喪失の物語・新美南吉「家」をよむ

「文学と教育の研究」第6号(1987.11.30 大阪文学教育研究会)に発表




(1)


 新美南吉の「家」(ウチ)は奇妙な〈かなしみ〉をたたえているという印象をうける作品である。事件そのものはきわめて単純で、壊れた柱時計を修理するために遠くの村まで出かけて行き、家に帰ってくるというだけであって、これといって劇的な展開があるわけではない。発表紙は「哈爾賓日日新聞」。『校定新美南吉全集』によると、掲載は1940年5月11日から6月中旬までの間と推定されるという。執筆時期は残っている自筆原稿末尾の日付から「一五・五・一〇」すなわち1940年5月10日、安城高女在職中で南吉の生涯のうちでも最も安定した時期の作品である。もとよりこの作品は児童文学として書かれたものではなく、大人の読者を想定した小説として書かれたものである。しかし、この作品に描かれている奇妙な〈かなしみ〉を解明することは、南吉の児童文学作品の特質と独自性を理解するうえで、重要なてがかりとなるだろう。
 ところで、瀬田貞二は『幼い子の文学」(1980年1月25日 中公新書)で、〈行きて帰りし物語〉という物語の型について論じている。この「家」という作品もたしかに瀬田貞二の言う〈行きて帰りし物語〉の一つに違いはなかろう。しかし、この作品では、家に帰りついたあとの子供が安定を得るのではなく、逆に帰りつくことによって底しれぬ不安と寂しさを感じるに至るという点で、〈行きて帰りし物語〉の基本的な型とは決定的に異なっている。また、私は今この作品が〈生きて帰りし物語〉の一つには違いないと書いたが、作品の結末が再びもとの場所に帰って安定を得るようになっていないことから、佐藤宗子は「児童文学研究」第16号(1985年7月20日 日本児童文学学会)で、この作品を〈反=行きて帰りし物語〉すなわち〈帰りつかぬ物語〉という型の作品としてよめるのではないかという指摘(「新美南吉の「家」―帰りつかぬ物語の不安― 」)を行っている。けれども、この作品に登場する子供はまぎれもなく自分の「家」に帰りついているのだから、やはり〈帰りつかぬ物語〉ではありえない。もとよりこの作品は、旅で何かを獲得し、もとの場所まで帰りついて安定を得るという〈行きて帰りし物語〉ではない。けれども、〈行きて帰りし物語〉の型のひとつとして、旅に出て何かを〈喪失〉して帰ってくる〈行きて帰りし物語〉すなわち〈喪失の物語〉という型があってもいいのではないか。したがって、わたしはこの「家」という作品を〈喪失の物語〉として〈喪失〉の思いを軸にとらえていくことが、作品をよみとくうえで有効な手段なのではないかとおもう。
 作品の末尾に注目してみよう。壊れた柱時計を修理する旅から帰った子供は、自分の家に異和感をもち、この家や両親が本当の家、本当の両親ではないような気がしてくる。子供のこういった思いについて、作品の末尾では次のように描かれており、大変印象深い結末になっている。
 子供には、まだ乳母車にのって南へすゝんでゆく子供の方が、今ここに横になつてゐる自分より、本当の自分のやうに思へる。ここに寝てゐるのは、仮の自分のやうに感じられる。
 しやんしやんしやらんと、時計は歌ひつづけてゐる。乳母車は白い道をとぼとぼと歩いてゆく。何処までゆくのだらう、それは。何処までゆくと子供の、ほんたうの村、ほんたうの家、ほんたうの母さんがあるのだらう。
 子供はやがて眠るまで一人とほくへかなしみつづける。
 かうして子供の魂にはじめて懐疑の種がまかれた。彼の住む村は、彼の住む家は、もはやもと通りの村や家ではないのであつた。
 本稿では〈喪失の物語〉という観点から〈喪失〉の思いを軸にしながら、ここにいう〈かなしみ〉とは何か、どこが〈もと通りの村や家〉でないのかということを中心に検討してみたい。

(2)


 作品の冒頭部で設定されている時期、すなわち子供が七歳になるまでの幼年時代にはいわば〈獲得の歓び〉が描かれている。子供の認識は手近なものからしだいに外の世界へとひろがっていく。自分の家から近所へ、そして自分の村へとしだいに広がりをもっていく。このように、幼年時代の子供はごく一般的な子供の認識の発達過程をたどっているのであって、この時点での子供の認識のひろがりは、まだ、子供にとって否定的な役割をはたしているわけではない。子供にとって自分の認識がひろがることは「自分の家を知るといふ、それだけの事でさへ子供にとつてどんな骨折りと歓びであつたらう」というように、まぎれもなく「歓び」であった。また、作品の書きだしには、子供の住む村が「北の入口に水車小屋があり、南の出口に瓦屋のある、長つぽそい、ごく小さな村」であって、「水車小屋」と「瓦屋」によって、外の世界とは画然と区切られた世界であることが描かれている。このように、幼年時代の子供の住む世界は外の世界とは切り離された小宇宙であって、その限りではきわめて安定した世界であった。この「住み馴れた明るい世界」に、幼年時代の子供は「自分がこの世界に現れてから、もはや数百年、数千年生きて来たやうな気がする」ほどの安住をしているのである。
 こういった子供にとって、海水浴や花見のために、たまに通過することのある外の遠い世界の存在は「夢の中で見る世界のやうに暗く考へられ」て苦痛であり、自分をたえず脅かす存在である。「遠い遠い所に、あゝした町や村や寺があり、そこに人々が集つてゐた…すると子供は心に痛い程の寂しさを覚える。まるで宇宙のはてを想ふほどの寂しさである。子供はやりきれなくなつてすぐ考へを外らす。あゝいふ町もあの人々も存在しなかつたと思ふ方がどれだけ気楽か知れない」という思いが幼年時代の子供の思いであった。また、「水車小屋」から「瓦屋」にいたる自分の村の中でさえ、そのすべての部分が自分の掌握する世界であるわけではなく、「彼のよく知つてゐる家々、よく知つてゐる人々、よく知つてゐる木や石は或る限られた範囲のうちにとゞまる」という。そして、こういった安定した世界の中にあってさえ子供は沈む夕日をみて「突如云ひしれぬ寂しさに捉はれる」ときがある。幸福な幼年時代の崩壊をふと予感させるような一瞬の訪れは、まるで「劫初の頃から何度も何度も味はつて来たやうに感じられる」という日常的な出来事でさえあった。
 しかも、幸福な幼年時代の崩壊への予感はすでに作品冒頭の場面に現出している。子供の認識は手近なものから始められる。彼は、或る日、算盤をもって家の中を這いまわっていると、「褐色の、どつしりした、少しよそよそしい感じを持つた陳列棚」に突きあたる。この陳列棚の存在こそ幸福な幼年時代の崩壊を予感させるものなのである。作品中ではこの予感について「子供はそれを見てゐて、硝子一枚をへだてたその中には、自分には未知の何か面白いやうな、しかし手を出すのは億劫な物がつまり一つの別の世界があることに想到する」と記されている。この作品に登場する子供にとって、自分の安住する世界のほかに、もう一つの「別の世界」があることを知るということは「面白い」ような気がするものの、結局のところは「億劫な」ことであり、認識のひろがりに「歓び」を感じるということにはならないのである。自分の住んでいる世界こそ唯一絶対の世界であり、その世界に安住している子供にとって、その世界のほかに別の世界があるというようなことは耐えられない苦痛である。子供にとって、未知の世界の存在を知ることは幸福な幼年時代の世界の崩壊に一歩ずつ近づくことでもあったのである。けれども、全体として見るならば、幼年時代の子供はしだいにひろがりゆく自分の世界に満足をしていたような印象を受ける。幼年時代の子供は「別の世界」の存在について「考へまいと努め」「考へを外らす」ことによって、自分の安住する世界の崩壊を辛くも防いでいるのである。

(3)


 八歳の或る日を境にして、〈喪失の物語〉の始まりが告げられる。成長の新たな段階への移行は、或る日、突然、始まることになったのである。八歳の子供は、或る日、店の間に仰向けに寝ころんで「とりとめのない空想にふけつて」おり、「孤独をぼんやりたのしんで」いた。その時点ではたしかにゆるぎなく安定した自分の世界に位置していたのであるから、そのようなゆとりをもつことが可能なのである。だが、子供にとって幸福な時代であった幼年時代は、突然、終わりを告げる。八歳を境にして子供の世界は大きな転換をむかえることになるのである。
 それはまず、柱時計の故障という一見したところではきわめてささいな事件から始まった。事件そのものはまことにささやかなものではあるけれど、その意味は非常に大きい。穏やかで幸福な幼年時代の〈とき〉を刻んでいた柱時計がとまるということは、ゆるぎなく安定していた幼年時代の〈とき〉の終わりが告げられるということを意味している。このように、ゆるぎなく安定していた穏やかで幸福な幼年時代の〈とき〉を刻むことを柱時計は突然やめてしまった。柱時計の故障は、子供にとってはまるで数百年、数千年も変わらないかのように思われるほど安定した幼年時代とは、全くちがった〈とき〉が始まっていることを暗示しているだろう。「柱時計は、かつて動いたことのない居場所から外された。帽子をぬいだ兵隊さんの額を見るやうに、時計の外されたあとには木の新しい色が残つてゐる。それを見るとこの家も一度は木の香の新しい時があつたことが想はれた」という描写が作品中にあるが、こうして数百年、数千年も変わらず同じように思えていた家にも、今までとはちがった〈とき〉、自分の知らなかった〈とき〉が存在していることを子供は知るようになる。それはまた、子供が知りつくしていたはずの自分の家に、実は自分が知らなかった全く別の〈顔〉があることを発見するということにつながっていく。知りつくしていたはずであるからこそ安住していることができた自分の世界に、別の〈とき〉と〈顔〉があったというこの事実は、幼年時代の崩壊に一層拍車をかけることになる。このように柱時計の故障という一見したところではきわめてささいな事件は、実は安定した幼年時代の崩壊を象徴する重要な出来事であって、柱時計を修理するという行為は、単に壊れた世界の秩序をもとどおりに回復するということを意味しているのではない。柱時計が修理をほどこされて再び動いたとしても、もはやもとのままの〈とき〉を刻むことはありえない。再び動きだした柱時計は、幼年時代のおわりを告げるとともに、〈喪失〉の思いと〈かなしみ〉をともなって、新しい時代の〈とき〉を刻みだしたのではなかろうか。
 柱時計の修理の旅が、「藤車」の上に柱時計を乗せ、のちには子供をも乗せて行なわれることもまた象徴的な出来事である。「藤車」とは校定全集の「語注」によると「藤で作った乳母車」であって、その中に座布団を敷いて寝かされる柱時計は「何処か赤ん坊に似てゐる」ような印象を与える。故障以前の柱時計が幼年時代の〈とき〉を刻んでいたということは、こういうことからも明白に証拠だてられるであろう。かくして、子供の幼年時代を象徴する存在である乳母車が子供と柱時計を乗せて見知らぬ村々を遍歴していくなかで、幸福な幼年時代は終わりを告げる。まことに幼年時代のおわりを飾るにはふさわしい旅だちである。ところで、柱時計の修理の旅の途中では、乳母車を引っ張ることにくたびれはてた子供が、父親に乳母車に乗せてもらうという場面がある。子供はこの非日常的な状況下におけるおもわぬできごとを通して、「いつも厳しさで子供に対して来る父親」に「思ひ設けぬ」温かさを感じることができた。しかし、こういった思いはあくまでも旅の途中の一時的で例外的な思いであって、やがて子供は父親、母親を〈喪失〉するに至るという結末が用意されている。
 また、お嫁にいって間もなく死んでしまった姉が話してくれた「道」の挿話は子供の将来を暗示している。原稿の改稿の過程では作品の題名に「道」という題が考えられたことがあったことからもこの挿話の重要性がわかるだろう。箒のような姿をした二人の「道」が「自分達の心が満足してゐないことを知つた」とき「何か」が非常に欲しくなる。そこで二人は別れてあてのない旅にでる。しかし、探していたものはついにみつからず、ふたたびもとの場所である「太い木の下」に帰りついたときには二人は老人になっており、間もなくこの世から消えていった。そして、今では二人の足跡を「道」と呼ぶ。「道」の挿話とは以上のようなものであった。或る日、何かが欠けていることを知ったとき、それをさがすために「太い木の下」すなわち自分の安住する世界に別れを告げて放浪の旅を続けるというこの設定は、まさに〈喪失〉の思いを味わうようになったその後の子供の将来を暗示しているように思われる。そして、この挿話の作品における重要性は、原稿の段階では作品の題名として「道」という題が考えられたことがあったということからもわかる。ちなみに、校定全集の「解題」によると自筆原稿にはこの作品の題名として「子供の世界」「月夜」「道」「幼年」が考えられては抹消され、最終的に「家」に落ちついたという。これは南吉自身、漠然とした〈喪失〉の思いと〈かなしみ〉をどのように作品の上にまとめ、定着させていけばよいかということに迷いを感じていたことの跡であることが想像できるだろう。そして、のちにもまた触れるが、結局採用されることのなかったこれらの題名の候補は、作品をよむうえで重要なヒントを与えてくれている。

(4)


 これまでのべてきたことから明らかなように「こゝには何物かゞ一つ■{缶・欠}けてゐる。一番大切な何物かが。子供ははつきりそれを意識することは出来ない。だが子供の魂はよく知つてゐる。その一つのものがないために、この家は子供が遠いよその村で、そこから帰つて来る道々で、そしてこゝについた今も猶、恋ひ慕つてゐる自分の家とは違ふ」という〈喪失〉の思いを軸に作品をよみなすとき、この作品の構造がみえてくる。八歳を境に子供は初めて「今までしつかと踏んでゐた地盤」を〈喪失〉したという認識をもつようになった。もはや過去の世界の延長線上に自分の世界はない。過去の世界とこれからの世界の間には明白な断絶がある。幼年時代のおわりは〈喪失〉の〈かなしみ〉によって始まったのである。それでは子供が旅の途中で失ったものは何だろう。
かけがへのない子供の母さんが、ともすると、よその村の時計屋の庭で風呂を焚いてゐた小母さんや、腰かけてみかん水を飲めとすゝめてくれた駄菓子屋の小母さんのやうに思へるのだ。なるほどこれは自分の母親なのかも知れない。しかしそれならば母親といふものは今まで子供が信じてゐた様に、世界中にただ一人の存在ではなく、どこの村にもどこの家にも似通った女の人がゐるのではないか。たまたまそのうちの一人が子供の母親となつてゐるのでもあらうか。
 子供が何を〈喪失〉したのかはこれで明らかになったとおもう。あれほど「恋ひ慕つて」いた自分の家に帰りついたのに、子供は「きよとん」としてしまう。そして、「寂しさのどん底で子供が自分の母さんは自分の父さんはかうだと、心に描いて、心にその温かさを感じてゐたのとは違ってゐる」という観念に子供はとりつかれるようになる。旅の途中で出会った時計屋の小母さんは母親に似ている様な気がしても、それはあくまでも「よその小母さん」であって、「つめたい頼りない知らない人」であるはずである。自分の母親とは全く異なる存在であるはずであった。ところが、家に帰ったあとの子供は、ひょっとするとあのような小母さんの一人がたまたま自分の母親になっているのかもしれないという感覚をもつようになる。かくして子供は母親を〈喪失〉したのである。ちなみに、このような母親を〈喪失〉したという感覚に、あるいは幼少のころ継母をむかえた南吉の体験の反映を見ることも可能なのかもしれない。だが、作家の実生活と作品とをそのまま結びつけて考えることには慎重でありたい。したがって、ここでは「明るい家があり、やさしい温かいお母さんがゐる」というような幼年時代の子供の「しつかと踏んでゐた地盤」が崩壊し、自分の世界は唯一絶対の世界ではなく、実はどこにでもある世界の一つにすぎないのだということに気がついたとき、子供はよりどころとなる世界を失ったということがよみとれることを指摘することにとどめておく。
 一般に〈成長〉というものは何かを獲得することによって生じるものであると考えられるが、この作品では〈成長〉とは〈喪失〉することによって生じるものであるという観点で描かれる。もし、〈成長〉するという現象が、このような〈喪失〉の〈かなしみ〉の体験を伴わねばならないという現象であるならば、人は〈かなしみ〉を重ねることによって〈成長〉するのだという人生観が、この作品を通じて浮かび上がってくるだろう。『文芸自由日記』所収の1930年3月24日(推定)の「大人」と題する短文に「子供の時の歌をだんだん忘れて了つた時が大人なのだ」というものがある。ここではようやく大人への入口にさしかかりつつあった旧制中学時代の南吉のこういった〈成長〉に対する思いが推察される。
 そこで、作品中に描かれている時計が止まるという事態に対する子供と大人の反応の差に注目してみよう。まず、子供の反応について次に抜き出してみる。
 子供は畑の方へ走つてゆく。何といふ事が起つてしまつたのだらう。今までこつこつと動きつゞけて来たものが、突然動かなくなつてしまふ。子供にはそれが、丈夫だつたお婆さんが突然病ひに倒れてしまつた程にも考へられた。
 子供にとって、時計がとまるという事態は、お婆さんが病気で倒れてしまうことに匹敵するほどの大変な驚きであり、重大な事件であった。子供は母親の所へ告げに行き、さらに母親に言いつけられて父親の所へ走っていく。けれども、これに対する父親の対応は、次のように無感動きわまりないものであった。
 「ほうだかや」と菜種の蕾を摘でゐた父親は依然その仕事をつづけながら、顔もあげずに云った。「油が切れただな」
 大人は滅多に感動しない。こんなことは彼等には何でもないのだ。彼等は大抵のことは知りつくしてゐる。
 このように、子供にとっては驚天動地の驚きであっても、大人にとってはごくささいでつまらない出来事にしかすぎないのである。子供にとって、幼年時代の自分が安住していた世界を〈喪失〉し、大人にむかって一歩を踏みだすということは、とりもなおさず、こういった〈子供の感覚〉を〈喪失〉するということを意味する。子供は〈子供の感覚〉を〈喪失〉することによって〈成長〉し、〈成長〉を続けて子供が大人になったときには、子供と大人との間の感覚の間に、はっきりと断絶が生じてしまっているのだろう。
 あるいは、時計屋と父親との「長い退屈な会話」に対する子供の感覚をみてみよう。こういった大人同士の会話について「大人達の言葉の一つでさへ、子供の世界に関係して来ない」ということが解ると子供はもう聞く気が無くなってしまう。「父親が樹木や石のやうによそよそしい存在に見える」ということからも、子供と大人の間の認識の断絶がよみとれるだろう。
 また、子供の物の認識の仕方は大人の認識の仕方とはことなっている。子供が認識をするということは、物を発見するという段階だけで完成するわけではなく、子供は「自分の発見の正しかつたことを確かめるため、何度も同じ物を訪れ、同じ動作を繰り返す」ことをする。作品中には、例えば「お宮さんの東の大きい松の幹から、平手で叩いてゐると兎や鶏や靴の形をした松の皮が剥がされて来る」ことを発見すると、翌日にも松の幹を叩いてみて「昨日の松が自分を騙したのではないか調べてみる」というように、子供の認識の仕方は、大人の認識の仕方とはまったくことなっているように描かれている。あるいは、作者の側の意識の問題として、原稿の改作過程で、この作品に「幼年」「子供の世界」という題名が考えられたということからも、子供と大人の間の認識の断絶がこの作品中で重要な意味をもたせるように企図されていたことがわかるのではないか。
 以上のように、この作品では、子供が自分の安住していた世界が唯一絶対の存在ではないということに気がついたとき、それを世界の認識のひろがりとして肯定的にとらえるのではなく、安住できる世界の〈喪失〉という意味でこれをとらえている。そして、子供が大人になるということは、子供が〈子供の感覚〉を〈喪失〉することを意味するということにほかならない。

(5)


 「家」にはふたつの〈かなしみ〉が描かれている。ひとつは大人と子供との間に越えがたい隔たりがあることを知った〈かなしみ〉であり、いまひとつは今までたしかに理解しあっていたと信じていた家や親に自分の知らない別の面があることを知った〈かなしみ〉である。
 前者の〈かなしみ〉は「小さい太郎の悲しみ」で描かれている〈悲しみ〉が参考になるだろう。「小さい太郎」は遊び相手を探しに行く。けれども、「金平ちやん」とは「金平ちやん」が腹痛であるため遊べず、「恭一君」とは「恭一君」が三河の親類にもらわれて行ってしまったために遊べない。だが、「安雄さん」との場合は、「安雄さん」が〈一人前の大人になつた〉から遊べなくなるのであって、これまでの二人の場合とは決定的な違いがある。
 小さい太郎の胸にふかい悲しみがわきあがりました。
 安雄さんはもう小さい太郎のそばに帰つては来ないのです。もういつしよに遊ぶことはないのです。お腹が痛いなら明日になればなほるでせう。三河にもらはれていつたつて、いつかまた帰つて来ることもあるでせう。しかし大人の世界にはいつた人がもう子供の世界に帰つて来ることはないのです。
 安雄さんは遠くに行きはしません。同じ村の、ぢき近くにゐます。しかし、けふから、安雄さんと小さい太郎はべつの世界にゐるのです。いつしよに遊ぶことはないのです。
 もう、ここには何にものぞみがのこされてゐませんでした。小さい太郎の胸には悲しみが空のやうにひろくふかくうつろにひろがりました。
 このように、大人と子供は〈大人の世界〉と〈子供の世界〉という全く〈べつの世界〉に生きる存在であって、おたがいの間には越えがたい隔たりが存在する。〈べつの世界〉に生きる大人と子供はたがいにつうじあい理解しあえることはけっしてないのだということを知ったとき、「小さい太郎」は「泣いたつて、どうしたつて消すことはできない」という〈悲しみ〉をしみじみと味わうことになる。また、ここに言う〈べつの世界〉は、「家」において、子供が陳列棚の存在によって〈別の世界〉の存在に想到することへ通じていくだろう。自分の世界以外の世界の存在を知ることは、「小さい太郎の悲しみ」の場合でも「家」の場合でも、〈かな(悲)しみ〉なのである。
 後者の〈かなしみ〉は「久助君の話」に描かれている〈悲しみ〉との関連が強いだろう。久助君は仲間の兵太郎君と半日とっくみあいを続ける。そのとき全く突然、久助君は相手の少年が「見たこともない、さびしい顔つきの少年」であるという思いにとりつかれる。「何といふことか。兵太郎君だと思ひこんで、こんな知らない少年と、じぶんは、半日くるつてゐたのである」と「世界がうらがへしになつたやうに」思っていると、「やつぱり相手は、ひごろの仲間の兵太郎君だつた」ことがわかる。そして、結末部は次のように結ばれている。
 だが、それからの久助君はかう思ふやうになった。―わたしがよく知つてゐる人間でも、ときにはまるで知らない人間になつてしまふことがあるものだと。そして、わたしがよく知つてゐるのがほんとうのその人なのか、わたしの知らないのがほんとうのその人なのか、わかつたもんぢやない、と。そしてこれは、久助君にとって、一つの新しい悲しみであつた。
 久助君は、日頃からたしかに慣れ親しみ理解しあっていたはずの仲間に、自分の知らない面があるということがわかるようになる。そして、そのことによって、どちらの面が「ほんとうのその人」なのかわからなくなってしまうというところに、久助君は〈悲しみ〉を感じるというのである。
 繰り返して言うと、以上のふたつのことなる〈悲しみ〉が、「家」においては、子供にとっては驚天動地の驚きでも、大人にとってはごくささいなことでしかないというような大人と子供の認識の間にある越えがたい隔たりを知ること、世界中にただひとりの存在であると思っていた母親が、実はどこの村にもどこの家にもいる似通った女の人のひとりでしかなかったことを知ることに、それぞれ対応している。そして「家」におけるふたつのことなる〈かなしみ〉をつなぐものは、子供が旅にでることがきっかけとなって味わうようになった〈喪失〉の思いである。すなわち、前者の〈かなしみ〉は「子供の時の歌をだんだん忘れて行つてみんな忘れて了つた時が大人なのだ」という〈喪失〉の思い、後者の〈かなしみ〉は「明るい家があり、やさしい温かいお母さんがゐる」という幼年時代に「しつかりと踏んでゐた地盤」の〈喪失〉の思いがそれぞれ軸になっている。このように、「家」が奇妙な〈かなしみ〉をたたえているという印象をあたえることに成功しているのは、この作品が〈喪失の物語〉だからである。
(付記)本稿は以前「賢治・南吉研究」第4号(1985年8月31日)に発表した論考が核になっているが、今回これを全面的に書きあらためた。なお、本稿中の南吉の作品の引用はすべて大日本図書版の「校定新美南吉全集」によっている。