大正期における日米未来戦記の系譜

「児童文学研究」第29号(1996.11.1 日本児童文学学会)に発表


 =目次=

(1)はじめに
(2)日米未来戦記の成立
(3)日米未来戦記の展開
(4)子どもむけ日米未来戦記の特質
(5)おわりに


(1)はじめに

 大正期は、小川未明や秋田雨雀などが平和主義に立脚した童話を書き始める時期である。その一方で、日米未来戦を素材とした空想小説がしきりに書かれるようになる時期でもあった。しかし、後者についてこれを系統だてて論究することは、従来、ほとんどなかったように思う。
 日米未来戦記について論じた文献中では、成人むけと子どもむけの作品が別々に取りあげられる傾向にある。例えば、宮崎一雨は子どもむけ日米未来戦記の最も重要な書き手の一人である。だが、『黒船の世紀』(猪瀬直樹 一九九三年六月二〇日 小学館)では名前すら紹介されない。子どもむけの読物については、明治期の押川春浪から昭和期の平田晋策あたりまでが空白になっている。逆に、『少年小説の系譜』(二上洋一 一九七八年二月二五日 幻影城)では、成人むけの読物との関連について触れられていない。
 本稿では、大正期における日米未来戦を素材とした空想小説の系譜を児童文学の視点から論じることを試みる。無論、成人むけの作品との相互関係について、充分に留意することにしたい。

(2)日米未来戦記の成立

 日米未来戦を素材とした未来予測や空想小説の類が頻繁に出版され始めるのは、明治期の末頃からである。その理由は日米関係の急速な変化にあった。日露戦争の頃までは、米国の外交政策は日本に対して好意的であったが、戦後、両国関係は急速に冷え込んでいった。ことに、米国における日系の移民排斥をめぐっては、日本国内における反発の動きが強まったからである。
 この当時、成人を読者対象とした二冊のベストセラーが相次いで出現している。即ち、ホーマー・リー(Homer Lea)の『日米戦争』(池亨吉訳 一九一一年一〇月三一日 博文館 原書は The Valor of Ignorance 1909)の翻訳刊行と、水野広徳の『次の一戦』(一九一四年六月三〇日 金尾文淵堂)の刊行である。
 『日米戦争』は小説ではなくノンフィクションの未来予測である。原著者は米国人であり、孫文によって〈将軍〉に任命されている。当時、孫文政権はまだ成立していなかったので名目のみの将軍であった。訳者の池亨吉は孫文から翻訳の許可を得ている。それはホーマー・リーが中国革命に役立てるため、孫文に翻訳権を譲ったからである。もっとも、厳密に言えば、同じ年に出た望月小太郎訳『日米必戦論』(復刻版 一九八二年四月一〇日 原書房)の方が早い時期の翻訳である。ただ、これは陸軍部外秘なので、広く一般に与えた影響という点では『日米戦争』に遥かに及ばない。この著作の内容は日米戦争が勃発し、陸海軍ともに弱体な米軍は連戦連敗。ついに日本陸軍が米国西海岸に上陸し、この地を占領するという荒唐無稽なものである。こうした敗戦を描くことによって米国の軍備の不足に警鐘を打ち鳴らし、陸海軍の増強を説いている。
 『次の一戦』はフィクション仕立ての近未来小説である。筆者は、現役の海軍中佐。日露戦争中は水雷艇隊の指揮官を務め、日露戦争を描いたノンフィクション『此の一戦』(一九一一年三月一八日 博文館)で名を馳せた。『次の一戦』の内容は、緒戦で日本が勝利を収めるが、米国は大西洋艦隊を回航して優位に立ち、主力艦隊どうしの決戦に勝利するというものである。この著作はパナマ運河の開通直前に執筆されているが、物語中では既に運河は開通。米国大西洋艦隊の存在が日本にとって軍事的脅威になったとされている。
 いずれの著作も、自国の敗北を描くことによって敵国の強大さを説き、軍備増強を訴えたものであった。
 ここでは、ホーマー・リーの『日米戦争』における日本軍のフィリピン攻略作戦の予測に注目したい。日本軍はマニラ付近への強攻を避け、防備の弱体な地点を突いて上陸。背後からマニラに進撃するという想定になっている。水野は『次の一戦』の自序で、「菲律賓方面に於ける海陸の作戦記事は、専ら米人ホーマー、リー氏の著書に準拠したるものにして、帝国の作戦計画と何等の干繋なきは言ふまでもない」と、現役軍人らしい配慮を見せながらも、ホーマー・リーの著書の影響下にあることを明記。現実の日米戦を先取りした想定がそのまま引き継がれている。
 子どもむけには、宮崎一雨が「小説日米未来戦」を「少年倶楽部」に長期連載(一九二二年一月号〜二三年二月号)し、人気を博した。連載終了後の一九二三年八月二五日には単行本『日米未来戦』(大日本雄弁会)が出て、版を重ねている。日米間の未来戦争を子どもむけに書いた本格的な読物としては、最初ものである。すでに、明治末には阿武天風が「小説日米戦争夢物語」(「冒険世界」一九一〇年四月臨時増刊号 虎髯大尉名で掲載)など、日米未来戦記を書いているが、これらは今日でいうヤングアダルトと呼ばれる読者層にむけて書かれたものである。だから、子どもの年齢層にむけたものとしては「日米未来戦」をもって嚆矢とする。
 ところで、この作品と水野の『次の一戦』を比較検討してみると、類似点が極めて多いことに気づく。
 二つの物語中では、開戦直後、日本の陸海軍がフィリピンを攻撃する。『次の一戦』では、三十余隻の運送船に乗った約十二万人の日本陸軍が、リンガエン湾とラモン湾に上陸。「日米未来戦」では、三十余隻の運送船に乗った陸軍約十万人が、マニラより七里の地点に上陸するという設定になっている。フィリピン駐留の米国陸海軍は、オロンガポー軍港に篭って援軍を待つ作戦をとる。だが、軍港が陸上からの攻撃で陥落寸前になったので、米国艦隊は出撃し、沖合いで待ち受ける日本艦隊と戦って全滅する。けれども、日本艦隊の損害も大きく、この戦いの直後、ハワイからの米国増援艦隊と遭遇。日米の勝敗を分ける決戦が行われることになる。
 ストーリーの大枠が同じであるのに加え、日本軍の輸送船の数や上陸軍の数にいたるまでが酷似している。
 相違しているのは勝敗の行方である。『次の一戦』では日本艦隊は米国増援艦隊との会戦に敗れたあと、沖縄近海で追撃を受けて全滅する。「日米未来戦」では、日米両艦隊は相打ち状態となって共に全滅。米国大西洋艦隊が太平洋に進出してくると日本の敗北が決定的となるが、日本の国家とは別に南洋の孤島に基地を構える秘密結社の潜行艇隊が活躍してことなきをえる。
 ただ、日米戦が勃発するとすれば、フィリピン攻略戦が当面の焦点となることは当然の論理的帰結である。また、『次の一戦』自体が『日米戦争』の影響下に書かれたことは先に述べた。だから、こうした想定が一致するからといって、「日米未来戦」が『次の一戦』の直接の影響下に書かれたとは、直ちに即断できまい。しかし、両者の類似点は戦局の大略のみならず、個々の戦闘の想定にまでわたっているのである。
 まず、日本駆逐艦隊がオロンガポー軍港に突入する場面である。
 『次の一戦』では二度にわたって駆逐艦隊が港内に突入する。第一次攻撃は駆逐艦〈桜〉〈橘〉〈楓〉の三隻が夜間攻撃をかけ、隙をついて〈桂〉〈椿〉〈紅葉〉の三隻が港内に突入。退却の際、航行不能となった〈桂〉を〈紅葉〉が救援し、〈桂〉の乗員を移乗させるが、自艦も攻撃を受けて沈没する。第二次突入では八隻の駆逐艦が夜間攻撃をかけ、三隻が港内突入に成功するが、うち二隻は退却不能となる。二隻は海岸に乗り上げ、乗員百余名は陸戦隊となって上陸。陸戦隊は米陸軍を背後から奇襲し、要塞は陥落する。
 「日米未来戦」における港内突入は一回のみである。八駆逐艦が夜間攻撃を敢行。〈桜〉〈橘〉は針路を誤り浅瀬に乗り上げるが、残り六隻は港内突入に成功する。退却の際、航行不能となった〈桂〉を〈楓〉が救援。〈楓〉は〈桂〉の乗員を移乗させ、無事に退却する。一方、〈桜〉〈橘〉の乗員百数十名は陸戦隊となって上陸。陸戦隊はS砲台を占領するが、米軍の反撃にあって全滅する。
 このように、駆逐艦による突入の想定や、作戦に参加する駆逐艦の艦名までが一致している。ただ、すでに明治末に天風は「潜航艇夢物語」(「冒険世界」一九〇八年五月号)で、潜航艇によるオロンガポー軍港内への突入を予想している。このように、警戒厳重な敵地に突入するのならば、潜航艇をもってする方が適当であるように思われる。が、水野がこの著作を著した頃には潜航艇の性能が低く、港内突入は非現実的であった。だから、あえて潜航艇を用いず、こうした想定を行ったのではないだろうか。事実、水雷攻撃は著者の水野に豊富な実戦経験があり、駆逐艦による湾内突入の場面は迫力とリアリティーのある描写に仕上がっている。しかし、一雨が「日米未来戦」を書いた頃は、第一次大戦における実戦を経て、潜航艇の性能が大幅に向上していた。にもかかわらず、後の秘密結社が参戦する場面まで潜航艇をあえて用いず、駆逐艦突入の悲壮さを強調する。ここに、水野の迫力とリアリティーのある描写から受けた影響の強さを窺い知ることができる。
 次に、日本陸軍の航空機がオロンガポーを焼夷弾攻撃するという想定である。『次の一戦』では、陸軍の五隻の航空船(飛行船)が強風に乗じ、同じく新発明の〈焼弾〉でオロンガポーを爆撃。「日米未来戦」では、陸軍の飛行機七十二機が強風に乗じ、新発明の〈焼火弾〉でオロンガポーを爆撃する。一雨が飛行船を飛行機に改めたのは、かつて「飛行少年」誌の主筆を務めて飛行機に詳しく、また、第一次世界大戦以降の性能の向上に期待するところも大きかったからであろう。それはさておき、二つの物語では空襲によってオロンガポーが大火災を起こし、要塞は陥落。陥落寸前の軍港から、米艦隊は脱出を試みる。この後の日米主力艦隊間の会戦では、乱戦の中で旧式軍艦に装備された衝角による突撃戦法までが行われる。日清戦争時でさえ実際には行われなかった旧式戦法の採用についてすら、二つの物語の想定が一致している。
 なによりも、次の一節を読み比べれば、両者の関係は自ずと明らかになるだろう。

 曽て日露戦争の際、旅順攻囲軍は六万の兵を以て敵兵三万の拠れる要塞を攻撃し、前後一万六千人の犠牲を払ひ、五ケ月の日子を費して、漸く之を抜くことが出来た。併しながら今回の馬尼刺攻撃は、四囲の状況、到底旅順の如き悠長なる作戦を許さない。敵の第二艦隊は既に布哇に逼つて居る。若し敵の両艦隊にして一朝合同を遂ぐれば我が艦隊は之に対して幾んど勝算はないのである。(『次の一戦』)

 旅順の攻囲戦は、甞て日清役の際、山路独眼龍将軍の指揮下に、旅団長をして只一日に清兵の篭る同じ旅順を、只一日に踏破つて了つた乃木将軍が、六万の兵を提げ、五箇月の月日を費し、一万六千の将士を犠牲にし、漸くに攻略した。
 ところが、今度はさう長く掛つてゐたら大変である。当時のバルチツク艦隊に比べるべき精鋭なる米国第一艦隊は、布哇の真珠港にゐる。これが比律賓方面へやつて来てオロンガポー軍港内の艦隊と合したならば、我が軍は鯱鉾立をしても追ひ着かぬ。(「日米未来戦」)

 上記に引用したように、細部の描写までそっくりな一節がある。このように、「日米未来戦」が『次の一戦』を下敷きにしていることは明白な事実である。今日なら剽窃の謗りを免れまいが、この頃の大衆読物作家には剽窃という意識はない。タネ本があることがむしろ普通のことであり、こうしたことを悪とするような社会的土壌がそもそも存在していなかったからである。

(3)日米未来戦記の展開

 樋口麗陽は「第二次世界大戦 日米戦争未来記」「日米戦争未来記続編 第二次世界大戦未来記」を「新青年」に長期連載(一九二〇年九月号〜七月号、同年七月号〜二一年三月号)し、話題となった。この空想小説は〈西暦一千九百年代も殆ど二千年に接近せんとした某年某月某日〉に日米戦争が勃発。これが第二次世界大戦に拡大するというもの。米国は電波利用の魚形水雷や空中魚雷を使用し、日本の主力艦隊を全滅させる。一方、日本の石仏博士は〈電波利用空中魚雷〉〈空中魚雷防禦機〉〈空中軍艦〉の三大発明を完成。だが、米国艦隊の本土急襲に間に合わない。そこで、日本海軍は決死の大型潜水艦隊を出撃させ、小笠原近海で米国艦隊を待ち伏せて全滅させる。その後も戦争は延々と続いて決着がつかないが、SF的な道具立てを多用したところにこの物語の特徴がある。また、白人支配からの有色人種の解放や欧州諸国の利害の対立など、複雑な国際情勢の中で日米戦争が描かれることにも特徴があった。
 大正期の末になると、英国人バイウオーター(Hector C. Bywater)の『日米関係未来記 太平洋戦争』(堀敏一訳述 一九二五年九月一二日 民友社 原書はThe Great Pacific War 1925)が成人むけに出版され、ベストセラーとなった。原著者は英国人のジャーナリストで、第一次大戦中は英国情報部の仕事に携わっていた。軍事専門家の著作であるだけに、当時の日本にかなりの衝撃を与えたように思われる。この書はのちに幾種類も翻訳が出ている(石丸藤太訳『日本果して敗るゝか』一九三一年六月一二日 先進社 など)上に、シミュレーション小説ブームにのって近年にも新しく翻訳される(清谷信一訳『太平洋大海戦』一九九四年一〇月一五日 KKベストセラーズ)など、根強い人気と影響力がある。
 この頃、宮崎一雨は「日米大決戦」(「少年世界」一九二六年一月〜二七年一二月号)を著している。これは一雨の日米未来戦ものの総決算とも言うべきものであった。一方、阿武天風は「愛国小説 太陽は勝てり」(「少年倶楽部」一九二六年一月〜二七年一一月)を長期連載。期せずして競作の観を呈していた。
 バイウオーターの『太平洋戦争』では、日本軍のルソン島攻略戦はホーマー・リーの著作を踏襲。「日米大決戦」でも〈日本陸軍の精鋭は、一は北から南へと進んで、オロンガポー要塞に向ひ、一は東から西へと向つて、マニラ要塞に迫り、相前後して、これをぬいて比律賓を定めた〉と同様の展開がある。また、水野広徳が脅威としたパナマ運河については、民間の汽船が爆沈したので、使用不能となる。そこで、米国大西洋艦隊はマゼラン海峡を通ることになる。海峡では、日本海軍が潜水艦による待ち伏せ攻撃を行って米国艦隊に損害を与える。この想定は「太陽は勝てり」にそっくり引き継がれている。ただ、『太平洋戦争』では米国艦隊に魚雷攻撃をかけた潜水艦のうち、一隻は沈没、一隻は破損して中立国に投降する。「太陽は勝てり」では〈潜航熱射〉装置を装備する潜水艦一隻が単独で攻撃。攻撃は成功するが反撃を受けて沈没したという点が異なっている。
 また、バイウオーターの『太平洋戦争』では、米国海軍は主力艦に偽装した汽船を盛んに出没させて日本海軍の目をくらます。日本海軍は敵の主力艦を撃沈したり、互いに衝突して沈没したものと誤認。米国海軍はこの隙を突いたので、日米戦争は米国側の勝利に終わるというものである。偽装艦を運用した作戦は、一雨の「日米大決戦」にも登場する。ただ、『太平洋戦争』では米海軍がこの作戦を使って勝利するのに対して、「日米大決戦」では日本海軍がこの作戦を採用して勝利するところに違いがある。
 ところで、天風の場合は、押川春浪の影響を強く受け、非常にSF的な道具立てを重視した仕上がりになっている。例えば、空中軍艦の発想は春浪に由来する(『競争空中大飛行艇』一九〇二年三月一八日 大学館 など)ものであろう。また、「太陽は勝てり」に登場する空中軍艦の艦長は桜田大佐であるが、春浪の『険奇譚海底軍艦』(一九〇〇年一一月一五日 文武堂)の艦長は桜木大佐であり、空中軍艦と潜水艦に違いがあるものの、影響関係は明らかである。一雨の「日米未来戦」でも、日本の国家とは別に秘密結社が南海の孤島に新型の潜航艇を建造。日清戦争前に沈没した軍艦畝傍の乗組員がこれに関係しているという設定があり、こうしたSFの要素の強い展開は春浪の強い影響下にある。SFの要素の強い成人むけの作品としては先に触れた麗陽の「第二次世界大戦未来記」があるが、実は成人むけの日米未来戦記ではこうした傾向の作品はあまり好まれていない。それは成人むけの日米未来戦記が現実の海軍力の劣勢を指摘し、軍縮に反対することにねらいがあったからだ。
 ただ、バイウオーターの『太平洋戦争』では、小笠原沖海戦で空母サラトガの艦載機が日本の巡洋艦を毒ガス攻撃し、沈没させるという想定がある。この展開は平田晋策の「昭和遊撃隊」(「少年倶楽部」一九三四年一月号〜一二月号)にそっくり引き継がれていく。SF的な道具立てを多用した日米未来戦記の系統は、成人むけではなく子どもむけの物語に引き継がれていくことになる。

(4)子どもむけ日米未来戦記の特質

 宮崎一雨の「日米未来戦」の連載は、ワシントン海軍軍備制限条約(主力艦の保有を制限)の締結交渉とほぼ同時進行でなされている。単行本版の「凡例」にも、「本篇は華府会議に我が加藤全権以下がまだ横浜を出発しない前の大正十年十月一日筆を執り同十日に脱稿したもの、従つて華府会議がどう決着が付くか分らぬ時の作品である、只今とは自ら事情の異つてゐる点も尠くない」と、わざわざ一雨自身が書いている。また、これに続けて「前条の次第ゆゑ、著者は取敢へず我が軍艦は戦艦に於て、加賀、土佐、巡洋戦艦に於て高雄、愛宕まで完成したものと仮定して筆を執つた。本篇を雑誌少年倶楽部に連載中、某艦乗組の一軍人はわざわざ書を寄せて、何故戦艦は長門以下の十六吋備砲のものばかりにせなかつたか、扶桑級の十四吋を加へては、戦闘上不利であるとの注意があつた、併し長門以下に仮定すれば、紀伊、尾張を加へても、以下の第十一号第十二号はまだ命名以前であるから、やるとすれば出鱈目の名を付けねばならぬ、それ故扶桑以下にしたのであつたのだ。米艦亦之れに準じた」とも記している。このように、執筆当時の日米海軍に実在する艦艇どうしを戦わせるところに特徴があった。
 それは、日米未来戦ものの執筆動機が、日本の海軍力が劣勢であることを広く知らしめ、ワシントン海軍軍備制限条約に反対することにあったからである。単行本版の「序」に「本書を読まれる少年諸君は、宜しく篇中の局部々々を熟読せられたい、決して軍備拡張は主張してゐない、戦争謳歌はしてゐない、爾も併しながら、此一篇を公けにしないわけに行かない理由を発見される事であらう」と、いわずもがなの注釈を加えていることから、このことは明らかである。だから、戦争の原因などイデオロギー的な観点を殆ど無視し、ひたすら日米間の戦闘の状況、特に海戦の状況を書き表すことに力を入れている。主力艦(戦艦・巡洋戦艦)どうしの砲戦に固執するのもこうしたことに理由があった。
 しかし、実はここに大きな矛盾がある。つまり、宮崎一雨の物語中では弱体な日本海軍は大いに苦戦するが、最後には勝利を収めることになっている。「日米未来戦」では新兵器(秘密結社の潜航艇隊)を登場させ、「日米大決戦」では巡洋艦に戦艦用の巨砲を装備するという空想的な方法により、戦局を一気に逆転させた。
 阿武天風の「太陽は勝てり」でも、〈空中軍艦〉〈爆撃式駆逐機〉〈猛毒バクテリヤ〉〈潜航熱射艦〉〈サクラホーン〉といった数々の新兵器が日本軍の制式装備となっていて、大艦巨砲にこだわらない設定になっている。天風に続いて書かれた平田晋策の「昭和遊撃隊」で飛行潜水艦〈富士〉、〈フーラーガス〉ほかの新兵器が登場し、航空機を主体とした戦術をとっていることに先行する。
 このように、海軍力が圧倒的に不利であるにもかかわらず、空想上の新兵器の登場によって戦局は一挙に覆される。それは、子どもむけの読物である限り、たとえ未来戦であっても日本の敗戦というストーリーを受け入れる土壌がなかったからだと思われる。こうした《教育的配慮》の重圧下にあることが、大衆的児童文学の特質であった。

「おい、日本は敗けたぞ」
彼はいった。
「敗けるもんか、潜水艦富士がいるじゃないか」
私は云った。
「だって、敗けたんだ」
彼は云った。
「じゃ、富士はどうしたんだ」
 上記は『少年小説の系譜』で、著者の二上が少年時代の実体験を語った一節である。戦えば必ず勝つという建て前が、子どもたちの精神形成に与えた影響は大きい。
 しかし、最終的に日本海軍が敗戦するというシナリオにまで踏み込まない限り、海軍力の劣勢を説く作者の主張と矛盾することになってしまう。圧倒的に有利な新兵器があるのならば、海軍力の増強など不必要だからである。だから、日本の海軍力の弱体ぶりを強調するのであれば、日本の敗戦を描かねばならない。水野広徳やホーマー・リーがともに自国の敗戦を描いているのは、こうした理由からである。
 けれども、「太陽は勝てり」の場合、日本が連戦連勝を重ねる理由は、これら新兵器の力ばかりではない。すなわち、天風が描くところの日本には〈大義名分〉がある。支那の統一と米英による干渉の排除、アジア・中東における植民地の独立に〈本気〉で取り組むことにより、中国・インドをはじめとするアジア諸国と同盟関係を結ぶ。日・中・印・露・独は同盟を結んで米・英に対抗し、戦域はアジアから中東・欧州へも拡大。中立国(伊・仏)も複雑な動きを見せる。事の善悪は別として、ここには明確な世界戦略がある。そもそも、数々の新兵器を発明した〈万有科学研究所〉の主だった研究員の国籍が、日・独・露にわたっていることは象徴的である。
 ほかに、パプチャップの蒙古統一・清朝復活の運動、チラクのインド独立の運動などを巧みに作品中に取り入れている。天風はパプチャップが最後の挙兵をした一九一六年に大陸へ旅行して会見しようと試みている。作品中ではパプチャップの息子が清朝王室の血をひく蘭月公主と結婚するエピソードを全体のストーリーと関係なく長々と書いている。パプチャップの息子のモデルはカンジュルジャップ、蘭月公主のモデルは川島芳子で、このエピソードは二人が実際に結婚するより前の執筆であった。このように、「太陽は勝てり」には、天風の政治的願望が色濃く反映し、極度に政治的な読物に仕上げられている。なお、複雑な国際政治の動きをからませて日米戦争を描くという発想は、先に挙げた樋口麗陽の作品に共通するものがある。しかし、これは直接の影響を受けたというよりは、「冒険世界」の主筆として長年にわたり青少年にむけた執筆・編集に携わってきた天風の経験、すなわち子どもというよりさらに上の年齢の読者を対象としてきた経験に由来するのかもしれない。
 また、ハルピンにおける「西伯利新聞」の経営など、天風の大陸での政治的活動も反映していると思われる。詳細は不明だが、天風の亡兄も大陸で新聞を経営するなどして、政治活動に携わっていたという。子どもにもわかりやすく単純化して国際政治の動向を語ろうと試みたことは、きわめてユニークだといえよう。
 以上のように、「太陽は勝てり」は海軍力の削減・制限に反対という特定の政治的・軍事的課題にのみ固執するのではなく、自らの世界戦略の実現のために、軍事・政治・経済・科学などあらゆる力を動員するというところに特徴がある。海軍力の削減・制限に反対という特定の政治的・軍事的課題に拘泥していると、新兵器の過度の活躍は自己の主張に矛盾をきたしてしまう。「太陽は勝てり」の場合はこうしたことにこだわらず、明快な世界戦略のもとにあらゆる力を動員して対英米戦争に勝利することを企図している。一雨の場合も「日米大戦」になると「日米未来戦」になかった世界戦略が見られるようになったが、到底「太陽は勝てり」の比ではない。このようにして、「太陽は勝てり」は物語を自由に展開することが可能になり、SF軍事冒険小説の秀作となったのである。

(5)おわりに

 平田晋策は単行版『昭和遊撃隊』(講談社 一九三五年二月二四日)を上梓する際に、「少年倶楽部」へ連載した初出の形態を書き改めている。この際の書き変えのうち、最も特徴的なことは、日本と米国の間の戦争をアキタニヤ国と八島国の間の戦争に変更したことである。しかも、八島国は日本と先祖を同じくする友好国だとして、八島国とは別に日本が登場。日米戦争という枠組み自体を壊してしまう混乱ぶりを見せた。これでは作品が持つリアリティーと緊張感を台なしにしてしまう。それでもあえてこのように変更した理由は、内務当局への配慮であろう。この件について、會津信吾は「検閲の対象は『安寧』と『風俗』に二分され、前者の基準には『戦争挑発の虞れある事項』が含まれている。未来戦記はこの項目に照し合わせチェックされるわけだ」(「少年小説大系」第一七巻 一九九四年二月二十八日 三一書房)と推定し、発禁処分となった未来戦記の例を列挙している。わずかな年数の違いだが、昭和期になると国家主義的な立場の出版物であってもこういった不自由さがあった。しかし、これに比べると、大正期は取締がそれほど厳しくなく、比較的自由に物が言えた時期である。こうしたことから、創造力を自由にはばたかせ、後代に残るような傑作が生まれたのであろう。
 歴史的に見ると、プロレタリア児童文学のような例外はあるが、日本の児童文学は社会との関わりの中で子どもを描くことは希であったと言われる。しかし、日米未来戦記の歴史を見ていくと、善悪は別として、これらが極めて政治的・軍事的な意図をもった読物であったという事実がわかる。
 冒頭に挙げた小川未明や秋田雨雀の平和主義的な童話、例えば未明の「野薔薇」(「大正日日新聞」一九二〇年四月一二日)や雨雀の「仏陀の戦争」(「婦人公論」一九二〇年八月号)では、象徴的な手法で平和の重要性を描くにすぎず、日米未来戦記のような具体性はない。大正期における芸術的児童文学は、日米未来戦記のように国際政治と具体的かつ密接に関連し、子どもにもわかりやすく書いた作品を生み出すことはなかったのである。

【付記】本稿は日本児童文学学会関西例会(一九九五年三月四日)における口頭発表をもとにまとめたものである。