小酒井不木の児童文学

―〈少年科学探偵〉シリーズを中心に―

「国際児童文学館紀要」第11号(1996.3.31 大阪国際児童文学館)に発表


 =目次=

(1)はじめに
(2)〈少年科学探偵〉シリーズの登場
(3)〈少年科学探偵〉シリーズと『科学探偵』の刊行
(4)小酒井不木の児童文学観
(5)終わりに
※ 


(1)はじめに

 小酒井不木は、1914年、東京帝大医学部を卒業。大学院を経て、1917年、東北帝大医学部助教授に任ぜられた。助教授就任と同時に海外留学を命じられ、米国及び欧州で医学を学ぶが、ロンドンで喀血。1920年に帰国して、東北帝大教授に昇進するも、病気のため任地に赴くことができず、職を辞している。病気療養中の1921年9月、不木は「東京日々新聞」へ探偵小説に関する随想を連載した。当時、博文館の編集部にいた森下雨村がこれを見て、「新青年」への執筆を依頼し、探偵小説執筆のきっかけをつくったという。
 かくして、1921年年暮れに始まり29年春に彼が没するまでの、僅か7年あまり、この短期間が不木の探偵小説や評論の執筆活動の全期間となった。にもかかわらず、子ども向けの作品だけでも、相当な数にのぼる。中でも、〈少年科学探偵〉シリーズでは、児童文学史上に不朽の名を遺した。このシリーズは、不木の没後も版を重ねたロングセラーで、戦前・戦後を通じて途切れることはない。没後の子ども向け単行本だけをとっても、戦前には平凡社「少年冒険小説全集」中の『少年科学探偵集』(注1)、春陽堂少年文庫版の『少年科学探偵』(注2)、戦後まもなくは『紅色ダイヤ』(注3)、比較的新しくは「少年少女世界の名作文学」シリーズ中の『日本編4』(注4)が刊行された。これらは大人の懐古趣味を狙った企画ではなく、その時点の子どもに向けた読物として、刊行されているのである。本稿では、こうした人気の秘密を探ってみたい。
 なお、不木が子ども向けに書いた作品は、探偵小説のほか、伝記もの、教訓もの、感動ものなど、多様である。そこで、本稿では〈少年科学探偵〉を中心にしながらも、可能な限りこれらの作品にも論及することにしたい。ただ、不木の児童文学作品の全体像については不明なことが多い。没後刊行された『小酒井不木全集』(注5)の「執筆年表」も、漏れや誤謬があまりにも多く、後世の研究書類も殆どは誤謬をそのまま踏襲している。本稿でも、散逸した作品の収集は充分でないし、可能な限り初出にさかのぼって調査したものの、力及ばず二次資料に頼った部分もある。こうした中、不木が児童文学に取り組んだ姿勢を明かにし、不木の児童文学の特質を解明することができれば幸いである。

(2)〈少年科学探偵〉シリーズの登場

 ここでは、〈少年科学探偵〉が世に送り出された際の諸事情から、このシリーズの人気の秘密について論じることにしたい。
 まず、先行する評論・研究の類を振り返ってみよう。
 不木の若手研究家、長山靖生は次のように高い評価を与えている。

 不木の創作活動は、探偵小説ばかりでなく、時代物や戯曲にまで広げられていったが、少年物の作者としての彼は、特に記憶されて然るべきであるように思われる。彼が少年小説を書く切っ掛けをつくったのは、中学時代の同級生だった原田三夫であった。原田は『子供の科学』編集長になると、さっそく不木に原稿を依頼した。これに応えて、不木は少年科学探偵物の連載を開始した。この作品は、乱歩の少年探偵団に先行する作品として注目に値するものだが、それ以上に重要なのは、このシリーズのなかで、復顔術などの当時はまだ未完成だった最先端技術を取り入れた科学捜査が描かれていることだろう。昭和初期から戦後にかけて大活躍した科学小説家の海野十三の場合もそうだが、不木もまた、子供向けの小説だからといって手を抜かなかったのは勿論、むしろ最先端の空想科学的技術を、大人向けの小説ではなく少年小説の中で、より自由に展開してみせる傾向があった。こうした新しいものを受け入れるのは、大人より子供の方が優れていることを、不木は知っていた。また、それがこうした分野の将来の読者を育てる道だとも考えていたのである。
 これは、「万有博士の二〇年代」(注6)で、〈少年科学探偵〉について論及した一節である。「復顔術などの当時はまだ未完成だった最先端技術を取り入れた科学捜査が描かれている」云々は、正鵠を得ている。〈少年科学探偵〉を特徴づける最も重要な要素の一つであろう。
 ただ、「むしろ最先端の空想科学的技術を、大人向けの小説ではなく少年小説の中で、より自由に展開してみせる」云々には疑問を呈して置きたい。例えば、不木の大人向けの作品「人工心臓」(注7)は古典SFの傑作の一つと言われる。この作品では、青年医師が人工心臓装置を完成。その直後、青年の妻が病死したので、妻に人工心臓を取り付けた。妻は生き返るが、機械の心臓では人間らしい感情を持つことができず、実験は失敗した。こうした作品に比べると、〈少年科学探偵〉では最先端の空想的科学技術を取り入れながらも、人間の存在にかかわるようなテーマの深まりがない。最先端の科学知識が探偵の鍵になる作品も、〈少年科学探偵〉全体から見ると、実は意外に少ないのである。
 また、子どもが科学的探偵を行うという発想自体も、不木の創案によるものではない。不木以前の作家では、永島永洲が萌芽的な探偵小説を手がけている。淡路呼潮の〈哲雄少年〉シリーズ(注8)も、科学知識という点でやや稚拙ではあるが、先行する探偵小説として重要である。職業探偵が活躍するのではないけれど、こうした先駆的な探偵小説の存在は見逃せない。
 子どもが探偵として活躍するというアイデアも、不木の〈少年科学探偵〉が最初のものではない。明治末から大正初めにかけて、三津木春影や永島永洲が盛んにこういう趣向の探偵小説を書いているのだ。不木と同時代の作家では、有本芳水、宮崎一雨などといった作家も同様である。ただ、これらに子どもの職業探偵という発想はない。職業探偵について言えば、森下雨村の〈富士男少年〉シリーズが〈少年科学探偵〉シリーズに先行している。だから、長山の「乱歩の少年探偵団に先行する作品として注目に値する」という評価はやや舌足らずなのではないか。
 結局、不木の〈少年科学探偵〉は、子どもの職業探偵が科学的探偵を行うという点において最も特徴的だと言えよう。かくして、〈少年科学探偵〉では、少年探偵のキャラクターこそがユニークなのである。塚原俊夫という名の子どもの職業探偵が、最新の科学知識と科学的・論理的な思考を駆使して難事件を解決するところに、不木の創意があった。しかも、俊夫君は大人の探偵の助手のような役割でなく、むしろ大人が助手の役割を務めている。柔道三段の兄さん(大野青年)や警視庁のPのをぢさん(小田刑事)は、あくまでも俊夫君の手助けをするにすぎないのだ。大人たちは、科学知識や観察力・推理力のいずれにおいても、俊夫君に遥かに及ばない。こうした少年探偵のキャラクターのユニークさに人気の秘密があったと考えられる。
 ここで誤解のないように付け加えておくと、子ども向けの探偵小説と雖も、必ずしも子ども自身が探偵役を務めねばならないということはない。古典的な子ども向け探偵小説に於いては、子どもが必ず探偵役を務めるものだと固定的に考えてしまいがちであった。この結果、少年・少女が過度なまでに英雄的な活躍をして、作品のリアリティーを損なってしまうのだ。かといって、不木にその責はない。俊夫君は知力こそ優れているものの、腕力はない。犯人を捕まえるのは、〈兄さん〉や〈Pのをぢさん〉の仕事である。この点で〈少年科学探偵〉に不自然さはない。問題は、子どもが探偵を務めるという設定を金科玉条の如く考えた後代の作家たちにあるのだ。
 次に、原田三夫の著作について触れておく。原田は不木と中学時代の同窓生で、子ども向け科学読物の開拓者であり、雑誌「子供の科学」の編集主幹を務めていた。彼は『思い出の七〇年』(注9)で、おおよそ次のように書いている。すなわち、原田は名古屋の名門愛知一中に入学。この時、同じクラスに不木がいた。しかし、中学時代は不木とあまり親しくはなかった。その理由を「秀才を鼻にかけたようで親しめなかった」からだと述べている。けれども、原田の依頼で不木が「科学画報」や「子供の科学」に執筆するようになってからは、「生れ変ったように親しくしてくれた」という。そして、不木の執筆ぶりについては、「頼まれた原稿をぶっつけで注文どおりの枚数に過不足なくきちんと書き上げて、しかも消したり直したりしたところがなかったこと」に驚かされたと記している。だから、不木は天才肌の作家であったらしい。後述するように、不木の探偵小説は、子ども向けであるかないかにかかわらず、最新の科学知識や科学的思考をきちんと踏まえたものであった。学者としての訓練の中で、こうしたことが不木の身についていたからこそ、天才肌の執筆が可能であったのだろう。
 先行する評論・研究類の最後は、日本探偵小説史研究の顕学、中島河太郎の論考である。
 佐川春風に続いて少年探偵小説に力を入れたのは小酒井不木である。(略)
 『子供の科学』に連載された少年探偵塚原俊夫を主人公としたシリーズは、大正十五年十二月に「少年科学探偵」として一巻に纏められた。わざわざ科学探偵と肩書をつけてあるほど、この十二歳の少年は小学校を中途でやめて独学で研究し、動物、鉱物、植物学や物理、科学、医学の学問に通じるようになっていた。探偵という仕事は命知らずの犯罪者を相手にして危険だからというので、柔道三段の助手をつけた。それが一連の物語の語り手という設定になっている。同時に彼はワトソン役をつとめることになる。
 科学探偵といえばすぐイギリスのオースチン・フリーマンが浮かぶが、その探偵役ソーングイク博士と同じように、俊夫少年も探偵鞄をいつも用意している。彼は暗号を解いたり、白金を溶かした王水を発見したり、顕微鏡を使って指の爪の間についていた蝙蝠の毛を示したりする。殊に頭蓋骨の肉づけなど、尖端的な法医学の成果を早くも採り入れているのは、医学者の不木らしい着眼であった。
 しかもこの少年に、「科学探偵という仕事は、物的証拠を科学的に検べるばかりが能ではありません。犯人を科学的の方法でつかまえるのも科学探偵中の重要な部分です」といわせて、単なる物証主義でないことを強調している。「物事を科学的に巧みに応用して探偵することも、科学探偵なのです」といわせていて、心理的な罠もかけるのだから、大人顔負けの名探偵である。
 これは「少年小説大系」第7巻(注10)の「解説」の一部である。ここでは、もっぱら〈少年科学探偵〉がフリーマン(Richard Austin Freeman)の影響を受けていることを指摘している。だが、この外、ドイル(Sir Arthur Conan Doyle)の影響についても無視できないものがあるのだ。
 例えば、「塵埃は語る」(注11)では、俊夫君が誘拐される。俊夫君は、いったん犯人の住家に監禁されるが、その後、解放された。犯人の住家は鉄道の音が聞こえるどこかの寺の前の家だということがわかるだけで、場所の特定まではできない。しかし、俊夫君は密かに持ち帰った塵埃の分析に着手する。
 『で、君はどうして彼等の住家を知るつもりか。』と小田さんは俊夫君の機敏を賞めてからたづねました。
 俊夫君は、再び顕微鏡をのぞいて言ひました。『むかふの家の塵埃の中に、小麦の粉と、カルシウムと粘土(即ちセメント)の粉とがまじつて居るのです。ですから製粉会社とセメント会社が近くにあつて、而も鉄道がとほつて居るところです。多分それだけであなた達にはわかる筈です。』
 すると小田さんの部下の一人は『それなら日暮里です。』と言下に答へました。
 『では、日暮里のお寺を捜せばよい。』と俊夫君は得意げに言ひました。
 かくして、俊夫君は犯人の住家をみごとにさぐりあてた。塵埃によつて場所を特定する方法については、「科学的研究と探偵小説」(注12)という一文に述べられている。不木がここで、「シヤーロツク・ホルムスが其の友ワトソンに、倫敦の塵埃の研究や煙草の灰の研究をしたと語つているが、かういふ方面に知識を有する人は、警視庁あたりに或はあるであらうが、まだ立派な書物としては著されてないやうに思ふ。」と記していることに注目したい。塵埃の分析については、後にも触れる機会がある。
 次に、「単なる物証主義でない」ことや「心理的な罠もかける」という伊藤の指摘も重要だ。決定的な証拠を欠く場合、俊夫君は容疑者のミスを誘う手法をとることがしばしばである。「白痴の智慧」(注13)では、知恵遅れの留吉が彼の母親の殺害現場を目撃しているはず。だが、犯人を識別して証言する能力がない。俊夫君が見たところ、どうやら犯人は市さんという人物なのだが、証拠はいっさい存在しない。そこで、殺人事件を芝居に仕立てて再現し、その芝居を関係者一同に見せる。ころあいを見て、俊夫君は留吉を市さんに飛びかからせた。市さんは留吉が芝居を見ているうちに犯人のことを思いだしたと錯覚。思わず犯行を自白してしまう。実は、俊夫君は留吉が生魚が好物であることを利用し、市さんに飛びかからせたにすぎなかった。要するに、俊夫君は犯人を心理的に追い込み、罠をかけたのである。
 不木はこういった手法を〈第三等〉すなわち "Third Degree" として、大人向けの啓蒙書『科学探偵』(注14)に詳解する。この書では、〈第三等〉の発案者で名手と言われたトーマス・バーンスの業績を紹介し、次のように述べている。
彼は始めて犯罪探偵に彼の謂ゆる「第三等」Third Degree と称する方法を工夫し応用したのであつて、彼の名と「第三等」とは離るべからざるものとなつた。この方法は即ち犯人嫌疑者を監禁して、徐々に訊問の歩を進め最後に必ず自白せしめる事を云ふのであつて、一時それがアメリカの各警察で濫用されたため、時には拷問と同一視せられて非難されたこともあつたが、彼自身のやり方は如何にも堂々たるもので、また極めて巧妙なものであつた。
 〈第三等〉については、大人向けの探偵小説「呪はれの家」(注15)でも不木の詳解がある。作品中では Third Degree を〈三等訊問法〉と称している。ただし、主人公の名探偵で警視庁警部の霧原庄三郎は、〈三等訊問法〉を一種の精神的拷問であると批判。当初の訊問ではなるべく深入りせず、あっさり切り上げる。これを繰り返して犯人を追い込み、ここぞと言うところで急所をえぐる訊問をして犯人を落とすのである。霧原警部自身はこの手法を〈特等訊問法〉と呼んでいる。
 『科学探偵』と〈少年科学探偵〉との関係については、後でさらに詳しく触れることにしたい。
 ところで、 次に掲げるのは、『少年科学探偵』(注16)の広告である。広告は、「子供の科学」誌の1927年2月号に掲載された。
医学博士 小酒井不木先生著
少年科学探偵

諸君が待ちに待つた
少年科学探偵
塚原俊雄君の
第一編は出た!!!

熱狂的売行
重版又重版!!!

AとBとが校庭で出合つた。
A「オイ君買つたかい。」
B「何をさ。」
A「何をさ、少年シヤーロツクホルムス俊夫君さ。」
B「アゝ少年科学探偵ならもつて居る とても素敵だ、お父さんが買つてくれたんだ。」
B「買はない友人があるだらうか。」
A「買はない友人があつたら早速すゝめようじヤないか。」
AB「賛成!!!賛成!!!(ママ)
 広告文からは、シリーズについて幾つかの興味深い事実が分かる。
 まず、「少年シヤーロツクホルムス」という部分に注目したい。科学知識を活かした探偵小説と言えば、フリーマンのソーンダイク博士ものが想起される。中島河太郎の言うように、俊夫君が携帯する探偵鞄も、ソーンダイク博士を思わせる。しかも、フリーマンのこのシリーズは、明治の末頃から三津木春影による翻訳・翻案が〈橇田博士〉または〈呉田博士〉ものとして多く出ているので、日本の子ども読者にも馴染みが深かったはずだ。したがって、俊夫少年が科学知識を活かして探偵するというのであれば、ソーンダイク博士を引き合いに出す方がふさわしい。しかし、出版社サイドでは、科学知識を活かしたソーンダイク博士より、推理力を活かしたホームズのイメージを、俊夫少年に重ね合わせようとしたかったのだろう。
 ちなみに、〈倒叙形式〉はフリーマンが初めて考案したと言われる。不木の「玉振時計の秘密」(注17)は、わが国ではまだ珍しかったこの形式を、子ども向けの探偵小説に於いていち早く取りあげた作品である。
 かういふ探偵事件を紹介するには、俊夫君のところへ、事件が依頼された当時から書きはじめて、俊夫君が解決する迄を、順序たゞしく述べるのが普通ですけれど、今になつては、何もかもわかつて居るのですから、むしろ、私は犯罪の顛末を先に述べて、それから、俊夫君がそれを解決した模様を語らうと思ひます。といふのは、皆さんにも、この事件のどこに手ぬかりがあつたかを、あらかじめ考へていたゞきたいと思ふからであります。
 扨、皆さん、俊夫君は、いかにして、小田刑事の至難とした二つの證拠、即ち、小野龍太郎が昨夜佐久間氏宅をたづねた證拠と、玉振時計の針を故意に動かした證拠とをあげるでせうか。どうか皆さんも、この話しの続きを読む前に、これまで私が書いた部分から、判断して見て下さい。
 上記のように、不木は倒叙形式の面白さを子どもに分かりやすく解説。推理することの大切さ、言い替えれば論理的な思考の大切さを語っている。これは単に倒叙形式が、わが国でまだ珍しくなじみのなかったことばかりが理由ではない。論理的な思考の大切さを語る上で適当であったからこのような形式を採用したのであろう。倒叙形式以外の形式の探偵小説でも、論理的な思考の大切さが繰り返し語られていることから、このことは明らかだ。下記はその一例である。
『冗談いつてはいけないよ。僕の頭だつて誰の頭だつてみんな同じだ。僕はたゞ物事を他人よりも一度深く考へることが好きなだけだ。考へさへすれば、だれの頭だつてよくなるよ。よく人は物事を考へると頭が熱するといふけれど、僕はちやうど反対だ。僕は考へれば考へるほど、頭も身体も凉しくなるよ。今日でも、何か事件があれば、きつと凉しくなるのだが、此の頃中、とんと事件の依頼がないから、この暑さで、すつかり、頭がぼんやりした』(注18)
 少年探偵の俊夫君の人物像の変遷を見ていくと、もともと、シリーズの当初では〈天才〉という側面が強調されていた。シリーズ中の第1作「紅色ダイヤ」の冒頭では、次のような設定になっている。すなわち、俊夫君は「六歳のとき、三角形の内角の和が二直角になるといふことを自分で発見」した。「尋常二年の頃には、もう、中学二年程度の学識」があり、中学校や専門学校で使われている「遊星の運動を説明する模型」の特許を持っている。そして、「小学校を中途でやめて、独学で研究する」ことになった。このように俊夫君は生まれながらの〈天才〉として描かれている。
 けれども、回を重ねるにつれて、俊夫君が〈天才〉であるのは〈物事を他人よりも一度深く考へることが好き〉だからだという側面が強調されるようになる。こうした変化に、不木が子ども読者に向けたメッセージを読みとることは容易であろう。すなわち、ものごとをよく考えること、言い替えれば論理的な思考をすることの大切さを学んで欲しいという思いが込められているのではあるまいか。〈少年科学探偵〉では、最先端の科学知識の普及ということも狙いの一つではあったに違いない。だが、そういうことよりもむしろ推理するということ、言い替えれば科学的・論理的な思考を促すことに、より重点があったように思われるのだ。物語を深く考えるということをもう少し分析的に言うと、観察力と想像力を働かせるということになる。だからと言って、こうした子どもに向けた思いを過去の児童読物に見られがちな露骨な教化意識と受けとめることは、正しくないだろう。それは、もともと不木の探偵小説観自体にこうした狙いが内在しているからである。
 不木の子ども向け探偵小説の面白さの一つは、以上のように推理すること、論理を組み立てることを重視していることにある。
 次に、著者の肩書きに注目したい。宣伝文中では「医学博士 小酒井不木先生著」と、著者の「医学博士」であることが強調されている。一般の人々に探偵小説は低俗な読物だというイメージがある中で、「医学博士」が書いたのだから《高尚》だというニュアンスが窺える。これは、宣伝文中の子どもの台詞に「お父さんが買つてくれた」とあることとも関係があるだろう。子どもが自分の小遣いで買うのではなく、お父さんが買ってくれるということは、親が買い与えるのに不安がないことを意味する。つまり、本の内容は子どもの教育上問題がない、乃至は子どもの為になるということに力点を置いて宣伝を行っているのである。
 子どもにとっても、大人にとっても、それなりの権威に支えられた安心感が心地よかったのではないか。これが、不木の子ども向け探偵小説が人気を集めたもう一つ理由である。
 広告によれば、このシリーズは非常に人気があったようだ。そのため、『少年科学探偵』の刊行当初から、すでに続編の刊行が予定されていたようだ。同書の初版本の巻末に、「少年科学探偵/第二編近日出来/注目して其雄編の/出づるを待て!!!」という予告がある。不木自身も「少年科学探偵塚原俊夫君の出る物語はこれでおしまひではありません。私は今後追々発表して行くつもりですから、皆さん、どうかいつまでも愛読して下さい。」(注19)と記している。けれども、実際にこのシリーズが続刊されることはなかった。それは著者の健康状態が、さらに1冊を編むに足るだけの量の執筆を許さなかったからであろう。
 もっとも、不木の生前に刊行された子どもむけの探偵小説集には、もう1冊、『紅色ダイヤ』(注20)がある。が、この書は『少年科学探偵』に収録された探偵小説に1篇を追加しただけで、シリーズの続刊というには程遠い。
 かくして、〈少年科学探偵〉シリーズは生まれ、好評のうちに世に迎えられた。

(3)〈少年科学探偵〉シリーズと『科学探偵』の刊行

 大正期の子ども向けの探偵小説は、概して質が高いとは言えない。多くは、外国種の翻案や大人向けの探偵小説の焼き直し、勧懲的な犯罪もの、安易な軍事探偵ものや活劇ものに終わっている。その中で、不木の〈少年科学探偵〉は、当時の水準からはるかに抜きん出ていた。オリジナリティーを重視し、子どもたちが科学知識や科学的・論理的な思考に親しむことを狙いとするところに特徴があった。
 〈少年科学探偵〉には、当時の最先端の科学知識が取り入れられている。これら最先端の科学知識は、不木が外国留学中や帰国後に入手した文献によったものだ。だが、外国の最新の知識を取り入れていても、事件の筋だてや推理の方法自体は全くオリジナルである。外国ものの翻案であったり、自分が大人向けに書いたものを子ども向けにリライトするというような安易さは、全く見られない。
 不木の取り組みの真剣さは、「不思議の煙」の連載中止という措置に、非常に良く現れている。この探偵小説は、「子供の科学」の1926年10月号に、第1回が掲載。掲載はこの1回だけで中止された。それは、一人の読者からこれが他の作家の作品の焼き直しではないかという指摘を受けたからである。いきさつは、不木の自筆の「おことわり」(注21)に詳しい。

 拙作『不思議の煙』が昨年の中学世界に出たある小説の焼直しでないかといふ注意を一読者から受けました。私はその小説を読んで居りませんが、さういふ疑ひを抱かせるだけでも、私は読者に申しわけないと思ひますから、断然打ち切ることゝ致しました。さうして私はその注意をして下さった読者に厚く感謝します。それで私は次号から又別の題で書かせて頂きますが、小説の趣向は時々別の小説と偶然一致することがありますから、読者は今後もどうか御注意くださるやう御願ひ致します。
 このように、読者からアイデアの酷似を指摘された時、連載の中止を自ら決断するという思い切りの良さ、潔癖さがある。オリジナリティーを重視する不木の姿勢と自信が、象徴的に顕われているだろう。ここにもう一つ、〈少年科学探偵〉の人気の秘密がある。
 なお、引用文中の「中学世界に出たある小説」とは「怪奇冒:険探偵|空中殺人団」のことであろう。この作品は「中学世界」の1925年9月〜10月号の2回連載で、バウル・ローゼンハイン作、鶴毛寧夫訳とある。訳者名は〈つるげねいふ→ツルゲネフ〉と読むのであろうか。内容はストックホルムの飛行競技大会で墜落事故が頻発。実は〈空気圧搾装置〉を用いた某国の陰謀であったというものである。この作品と不木の作品を比べてみても、1隻の船の煙突の煙だけが逆むきに流れていることが類似しているにすぎない。焼き直しとまでは言えず、「小説の趣向は時々別の小説と偶然一致する」という不木の言い分は頷けるし、連載を中止するほどのことはないのだ。にもかかわらず、連載を中止するというところに、不木の志しの高さがあらわれている。
 「不思議の煙」は、大正××年に行われた海軍大飛行演習が舞台になっている。この飛行演習では3日続いて合計3機の海軍機が墜落したので、海軍省は警視庁に探索を依頼する。警視庁では、警視庁の探偵が活動して目立つといけないからと、俊夫少年を紹介したという内容の探偵小説である。
 ちなみに、この作品では、不木が従来の〈少年科学探偵〉から転換を図ることを試みたと思われる。つまり、科学知識を応用した推理というパターンから、科学知識をもとにしながらも、冒険活劇と言う要素をより強めようとしたのではないだろうか。実際、連載の第1回を読む限り、なかなかに魅力的なのだ。
小酒井先生が、ひきつゞき俊夫君の科学探偵談をかいて下さいました。こんどのは、今までのとはちがつて舞台が大きいから、ステキですよ。こんな面白い少年小説は『子供の科学』の愛読者でなければ読めません。皆さんこの事件がどう展開するか、皆さんと楽しみにして待ちませう。
 上記は「子供の科学」(注22)に掲載された無署名記事である。「子供の科学」の編集部でも、これまでにない新機軸をうちだした探偵小説であると考えていたようだ。だが、このように、せっかくの〈舞台が大きい〉企画も、読者の指摘をきっかけに、あっけなく挫折してしまった。もし掲載が続いていれば、不木の書く子ども向け探偵小説は、もっと違う方向に展開していったかもしれない。
 それはさておき、不木は、生前、自分が大人に向けて創作した探偵小説を集め、いくつかの選集を編んでいる。こうした大人向けの企画でも、〈少年科学探偵〉が選ばれていることに注目したい。〈少年科学探偵〉に対する不木の取り組みの姿勢が窺えるからである。次の一文をご覧いただきたい。
 私は元来学究の徒でありまして、研究室以外の世の中をあまり見て居りませんですから、私の作品には研究室のにほひが濃厚に附きまとつて居ります。けれども、それが一方に於て私の作品の特色ともなつて居ると思ひます。本集には、私の最も力を注いだ探偵小説を集めました。
 集中の『少年科学探偵小説』は、少年諸君のために書かれたものでありますけれど、大人の方々にも、きつとお気に入るだらうと信じます。
 偏に御愛読あらんことを希ひます。
 これは、『大衆文学全集 7 小酒井不木集』(注23)の自筆「はしがき」である。不木はこの選集に「私の最も力を注いだ探偵小説」を選んだと述べている。つまり、選集中の〈少年科学探偵〉ものは「私の最も力を注いだ探偵小説」だということに他ならないのだ。大人の読者が読んでも「きつとお気に入る」ということは、不木がそれだけの自負を持って子ども向け探偵小説の執筆に取り組んだことを意味している。
 〈少年科学探偵〉は、著者の病気を押して執筆されている。『小酒井不木全集』第12巻の「年譜」によれば、『少年科学探偵』刊行の年、すなわち1926年の3月末に発熱就床とある。この時期、執筆活動自体はさかんであったようだ。そういう訳で、不木としては、シリーズを継続して執筆する意志はあったらしい。不木の病状が〈少年科学探偵〉の執筆を容易に許さなかったことは、「子供の科学」の次の記事から分かる。この記事は、1928年9月号(「墓地の殺人」掲載中)の掲載である。
 事件は愈々迷宮に入りました。これからどうなるか、どうか次号をお待ち下さいまし。作者小酒井先生は先月来御病気で寝て居られますが、先生はわが読者のために、一回でも失望させまいとの御好意から、病床でペンをとられてかゝれたのが先月号の分と今月の分です。然し先生の御病気もやがて本腹(ママ)されることでせうし、先生は捲土重来の努力を以つて、更に更に諸君の期待以上の面白い発展をこの物語の上に見せて下さることでせう。先生の御住所は名古屋市御器所町北丸屋八十二です。先生が早く御本(ママ)腹あるやう、諸君からもお見舞の手紙でも差上げて頂きたいもので。 (記者)
 このように、〈少年科学探偵〉は、著者の病気を押して執筆された。『小酒井不木全集』第12巻の「年譜」によれば、この年の3月末に発熱就床とある。死の前年ではあるが、この時期、執筆活動自体はさかんであったようだ。そういう訳で、不木としては、シリーズを継続して執筆する意志はあったらしい。「わが読者のために、一回でも失望させまいとの御好意」云々という記述から、子ども向け探偵小説に対する不木の熱意を感じることができるだろう。不木は名古屋近郊の地主の長男に生まれ、療養生活に入っても経済的に困っていた訳ではない。経済的な理由から、子ども向け探偵小説を執筆したということは考えられない。病気療養中の身に悪影響のあることは充分承知しながらも、子ども向け探偵小説を執筆していたのである。
 なお、あまり知られていないが、不木の子ども向け探偵小説に〈常岡探偵〉の活躍するシリーズがある。〈常岡探偵〉はおそらく警視庁の中堅クラスの幹部、それもたたき上げの刑事であろう。ただ、このシリーズは「物言ふ林檎」(注24)、「血染めの日誌」(注25)の2作だけで、すぐ打ち切りになった。不木自身にとっても、不本意な出来であったようだ。不木の生前に刊行された探偵小説選集の類にも、このシリーズは掲載されていない。他にも、「肖像の怪」(注26)「十円紙幣」(注27)が、同様の扱いを受けている。これらの探偵小説は不木の死後になって、ようやく、平凡社版『少年科学探偵集』や『小酒井不木全集』(注28)に収録された。こうしたことからも、不木自身が〈少年科学探偵〉を、他の子ども向け探偵小説よりも高く評価していたことが分かる。
 子ども向けであっても決して手を抜かない真摯な姿勢、これもまた〈少年科学探偵〉が人気を博した理由の一つである。
 ところで、不木は探偵小説について多くの評論・随想の類を執筆し、この分野でも一家を成している。中でも重きを置いたテーマは、科学的研究と探偵小説の関係についてである。
 小説就中探偵小説は私の外国留学中多大の楽しみを提供してくれたのみでなく、私の専門の科学研究にも多大の力を与へてくれた。科学的研究に最も必要なるは観察力と想像力とである。而して探偵小説は如何に事物を観察し、如何に想像を働かすべきかを教へてくれた。(注29)

 それ故探偵小説を作らうと思ふ人は、その頭脳に科学的訓練を行ふ必要がある。即ちその頭を科学的にする必要があるのである。頭を科学的にするといふことは必ずしも科学知識を豊富にすることでなく、むしろ、物の見方、考へ方を科学的にすることである(ママ)物の見方を科学的にしたならば、日常生活から、いくらでも題材を得ることが出来るのである。先人の取り扱つた材料でも、見方を科学的にすることによつて、新らしい探偵小説を作ることが出来るのである。(注30)
 このように、探偵小説は科学的な〈物の見方〉〈物の考え方〉を重視する文学だということを強調している。〈少年科学探偵〉では、こうした探偵小説観を、子どもに向けてより分かりやすい表現で語っているのである。
 〈少年科学探偵〉に先だち、不木は大人向けの啓蒙書『科学探偵』を上梓している。この著作中では、血痕や毛髪の科学的鑑定方法など、当時の最新の法医学の知識を分かりやすく解説した。〈少年科学探偵〉のうちのいくつかの作品は、『科学探偵』中に紹介した科学知識を、さらに子ども向けに噛み砕いて物語の中で使用したものと言っても過言ではない。
 意外なことに、〈少年科学探偵〉の連載の開始当初は、最新の科学知識の応用ということに、それほど重きが置かれていなかったようだ。シリーズの第1作「紅色ダイヤ」では、明礬で書いた手紙や指紋の照合が出てくる程度に過ぎない。科学知識の応用よりも、暗号の解読によって事件が展開していく。第2作「暗夜の挌闘」では、盗んだ白金の塊を外に持ち出すため王水に溶かす手口が用いられる。ほかには、レントゲンを使って白金の塊を飲み込んでいないことを調べることが出てくる程度である。これでは、科学知識を応用した犯罪捜査というには、ほど遠い。王水に溶かした白金をお茶に見せかける件にいたっては、荒唐無稽とさえ言える。
 ところが、第2作めの連載が終了した「子供の科学」に、次作の予告として「いよいよ次の号では、俊夫君が、その深い深い医学の知識を応用して重大なる殺人犯を探偵する大活躍の舞台が展開します。相かはらずの御愛読を願ひます。(主幹)」(注31)という記事が出た。〈主幹〉とは原田三夫のこと。ここに至って、初めて法医学の知識を活かした探偵小説という趣旨の予告がなされた。不木が最新の医学知識を探偵小説に活かすことへの、原田の強い期待が込められている。
 上記の予告が出されて以降、〈少年科学探偵〉中に登場する法医学の知識は、きわめて斬新なものとなった。
 例えば、「髭の謎」の連載第2回(注32)では、血痕の判定が事件解決の鍵になっている。東大教授の遠藤工学博士は新しい毒瓦斯を発見するが、何者かに絞殺される。現場に残された凶器の手拭から、殺人の疑いは息子の信清に向けられた。信清の妹にあたる雪子は、兄の無実を信じ、俊夫少年に事件の探偵を依頼する。そこで、調査のため遠藤家に赴いた俊夫少年は、湯殿の浴槽の外側に赤黒い小さい斑点がたった一つあるのを発見。この斑点が人間の血液の血痕であるかどうかを鑑定した。次は、この鑑定方法に関する記述である。
 血痕が人間の血であるか否かを検べるには、血痕の中の赤血球の形を検べてもわかりますが、それよりも確かな方法は、血痕を食塩水にとかして、それと『沈澱素』といふものを混ぜ合せ、沈澱が起るか否かを見るのです。沈澱素といふのは人間の血を度々兎に注射しますと、兎の血液の中に、人間の血と混ると白い沈澱を起すものが生じますから、その兎の血を取つて、血清を分け、腐らぬやうにガラス管の中へ保存したものです。
 血液の鑑定方法に関しては、『科学探偵』中の「血痕及毛髪の鑑定」の章にも詳しい。しかも、「髭の謎」と『科学探偵』の記述は、酷似しているのだ。次に掲げるのは、「血痕及毛髪の鑑定」中の該当部分である。
一般に、人間なり動物なりの血液を、実験動物例へば家兎に度々注射すると、一定の時日の後兎の血液中には、人間なり動物なりの血液を沈澱せしめる物質が生ずるのである。この物質は通常沈降素と名けられて居るが、人間の血液を注射して生じた沈降素は決して獣血に作用せず、また獣血を注射して生じた沈降素は決して人血には作用しないのである。この原理を応用すれば、疑問の血痕が人血であるか獣血であるかを容易に鑑別することが出来るのである。即ち、予め人血なり獣血なりを家兎に注射して一定の時日を経てその家兎の血清即ち沈降素を取つて貯へて置き、それに疑問の血痕を食塩水にとかしたものを加へると、血痕がもし人血であるならば人血沈降素に黄白色の沈澱を生じ獣血沈降素の方には沈酸を生じないのである。反対にもし獣血ならば、獣血沈降素に黄白色の沈澱を生じ、人血沈降素の方には沈澱を生じないのである。
 上記のようにして、俊夫君は湯殿の斑点が人間の血液であることを確認。これを遠藤家の勝手口のあたりに雪を取った跡があることと結び付ける。そして、俊夫君は博士の死骸が浴槽の中で雪詰めにされていたと推理した。つまり、真犯人は雪で死骸を冷やし、殺害の時期をごまかしたのである。
 俊夫君の推理を決定的に裏付けたのが、博士の髭の長さである。彼は次のように語っている。
先生の御病気になられたのが十一月(ママ)(十一日の誤植―引用者)だといふのに私は先生の御顔を拝見してその髭ののび方の少ないのに驚いたのです(ママ)病気中に髭を剃る人は滅多にないからたとひ十一日の朝御剃りになつたとしても昨晩までにはもつとのびて居なくてはならぬと思つたのです。そこで私は物指を出して髭の長さをはかつて見たら、一、五ミリメートル内外のものばかりで、二ミリメートルを越したものは一本もありませんでした。髭は一日に凡そ〇、五ミリメートルのびるものですから、若し先生が昨晩まで生きて居られたのならば、少くとも二、五ミリメートル以上なくてはなりません。そこで私は先生が殺されなさつたのは昨晩ではないと判断しました。
 実は、この記述も「血痕及毛髪の鑑定」の章に酷似している。ここでは、「毛髪の生長の速度も探偵には極めて必要な事項である。その研究の結果はまだ一致しないが、通常髭は一日に〇五・(ママ)ミリメートル(〇・五ミリメートルの誤植―引用者)頭髪は十日間に二乃至五ミリメートル生長するといはれて居る」と書かれているのだ。
 「頭蓋骨の秘密」の連載第2回(注33)では、頭蓋骨の肉附けのことが書かれている。頭蓋骨の肉附けとは、いわゆる復顔術のこと。当時の日本では、復顔術は実際にはまだ行われていない。世界でも最先端の科学知識であった。わが国で復顔術を被害者の身元調査に応用した探偵小説は、「頭蓋骨の秘密」(注34)を以て嚆矢とすると言われている。不木の面目躍如といったところであろう。この作品中では「こゝで私は、頭蓋骨の肉附けといふことを一応皆さんに御話して置かうと思ひます」として、復顔術に関する詳細な説明がある。この記述も『科学探偵』中の「髑髏の身許鑑査」の章に酷似している。
 ただ、「頭蓋骨の秘密」と「髑髏の身許鑑査」の文章は、双方ともあまりにも長いため、いちいち引用すると冗漫になりすぎる。そこで、双方に共通している部分を箇条書きするにとどめておく。
・肉附けの材料に〈プラスチリン〉を使用する。
・エーナ大学のエゲリング教授の研究を紹介する。写真が全く同じである。
・バツハの遺骨の鑑定の例を紹介する。
・ニユーヨーク警察のウイリアムズ探偵の例を紹介する。
 ほかに、「墓地の殺人」の連載第4回(注35)では、 犯罪者の人相のタイプのことが書かれている。
 先刻から俊夫君は頻りに片眼で大村氏一家の写真を見てゐましたが、「兄さん」と不意に私に呼びかけました。「この石川五郎といふ男の顔を御覧なさい。これは通俗な言葉で言ふと、決して油断のならぬ顔だよ。伊太利の有名な犯罪学者ロンブロゾーの著書の中に、定型的な犯罪者の顔としてこの通りの顔が載つてゐるよ。額の狭い処といひ、髪の毛や髭が非常に濃いのといひ、頬骨の出張つてゐるところといひ、頤が大きい処といひ、立派に犯罪者たるの資格を備へてゐるよ。殊に眼を見給へ、仏蘭西のヴイドツクといふ探偵は、眼だけ見れば犯罪者か否かが分るとさへ言つてゐるが、眼が窪んでゐて割合に大きく、然も何となく光がにぶくうるんで見えるのは、殺人者型に属するもので、どうやらこの男もその型に属するらしい。それに色が至つて白く、尤も色は写真ではよく分らぬけれど、手などの具合が女のやうに繊弱く見えるのは、いよく犯罪者としての条件を具備する訳だ。」
 例によって、この記述についても、『科学探偵』中の「犯罪者の人相」の章に酷似している。
ヴイドツクは、その前身が犯罪者であつて、その後警察の探偵となつたのであるが、常に人に語つて、「自分は嫌疑者の顔を見て直ちにそれが犯罪者であるかどうかを見分けることが出来る。否、顔全体を見るには及ばない、その眼さへ見れば十分である。」といつたさうである。(略)
 ロンブロソーは、同じ犯罪者の中でも犯した罪に依つてその人相が違ふとまで云つて居る。(中略)殺人者の眼は冷やかで且つ凝視してゐる。その鼻は大きく時として鳥の嘴のやうになつて居る。その下顎は発達し、耳は長く垂れ、頬骨が強く出張り、その髪は黒く鬚は少く唇は薄く且犬歯が発達して居る。毒殺者は一種特有な優しい容貌を持つて居る。といふのである。
 不木がロンブローゾ(Cesare Lombroso)に少なからぬ関心を持っていたことは、彼の蔵書中にロンブローゾの著作の英訳(注36)が含まれていることからも明らかである。しかし、それにしても、ロンブローゾの説を適用をされ、容貌が殺人者のタイプにあてはまるからと、犯人扱いされてはたまらない。不木も右の一文の結論として、「しかしながらこのロンブロソーの記述はその後の犯罪学者の研究に依つて必ずしもさうでないと云はれて居る」と否定的である。俊夫君の発言中でも、必ずしもロンブローゾの説を信じ込んで、問題の写真の男が犯罪者であると断定しているわけではない。現に作中では、「それでは君は、この男が今度の事件に関係してゐると思ふのか。」「いやまだ僕は何とも思つてゐないよ。たゞ斯う云う犯罪者として定型的な顔をした男が此処に偶然撮影されてゐるから珍らしく思つただけだよ。」云々と、俊夫君はロンブローゾの説の適用にあくまでも慎重である。慎重であるという態度までが、『科学探偵』そのままなのだ。
 なお、「髭の謎」では、法医学の知識の応用もさることながら、犯行現場をよく観察し、証拠を吟味し、仮説を立て、これを実証することを重視している。これもまた、不木が『科学探偵』において繰り返し主張する犯罪捜査の方法なのである。
 ほかに、「現場の写真」(注37)では、俊夫君は殺人現場の写真を見ただけで、犯人と被害者は知り合いであること、犯人は左ききであることを看破してしまう。『科学探偵』中の「写真と探偵」の章でも、「写真は選択的な観察をしないで、凡てのものを平等に写すからしてあるある(ママ)意味に於ては理想的観察者たるの資格を有するといつてよい。」等と述べている。同書中の「殺人探偵」の章でも、「凶器の性質は解剖台上でわかるとしても、右利左利の判断の如きは、現場の事情に依らねば出来難い場合が多い。(略)近時、観察の粗漏を補ふために、現場の写真撮影といふことが、やかましく唱へられるやうになつた」云々と記している。
 上に述べてきたように〈少年科学探偵〉と『科学探偵』との類似点は多い。
 ただ、〈少年科学探偵〉は、『科学探偵』ばかりでなく、他の法医学関係の文献にも関連の深いことはむろんのことである。実際、「墓地の殺人」(注38)に、次のような記述があるのだ。
 塚原俊夫君は実験室に帰へるなり、死人から取つてきたシヤツのポケツトのごみと、耳垢と、爪の垢との顕微鏡的検査にとりかゝりました。
 そもそもこの塵埃や垢の顕微鏡的検査は最近の科学的探偵法のうちで最も肝要な位置を占めて居るのでありまして、ある場合には指紋などよりも重要な役目をつとめることがあります。この方面の大家としては現にフランスのリヨン警察の鑑識課の主任を勤めてゐるロカール氏が最も有名でありまして、氏によつて幾多の難事件が極めて容易に解決されましたが、それらの例は氏の最近の著書に詳しく書かれて居りまして、もとより既に俊夫君の愛読書の一つとなつて居ります。
 かくして、不木は最新の科学捜査の手法を子どもに向けて語り続けたのである。〈少年科学探偵〉で紹介された最新の情報は、確固たる科学知識の裏付けのあるものであった。このようにして、子どもたちの知的好奇心を満足させたところに、〈少年科学探偵〉の人気のもう一つの秘密があったのである。
 以上のように、大人向けの啓蒙書ばかりでなく、子どもに向けて物語形式で書くというところに不木のユニークさがあった。その結果、他に例を見ない独自のスタイルを確立し、子どもだけに限らず、幅広い層の人気を集めることができたのである。

(4)小酒井不木の児童文学観

 ここでは、〈少年科学探偵〉シリーズの人気の秘密を、作家の内面からさぐってみたい。
 不木は、児童文学観を述べたような纏まった文章を書いていない。その中で、探偵小説集『少年科学探偵』の序文が、唯一、直接の手がかりになっている。不木の児童文学観を探る上で、きわめて重要な一文なので、次にその主要部分を引用紹介しておく。

 本書に収めた六篇の探偵小説は、雑誌『子供の科学』に連載されたもので尋常五六年生から中学二三年生までぐらゐの少年諸君の読物として書いたのであります。
 現代は科学の世の中でありまして、科学知識がなくては、人は一日もたのしく暮すことが出来ません。然し、科学知識を得るには、何よりも先づ科学の面白さを知らねばならぬのでありまして、その科学の面白さを知つてもらふために、私はこの小説を書いたのであります。
 次に科学知識なるものは、書物を読むと同時に、よく『考へる』ことによつて余計に得られるものであります。ですから、ドイツの諺にも『読むことによつて人は多くを得るが、考ることによつて人はより多くを得る』とあります。然るに、探偵小説は、読む小説であると同時に読んで考へる小説であります。それ故、私は私の小説を読まれる少年諸君に、物ごとを考へる習慣をつけてもらひたいと思つて書いたのであります。
 序文では、不木の子ども向け探偵小説に、「科学の面白さを知つてもらふ」こと、「物ごとを考へる習慣をつけてもらひたい」こと、この2つの目標が存することを述べている。この2点については、この小論中で詳しく述べてきたつもりである。このように、不木の子ども向け探偵小説は《教育的》なのだ。
 なお、これと殆ど同じ文が春陽堂少年文庫版の『少年科学探偵』にも載っている。不木の没後の出版なので、資料的には価値の高いものではない。が、それでもこの序文が使いまわされたという事実は、これがいかに重要なものであるかということを示している。
 ところで、不木の大人向け探偵小説は、江戸川乱歩などのものとともに、《不健全派》と評された。
『恋愛曲線』『死の接吻』『闘争』などの創作は、科学的な整合性と、決して割り切ることの出来ない人間心理の相克が描かれている。ここでも問題となるのは矛盾し対立するふたつの価値の狭間という主題であった。
 平林初之輔はそんな不木の作風について『探偵小説分段の諸傾向』のなかで、乱歩や横溝正史と共に《不健全派》と評した。(略)
 一方、不木は『探偵小説管見』で、広い意味での探偵小説とは〈恐怖を喜ぶ心〉と〈謎を解きたがる心〉に基づいた〈特殊な技巧〉によって構成される小説だと述べている。この〈恐怖を喜ぶ心〉と〈謎を解きたがる心〉という二重性こそ、不木の人間観察の基礎をなす認識だった。
 (略)この合理と不合理の鬩ぎあいの狭間に《探偵小説》というジャンルを確立しようというのが、不木の考えだったと思われる。(注39)
 だが、子ども向けの作品に、このような傾向は見られない。むしろ、内容は極めて《健全》であり、時には教訓的な内容が目立つ。子ども向けの作品では《健全》な部分をのみ描いたと言えよう。教訓臭が最も顕著な作品は、伝記ものや感動ものの類、そして至極当然だが教訓ものの類である。不木の子ども向けの作品中では、探偵小説を除くと圧倒的にこの種のものが多い。
 例として、「ジエンナー伝」(注40)を取りあげる。
 この伝記では、ジェンナーが種痘を考案し完成させるまでの出来事を読者に語りかけている。ジェンナー伝を立身出世という観点から描いて、いかにも「少年倶楽部」らしさを感じさせる。作者名に〈医学博士〉と肩書きを付けるのも、権威づけの常套手段である。冒頭部分には編集部による解説が入って、「少年倶楽部」編集部、すなわち出版物の送り手側の思いがわかる。
 諸君は尋常四年の修身教科書第十五『志を堅くせよ』のところでジエンナーのお話を教はつたでせう。ジエンナーが世界人類の為に種痘を発明するまで如何に苦心したか、如何に困難に耐へたか、私達は医学博士小酒井不木先生が諸君の為に特に御書き下さつたこのジエンナー伝を読んで更に新しく感激させられました。心をひそめて之を読むなら諸君もきつと私達と同じ様な強い感激にうたれるであらうと想像します。 ―記者―
 それでは、著者自身の思いはどのようなものなのだろうか。
 この伝記の最後は、「種痘法が日本へ輸入されたのは一8四9年即ち嘉永二年のことでありまして、それ以後日本国民もジエンナーの恩恵に浴することになつたのであります。げに偉大なるものは人の力ではありませんか。(をはり)」と、教訓で締めくくられている。最後の一文を抜きにしても、ジェンナーの偉大さは充分伝わってくるはずだ。それを、わざわざこうした教訓を書き加えるところに、不木の意図が感じられる。このように、極めて《教育的》な配慮が行き届いているのである。
 「輪投げ」(注41)では、貧乏なヘンリー少年は足が不自由な為、雇い手がない。それでもめげずに、ある商店主の募集に応募すると、試験として輪投げをやらされる。ヘンリーは始めこの試験に失敗するが、一晩、懸命に努力して輪投げに熟達。主人はヘンリーが努力家であることに感激して、気持ち良く雇ってくれるという作品である。「欺く者はなげく」(注42)では、正直な驢馬の養子になった狐が大金を持ち出して出奔。強盗に襲われて死んだふりをする。やがて零落して故郷に帰るが、養子を失った悲しみから盲目となった驢馬は、立ち戻った狐を死んだはずの養子だとは信じてくれない。ここにあげたような作品は、教訓性こそ「ジエンナー伝」ほど露骨ではないけれど、凡庸な出来の作品であることは否めない。
 これにひきかえて、不木の大人向けの作品に「邂逅」(注43)という作品がある。人情ものの要素が強い作品である。ここでは老人が生活に困窮し、出来心で泥棒に入るが、主人に取り押さえられる。老盗人は、30年前に別れた子どもにめぐり会うまでは刑務所へ行きたくないから見逃してくれと頼む。しかし、主人は妻に警察を呼べという。ところが、妻は老人が自分の父親だという事実を打明けて、許してやって欲しいと懇願する。主人はしかたなく、老人を許してやる。場面は変って、この家の息子は高等学校に通っているが、母親から内意を含められて老人を追いかけた。母からは金包を預かっている。彼は老人と会話を交わしているうちに、老人の別れた子どもが娘でなく息子であったことを聞き出した。つまり、母は老人に同情して、一芝居うったのである。これを知った彼は、自分の母親の心根に〈涙ぐましいほどの感激を覚えた〉のである。この作品は、子ども向けの感動ものの雰囲気に近いものの、ストーリー展開の意外さと人情味あふれる語り口に魅力がある。そして、大人向けの作品であっても、《不健全派》として一括してしまうことのできない幅広さを、不木が持っていたことがわかる。つまり、彼は人間の肯定的な側面と否定的な側面を含めて、人間を丸ごと描こうとしたのだろう。
 ところで、探偵小説というジャンルでは、たとえ子ども向けの作品と雖も、何らの犯罪も行われず、犯人も存在しないということは例外的である。不木の場合は、それが子ども向けのものであるとき、殺人の方法や死体の処理など、残酷な場面を省略している。「肖像の怪」には、次のような表現がある。
 数分の後、儀助は源吉に絞殺され、死体となつて横はつて居ました。源吉が如何なる方法で儀助を殺したかは、あまり残酷であるから申し上げません。又、源吉がそれから儀助の死体を切断して焼却したことに就ても委しいことは申し上げないつもりです。何となればこの物語は、主として、源吉の殺人後の心理状態を述べるのが目的だからであります。
 「肖像の怪」と似た発想の探偵小説に、大人向けの「直接證拠」(注44)がある。「肖像の怪」は、高利貸しを殺すということ、死体を切断して焼却または薬品で溶かすということ、全ての証拠を焼却または溶解するということなど、「直接證拠」に共通するところが多い。ところが、「直接證拠」の方では、死体の始末をかなり具体的かつリアルに書いている。また、「肖像の怪」では殺人者が自分の犯した罪に恐れおののいているのに、「直接證拠」では、殺人者は己の犯した殺人について心の痛みを感じず、平然としているのだ。同じく、大人向けの「三つの痣」(注45)では、殺人犯に被害者の解剖を見学させている。これだけで己れの罪を自白してしまう者が多いが、それでも罪を認めない場合には、死体から腸管を切りだして液体につけ、生理作用で運動する様を見せつける。結末部では、それでも頑固に己れの罪を認めようとしなかった殺人犯が遂に発狂してしまう。こうした陰惨さは子ども向け探偵小説には見られない。
 また、不木の子ども向け探偵小説では、犯罪を犯すものは必ず悪人であり、探偵によって悪業が暴かれる。現実にはそれなりの動機や背景があるはずで、犯罪者と雖も、何らかの情状酌量の余地があってしかるべきなのだ。しかし、ここではそうしたことは一切描かれない。犯罪を犯す者は同情の余地のない悪人なのだ。いかに巧みに仕組まれていようと、犯罪は必ず暴かれ、犯人は必ず捕らえられることになっている。
 このように、不木の子ども向け探偵小説には、《教育的》な配慮が行き届いている。人間の否定的な側面については描かないというところに、不木の児童文学観が良く現れているのである。こうした不木の児童文学観が最も直接的に反映した作品は、探偵もの以外の作品、すなわち伝記もの、感動もの、教訓ものの類であった。これらはきわめて教訓的、教育的で、《健全》なのだ。こういった過剰な《健全》さが、作品をつまらないものにしている。けれども、探偵ものとなると、何らかの犯罪が絡んでくるので、ことは単純ではない。残酷な場面はセーブするにしてもである。

(5)五、終わりに

 探偵小説に関する評論類において、不木は探偵小説が他のジャンルに劣らないジャンルであることを、しきりに強調している。探偵小説の地位を引き上げるため、理論付けに腐心したのである。

探偵小説も人生のある特殊の方面の描写を目的とする以上、他の高級芸術と少しも優劣の差のあるべき筈はなく、時折用ひらるゝ芸術的探偵小説などといふ名は須らく撤廃すべきものであるが、かゝる名の附せらるゝのは従来の探偵小説が動もすると低級なものであつたがためで、私は偏に高級芸術として尊ばるゝ日の来らむことを望むのである。(注46)

 「科学的」という言葉を用ひると、内容までが科学的なものでなくてはならぬものと早合点する人があるかも知れぬが、それは誤りである。芸術である以上、取り扱はれる内容は人生であるべきであつて探偵小説に於ては、たゞその取扱ひ方を科学的にせねばならぬといふ迄である。(注47)

 このように、探偵小説もまた〈高級芸術〉であることを強調している。〈芸術〉性を強調することによって、探偵小説の地位の向上をはかったのだ。文学は人生を描く芸術である。だとすると、探偵小説も文学の他のジャンルと同様に人生を描くものでなければならない。探偵小説は「芸術である以上、取り扱はれる内容は人生であるべき」なのである。不木にとって、探偵小説は「人生のある特殊の方面の描写を目的とする」ものであった。人生を描くということは、人間の生き様をまるごと描くものでなければならない。そのためには、人間の肯定的な面だけではなく、否定的な面をも描かなければならない。むしろ、日常生活では隠れている人間の暗部を暴きだすことに、意味を見いだしたのかもしれない。つまり、不木にとって「探偵小説とは、謎と謎解きの狭間で捲れる重層的な磯味さ、危うい均衡の文学だったのであり、二〇年代的言説のなかでいえば、モダンな幾何学的思考とエロ・グロ・ナンセンスの情念の接点に当たるものだった」(注48)ということができる。
 しかし、不木の作品群は必ずしも《不健全派》という呼称で一括できるほど、単純ではない。そして、不木の児童文学も、また、探偵小説に限らず幅広いものがある。
 探偵もの以外の不木の子ども向けの作品には、余技的な色彩が強く見られる。そうした中、「兄弟」(注49)では、零落した身なりの弟が、久しぶりに兄のもとを訪ねてくる。兄は弟に同情して、自分も豊かでないのに、なけなしの金を与えてしまう。ところが、実は、弟はアメリカで成功していた。兄の立場に配慮して、わざと貧乏に装っていたのである。弟が兄のもとを去ったのち、密かに兄嫁に大金を託していたことがわかるという作品だ。物語が予想外の展開を見せる中、兄弟愛を感動的に描いている。「国際射的大競技」(注50)は、普仏戦争の前、フランスに留学中であった日本の陸軍大尉が列強国の代表を退け、射的大会で優勝するというもの。筋立ての巧みさと意外性の連続で、なかなかに読ませる作品だ。いずれの作品も、ストーリー展開に探偵小説の手法を思わせる佳品である。私の知る限りでは、この2作品を除き、探偵もの以外の子ども向け作品に見るべきものはない。オリジナリティーに欠けてストーリー展開が凡庸であるか、教訓臭があまりにも強すぎるのだ。過度の教訓性が子どもの読物の面白さを著しく損なうことは、ここであらためて言うまでもない。
 〈少年科学探偵〉について言えば、これは大人が安心して子どもに与えられる作品であった。不木の《健全》な側面が最も良く現れていたからである。だが、不木の《健全》な配慮は《教訓》にまで進むことはなく、子どもにとっての面白さを損なうことはなかった。
 〈少年科学探偵〉の面白さとは、際立った論理性、知的好奇心の満足、斬新で独創的なアイデアへの驚きと感動ということであろう。このシリーズは、面白さと《健全》さの間の、絶妙なバランスの上に成り立っているのである。

【附記】本稿は第34回日本児童文学学会研究大会(1995年11月11日、日本女子大学)における口頭発表が原型となっている。「子供の科学」関係の資料については、會津信吾氏のお世話になった。

(注1)1930年6月12日
(注2)1932年12月25日
(注3)1946年6月10日 世界社
(注4)第48巻 1967年1月20日
(注5)改造社 全17巻
  「執筆年表」は第12巻(1930年5月21日)に収録。
(注6)小酒井不木『殺人論』(1991年10月30日 国書刊行会)に収録。
(注7)「大衆文芸」1926年1月創刊号
(注8)「仮面の賊」(「少年倶楽部」1916年11月号)ほか。
(注9)1966年3月25日 誠文堂新光社
(注10)1986年6月30日 三一書房
(注11)「子供の科学」1926年12月〜27年2月号
(注12)初出は「新青年」(1922年2月10日増刊号)だが、未見。
  『小酒井不木全集』第12巻(書誌は注5)から引用した。
(注13)「子供の科学」1926年1月〜3月号
(注14)1924年8月18日 春陽堂
(注15)「女性」1925年4月号
(注16)1926年12月13日 文苑閣
(注17)「少年倶楽部」1927年7月号
(注18)「自殺か他殺か」(「少年倶楽部」1927年11月号)
(注19)『少年科学探偵』(書誌は注16)の「序」
(注20)1928年3月1日 平凡社
   戦後も再版(1946年4月20日付)が出ているが、同じタイトルの注3の書とは別書。
(注21)「子供の科学」1926年11月号
(注22)1926年10月号
(注23)1928年3月1日 平凡社
(注24)「執筆年表」(書誌は注5)では、1927年6月10日、「日本少年」に執筆とあるが、未見。
(注25)「執筆年表」では、1927年8月12日、「少年倶楽部」に執筆とあるが、実際には見あたらない。「執筆年表」の誤りか。
(注26)「執筆年表」では、1926年8月11日、「日本少年」に執筆とあるが、未見。
   『少年科学探偵集』(書誌は注1)から引用した。
(注27)初出など全く不明。
(注28)第15巻(1930年8月18日)に収録。
(注29)「科学的研究と探偵小説」(書誌は注12)
(注30)「探偵小説管見」(「文章往来」1926年1〜7月号)
    5回連載で中断。引用部分は2月号に掲載。
(注31)「子供の科学」1925年5月号
(注32)「子供の科学」1925年7月号
(注33)「子供の科学」1925年11月号
(注34)「子供の科学」1925年10月〜12月号
(注35)「子供の科学」1928年10月号
(注36)Crime : its causes and remedies. Tr. by P.Horton 1918
   愛知医大所蔵、小酒井文庫。
(注37)「少年倶楽部」1927年8月号
(注38)「子供の科学」1928年7月〜12月号
   引用部分は8月号に掲載。
(注39)長山靖生「小酒井不木―横断する知性」
   小酒井不木『犯罪文学研究』(1991年9月30日 国書刊行会)に収録。
(注40)「少年倶楽部」1928年5月号
(注41)「少年倶楽部」1928年1月号・附録
(注42)「少年倶楽部」1929年2月号
(注43)日本探偵小説全集『小酒井不木集』(1930年3月20日 改造社)に収録。
   初出不明。
(注44)「大衆文芸」1926年4月号
(注45)「大衆文芸」1926年2月号
(注46)「科学的研究と探偵小説」(書誌は注12)
(注47)「探偵小説管見」(書誌は(注29)
(注48)長山靖生「万有博士の20年代」(書誌は注6)
(注49)「少女倶楽部」1929年3月号
(注50)「少年倶楽部」1929年4月号