インターネット版

児童文学資料研究
No.68


  発行日 1997年5月15日
  発行者 〒546 大阪市東住吉区東田辺3-13-3 大藤幹夫


目  次


1996年上半期紀要論文[補遺]大藤幹夫
1996年下半期紀要論文大藤幹夫
「小学生全集内容見本」について(1)上田信道
「標準お伽文庫刊行趣意書」について藤本芳則

1996年上半期紀要論文[補遺]

大藤幹夫/編

「一九一八年の日本児童文学・序(1)」 続橋達雄 「野州国文学」(国学院大栃木短大)第57号 1996.3.15
「巖谷小波の台湾における童話行脚の旅―日本統治下の台湾における児童文化史の一考察―」 游 珮芸 「お茶の水女子大学人間文化研究年報」第19号 1996.3.10
「灰谷健次郎文学と子ども―負の性質をもつ人物―」 熊井美保子 「関東短期大学国語国文」第5号 1996.3.18
「戦時下における塚原健二郎の作品―その抵抗と変容―」 服部裕子 「愛知教育大学大学院 国語研究」第4号 1996.3.29
「『ごんぎつね』〔新美南吉〕研究―『つぐない』の考察を中心に―」 平田陽子 「岩大語文」(岩手大)第4号 1996.6.10
「宮沢賢治のオノマトペ 語彙・用例集(詩歌篇) 補論・〈見立て〉られたオノマトペ」 滝浦真人 「紀要」(共立女子短大)第三十九号 1996.2.20
「賢治の歩く東京「電車」―あるファウスト劇について―」 松原綾子 「実践国文学」第49号 1996.3.15
「「北守将軍と三人兄弟の医者」試論(一)―〈戦争〉〈医者〉〈脚気〉―」 岩壁有里 「実践国文学」第49号 1996.3.15
「「双子の星」の世界」 浅利久仁子/菊池香里(学生) 「日本文学研究会報告」(盛岡大)第4号 1996.3.15
「佐々木喜善と宮沢賢治(その二)―三好京三氏と内藤正敏氏の先行研究より―」 門屋光昭 「東北文学の世界」(盛岡大)第4号 1996.3.16
「宮沢賢治童話における擬音語・擬態語の翻訳研究」 寺尾佳子 「英文学会々報」(広島女学院大)第40号  1996.6.×


1996年下半期紀要論文

大藤幹夫/編

「梅花児童文学」(梅花女子大大学院児童文学会)第4号 1996.7.15

  • 「「稲葉の素兎」試論―その通時的国際性―」 稲田浩二
  • 「「申し子譚」の位相 序章―『一寸法師』への系譜―」 八木幾子
  • 「〈イギリス児童文学史研究ノート 4〉『あるロンドン人形の思い出の記』論―人形ファンタジーの起源を求めて―」  三宅興子
  • 「Fabulous Historiesに見るトリマー夫人の想像力―こまどりの描写を支えるもの―」 多田昌美
  • 「ジョルジュ・サンド「巨人のイエウー」論―「妹の力」による呪力の解除―」 山根尚子
  • 「Jungle Books論―Mowgliにみる"Primitivism"―」 小林文代
「中部児童文学」(中部児童文学会)78号 1996.8.×
  • 「「オツベルとぞう」を語り演ずると……―私見によるオツベルと白ぞう―」 しかた しん
  • 「とんでる賢治を捕まえる法」 井上寿彦
  • 「賢治作品のミックス・メディア性―〈水仙月〉と〈鹿踊り〉のぐるぐるぐる」 林 美千代
  • 「注文の多い宮沢賢治―賢治作品パロディメドレー―」 鈴木もと子
「研究「子どもと文化」」(中部子どもと文化研究会)第5号 1996.9.1
  • 「「をしへ」細目(二)」 酒井晶代
  • 「児童文学研究誌「CLE」の概観―1970年代後半イギリスの記事を中心に―」 土居安子
  • 「児童雑誌『コボたち』(岐阜児童文学研究会編)の細目(1)」 棚橋美代子/水野和子/安藤美穂/尾子愛子
「児童文学論叢」(日本児童文学学会中部例会)第2号 1996.10.26
  • 「若松賎子の作品に見る女性像―その母親像・夫人像を中心に―」 服部裕子
  • 「子守唄の詩学―眠らせ唄を中心に―」 畑中圭一
[一 般]
  1. 「教育問題―児童学と児童文学の領域から―」 川上蓉子 「短期大学図書館研究」(私立短期大学図書館協議会)第16号 1996.7.31
  2. 「一九一八年の日本児童文学・序(2)」 続橋達雄 「野州国文学」(国学院大栃木短大)第58号 1996.10.30
  3. 「月刊絵雑誌「幼年画報」(3)―解題と細目―」 鳥越信/村川京子/市毛愛子/斎木喜美子/福島右子/滝川光治 「聖和大学論集(教育学系)」第24号A 1996.12.20
  4. 「絵雑誌「絵解 こども」の広告」 村川京子 「聖和大学論集(教育学系)」第24号A 1996.12.20
  5. 「理科教育学者の科学読み物―神戸伊三郎の科学読み物論の分析と科学読み物の一考察―」 滝川光治 「聖和大学論集(教育学系)」第24号A 1996.12.20
  6. 「「赤い鳥綴方」の研究」 小寺慶昭 「龍谷大学論集」第449号 1996.12.25
[日本児童文学]
  1. 「児童文学という名の宗教」 上條さなえ 「サティア《あるがまま》」(東洋大)第23号 1996.7.20
  2. 「新美南吉の研究(Y)」 生野金三 「西南学院大学児童教育学論集」第23巻第1号  1996.8.24
  3. 「「二十四の瞳」と「ビルマの竪琴」の読者の比較研究―読者論的読書指導研究の展開―」 萬屋秀雄 「鳥取大学教育学部研究報告(教育科学)」第38巻第1号 1996.8.25
  4. 「言葉の解放―『魔術師オーフェンはぐれ旅』の作品研究から―」 神山秀昭 「学芸国語教育研究」(東京学芸大)第14号 1996.9.1
  5. 「「大造爺さんと雁」における語りの機能」 山本茂喜 「香川大学国文研究」第21号 1996.9.30
  6. 「石森延男と『満州文庫』―国定国語教科書における満州教材―」 森かをる 「名古屋近代文学研究」(名古屋近代文学研究会)第14号 1996.12.20
  7. 「『ぼくは王さま』について」 寺村輝夫 「文京女子短期大学保育科紀要」第15号  1996.2.20
  8. 「詩人庄野英二と雁翼―訳詩「愛について」をめぐって―」 彭 佳紅 「帝塚山学院大学研究論集」第31集 1996.12.20
  9. 「巖谷小波の「丁亥日録」について」 桑原三郎 「白百合女子大学研究紀要」第32号 1996.12.×
[宮沢賢治]
  1. 「「ファンタジー」としての賢治の童話―『どんぐりと山猫』のひとつの読み方」 谷本誠剛 「関東学院大学文学部 紀要」第77号 1996.8.31
  2. 「「なぞ」の行方―『どんぐりと山猫』のもうひとつの読み方」 杉田正樹 「関東学院大学文学部 紀要」第77号 1996.8.31
  3. 「宮沢賢治生誕百年に寄せて」 吉田 薫 「大阪信愛女学院短期大学紀要」第30集 1996.9.11
  4. 「宮沢賢治「カイロ団長」の不法販売」 赤羽 学 「文芸研究」(東北大)第142集 1996.9.30
  5. 「宮沢賢治における社会批判と環境意識―童話五題を軸に―」 一戸冬彦 「解釈」第42巻 通巻501号 1996.12.1
  6. 「宮沢賢治と「装景」―「虔十林公園」を中心に―」 森本智子 「かほよとり」(武庫川女子大大学院)第4号 1996.12.1
  7. 「宮沢賢治作品による「語り演劇」の試み―文学世界と演劇世界の接点を求めて―」 四方 晨 「愛知大学短期大学部紀要」第19号 1996.12.5
  8. 「ふたたび啄木、あるいは賢治と啄木」 米田利昭 「駒沢女子大学研究紀要」第3号 1996.12.20
  9. 「いのちの代償―宮沢賢治「山男の四月」論―」 信時哲郎 「神戸山手女子短期大学 紀要」第39号 1996.12.20
  10. 「アチャラカ・ドタバタ・歌・踊り―宮沢賢治「飢餓陣営」と浅草―」 築田英隆 「立教大学日本文学」第77号 1996.12.5
  11. 「宮沢賢治論―「デクノボー」の思想(下)―」 伊藤周平 「立教大学日本文学」第77号 1996.12.25
[世界児童文学]
  1. 「ルイス・キャロルを、今訪ねて」 笠井勝子・大八木敦彦 「研究紀要」(文教大女子短大)第40集 1996.12.10
  2. 「C・S・ルイスとネズビット―『魔術師の甥』と『アミュレット物語』を中心に―」 川崎佳代子 「英米文学」(神戸山手女子短大)第7号 1996.12.25
  3. 「Mark TwainのAdventures of Huckleberry Finn再読―ハックの道徳的成長とジムの代理親の役割について―」 新川右好 「沖縄キリスト教短期大学紀要」第25号 1996.12.27
[童謡・唱歌]
  1. 「明治三十八年を中心とする野口雨情関係資料―地方紙『いばらき』、『常総新聞』との関わり―」 金子未佳 「二松学舎大学人文論叢」第57輯 1996.10.10
  2. 「白秋の初期童謡とわらべ唄」 畑中圭一 「名古屋明徳短期大学紀要」第11号 1996.11.30
  3. 「日本歌曲演奏における想像的表現―中田喜直の童謡を例として―」 藤田佳津子 「青森明の星短期大学紀要」第22号 1996.11.30
[民話・昔話]
  1. 「物語の歴史的変容〜金太郎の場合〜」 山森邦久 「信大国語教育」(信州大)第6号 1996.10.10
  2. 「昔話の構造と日本の伝統的子ども観(2)―異類婚姻譚を中心に―」 市毛愛子 「聖和大学論集(教育学系)」第24号A 1966.12.20
  3. 「グリム童話にみる悪―書き換えにみる価値観の変遷―」 教養ゼミナール 「メルヘン研究」「KAMARIYA LIFE AND LETTERS」(関東学院大)第6号 1996.12.24
[絵 本]
  1. 「絵本にみられる主人公の性差と行動パターン―「こどものとも」を中心にして―」 前川貞子 「紀要」(奈良文化女子短大)第27号 1996.11.1
  2. 「絵本「おおきな木」に見られる日本人母親の子育て観」 植田 都 「聖和大学論集(教育学系)」第24号A 1996.12.20
[児童文化]
  1. 「幼稚園におけるテレビ視聴に関する一考察(3)―子どもたちの反応を基に幼児教育を考える―」 橋爪千恵子「常葉学園短期大学紀要」No.27 1996.10.15

「小学生全集内容見本」について(1)

上田信道

 菊池寛・芥川龍之介編の「小学生全集」は、大ベストセラーであっただけに、今日でも比較的ありふれた資料の一つである。しかし、ここに紹介するのはこの叢書の〈内容見本〉である。言うまでもなく、こうした〈内容見本〉は叢書の予約募集時に大量に出回ったはずだ。が、この種の印刷物の宿命であろうか、いまや稀覯資料の一つとなっている。
 さて、この〈内容見本〉は、菊判、表紙を含め20頁、興文社発行のカラー印刷物である。発行年月日の記載はないが、裏表紙などに「申込締切六月十五日限」とあることから、おそらくは1926年の後半から1927年の初めにかけての発行であろう。
 表紙には〈予約大募集〉〈菊池寛先生/芥川龍之介先生/責任編輯〉と大書されている。中央部分には、次に掲げるキャッチフレーズを印刷。このキャッチフレーズには、叢書刊行の意図が端的に示されている。

君に忠
親に孝
 よく勉強しませう
 よくあそびませう
みんな揃つて
 小学生全集を
  申込みませう

編者は日本一の文豪
筆者は最高級の名家
画伯は第一流の巨匠
印刷は世界一の機械
製本は未曾有の美装
定価は破天荒の廉価

一冊タツタ三十五銭
菊判上製三百頁内外
 以上がキャッチフレーズの全文である。なお、表紙の中央部分に(キリ取)(折ル)と注記された線がつけられている。この指示どおりに工作して窓を開けるようにすると、次の頁に印刷された口絵の見本の一部が窓から覗ける仕組みになっている。窓自体があたかも表紙画の一部のように見えるのだ。たいへん面白く凝った仕掛けになっていて、この〈内容見本〉自体が叢書の読者である子どもたちの眼をひくように工夫されているようである。
 また、本文の一部にも、子どもに直接呼びかける文章を掲載。それが「小学生 ノ ミナサン ヘ」と題する一文で、〈菊池寛/芥川龍之介〉の連名になっている。全文を次に掲げておく。
 「小学生全集」 ハ、アナタガタ ノ タメ ニ コシラヘル ノ デス。
 アナタガタ ヲ カハイガツテ クダサル オトウサンヤ オカアサン ヤ ヲヂサン ヤ ヲバサン ハ、キツト カツテ クダサル デセウ。
 ソレ ハ キレイナ オモシロイ タメ ニ ナル ゴホン デス。ダイジ ニ シテ ヨク オヨミ ナサイ。
 マイニチ ガクカウ デ ヲソハツタ コト ヲ ヨク フクシフ シテ オサラヒ ガ スンダラ コノ ゴホン ヲ オヨミ ナサイ。
 オトウサン、オカアサン、センセイ ヲ ダイジ ニ シテ、ヨク イフ コト ヲ、オキキ ナサイ。
 サウ スレバ イマ ニ ナン デモ ヨクデキル 一バン エライ ヒト ニ ナレマス。
 ソシテ、セカイヂウ ノ ヒト ガ ミンナ アナタガタ ヲ カハイガツテ クレマス。
 ヨク ベンキヤウ シマセウ、
 ヨク アソビマセウ。
 ヨク 「小学生全集」 ヲ ヨミマセウ。
 冒頭に紹介した表紙のキャッチフレーズにも共通して言えることだが、《勉強に役立つ》《楽しめる》《立身出世する》ということを強調している。
 ただ、〈内容見本〉中の文章は、あくまでも子どもに買い与える立場の大人が読むことを主体にしている。だから、大人むけの文章になると、「ほんたうの全集はこれです。童話もある歴史もある、地理も、科学も、古いのも新しいのも、日本も、西洋も、小学生が面白いと思ふ事や、知らねばならぬ事は、皆な此の全集の中にあります。むづかしい事、面白くない事を、どこまでも面白く、やさしく教へるのが、此の本です。探偵の話、英雄の話、映画の話、算術、理科、どんな事でもあつて、それが素敵に面白く、厭でも覚えなければならぬ様に書いたのが『小学生全集』です。幾ら覚えても、足りないほど、智慧を欲しがる子供達がいくら立身しても、飽き足りない親達の為めに、すばらしい『小学生全集』は生れました。」と、わが子への期待をくすぐる内容になっている。
 さらに加えて「広告に安い安いと誇張の言を為すものは沢山ありますが、事実といつも大違ひなのは誠に遺憾であります。本全集が、(中略)一冊の郵税に八銭を要すると云ふ一時が、如何に厖然たる大冊であるかを雄弁に説明して居ると思ひます。」と、価格の低いことを強調。〈煙と消える敷島二個を小学生全集に〉〈半襟一本で興文社の小学生全集が幾冊〉というキャッチフレーズは時代性を感じさせる。
 一方では、低価格にもかかわらず品質を落としていないことを、過剰なまでに強調。印刷技術については「独逸ホクトランド会社製のホーマック輪転印刷機械は世界中に僅に五台しか無いと云ふ驚く可き精巧な最新発明のもので、我邦に到着してから漸く二十日にしかならぬものです。」とする。用紙についても「全部最上等のラフ紙で其の色沢と手触りの美しい事は、一寸形容の言葉がない程であります。殊に最も意を用ひたのは、児童の視力に及ぼす影響で、此の点について最も深甚な研究を遂げた結果、遂に此の最高級紙を使用する事」になったとする。校正は「人力の凡てを尽して如何なる教科書に対しても、寸毫も劣らぬ完全を期し」たし、装幀は「背クロース堅牢無比の美装で、第一流大家の筆になつた図案と美麗此の上ない原色版を貼り込んだ最新式のすばらしいもの」だというようにである。
 また、〈菊池〉〈芥川〉〈茗渓会児童読物調査会〉の名が頻出。ほかに、執筆者が〈文壇知名の大家〉〈当代一流の大家揃ひ〉であり、〈殊に表紙画の如きは日本画家西洋画家凡て大家中の大家にお願ひして、単に其の絵のみでも、立派に天下一品〉であるとし、これらの権威を借りてPRに務めている。「玉宝を香水で温めたやうな小学生全集/父兄諸君」という題の一文をひいて、その例証としておこう。
 「小学生全集」八十巻の内容は、日本現代の文学者中、学識教養群を抜き且つ多趣味多才なる菊池、芥川両先生に立案され、しかも児童読物の実際的研究については、日本に於て唯一無二の権威団体たる茗渓会児童読物調査会会員諸氏に依りて、厳密に銓衡されたるを以て、童話的方面、科学的方面、歴史的文芸的各方面に亙りて、何等の遺漏過剰なく、完全無欠、真に一巻をも加へがたく、一巻をも割きがたき理想的選択であることを信ずる。
 小学校教育は、子供に先づ読むことを教へる。しかし、読むことを習つた小学生は、何を読めばよいか。読む事を教へながら、彼等に完全なる読物を与へてゐないことは、現代の一大欠陥であり、矛盾である。不純なる雑誌と、蕪雑なる読物との間に子供等を放浪せしめて、その純真無垢なる頭脳を汚さしめてゐることは、恐るべき児童生活の悲哀でなければならぬ。
 我国の小学生諸君の幸福のために、最も悲しむべきことは、浄き読物の甚しく少ないことである。低級卑俗な読物を読むことを非難する前に、清純にして健全なる読物を与ふることが、我々にとつて何よりの急務ではないか。(中略)
 小学生全集の中の一部分は、中学校女学校の初年生諸氏は勿論、初歩の科学智識をも知らずして生長した大人諸君も亦本全集に親しまるゝこと、決して無益ではあるまい。
 (未完)

「標準お伽文庫刊行趣意書」について

藤本芳則

 大正9年、森林太郎他三名の編著になる「標準お伽文庫」シリーズ全6巻(培風館)が刊行されはじめる。同シリーズは、現在平凡社「東洋文庫」に『日本お伽集1』『同2』として2巻にまとめられ、同書の解説(瀬田貞二)に、刊行の経緯や歴史的意義等の説かれているのは周知のところ。「準日本お伽文庫刊行趣意書」は、書名からもあきらかなように、その宣伝用のパンフレットである。
 表紙、内容見本、多色刷挿絵一葉等を含めて全22頁。意気込みのほどの伝わってくる形態であるが、同時代には、通常の体裁だったのだろうか。ともあれ、出版社がどのような意図で「標準お伽文庫」に取組み、売出そうとしたかが、よく示されている。宣伝物とはいえ、そこには、同時代の子どものための〈お伽〉をめぐる状況が反映されているはずであり、以下に紹介してみたい。
 まず「お伽噺の大切なこと」と小項目を立て、

 子ども教育の要諦は何よりも先づ子供の心を悦ばせ、楽しませることで、この一大事を忘れたら、百千万言の教訓も、何等のきゝめがありませぬ。お伽噺は、この要求に適ふ様仕組まれたもので、子供といふ子供で、これを悦ばぬものは恐らく一人もありますまい。
と、子どもの教育と興味性、娯楽性との関係を述べる。ただし、重心は、「子供の教育に、お伽噺ほど大切なものはないのであります。」と結ぶように、教育におかれる。文芸の面白さを教育に資するものと購買者(大人)に、訴えるのは、今も昔も広告の常套であるらしい。
 続いて「現代お伽噺の欠点」という項目のもと、現状分析がある。やや長いがそのまま全文掲げる。
 近来子供の読物として刊行せられるお伽噺の数は、雑誌に単行本に、寔に汗牛充棟も啻ならぬほどでありますが、たゞ遺憾なことは、その多くが西洋お伽噺の翻訳翻案でありまして、日本固有のものが却つて閑却せられて居ることであります。偶日本お伽噺と称するものもないではありませぬが、これがまた徒らに新奇を競う結果、わが国お伽噺の純なる精神を没却して、目先の技巧に走り、俗悪軽浮の弊に陥つたものが多い様に思はれます。/御承知の如く、わが国のお伽噺、就中神話伝説は、極めて古くから口々に伝承せられたもので、童話の如きも、多くは足利時代に現在の様な形態をとり、その後幾年の間に、幾多国民思想の陶冶を受け、以て今日に及んだものであります。それが今日なほ性命ある所以は、何処か深くわが国民性に適つたものがあるからであります。隨つてこの種のお伽噺を永遠に伝へることは、わが国民性の涵養上にも極めて大切な訳で、それが今日の如く等閑に附せられて居るのは、わが国お伽噺界の一大欠点と謂はなければなりませぬ。
 外国種のお伽噺の氾濫に眉を顰め、日本のお伽噺の見直しを説く。大正から本シリーズの始まる大正九年までに刊行(開始)された主な昔話の類の叢書に、「日本お伽文庫」(巖谷小波編)「世界お伽噺」(寺谷大波編)「世界童話集」(鈴木三重吉編)「世界童話」(少年通俗教育会編)などがあり、確かに外国の作品が多い。「日本お伽噺」で「徒らに新奇を競う」と批判されている中には、あるいは巌谷小波、黒田湖山共編「日本昔噺続話」などの類も含まれているのかもしれない。
 お伽噺の基底に「国民性に適つたもの」が含まれていると注意を促し、お伽噺を伝えることは、「わが国民性の涵養上にも極めて大切」とする点に少し注意を払いたい。「日本神話」について述べた箇所で、「神話では、特に神の行動に注意し、且つわが国体を理解させることにも注意せられて居ます」とあるのも、「国民性の涵養」を唱えるのと同じ発想に基づく。当時石井研堂『日本全国 国民童話』(明44)をはじめ、各地の民間伝承を文字化しようとする動きがあらわれはじめていた。伝統的なもの(日本的なもの)への関心が背景にあると思われる。ただし、採用した昔話は、瀬田貞二によれば、「民間伝承の源泉から汲ま」ず、「文章信仰の道に蹤く」(『日本お伽集1』解説)ことになってしまった。
 シリーズ名に冠せられた「標準」は、従来のお伽噺は、作者が自由に改作して原形を止めないので、「これが日本のお伽噺であるといふほど、標準的なものは、決してありませぬ。即ちわが国のお伽噺は、今日全く整頓せられて居ない」から、「日本固有の童話伝説神話等を根本的に研究し、これを子供の永久的読物として、わが国お伽噺の標準たらしめようといふ」意図からつけられたもの。そのため、
先づ数ある童話伝説神話の中から、最もよくわが民国性に適つた代表的の話を選定して、手の届くかぎりこれに関する口碑本拠を調査し、その上でこの話は大凡何歳位までの子供に適当して居るかを決定し、これによつて用語文体の程度を定め、一つ一つの話について、そのお伽的精神のあるところを究明し、これを成るべく率直に素朴に、而も興趣に富む様表現することに、[編者たちは―引用者注]できる限りの注意と努力とを傾倒せられたのであります。
と、苦心を語る。
 絵については、「殊に口絵挿絵の如きは、当代有数の子供画家に委嘱いたし、その画稿は一々四先生の厳密なる監査を経たものでありますから、これ亦お伽噺の絵画として、現代の標準なるべきものかと存じます。」と、編者が責を負うべき旨を述べ、「日本童話」の場合、服装は足利時代に拠るとしている。口絵(挿絵)にも〈標準〉を示そうとするのは、他の〈お伽噺〉に、不備な挿絵が多い、という認識のあったことを示すものだろう。
 表現、内容についても編集方針が説明されている。「日本童話」は、「文は尋常一二年程度で、なるべく虚飾を去つて、素朴に且つ単純にと心懸けてあります。複雑な言ひ表はし方は、絶対これを避け、特に幼童の言葉を用ふることに苦心してあり」、「日本伝説」では、「文の程度は、尋常二三年位で、童話よりも多少複雑な形式をとり、文字を平仮名に」、そして、「日本神話」は、「「文は尋常三四年程度で平仮名が用いてあり」、「これ迄日本神話を子供の読物としたものが、数種ありますが、いづれも程度が高くて、真に子供に敵したものはありません。本書は恐らくこの種のものの最初の試みといつてよからうと思ひます。」と自負する。童話、伝説、神話と順に対象年齢が高くなっていくのは、同時代の読書教育、児童心理学等の知見によっている。
 内容上の留意点も具体的に、「同じ桃太郎の話にしても、世にありふれた多くのものには、鬼が島征伐の動機が、露骨な功利主義にしてありますが、本書のは、その動機をもつと美しい人道に置いてある」とか、「牛若丸の勝利を偶然の奇蹟の如く取り扱ふやり方を改めた」ことなどが書かれており、「教育」的配慮がうかがえる。
 「日本伝説」に、先行の諸本に未収録の「山椒太夫」をおさめた理由を知りたいところだが、「内容が非常に佳いので、特にえらんだ」とだけで、詳細は記されていないことを付記しておく。