馬賊の唄・物語を駆ける馬賊

「彷書月刊」2002年8月号(2002.7.25 弘隆社)に発表




 明治末から大正初期にかけて、押川春浪の軍事冒険小説は青少年の大陸雄飛の夢を育んだ。小日向白朗(こひなたはくろう 馬賊名・尚旭東)は、子どもの頃から春浪の軍事冒険小説に魅せられて一生に一度は大陸踏破をしてみたいと思っていた。それが、大陸へ渡って馬賊の頭目になったきっかけだったという。

 このように多くの青少年に影響を与えた春浪の小説の系譜は、「日本少年」や「少年倶楽部」など、子どもむけの大衆的児童文学雑誌を主な発表の場として発展していく。

 例えば、有本芳水は「日本少年」の編輯長や主筆を歴任し、馬賊ものでは『武侠小説馬賊の子』(一九一六 実業之日本社)などを書き下ろしている。小説中では天洋社の頭川実に養育されていた篠原中佐の遺児・勇と弓子の姉弟が、馬賊の頭目・林元興のもとへ行く。林は大陸に逃れた西南戦争の生き残りで、密かに日本の為に行動していたのだ。やがて、勇少年は父の仇の李模国(袁世凱の部下)を倒す。《天洋社》は玄洋社、《頭川実》は頭山満がモデルで、頭山の大アジア主義を背景にして少年の仇討に焦点をあてる冒険小説であった。

 また、「日本少年」には池田芙蓉の「馬賊の唄」(1925.1〜12、1930.1〜12)なども連載されている。芳水の『馬賊の子』が『馬賊の唄』に改題されたことから二つの少年小説は混同されがちだが、日本人少年がたったひとりでスーパーマン的な活躍をするなど、芙蓉の小説の方がかなり荒唐無稽であった。ちなみに、作者の芙蓉は著名な国文学者・池田亀鑑である。

 「少年倶楽部」では、宮崎一雨が「熱血:小説|馬賊大王」(1923.1〜1924.1)を連載して人気を集めた。猪熊大八少年は日露の開戦を前に満州の地理や風俗を研究するため単身で満州に潜入するうち、偶然、馬賊の頭目・張青龍(正体は日清戦争中、行方不明になった元特務曹長)と知り合う。張の依頼を受けて大八少年が謎の馬賊集団を調べに行くと、頭目は西南戦争で戦死したはずの老英雄・辺見十郎太だとわかる。大八少年は二つの馬賊団を併せ指揮して露軍の後方を脅かす。

 日露戦争中、辺見(逸見)十郎太の実子・勇彦(いさひこ)が江崙波の名で馬賊集団を率いて東蒙古一帯の特殊任務についていた事実を、一雨は知っていたのだろうか。一雨は東京外国語学校(韓語学科)の出身で、「飛行少年」主筆を経て「中央新聞」に入り、社会部主任・家庭部長・地方部長等を歴任したから、あるいはそれを承知していたような気もする。

 それにしても、西南戦争の生き残りが馬賊の頭目になっているという設定は、この頃の軍事冒険小説に共通するパターンだ。おそらく、西南戦争で死んだはずの西郷隆盛が生きていて老英雄として活躍する春浪の小説の影響を受けたものだろう。

 こうした大衆的児童文学の作家の多くは、文献や関係者の話などから材料を仕入れただけで、実際には満蒙の深部にまで旅行することもなく、想像力のみで馬賊を描いた。しかし、やがて陸海軍出身の元軍人の作家が活躍するようになる。現地での体験をもとに著した馬賊ものは、リアルで迫力ある内容によって人気を集めたのである。

 海軍の出身者には、阿武天風がいる。天風は海軍兵学校で高野(のち山本)五十六と同期の海軍少尉だったが、日露戦争後は病気のため予備役に編入され、作家になった。春浪に請われて博文館に入社し、春浪が博文館を去った後は「冒険世界」誌の主筆を引き継いだ。その後、武侠世界社の特派員としてシベリア出兵を取材したり、哈爾賓(ハルピン)で「西伯利(シベリー)新聞」を経営したりするなど、死の直前まで大陸で政治活動に従事している。

 1916年9月のこと、天風は大陸に旅行して蒙古馬賊の巴布札布(パプチャップ)や旧清朝の粛親王に面会することを企てている。この頃、巴布札布は日本軍部や旧清朝の粛親王の後押しを得て、軍事行動を興している。いわゆる第二次満蒙独立運動である。実は天風の亡兄が近衛篤麿・川島浪速・袁世凱などと交遊があり、陸軍きっての《支那通》といわれた土井市之進とも莫逆の友であったため、亡兄の人脈を活用した計画だったようだ。ただ、満蒙独立の挙兵は日本政府の方針転換によって中止になり、巴布札布は軍を引き揚げる途上で戦死。そのため、天風と巴布札布の対面は実現していない。

 天風の代表作とされる「太陽は勝てり」(「少年倶楽部」1926.1〜1927.11)は日本が英米両国を相手に開戦する近未来戦ものである。小説中には、巴布札布の息子が父の名前を受け継いだ巴布札布青年として登場し、日本と攻守同盟を結んで英米両国に宣戦を布告する。巴布札布青年と結婚する蘭月公主は、清国皇室の某親王家に生まれ、日本の老志士に育てられている。《巴布礼布青年》のモデルは甘珠爾札布(カンジュルジャップ)、《蘭月公主》のモデルは川島芳子で、一時期、ふたりは実際に結婚をしていた。この結婚が巴布札布との面会を果たせなかった体験を天風に蘇らせ、満州における活動の傍らで筆を執らせたのかもしれない。

 陸軍の出身者では、山中峯太郎がもっとも知られている。峯太郎は陸軍幼年学校から士官学校へ進み、陸士では阿南惟幾と同期であった。陸士在学中に同校へ留学中の中国人留学生と交わり、「滅満興漢」の理念に共感して中国革命同盟会に加盟。1913年には、自ら陸大を退学になるように仕組み、中国人同志からの招請に応じて中国に渡って、いわゆる第二革命に参加した。1914年には軍籍を完全に離れ、第三革命に参加して孫文から革命軍の参謀長に任命されている。

 少年少女小説に手を染めるのは、講談社系の少年少女雑誌に寄稿しはじめてからである。

 日露戦争を描いた「敵中横断三百里」(「少年倶楽部」1930.4〜9)の連載では、一躍、軍事冒険小説の書き手としての名を高めた。ただ、このノンフィクション小説中では日露両軍にそれぞれ協力する馬賊が描かれるものの、あくまでも点景にすぎず、記述の主体は建川挺身騎兵斥候隊の活躍にあった。峯太郎が本格的に馬賊を描くのは、大蒙古の独立をテーマにした連作「万国の王城」(「少女倶楽部」1931.10〜1932.12)と「第九の王冠」(「同」1933.1〜12)である。故・北条陸軍元帥が引き取って育てていた竜彦青年の正体は蒙古王の遺児タタール王子である。タタール王子と彼を兄と慕う北条美佐子は、某筋の命令を受けて大蒙古独立のため大陸に旅立つ。その途中、列車が黒嵐義軍と称する馬賊に襲撃されるが、幸いにもこの馬賊団の首領は先の蒙古王に仕えた忠臣であった。王子は馬賊や独立青年党の志士を率いて、ソビエトロシア軍とその手先の活仏と戦い、大蒙古の独立を回復するという物語である。

 「大東の鉄人」(「少年倶楽部」1932.8〜1933.12)も満蒙の独立をテーマにした軍事冒険小説である。ここにも、大刀会・紅槍会や馬占山・湯玉麟などが実名で登場するが、本郷義昭と鉄人老先生(日露戦争で戦死したはずの仁平大隊長)の活躍が中心で、馬賊は赤魔(世界制覇を狙うユダヤ人スパイ)の手先として端役を担うにすぎない。

 そうした中で「団子二等兵」(「講談倶楽部」1933.8〜1934.9)に登場する紅槍会の大頭目・王樹林は、たった一人で突撃してきた牧善助二等兵に降伏してしまうなど、からっきし意気地がない。降伏したあとも、牧を命の恩人とあがめて秘密の大金鉱を贈るといいだす始末だ。全体として滑稽もの仕立ての作品であるから当然とはいえ、この作品に登場する馬賊は憎めない愛嬌のある存在で、異例な描かれ方をしているところが面白い。本来は成人向けにかかれた小説だが、子どもたちにも人気があった。

 峯太郎の軍事冒険小説では、日本帝国の安全のためには満州国を確保することが欠かせず、そのためには大蒙古の独立が必要であり、それがアジアの平和につながるという論理によって物語は進行して行く。実際には果たせなかった若き日の理想を文学の上で実現しようと考えたようだ。

 これまで紹介してきた作家たちはいずれも、大正期から戦前・戦中にかけて馬賊を描いていたが、戦後、自らの体験や取材をもとに日本人馬賊の生きざまを描いた作家がいた。それは最後の無頼派と言われ、「夕日と拳銃」(「読売新聞」1955.5〜1956.3)を著した檀一雄である。

 一雄は東京帝大卒業後、満鉄へ就職依頼をするという口実を設けて、関東州から満州一帯を放浪した。小日向白朗との対談「せまい日本にゃ住みあきた」(『目撃者が語る昭和史』第3巻 一九八九 新人物往来社)によると、この頃の一雄は日本人馬賊・薄益三(うすきますぞう 馬賊名・天鬼)の世話を受け、馬賊・王海石の娘と結婚しようとしたところ、一雄に召集令状が来て沙汰やみになったという。1940年に召集解除となったのちも大陸を放浪。のちには、報道班員として高見順らと湖南作戦に従軍した。

 「読売新聞」から満州を舞台にした小説を書くように依頼された一雄は、架空の人物でもいいから当時の在満の日本人の気概を書こうと考えた。主人公《伊達麟之介》のモデルは伊達順之助(馬賊名・張宗援)で、小説にあるように旧宇和島藩主・伊達宗城(むねなり)(小説中では《時宗》)の孫にあたり、拳銃が滅法うまかった。巴布礼布の満蒙独立軍に参加したことも事実である。また、小説中で重要な役割を果たす《浅井天涯》は薄益三がモデルである。

 むろん順之助の人柄その他は、かなり作り変えられている。対談「せまい日本にゃ住みあきた」によると、実際の順之助は生き肝を抜いたりしてとても陰惨な面が強すぎ、新聞小説としては不向きなのだという。しかし、小説や映画(東映・1956)、テレビ(TBS・1964)を通してすっかり定着した麟之介の人物像にあこがれた青少年も多い。戦後、戦犯として処刑される悲劇性も、日本人の琴線に触れるものがある。

 それにしても、日本の敗戦後、伊達麟之介が逮捕・銃殺されるストーリーは、きわめて象徴的であった。馬賊は第二次大戦の終結とそれに続く中華人民共和国の成立とともに終焉をとげるからである。明治以来、青少年の血を湧かせた馬賊も、過去を舞台にした小説は別として、もはや現在進行中もしくは近未来の軍事冒険小説に描かれて青少年の血を沸かすことはない。



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