君の話」のように明らかにこどもを読者対象とした作品がある一方、「花を埋める」「音ちやんは豆を煮てゐた」「坂道」「家」のように明らかにおとなの読者を対象とした作品がある。「屁」については、死後に出版された単行本『久助君の話』(1946 中央出版)に収録されて以来、一貫してこどもを読者対象とした作品であることが、あたかも自明の理であるかのように扱われてきた。しかし、初出である「哈爾賓日日新聞」には〈童話〉または〈小説〉というようなことはいっさい書かれていない。しかも、これが南吉の生前に作品が公に発表された唯一の例であるから、こどもの読者を対象とした作品であることが自明の理であると速断することはできない。
 例えば、牧書店版の『新美南吉全集』(1973)の第二巻の「解説」で滑川道夫は「屁」を含む一連の作品をして「自伝的少年小説」または「童話とも小説とも区分けできない、童話的小説」とジャンルの名称を名づけている。しかし、結局は「小説として発表したものを、南吉が自選の童話集に探っているところをみると、かれ自身にも区別がはっきりしなかったのかもしれない」として、これらがおとなを対象とした文学かという点については明確に語られていない。また、「屁」については「石太郎が、浄光院の是信の届弟子とあって名人であるといった着想には、すでに民話的ユーモアが感じられる」と述べているが、これを根拠に「屁」がこどもを読者対象とした作品であるというようなことを述べている訳でもない。
 あるいは、巽聖歌は、「屁」の発表当初の南吉はこの作品をこどもを読者対象にした作品ではないと考えていたという見解を持つ。すなわち、「新美南吉童話全集」(1960 大日本図書)の第三巻「作品解説」で、巽は次のように述べている。
立ちおくれているのは童話伝統主流的な児童文学意識で、童心主義、よい子主義の領域では、すでに間にあわなくなっている。(略)問題になるのは、拡充された義務年限内の、読者と作品ということになってくる。すくなくとも中学三年を義務づけられるまでの児童観は、教育学にしろ、心理学にしろ、小学生中心のものの考え方であった。童話主流のものの考え方にも、あるいは、これがあったといっていいのであろう。
 この巻に収めた南吉の作品は、そういうものに対する答えであるかどうかということについては、疑問がある。なぜかというと、昭和七年四月、上京後の学生南吉は、赤い鳥的な童話を書くことをやめて、もっぱら、詩と小説を勉強したからである。

 このように巽は「童心主義的」な「児童文学意識」を批判した上で、南吉の作品は〈小説〉意識で書かれたものであるから「童心主義的」な「児童文学意識」に対する答えではないと記している。そして、南吉の「屁」を含む一連の作品の性格について次のように結論づけている。
「久肋君の話」「屁」「最後の胡弓ひき」などは、はじめ、小説として発表されたものだ。「久助君の話」が契機となって、「屁」「川」「嘘」などが生まれたものですよと南吉にいわれ、わたしはそういう目でみると、ほかにも類似の作品があった。
 こうして、巽としては「陰爾賓日日新聞」に発表された作品は〈小説〉であって、本来こどもむきの作品ではなかったものが、後にこども(巽の考えによると新制中学生程度)を読者対象とした作品としても扱われるようになったと考えていたことがわかる。
 しかし、「川〈B〉」「久助君の話」「嘘」(「嘘」の初出は「新児童文化」1941.7.25)が童話集『おぢいさんのランプ』に収録されていることからわかるとおり、明らかにこどもを意識していた一連の〈久助もの〉までを含めて、「はじめ、小説として発表された」とする見解には諾きかねる。また、「哈爾賓日日新聞」に発表された作品の内容をみても、明らかに「花を埋める」「音ちやんは豆を煮てゐた」「坂道」「家」と、「久助君の話」「最後の胡弓弾き」「屁」との間には違いがある。すなわち、前者の「花を埋める」「音ちやんは豆を煮てゐた」はおとなの立場からこども時代を回顧するという内容の作品であり、同じく「坂道」「家」はおとなの視点から人生を描いた内容の作品であるのに対し、後者はこどもの目からこどもの世界をリアルに描く、または、老人が自分の体験をこどもに話して聞かせるという内容の作品である。また、「銭」(「婦女界」1940.12)はもともと「哈爾賓日日新聞」に発表予定の作品であったのでこの作品を前者の作品群の中に入れてみると、前者と後者の作品群の違いはますます鮮明になってくる。以上のように考えると、「屁」をおとなを読者対象とした〈小説〉としてではなく、こどもを読者対象とした〈少年小説〉であるとして考えることには、充分妥当性があるだろう。
 小数の例外はあるにしても、こどものための読物はこどもに前むきの明るい展望を与えるものでなければならないとする見解は、南吉の時代では、まだ、紛れもなく共通の認識であった。ゆえに、この時期に、南吉が作品中にこれまで述べてきたような特異で個性的な人物像を描き出すことに力を注いでいたという事実は、日本児童文学史の上に特筆されるべきことであろう。
(注)本稿における南吉の作品・日記類の引用はすべて大日本図書版の『校定新美南吉全集』によった。また、本稿中ではこの全集を「校定全集」と略記した。