インターネット版

児童文学資料研究
No.65


  発行日 1996年8月15日
  発行者 〒546 大阪市東住吉区東田辺3-13-3 大藤幹夫


目  次


1996年上半期紀要論文紹介大藤幹夫
「文壇諸名家雅号の由来」について(1)上田信道
明治期少年雑誌「見々少年」「少年界」「東北之少年」藤本芳則

1996年上半期紀要論文紹介

大藤幹夫/編

[一般]

  1. 「大阪朝日新聞文芸関係記事調査報告(1935年1月〜3月)」 向川幹雄/前田貞昭/大西浩史/ 岡田年正「兵庫教育大学研究紀要」第16巻第2分冊 1996.2.28
  2. 「大阪朝日新聞文芸関係記事調査報告(1935年4月〜6月)」 向川幹雄/前田貞昭/大西浩史/岡田年正 「兵庫教育大学研究紀要」第16巻第2分冊 1996.2.28
  3. 「「現代児童文学」出発前夜の模索−1955〜57年の『日本児童文学』を読む」 佐藤宗子 「千葉大学教育学部研究紀要」第44巻(U:人文・社会科学編) 1996.2.29
  4. 「世界の児童文学における異文化受容−比較文化社会論の視座から−」 浅香幸枝 「名古屋聖霊短期大学紀要」第16号 1996.3.10
  5. 「揺籃期の少女小説−『少女界』を中心に−」 向川幹雄 「言語表現研究」(兵庫教育大学)第12号 1996.3.13
  6. 「子どもの科学の本の歴史−1950年代から1970年代を中心に−」 塚原博 「武蔵野女子大学紀要」31号(通巻36号) 1996.3.15
  7. 「幼稚園・小学校教師教育における幼年・児童文学の役割」 高森邦明 「鳴門教育大学学校教育研究センタ−紀要」10 1996.3.21
  8. 「雑誌「童話教育」−解題と内容一覧(戦前発行分)−」 藤本芳則 「大阪青山短期大学研究紀要」第22号 1996.3.25
  9. 「雑誌「小国民」(のち「少国民」)細目(8)」 鳥越信 「国際児童文学館紀要」(大阪国際児童文学館)第11号 1996.3.31
  10. 「パ−ソナルコンピュ−タ−を使用した児童文学作品分析支援システムの開発」 上田信道 「国際児童文学館紀要」(大阪国際児童文学館)第11号 1996.3.31
  11. 「「現代児童文学」の出発を問い直す」 佐藤宗子 「日本近代文学」(日本近代文学会)第54集 1996.5.15

[日本児童文学]

  1. 「今江祥智の世界」 村田美雪 「日本文学ノ−ト」(宮城学院女子大学日本文学会)第31号(通巻53号) 1996.1.20
  2. 「母と子の世界−坪田譲治の短編小説研究 3−」 池上雄三 「静岡英和女学院短期大学紀要」第28号 1996.2.01
  3. 「薄陽さす日々−青年記者が見た三重吉と第2次「赤い鳥」−」 酒井晶代 「淑徳国文」(愛知淑徳短期大学国文学会)第37号 1996.2.08
  4. 「新美南吉・幼年童話と〈物語性〉」 藤本芳則 「大阪青山短大国文」第12号 1996.2.10
  5. 「氷室冴子『なんて素敵にジャパネスク』論」 斎藤正一 「信大国語教育」(信州大学国語教育学会)第5号 1996.2.10
  6. 「現代文化と国語教育−芥川の童話とマンガの価値をめぐって−」 根本正義 「国語教育の再生と創造−21世紀へ発信する17の提言−」(教育出版) 1996.2.23
  7. 「芥川龍之介と児童文学」 関口安義 「資料と研究」(山梨県立文学館)第1輯 1996.3.15
  8. 「灰谷健次郎「兎の眼」について−「教育」から「共育」「共行く」への出発」 熊木 哲 「大妻国文」(大妻女子大学国文学会)第27号 1996.3.15
  9. 「若松賎子と木村鐙子」 松井祐子 「研究紀要」(奈良佐保女学院短期大学)第6号 1996.3.15
  10. 「ジャック・ロンドンと椋鳩十(2)」 森孝晴 「鹿児島短期大学研究紀要」第57号 1996.3.20
  11. 「〈小波お伽噺〉と口演童話」 藤本芳則 「大阪青山短期大学研究紀要」第22号 1996.3.25
  12. 「小酒井不木の児童文学−〈少年科学探偵〉シリ−ズを中心に−」 上田信道 「国際児童文学館紀要」(大阪国際児童文学館)第11号 1996.3.31
  13. 「大阪国際児童文学館における物語体験の可能性−こえとからだで三木卓作「ジュ−ス」をよむ−」 土居安子 「国際児童文学館紀要」(大阪国際児童文学館)第11号 1996.3.31
  14. 「淡路呼潮の児童文学−探偵小説を中心に−」 遠藤純 「国際児童文学館紀要」(大阪国際児童文学館)第11号 1996.3.31

[宮沢賢治]

  1. 「宮沢賢治《文語詩稿》・初期構想論−文語スケッチから文語詩篇ノ−ト構想の成立、解体へ−」 島田隆輔 「国文学論集」(上智大学国文学会)29 1996.1.15
  2. 「『双子の星』から『グスコ−ブドリの伝記』へ−賢治童話をつらぬくもの・その一面−」 佐藤泰正 「日本文学研究」(梅光女学院大学日本文学会)第31号 1996.1.20
  3. 「宮沢賢治の「少年小説」について」 米地祥子 「日本文学ノ−ト」(宮城学院女子大学日本文学会)第31号(通巻53号) 1996.1.20
  4. 「宮沢賢治論−「デクノボ−」の思想(上)」 伊藤周平 「立教大学日本文学」第75号 1996.1.25
  5. 「『注文の多い料理店』の世界−童話集としての可能性−」 大沢正善 「文芸研究」(東北大学文学部国文学研究室)第141集 1996.1.30
  6. 「宮沢賢治童話研究資料覚え書(10)−昭和30年代前半期の傾向−」 大藤幹夫 「学大国文」(大阪教育大学国語国文研究室)第39号 1996.1.31
  7. 「『銀河鉄道の夜』と法華経」 定方晟 「東海大学紀要文学部」No.64 1996.2.29
  8. 「2重の風景としての「広場」(2)−『ポラ−ノの広場』改稿の行方−」 小林治「駒沢短大国文」(駒沢短期大学国文科研究室)第26号 1996.3.10
  9. 「戦後における賢治童話集出版をめぐる動向−桜井書店[少年のための純文学選]の検討を手がかりに−」 遠藤純 「言語表現研究」(兵庫教育大学言語表現学会)第12号 1996.3.13
  10. 「『祭の晩』を読む−“祈り”と“エロス”の側面から」 武田かずき[学生2年生] 「歌子」(実践女子短期大学)第4号 1996.3.20
  11. 「賢治童話の表現研究−副詞「まるで」を手がかりとして−」 小松聡子 「国際児童文学館紀要」(大阪国際児童文学館)第11号 1996.3.31
  12. 「宮沢賢治『注文の多い料理店』〈広告ちらし〉について−筆跡の観点より−」 保泉菜穂子 「文教大学国文」(文教大学国語研究室)第25号 1996.3.31
  13. 「相似形の増殖−賢治異稿群についての一考察、あるいは文学における存在忘却−」 田中康禎 「解釈」(教育出版センタ−)第42巻 1996.4.01
  14. 「宮沢賢治のめざしたもの/ 連載第2回・よだかの飛翔 扉のむこうへ/夢みる理由(その2)」 松田司郎 「ワルトラワラ」(ワルトラワラの会)第5号 1996.5.20
  15. 「異界としての豊沢川 イ−ハト−ヴ・異界への旅(5)」 牛崎敏哉 「ワルトラワラ」(ワルトラワラの会)第5号 1996.5.20
  16. 「長編詩「小岩井農場」の原風景を歩く[2]」 岡沢敏男 「ワルトラワラ」(ワルトラワラの会)第5号 1996.5.20
  17. 「連載第五回 賢治植物考 黄金いろのまり(ヤドリギ)」 藤原義孝 「ワルトラワラ」(ワルトラワラの会)第5号 1996.5.20
  18. 「「銀河鉄道の夜」の世界観−星雲の彼方へひろがる宇宙」 高山勉 「ワルトラワラ」(ワルトラワラの会)第5号 1996.5.20
  19. 「お菓子なイ−ハト−ヴへようこそ イ−ハト−ヴ料理館 第3回」 中野由貴 「ワルトラワラ」(ワルトラワラの会)第5号 1996.5.20

[世界児童文学]

  1. 「『秘密の花園』と癒しのトポス−庭の児童文学(その2)−」 三村明 「帝京大学文学部紀要 英語英文学」第27号 1996.1.31
  2. 「マ−ク・トウェインと南部 『ハックルベリ−・フィンの冒険』と奴隷制度」 後藤和彦 「英米文学評論」(東京女子大学英米文学研究会)第42巻 1996.3.01
  3. 「ノスタルジアから悪夢へ−ミシシッピ・ライティングスにおけるトゥエインの「南部」認識−」 杉山直人 「英米文化研究論攷」(関西学院大学)第24号 1996.3.01
  4. 「アン・シャ−リ−の命名術−『赤毛のアン』の詩的な世界−」 赤松佳子 「ノ−トルダム清心女子大学紀要」第20巻第1号(通巻31号) 1996.3.01
  5. 「カナダ児童文学序論−キット・ピアソン『空が落ちてくる』三部作」 本多英明「相模女子大学紀要」59A 1996.3.10
  6. 「C.L.ドジスン(ルイス・キャロル)の手紙(3)」 平倫子 「北星論集」(北星学園大学)第33号 1996.3.15
  7. 「『ふしぎの国のアリス』のパロディとしての『阿麗思中国游記』」 小島久代 「明海大学外国語学部論集」第8集 1996.3.20
  8. 「ム−ミン童話研究参考文献目録(4)」 高橋静男 「国際児童文学館紀要」(大阪国際児童文学館)第11号 1996.3.31
  9. 「『赤毛のアン』の人気の秘密」 伊沢佑子 「宮城学院女子大学人文社会科学論叢」第5号 1996.3.31

[詩歌・童謡]

  1. 「台湾(台湾語)歌謡簡史」 朱約信 「立命館言語文化研究」(立命館大学国際言語文化研究所)7巻3号 1996.1.20
  2. 「わらべうたについての一考察(2)−カラス−」 河北邦子 「山口芸術短期大学研究紀要」第28巻 1996.1.00
  3. 「大正八年前後における野口雨情−雑誌『茨城少年』、『茨城民友』との関わり」 金子未佳 「二松学舎大学 人文論叢」第56輯 1996.3.25
  4. 「生涯学習における童謡・唱歌の位置付け その2−全国で歌われるうたを中心に−」 兎束淑美 「紀要」(上田女子短期大学部)第19号 1996.3.31
  5. 「詩人三木露風の母碧川かたの生涯についての考察」 山崎雅代 「兵庫女子短期大学研究集録」第29号 1996.3.31
  6. 「谷川俊太郎の位置−童謡・少年詩の歩みのなかで−」 畑中圭一 「名古屋明徳短期大学紀要」第10号 1996.3.00
  7. 「伊沢修2の唱歌教育とその周辺(唱歌教育実施とキリスト教)」 岡田千歳 「桃山学院大学教育研究所研究紀要」第5号 1996.3.00

[民話・昔話]

  1. 「文芸の中の子供−昔話に見る継子の扱い−」 小山郁子 『共同研究文芸の中の子供』(共立女子大学)」(共立女子大学文学芸術研究所)研究叢書 第14冊 1996.3.15
  2. 「イソップ寓話の受容と変容−『イソポのハブラス』の寓話観−」 古賀允洋 「文学部論叢文学篇」(熊本大学文学会)第51号 1996.3.20
  3. 「民話の起源−「親指太郎」の場合−」 藤野雅子 「京都産業大学論集」第26巻第3号 1996.3.30
  4. 「Voix,Ecroture,Image-1965-1995:300 ans de conntes-Denise Dupont-Escarpit」 Denise Dupont-Escarpit(エスカルピ) 「国際児童文学館紀要」(大阪国際児童文学館)第11号 ※第5回国際グリム賞 記念講演記録 1996.3.31
  5. 「昔話の300年 いかに語られ,書かれ,描かれてきたか」 ドニ−ズ・デュポン・エスカルピ/訳 石沢小枝子 「国際児童文学館紀要」(大阪国際児童文学館)第11号 1996.3.31

[児童文化]

  1. 「観光と児童文化−別府と大阪を結んだお伽船−」 堀田穣 「京都文化短期大学紀要」第24号 1996.3.15
  2. 「日本の児童青少年演劇89−94(その2)−作家と劇団経済をめぐって−」 四方晨 「文学論叢」(愛知大学文学会)第111輯 1996.3.20

[絵本・漫画]

  1. 「漫画におけるジェンダ−についての考察(少女漫画の恋愛至上主義)」 雲野加代子 「大阪明浄女子短期大学紀要」第10号 1996.3.10
  2. 「触る絵本−触画の発生についての考察と試行−」 中野尚彦 「群馬大学教育学部紀要 人文・社会科学編」第45巻 1996.3.22
  3. 「最近の絵本論にみられる児童観−1984年から1994年を中心に−」 永田桂子 「国際児童文学館紀要」(大阪国際児童文学館)第11号 1996.3.31


「文壇諸名家雅号の由来」について(1)

上田信道

 ここで取りあげる「文壇諸名家雅号の由来」欄は、雑誌「中学世界」(第11巻第15号 1908年11月20日 増刊号)への掲載。編輯部の問い合わせに各作家が回答をよせたものである。中には、「小生の別号は由来の何のと勿体を附け候次第のものに無之、只読んで字の如しと申上ぐる外は無御座候。」(石橋思案)とか、「曽て専門学校在学中、級の雑誌か何か書いた折り、符牒代りにつけたものを、其のまゝ今日も用ひ居るまでに候。」(中島孤島)のように、そっけなく面白味のないものも散見される。だが、全体としてみると、各回答者の個性を反映して興味深いものが多い。
 号や筆名は、それなりに思いを凝らして考案し、名付けたものである。由来を知ることは、それぞれの作家の文学に係わる姿勢を探ることになるだろう。また、一般に流布している読み方と本来の読み方の間にずれのあることもしばしばだが、この資料は本来の読み方を知る手がかりともなっている。そこで、「文壇諸名家雅号の由来」欄の中から、児童文学に殊に関係が深いと思われる作家のものを選びだしてみたい。なお、雑誌への掲載は〈信書到着順〉とのことだが、ここでは私なりに順番を整理してみたいので、実際の掲載の順とは異なっている。
 まず、小波とその直接の弟子筋にあたる作家について取りあげよう。

【巖谷小波】
 小波と書いて『さゞなみ』と読ませる。ちと無理ではあるが、それでも読んでくれるから有難い。これと云ふのも、以前つけて居た漣山人が存外世間へ通つて居るからでもあらう。
 さてその漣は何所から出た? 云ふまでも無く志賀の都の古歌から出たので、僕の郷里が江州である故であるに過ぎないが、ある時、或る麁忽な紳士にシヅク山人と読まれてから、もうウンザリしてしまつて、後は専ら小波にした。これは僕の家の姓だ、大江姓である以上は、大江小波とした方が、字面も好くなるからである。
 尤も俳号としては、此号と音読して、セウハと呼ぶ様にして居るが、これをコナミと呼ばれると又ウンザリしてしまふ。(以下略)

【黒田湖山人】
 顧れば、今より十四年の昔、自らは畔骨と号し、「可憐児」なる一短篇を草して之を小波先生の机下に致し、加朱若しものになりたらんにはと、「少年世界」に登載を請ひしに、畔骨とは如何なる所縁にかあらん、余りに難かしくて、妙ならず。仮に湖山人と署名して雑誌に載せたり。悪しからば、又改めてんとあり。琵琶湖の近く生れし身の、清澄は我性の願ふ処、湖山人とは、是れより予が号とはなれるなり。

【木村小舟】
 私の雅号は別に大した理由も御座いません。何でも私の小供の頃から一ばん愛読して居た小波先生のお伽噺、即ち黄金丸以来、これ程豪い人は他にないと云ふ念が、絶ず私の頭にあつたのですが、丁度明治三十一年の秋のこと、多年敬慕して居た小波先生の知を得て、自分もお伽噺風のものを作つて見たいと思ひ立ちました。さて夫れには何か号がなくてはおかしいと思つて、小波先生の小の字と之れもお伽噺に縁の浅からぬ桂舟画伯の舟の字を合せて、今の号を作つたのです。其頃小波先生のお手紙に貴号頗る妙と存じ候と云ふことがあつたのを覚えて居ます。(以下略)

 児童文学を学び始めた頃、〈小波〉を〈さざなみ〉と読むことを変に思ったが、いつのまにかそう思わなくなった。小波自身が〈ちと無理ではある〉と言っているのだから、今から思うと変に思う方が正しかったわけで、慣れというものは恐ろしい。湖山の場合は、以前から出身地に由来するものだろうとは思っていた。今日の我々の感覚とは違って、明治の頃、同郷であるということは非常に大きな意味のあることである。だとすると、同じ江州水口の出身である山県悌三郎・五十雄兄弟と小波とはどのようなつきあいがあったのか。興味あるところだが、確たる手がかりとなる資料を知らない。ご教授いただければ有難い。
 次に、先述の三名を除いた博文館に籍を置く編輯者・作家についてである。
【江見水蔭】
 最初には水蔭亭主人と名乗つて居ました。後、紅葉君の勧告で、単に水蔭となりました。一八九歳の頃に附けたのですから、頗る幼稚な考へで撰みました。『一河の流、一樹の蔭』といふのも含んで居るし、『山陽道出身なので、其の対に水蔭』と故事つけた点もあり、叔父の水原といふのに一方ならぬ世話を受けたので、『水原のお蔭』といふ意味も有るんです。何しろ水の蔭といふのは、語を成さぬ様です。変だけれど仕方が無い。

【坪谷水哉】
 小生の雅号ですか―岩間の清水末つひに、流れて止まねば海に出る。ヨシや其間には、木の葉の下もくゞり、巖に砕け、石に激し、懸つて飛泉となり、走つて急湍となり、潭となり、瀾となつて、変化万千するとも、何処までも道を求めて進む所が嬉しい。水なる哉、水なる哉と支那の先生が感心せられたり。仁者の山に対して智者が水を楽しむと云ふやうなことは、我れ其の器にあらざるも、逝て帰らぬ間は、惓まず撓まず進歩を求むる谷川の流れは、青年の為に好き模範であると信じて、唯だ何となく水哉と名けだ。

【竹貫佳水】
 僕の佳水と云ふ号の意味は知らない、石橋先生につけて貰つたのだ。故紅葉先生が撰らんだとか、後から聞いた。僕の兄弟子に小田原の人で鶴見佳山と云ふ人が居た。其次に僕が行つたので佳水としたのだとも聞いた。兎に角僕は知らない、竹貫直人の方なら自分が撰んだのだから訳がある。他でも無いが竹取りの直人ありけると竹取物語にある其洒落だ。

 (未完)

明治期少年雑誌

「見々少年」「少年界」「東北之少年」

藤本芳則

 前回に続いて地方発行の少年雑誌を三誌。
 まず、京都で出された「見々少年」。「ミヨミヨコドモ」と読む。所見は第4号のみ。明治24年11月17日発行。発行所は同志親睦会、編輯兼発行者西村七平。四六判、本文28頁。「京都同志親睦会」(以下「親睦会」と略称)の機関誌で、価格の表示はない。
 「親睦会」は、「本会ハ少年相団結シ智育徳育体育ヲ発達セシムル目的ヨリナル」(「略則」)と謳われ、具体的な活動として「雑誌発行演説会雑誌縦覧幻燈会散歩会ヲナス」とされている。演説会などがどの程度催されたのかは不明だが、修養を目的とした一種の倶楽部のような組織は、各地にあったようで、この後紹介する「少年界」もそうした会の機関誌である。
 さて、「親睦会」の会員は、名誉会員、賛成員、正会員、創立員の四種。うち、正会員は、「高等小学生徒及尋常小学三四年生若シクハ十歳以上十七歳以下ノ少年ニ限ル」と規定されている。この年代が主な読者層になるはずだが、それにしても現在の目からみると、十歳と十七歳では、あまりに読者の興味関心に差がありすぎるのではないかと感じられる。
 目次(欄名)を示す。

論説/文林/叢話/体育園/修身談/歴史談/小説/快楽談/雑録/会告
 「文林」は投稿欄で、雑誌全体の半分を占める。投稿者は、すべて京都市内在住。投稿の掲載分量からいえば、投稿雑誌の性格が濃い。投稿雑誌であれば、読者にあわせた記事内容に苦心する必要もなく、読者の年齢がひらきすぎていても、あまり支障はないことになる。
 欄名に「小説」が独立しているのはこの時期では少ない。そこに掲載されたのは、「談魔眼鏡」(一文庵作)一作で、次ぎのような冒頭。
京都清水の辺りに。石崎牛松と云へる少年ありしが。早く両親に離れ愛宕郡日中村なる。伯母の許に引取られ。村の学校に通しが。天性怜悧にして。(以下略)

句読点のうちかたについていえば、江戸期からの方法を踏襲して、すべて句点を使用するのは、いささか古めかしい。掲載分のみの粗筋は、この牛松が氏神祭の帰り、道連れとなった少年に導かれて、不思議にも加賀国白山の森深く住む老婆の元に案内されるという説話風の話。

 「快楽談」は、笑話と考物。笑話の一つを引用してみると、
おい貴君知らないか西洋では男が子を生むそうなが何故だろう。其れは女はウーマン(woman)だもの。
「少年界」は広島で発行。2〜20号まで所見。2号は、明治24年10月1日発行、菊判、18頁。発行兼編輯人松田耕作、同志会館発行、月刊。同志会館は、会員組織で会費は1ヵ月3銭5厘とあり、価格は表示されていない。
「同志会館々則」には、「本館ハ智識ヲ交換シ併テ親睦ヲ厚フスルヲ以テ目的トス」(9号)と述べられ、目的達成のために、「毎月一回雑誌ヲ発行シ館員ニ之ヲ頒布シ臨時ニ、講談、演説、討論、会ヲ開設シ或ハ遠足会ヲ催ス事アル可シ」と続く。館員は名誉館員、通常館員、特別館員の三種。活動の内容や会員構成など、「京都同志親睦会」の場合とよく似ている。記事によれば、実際に演説会のような会を催したことがわかる。
 雑誌の内容は大きく、「少年界」「学界」「叢界」の欄に分かれ(第10号)、論説や学習記事などが見えるが、誌面の中心になっているのは、「見々少年」とおなじく、投稿欄(「叢界」)である。活発な意見の交換から感情的な論争まであり、中には、伏せ字にされた投稿まで見受けられる。こうした過激な投稿も掲載せざるをえないのは、会員組織の雑誌だからであろう。
 文芸的記事は、投書欄に俳句などが若干見られるほかは、19号(明治26年2月28日)に「美妙」(回春子作)と題する小説がある程度。こうした修養を謳った雑誌には、文芸読物はほとんどないのがふつうであった。冒頭部分から二、三行抜き書きしてみる。
菫香甚へなる梅花、淡泊ならびになき梅花と見しは昨日の姿! そして今日は桜花―時を得顔に咲き誇つて居ます。茲処は広島城を東北に十町余り隔てたる暁津公演です。
 少年雑誌に、このような「ですます調」はあまり見かけず、やや珍しい例のように思う。「見々少年」の小説と同じく、読者に馴染み深い地域を冒頭に出すことで関心を得ようとしている点にも注目しておきたい。

「東北之少年」は第七号(明治26年9月5日)のみ確認。仙台市の東北之少年社発行、発行兼編輯人は大槻源兵衛、主幹は松本栄。月2回刊。菊判、一冊4銭、本文40頁。発行人の大槻源兵衛は、あるいは、大槻家と縁あるかもしれぬが、不明。
 どういう意図の雑誌かは不明だが、先の2誌のように会員のための雑誌ではなく、通常の商業誌のようである。そのためか、2誌がただ雑誌名や発行日などの文字だけのそっけない表紙であったのにくらべ、稚拙ではあるが、少年の絵を表紙に描いて、読者の目をひこうとしている。
 目次(欄名)を示す。

論説/史伝/寄書/文粋/文壇/叢談/討論会/近事片々
「史伝」に、「中村日向義景」(大槻文彦口話)があり、「寄書」に井上文部大臣の「子守学校」と題して「子守教育」に関する意見を掲載(再録かどうかは未詳)。史伝はともかく、「子守学校」の内容は、小学生向きとは思えず、読者層は、中学以上に考えられていたように思われる。
「文壇」は、投稿欄で14〜26頁を占める。全体の約三割で、少なくはないが、先の2誌に比べると多くはない。文芸作品はみあたらない。
 以上の三誌は、児童文学からは、いずれも重要な少年雑誌とはいいがたいが、地方でだされていた少年雑誌の性格の一端を知る資料として意義があろう。