インターネット版

児童文学資料研究
No.101

発行日 2005年8月15日


目  次


『児童文化 上』収録論文紹介(1)大藤幹夫
『実演の仕方と心得(実演仏教童話全集第九巻)』(1)藤本芳則
林古渓「浜辺の歌」考(2)上田信道

『児童文化 上』収録論文紹介(1)

  西村書店 発行
  昭和16年2月25日 発行

 本書の「講座「児童文化」刊行趣旨」や内容目次は、菅 忠道著『自伝的児童文化史 戦前・戦中期編』(ほるぷ発行 1978年)に紹介されている。対談の聞き手・渋谷清視が、この時点で「こういう文献は、今もう入手しがたい」としているので、ここに取り上げるのも無駄ではあるまい。
 『児童文化』の編集委員でもあった菅は、『自伝的児童文化史 戦前・戦中期編』の中で「実際につくりました本は、おそらくそういうふうなかたちで、児童文化の諸問題がまとめられたことは、それまでにはなかったと思います。そうしてその中味は、必ずしも全部が全部、国策をバックにはしていないふしもあったと思いますけれども、この内容を、その後も進展していった児童文化運動を教育科学研究会の変質過程との関連で考えてみるとき、やはり反省していく必要はあると思います。」と述べている。

 戦中期の児童文学・児童文化の問題を考える時、避けることの出来ない一人が佐伯郁郎である。昭和13年10月、内務省警保局図書課から出された「児童読物改善ニ関スル指示要綱」を提示するにあたって中心になった人物である。
 この「指示要綱」は戦中の児童読み物のありようを規定したといっても過言ではない。佐伯は、この「指示要綱」の狙いを「児童図書の内容の全面的向上といふことが主目的であった。(略)露骨なる商業主義を排除することに他ならなかった。」としているが、実態は、佐伯自身書くように「児童図書の統制」であり「検閲」につながった。
 佐伯は、「児童図書出版政策」で、この「指示要綱」を紹介する際には「指導要綱」と書いている。実態は「指示」ではなく、強制力を持つ「指導」以上の「検閲」であった。「内務省で検閲を行ひ、文部省で推薦を行つてゐる。前者は取締りであつて、後者は指導であり、助成である。」とその本質を示している。たとえば、「九月から十二月迄の間に於て、漫画三十四種に発売頒布禁止を命じ、絵本三種に誇大広告の故を以て削除を命じた」ことに表われた。
 「検閲に於ける取締りとは、悪質のものの禁圧、推薦とは、良質のものの選出といふ限定がある」とするが、その実態は、「限定」を越えていく。「検閲にしろ、推薦にしろ、出版されたものに就いての取締りであり、選択である。」に本音が窺われる。
 後で紹介する「児童図書検閲について」の執筆者・上月景尊も「(内務省の児童出版物の浄化改善運動は)思想統制への第一段階であつたといふことは、当時内務省が児童出版業者に示した「指導要綱」を参照すれば、明らか」と記している。当時の「指示要綱」の受け止め方はあくまで「指導要綱」だったのである。
 さて、佐伯の論稿に戻らねばならない。
 内務省に献本された単行本は、昭和13年には260種、14年は370種、15年は8月現在で280種にのぼるという。(現在の出版記録と比較するのもいい。)  絵本は、昭和14年は1055種(漫画400種、絵本655種)、15年は8月末現在で628種(漫画191種、絵本437種)になる。この結果を、佐伯は「(児童図書は)昭和十三年来上昇の一路を辿ってゐる」とし、その理由を「児童出版書肆が増加」したことに認めている。しかし、その内実を「児童図書が最近の出版界の好況に伴つて、十分商品的価値を持ち出したといふことと、出版企画が一般図書と比較して簡単であるといふ功利的な考へ方が介在してゐる」とも書いている。
 昭和14年の単行本370種のめぼしい中味は、童話八九種、少年講談37種、漫画26種、冒険小説21種、少年少女小説21種、科学15種、伝記6種、歴史7種である。(この分類もおもしろい。)15年8月の280種の内容は、童話111種、少年少女小説34種、漫画43種、科学13種、伝記12種、歴史11種、少年講談9種。この結果についても「売れるから出す、子供が好むものを出すといふ極めて商業主義的出版企画によつてゐる」と見る。
 佐伯は、「積極的な出版政策」を提言する。それは「出版される前の、出版企画の指導であり、統制である」真に危険な提言といわざるを得ないが、歴史はこの道を進むことになる。。
 次に言われるのは「普及の問題」である。「文部省の推薦本が、定価を明記したことによつて、利幅が制限されるといふ理由で却つて地方への配給を阻害したといふ事実」を挙げているのは興味深い。

 次に紹介するのは、上月景尊の「児童図書検閲について」である。
 興味深い数字を紹介する。配給機関調査による総売上数は、昭和13年の少年少女雑誌は13種で12、957,000部、幼年雑誌は25種10,825,000部、昭和14年の少年少女雑誌13種は13,175,480部、幼年雑誌は25種13,127,950部になる。赤本と云われる絵本、漫画の類は、一回発行分の印刷部数は約四萬部から八萬部内外で「一ヵ年の発行部数を、過去に於ける用紙の消費実績から想像」して、約六七千萬部から一億萬部となる。
 検閲の実態は、「業者、作家に対しては極力「指導要綱」の実践化への協力を慫慂し、これを積極化せしめる為に、便宜処置として、原稿、原画の事前内閲制度を採り、少なくとも児童出版物に関する限りは、事前検閲を経ないものは出版させない態度を以つて臨んで来たのである。」と証言する。
 「元来斯種業者といふものは、絵本の教育性とか文化性等については殆んど関心をもたぬ、純然たる商人であり、又それに従属してゐた童画作家は、単なる画工的な存在でしかなかつた」と厳しい。
 上月は「過去三ヵ年に亘る指導検閲の結果、現下の児童出版界は、漸次改善、自粛の傾向を辿り、特に形式的方面は、全く旧弊を一掃した」と自負する。
 検閲によって「過去二ヵ年間」に「出版法に依る」発売禁止処分を受けたのは28件(絵本漫画を含む)、安寧削除処分が3件、警告及び厳重注意処分が23件、「無責任な出版態度」に対して始末書を提出させたのが54件と報告されている。
 このうち「禁止処分」として例示された「少年少女小説」の一冊『児童たけくらべ』は、樋口一葉の『たけくらべ』を「児童読物風に簡略、修正」した作品。「その特殊社会に生活する子供達の生活描写が、読者に対して早熟にして、且卑猥なる印象を与ふる処ある点、風教上害あり」が理由として示されてある。
 「厳重注意処分」とされたのは、「少女雑誌掲載の「ミチの手記」と題する、少女小説」で、「筆致の陰惨、退廃的なる点、徒らに多感なる読者の感傷心に迎合する嫌いあり」が理由であった。
 検閲について、とりわけ歴史物には厳しく、たとえば「皇室に関する事項にして、表現を誤るもの」には「呵責なく取締る方針である」。歴史物の意義は、「日本の皇室の有難さ、日本人としての栄誉をいかに知らせるか」にあるのに「そのやうなものは未だ一冊も出版されない」。
 「斯かる無責任な児童出版物の現実に日夜直面してゐる検閲当事者としては、これ等の各面に対しての権威ある指導組織の必要性」を説く。
 「結論」として、「現下の児童出版物の低俗さは、結局、業者並びに作家の文化的見識の低さの反映である。(略)教育性といふことを課題されてゐる児童出版物が、検閲当局よりの内閲指導といふ強制力が加わつて出版されてさへ、しかも尚、如上の結果を示してゐるといふことは、人の子の親として、共同の責任を担当する業者なり、作者なりの不見識と最大の不名誉を語る以外、何ものもないといふことである。」と怒りを露わにする。

(大藤幹夫)



『実演の仕方と心得(実演仏教童話全集第九巻)』(1)

  大関尚之ほか著
  昭和10年9月15日発行
  実演仏教童話全集刊行会

 四六判、316頁、上製、函入。発行元は、東京市牛込区新小川町の仏教年鑑社内におかれた実演仏教童話全集刊行会。
 仏教童話は、主に日曜学校で語られたが、その仏教日曜学校は、1920年代に隆盛から停滞への道をたどったといわれる。だとすれば、「実演仏教童話全集」(全10巻)は、それまでの実演仏教童話をふまえたうえで、今後を展望する視点をもっていたと想像される。事実本巻(最終配本)に挟み込まれたリーフレットに掲載された「会員の声」には、「童話全集発刊に力を得て日曜学校を再興」したとか、「本全集を申込むと同時に日曜学校を開設」したという記述がみえる。理論書と、実用書の両方の側面をもつ本書は、僧侶など実際に口演をする読者を想定していたと考えられる。
 本書には以下の四編を収める。「仏教童話の創作過程」(神根■{折/心}生)、「仏教童話の実演に就て」(大関尚之)、「童話の改作と話し方練習法」(内山憲堂)、附録として「児童劇実演の仕方と心得」(長尾豊)。

 「仏教童話の創作過程」(神根■{折/心}生、3〜77頁)
 「仏教経典の童話化」と副題がある。まず仏教童話を、「仏教精神を中心とした童話」と説明する。これは、内山憲堂(『仏教童話とその活用』)などもおおむね同じで、蘆谷重常も広義では同様にとらえている(『仏教童話の研究』)。
「仏教精神が漲つて居れば、仮作物語でも立派な仏教童話」だとし、「奇特な崇信な児童の事実談も仏教童話たり得る」とする。童話のなかに事実談を含んでいるのは、「童話」の語が、現在の一般的な用法と異なるからである。ここでの童話という語は、フィクションに限らず、子どもの読物、あるいは、口演童話の意味で使われている。従って高僧の伝記や殉教者の物語も「童話の形式」を備えるなら、仏教童話と名付けることが可能だと説く。その上で、仏教経典中の「譬喩因縁を如何にして童話化すべきかの問題」をとりあげる。
 まず、童話として仏教経典をみた場合の特質をいくつかあげ、注意を促す。いくつかをあげてみると、残酷すぎるものが多いので、できるだけ「刺激を弱めて話す」こと、悲劇的な場面が多いので笑いを多くすること、教訓が露骨なので、話の中に織り込み教訓らしく思わせないこと、物語のクライマックスの位置を工夫しなければならないこと、などである。また童話に適している点として、仏典の物語には因果関係がかならずあるので、童話として好都合であること、動物の登場する話が多いので幼児に適するものが作れること、物語の結末が向日的であること、三度の反復のみられることなどをあげている。仏教経典の中には口承の物語が取り込まれているものもあるから、昔話と同様の特徴を具えていても不思議はない。
 二章「仏典童話創作の実例」では、「賢い鸚鵡」「マハーサトバ王子」「大具戒王本生物語」を創作する過程を示し、三章「仏典童話の創作と話し方」では、「仏典童話といつても普通一般の童話と全然無関係のものでなく、寧ろ一応それを修得しての上に建設されるべき上層建築である」と位置付ける。
 通例の口演童話とことなる点として、10項目があげられているが、はっきりと違いが述べられているわけではない。強いてあげれば、仏典童話には悲壮な場面が多いが、涙を一滴落とさせても失敗だというくらいである。「敬虔な信仰生活を営むこと」で、「人格が話の上に反映」するようになると最後に述べる。口演童話もまた宗教的行為に類したものと神根には思えていたのかもしれない。

 「仏教童話の実演に就て」(大関尚之、79〜150頁)
 大関は、仏教童話を神根よりも一歩踏み込んで把握している。
 仏典に材料を求めたものでも、高僧の事蹟を述べたものでも、通常の童話と変わらないものもある。仏教に関係した事項を扱った童話をいちいちを究明してみると、なぜ仏教童話とするのか疑問になる童話があり、「仏教童話の正体が分からなくなる」。そこで、「仏教童話とは、仏教思想又は仏教々理を内容として、読者又は聴者に対し、仏教の感化乃至理解を与へ得るもの」と自らの定義を示す。題材よりも内容と教化性を重視するのである。これは、一見仏教童話を狭くとらえるようにみえるが、「仏教経典に捉はれる事もいらず、わざわざ仏教関係の材料を探し蒐める煩雑も」なくなることになり、「仏教童話の範囲はこれによつて無限大に」拡大する。
内容を重視するこのような定義からは、「話者自身が仏教に活き、話自体に仏教が活きて」いる必要が導かれる。
 童話の材料については、重要なのは、蒐集よりも選択であり、仏教精神に即すよう改作することと主張。これらは、具体的に例をひきながら説明されている。最後に、「仏教童話家は、仏教の信仰に活きることによつて、真の仏教童話を語り得る」を念頭に入れておくことを述べている。ほとんどの仏教童話が、日曜学校で語られるとすれば、ことさらにこのように述べていることに、何を読み取るべきだろうか。
 三章「仏教童話の表現」では、「まくら」「本話」「むすび」について論じられている。「まくら」に仏教関連の語句などを使った場合、一般童話の「まくら」は、多く「本話」の説明であるのに対し、仏教童話は逆に、本話が「まくら」の説明になると注意を促す。また、「むすび」では、一般童話とことなり、結論と言うよりも話全体に磨きをかけるものであり、「本話」を活かし説明するものだという。
 五章「仏教童話の演出」では、一般童話と大きくことなるのは、演出方法だが、これの吟味はほとんどなされていないという現状認識を示し、「仏教童話はその目的を達する上から云つて、お伽大会式の、所謂、大衆を相手にした場合に話さるべき性質のものではない」という点から、少人数でしんみりした会合を予想すべきだと主張する。演出の技巧に走りすぎる当代の口演童話に対する批判を述べた後、「止むに止まれぬ児童への慈愛」が根底になければならないと説く。仏教実演童話が、大衆化しすぎた口演童話に同化されないようにとの自戒のことばとも受け取れる。

(藤本芳則)



林古渓「浜辺の歌」考(2)

上田信道


 (承前)
 「浜辺の歌」の初出は、東京音楽学校学友会からでていた雑誌「音楽」の一九一三(大2)年八月号(第四巻第八号)である。作者名は林古渓、タイトルは「はまべ」とあり、末尾に「(作曲用試作)」と註が添えられている。
 次に、歌詞の全文を引用する。

  あした はまべを さまよへば、
 むかしの ことぞ しのばるる。
かぜの おとよ、くもの さまよ。
 よするなみも、かひの いろも。
  
ゆふべ はまべを もとほれば、
 むかしの ひとぞ しのばるる。
よする なみよ、かへす なみよ。
 つきのいろも ほしの かげも。
  
はやち たちまち なみを ふき、
 赤裳の すそぞ ぬれもひぢし。
やみし われは すでに いえて、
 はまべの真砂(マナゴ) まなご いまは。
 句読点・わかちがき・かな漢字の違いは別にして、初出雑誌版とセノオ楽譜版を比較すると、四箇所の違いがある。
 第一に、初出雑誌版の「かぜの おとよ」は、セノオ楽譜版では「風よ音よ」になっている。セノオ楽譜版が対句表現を崩していることは既にのべたとおりである。古渓はセノオ楽譜版の第三節を否定したのみならず、第二節のこうした誤謬への不満から、後に「風の音よ」にもどしたものと考えられる。
 第二に、初出雑誌版の「ぬれもひぢし。」は、セノオ楽譜版では「ぬれもせじ。」になっている。初出雑誌版では《赤裳のすそが濡れる》という意味になるので、全体として意味もとおっているが、セノオ楽譜版は意味がとおらない。この事実からも、この楽譜が古渓の許諾を得ずに意向を無視して出版されたとする説を裏付けることができる。
 第三に、初出雑誌版の「すでに」は、セノオ楽譜版では「すべて」になっている。セノオ楽譜版で意味がとおらなくなったことは、第二と同様である。
 第四に、初出雑誌版の「真砂(マナゴ)」は、セノオ楽譜版では「真砂(まさご)」になっている。セノオ楽譜版は《真砂(マナゴ)》と《まなご》の音の重複を嫌ったのだろうが、同じ音の詩句のくりかえしで調子を整えることは必ずしも悪いことではないように思う。
 このように、初出誌への掲載の際に第三節の前半と第四節の後半が誤って併合されて第三節になっているとしても、初出雑誌版をみる限りでは、全体として意味がとおっている。そのために、雑誌の編集者が誤植に気づかなかったのだろう。もし、意味がとおっていなければ、校正の際に素読するだけで誤植に気づいたかもしれない。
 しかし、セノオ楽譜版では第三節でさらに誤謬を重ね、全体として意味がとおらなくなってしまった。古渓も大いにこれを気にしたようで、第三節を一部書きかえたうえで、意味がとおるように修正することを試みたことがあった。
 畑中良輔監修・塚田佳男選曲構成・黒沢弘光解説『日本名歌百選 詩の分析と解釈1』(1998 音楽之友社)に、古渓直筆の書き込みのあるセノオ楽譜が写真版で紹介されている。
 これを見ると、版次は1928(昭13)年11月10日付発行の第13版である。初版とは異なって刊行の辞はなく、その箇所に新刊楽譜の目録がはめ込まれている。歌詞の内容については、初出と変わりはない。
 書き込み本には、欄外に「四」「歌詞ノ誤りハ作曲者の誤也 古渓」とあり、さらに第三節を次のように訂正している。
三、 はやちたちまち波を吹き、
あかも赤裳のすそ[ぞぬれもせじ。→のぬれもひぢし。]
やみし我は[すべて→すでに]いえて、
浜辺の真砂(まさご)まなごいまは。
 欄外の書き込みの「四」は、この歌に第四節のあることを記したものである。第四節を復元しようと試みながら、結局、その企図を放棄したのであろうか。
 黒沢の解説によると、「元来、第三連、第四連まであった原詩を、楽譜出版の際に、合わせて一つの連にしてしまった」とあるが、これは誤りで《初出雑誌に掲載の際に、合わせて一つの連にしてしまった》が正しい。
 ただ、第一連の「風よ音よ」について、古渓は訂正の書き込みをしていない。
 これについて、黒沢は次のように書いている。
 (前略)林古渓は「風よ音よ」とある部分には修正を加えていません。やはり、原詩は「風よ音よ」だったというわけです。
 となると、林古渓は、あえてここにシンメトリー対称性の破れをつくったことになります。その意図は何だったのかという問題はまことに難しく、解説者には答えを提示する用意がありません(後略)
 《原詩は「風よ音よ」だった》も黒沢の誤りで、初出雑誌版の「かぜの おとよ」をセノオ楽譜版で誤記したにすぎない。
 「風よ音よ」がそのままになっているのは、対句表現が崩れても、意味はそれなりにとおっているからだろう。第一節で対句表現が崩れていることには目をつぶることができても、第三節の意味がとおらない部分については、何としても許容することができなかったのだろうと思う。
 あるいは、このようなことも考えられる。
 古渓は第三節の「ぞ」を「の」に変えている。元来この「ぞ」は第一節と第二節の「ぞ」と対応して対句を成す表現である。これを「の」に変えることによって対句表現を崩し、さらに「風よ音よ」の誤謬を意図的に放置することによってこの部分の対句表現をも崩し、歌詞全体の対称性を破ろうと試みたのかもしれない。
 ともあれ、古渓は結局のところ、この歌を三節構成のまま、または四節構成に復元する形式で修正しようという試みを放棄した。そのうえで、全二節構成の歌詞の歌として定着させていったのである。

(完)




著 書 紹 介

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    上田信道著『西條八十…100選』
      2005年8月20日発行 春陽堂書店
      B6判 280頁 2,800円(税別)
      ※総ての収録童謡に解説をつけ、評伝・年譜を附す