インターネット版
児童文学資料研究
No.72
発行日 1998年5月15日
発行者 〒546-0032 大阪市東住吉区東田辺3-13-3 大藤幹夫
目 次
[一 般]
- 「教育におけるジェンダー解消の視点(1)−童話・絵本・小冊子−」 田口香津子・牧 正興「佐賀女子短期大学 研究紀要」第31集 79-90p 3.13
- 「〈資料〉私説・北海道の児童文学史(2)」 大西久男「北海道武蔵女子短期大学紀要」第29号 137-166p 3.×
[日本児童文学]
- 「小川未明論−「牛女」「金の輪」「赤い蝋燭と人魚」−」 林 昌代「群馬女子短期大学国文研究」第24号 100-107p 3.14
- 「巌谷小波の児童劇(子どもの演じる劇)」 藤本芳則「大谷学報」(大谷大学)第76巻第3・4合併号 33-47p 3.31
- 「川端康成・《少女伝説》の終焉−「歌劇学校」以後 私観−」 大森郁之助「札幌大学総合論叢」第3号 1-27p 3.31
「新美南吉館 研究紀要」第3号 3.×
- 「新美南吉と郷土(V)−南吉作品にみる認識と自我の目覚め−」 榊原義夫 1-12p
- 「南吉の童謡と詩−時代とのかかわりを見ながら−」 矢口 栄 13-21p
- 「「おじいさんのランプ」の舞台はなぜ大野なのか T−岩滑から観た大野という町−」 遠山光嗣 22-41p
- 「安城における南吉顕彰のあゆみ(1)」 片山秀雄 42-52p
[宮沢賢治]
- 「宮沢賢治における労働と余暇−芸術をもてあの灰色を燃せ−」 薗田碩哉「実践女子短大評論」第18号 40-51p 1.16
- 「賢治童話のなかの「価値観」考−「山奥」「時節がら」などを視座にして−」 千葉 貢「立正大学 国語国文」第34号 19-28p 2.20
- 「宮沢賢治、その非暴力への道−『ポラ−ノの広場』をめぐり−(中)」 呉 善華「近代文学 注釈と批評」(東海大学大学院文学研究科)第3号 54-65p 3.10
- 「宮沢賢治論−『春と修羅』第一集を中心として−」 岡屋昭雄「教育学部論集」(仏教大学教育学部)第8号 69-84p 3.11
- 「宮沢賢治をめぐる人々 考」 貞光 威「聖徳学園岐阜教育大学国語国文学」第16号 40-69p 3.15
- 「イーハトーヴ童話 「どんぐりと山猫」の色彩対比−「赤」「黒」「黄」の意味するもの−」 斉藤恵理子(学生)「日本文学研究報告」(盛岡大学日本文学会)第5号 74-78p 3.15
- 「「マリヴロンと少女」から「龍と詩人」へ」 吉江久弥「武庫川国文」(武庫川女子大学)第49号 132-146p 3.22
- 「宮沢賢治をことばで描こう−中学生期における人物表現に関する調査研究−」 田中規与子(学生)「国語と教育」(大阪教育大学)第22号 58-66p 3.25
- 「宮沢賢治「春と修羅」全詩 色彩語索引」 豊沢弘伸/太田有実子/新井 大/熊谷 健「関東短期大学 国語国文」第6号 1-34p 3.31
- 「「心象スケッチ」の〈謎〉−「白樺」と「ゴッホ」と賢治−」 樋口 恵「早稲田大学大学院教育学研究科紀要」別冊第5号 13-24p 3.31
- 「啄木と賢治」 遊座昭吾「日本文学会誌」(盛岡大学)第9号 66-73p 3.31
- 「宮沢賢治の生命現象に関わる科学認識とその時代の科学」 木下英明「活水論文集」(活水女子大学・短期大学)第40集 41-54p 3.31
- 「読書過程の研究−「やまなし」」 外館克裕「岩大国文」(岩手大学)第5号 29-33p 6.14
[詩歌・童謡]
- 「金子みすゞ論」 寺本弓江「国文研究」(熊本県立大学)第42号 76-87p 3.15
- 「日本近代詩と『小学唱歌集』」 村井英雄「大谷学報」(大谷大学)第76巻第3・4合併号 18-32p 3.31
- 「金子みすゞの宇宙観」 向井尚子「梅花日文論叢」(梅花女子大学大学院)第5号 29-40p 3.31
[民話・昔話]
- 「スペインにある日本の昔話―「松山鏡」と「浦島太郎」の変容の歴史―」 藤野雅子「京都産業大学論集」第28巻第1号(外国語と外国文学系列第24号) 193-219p 3.30
[絵本・漫画]
- 「漫画キャラクターの法的保護」 松本博文「紀要」(横浜美術短期大学造形美術科)」第13号 35-45p 3.31
- 「小児保健教育への絵本の利用〜絵本の紹介と保育科学生へのアンケ−ト結果について〜」 杉浦ミドリ「福島女子短期大学研究紀要」第27集 115-122p 3.31
- 「幼児期における絵本の役割」 大滝まり子「北海道文教短期大学 研究紀要」第19号 63-86p 3.31
- 「『ゲゲゲの鬼太郎』と文学」 佐藤義隆「AURORA」(岐阜女子大学)創刊号 81-89p 4.30
[児童文化]
- 「「戦時下における児童文化」について(その2)−「東日小学生新聞」の「紙上作品展覧会」における位相と展開(2)−」 熊本 哲「大妻女子大学紀要−文系−」第29号 87-99p 3.20
- 「児童文化論 序−その4−」 大井源一郎「国学院短期大学紀要」第15巻 75-108p 3.23
- 「方法の観点からみた日本人形劇文化史論〜川尻泰司著『日本人形劇発達史・考』について〜」 平松昌子「北海道文教短期大学 研究紀要」第19号 55-61p 3.31
- 「「物語の放送形態」の研究−「鉄腕アトム」実写版とオリジナル版の比較を通して−」 畠山兆子「国語教育学研究誌」(大阪教育大学国語教育研究室)第18号 101-113p 5.01
- 「「物語の放送形態」の研究−「鉄腕アトム」オリジナル版、輸出版、リメイク版の比較を通して−」 松山雅子「国語教育学研究誌」(大阪教育大学国語教育研究室)18号 114-140p 5.01
「梅花児童文学」(梅花女子大学大学院)第5号 7.15
- 「小波京都行の経緯−「壬辰目録」を手がかりに−」 勝尾金弥 16-34頁
- 「〈イギリス児童文学史研究ノ−ト 5〉あべこべの系譜−ノンセンスを楽しむ第一歩−」 三宅興子 54-68頁
- 「〈研究ノ−ト〉乳幼児に受け入れられなかった絵本−「赤ちゃん絵本」に関する一考察−」 中村 綾 15-30頁
「ヘカッチ」(北海道子どもの文化研究同人「ヘカッチ」の会) 第3号 7.30
- 「石森延男論(3)−幼年童話をめぐる二、三の考察−」 笠原 肇 2-12頁
- 「三木露風とトラピスト修道院−童謡「赤とんぼ」誕生をめぐって−」 比良信治 13-31頁
- 「百田宗治と北海道」 佐藤將寛 32-60頁
- 「村中李衣『走れ』−教科書教材としての一考察」 横田由紀子 61-66頁
- 「北海道の童謡詩人たち(2) 伊東音次郎の童謡について」 柴村紀代 67-91頁
- 「『函館の小学生』・『函館のこども』の解題と総目次」 谷 暎子 92-149頁
[一 般]
- 「日清戦争後の〈遊学少年〉たち−雑誌「少年世界」を手がかりに−」 酒井晶代「愛知淑徳短期大学研究紀要」第36号
1-11頁 7.01
- 「大正期児童図書の立身出世主義・序」 続橋達雄「野州国文学」(国学院大学栃木短期大学)第60号 1-28頁 10.30
- 「月刊絵雑誌「幼年画報」(4)−解題と細目−」 鳥越信/村川京子/福島右子/滝川光治「聖和大学論集(教育学系)」第25号A 35-64頁 12.20
- 「児童文学の力(その1)」 大角洋子「プール学院大学 研究紀要」第37号 65-85頁 12.31
[日本児童文学]
- 「『大造爺さんと雁』考−〈学習者の読み〉が生きる授業への試案−」 成田信子「国文」(お茶の水女子大学)第87号 37-48頁 8.15
- 「「大造じいはずるい」は逸脱した読みか−「語り」を読むことの必要性について−」 山本茂喜「香川大学国文研究」第22号 57-61頁 9.30
- 「「小説月報」の小川未明作品について」 成実朋子「国語教育学研究誌」(大阪教育大学)第19号 39-50頁 10.01
- 「小川未明・第三童話集『金の輪』の世界−霊魂の不滅と永遠への憧憬についての考察−」 中島龍子「いわき明星文学・語学」第6号 85-104頁 10.16
- 「昭和女子大学近代文庫所蔵 巌谷小波宛江見水蔭書簡」 杉本邦子「学苑」(昭和女子大学近代文化研究所)第692号 13-30頁 11.01
- 「教材としての児童文学の研究〜神沢利子の作品を中心に〜」 宮川江里「信大国語教育」(信州大学)第7号 65-71頁 11.20
- 「『咲きだす少年群』と『コタンの口笛』における〈日本語〉・〈種族〉−石森延男の戦中と戦後の作品から−」 森 かをる「名古屋近代文学研究」(名古屋大学)第15号 52-66頁 12.20
- 「「手袋を買ひに」の作品世界−〈母〉の問題を中心に−」 北 吉郎「高知大学学術研究報告」第46巻 93-105頁 12.25
[宮沢賢治]
- 「文学作品※「やまなし」分析を通して人間認識を形成する試み(承前)」 鈴木秀一「札幌学院大学人文学会紀要」第61号 21-44頁 8.31
- 「「銀河鉄道の夜」の構想とタゴール」 吉江久弥「鳴尾説林」(武庫川女子大学)第5号 22-35頁 9.30
- 「賢治の初期童話とタゴール−「めくらぶだうと虹」を中心に−」 吉江久弥「京都語文」(仏教大学)第2号 166-185頁 10.04
- 「『鳥呑み男』の自己表出史X 現代映像人の自己像表現−アジア性の超克力 夏目漱石『文鳥』から宮沢賢治『よだかの星』へ」 青木正次「藤女子大学 国文学雑誌」(藤女子大学・藤女子短期大学)第59号 51-86頁 12.15
- 「「グスコーブドリの伝記」の構造−螺旋を描く物語−」 木本雅康「活水日文」(活水学院)第35号 77-88頁 12.20
- 「読書会の或る効用−賢治の詩をめぐって−」 久保輝巳「関東学院大学文学部 紀要」第81号 295-305頁 12.25
[世界児童文学]
- 「アリス物語の二つのパロディ」 田中恵美「Otsuma Review」(大妻女子大学)第30号 165-172頁 7.01
[童謡・唱歌]
- 「中山晋平の童謡に関する研究」 瀬川啓子「西南学院大学 児童教育学論集」第24巻第1号 55-86頁 8.24
- 「全集未収録・「反戦詩人」金子光晴の戦争翼賛文−『少年倶楽部』別冊付録所収「見よ、不屈のドイツ魂」−」 前田 均「天理大学学報」第49巻第1号 1-12頁 9.26
- 「遊び唄に見る近世英国社会−英国伝承童謡研究−」 福山 裕「論叢」(秋田経済法科大学短期大学)第60号 1-40頁 11.01
- 「「花いちもんめ」の基層」 畑中圭一「紀要」(名古屋明徳短期大学)第13号 53-81頁 11.30
[民話・昔話]
- 「「見るな」の禁止考−グリム童話と日本民話の対比から−」 中川義英「天理大学学報」第49巻第1号 23-33頁 9.26
- 「童話「桃太郎」の漢詩と本朝名媛二詠」 三浦 叶「就実語文」(就実女子大学)第18号 19-25頁 11.10
- 「メルヘンにみる女子大生の深層(2)」 日置光久「広島女子大学生活科学部紀要」第3号 159-170頁 12.25
- 「メルヘンの提供メデイアと受容の方向性をめぐって−「グリム以前」はどこで終わるか−」 佐藤茂樹「関東学院大学文学部 紀要」第81号 171-186頁 12.25
- 「伝説と再話−『ハーメルンの笛吹き男』をめぐって−」 石沢小枝子「梅花女子大学文学部紀要」第31号 1-25頁 12.30
[絵本・漫画]
- 「物語絵本の構造−「風来坊」シリーズを中心に−」 谷本誠剛「関東学院大学文学部 紀要」第80号 1-16頁 7.25
- 「3−6歳期の子どもの絵本選択状況(3)」 前川貞子「紀要」(奈良文化女子短期大学)第28号 93-109頁 11.01
- 「近代日本絵本史研究−「八ツ山羊」と「おほかみ」を中心に−」 福島右子「聖和大学論集(教育学系)」第25号A
291-307頁 12.20
[児童文化]
- 「奈良県児童文化研究−奈良県童話連盟初期機関紙「童心」にみられる連盟史ならびに総目次−」 小林恵美「国語教育学研究誌」(大阪教育大学)第19号 135-179頁 10.01
- 「河合雅雄の自然観とアニメ映画「もののけ姫」の物語」 空井健三「中京大学文学部紀要」第32巻第2号 34-45頁 11.29
- 「児童図書館の今日的役割」 岡野雅子「群馬女子短期大学紀要」第23号 37-46頁 12.25
「童話の社会」は、周知のように自由芸術家聯盟の機関誌である。小川未明を擁して船木枳郎が編集兼発行人となって9号まで発行された。20頁程度の薄い冊子であるが、児童文学運動のひとつとして同時代に足跡を残した。菅忠道『日本の児童文学1 総論』(大月書店)に一応の記述があるが、全体像を紹介する意味で、以下に目次を記し、掲載評論から聯盟の目指したものを適宜拾ってみたい。なお題名下( )内のジャンルは筆者が便宜的に附した。
1巻1号(昭和5年3月5日) | | 頁 |
船の破片に残る話(童話) | 小川未明 | 1〜3 |
信吉の話(童話) | 和沢哲 | 3〜5 |
貨物列車と車掌(童話) | 宮原無花樹 | 5〜7 |
古い友達へ(童話) | 船木枳郎 | 8〜10 |
子守歌(民謡) | 畑野みち子 | 10〜10 |
踏切番(詩) | 松本貞太郎 | 11〜11 |
眼(詩) | 西谷勢之介 | 11〜11 |
初秋小景―童詩風なる―(詩) | 南條芦夫 | 12〜12 |
黒薮 小薮(詩) | 村山光治 | 12〜12 |
土龍(詩) | 大島庸夫 | 13〜13 |
お父さん(児童詩) | 斎藤ヱツ | 13〜13 |
夕方(児童詩) | 佐藤カネ | 13〜13 |
自由芸術聯盟の樹立に関する感想(アンケート) | 石川三四郎 麻生恒太郎 萩原恭次郎 草野心平 中本弥三郎 高瀬無絃 倉田潮 西谷勢之介 大槻憲二 伊福部隆輝 タケダ・ユキヲ | 14〜15 |
「生物動揺」観劇(随筆) | 宮原無花樹 | 15〜16 |
童謡と児童自由詩の新展開(一)(評論) | 南條芦夫 | 17〜19 |
新興芸術としての童話の発展性と可能性とに就いて ―その大衆性と芸術性―一覚書(評論) | 喜多村信一 | 20〜22 |
編輯だより 原稿募集 | | 23〜23 |
自由芸術家聯盟員 奥付 | | 24〜24 |
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1巻2号(昭5年4月10日) |
浮袋がない(童話) | 村山光治 | 1〜3 |
スパイと少年(童話) | 高瀬無絃 | 3〜6 |
夕焼の町へ(童話) | 松倉良夫 | 6〜8 |
約束(童話) | 山本和夫 | 9〜11 |
幼童記(1)(詩) | 南條芦夫 | 12〜12 |
唄あふや(詩)/黒い風が持つて来た話(詩) | 松本貞太郎 | 12〜13 |
お魚のにほひ(詩) | 和沢哲 | 13〜14 |
舟(児童詩) | 亀田定次郎 | 14〜14 |
靴のあと(児童詩) | 正津すじゑ | 14〜14 |
新興童謡の確立を提唱す(評論) | 大島庸夫 | 15〜16 |
編輯後記 奥付 | | 17〜17 |
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1巻3号(昭和5年5月10日) |
労働祭の話(童話) | 小川未明 | 1〜3 |
金魚の清坊(童話) | 竹内てるよ | 3〜6 |
渡り鳥(童話) | 宮原無花樹 | 6〜9 |
童話月評(批評) | 船木枳郎 | 9〜13 |
幼童記(2)(詩) | 南條芦夫 | 10〜11 |
捕はれた小鳥が鳴いてゐる(詩) | 和沢哲 | 11〜12 |
新興童話理論―その新しき発展と方向に関する概論(評論) | 吉見正雄 | 14〜18 |
編輯後記 奥付 | | 19〜19 |
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1巻4号(昭和5年6月25日) |
自由欄其一 何を示すべきか(批評) | 沼尾精二 | 表紙裏 |
橋(童話) | 松倉良夫 | 1〜4 |
崖に咲いたげんげ花(童話) | 高瀬無絃 | 5〜8 |
童話月評(批評) | 船木枳郎 | 9〜13 |
留守居(詩)/子供と停車場と枕木と母に負われて(詩) | 松本貞太郎 | 10〜12 |
少年職工の唄(詩) | 和沢哲 | 13〜13 |
新興童話は如何なる芸術思潮の上に立つか―教化意識止揚の論拠―(評論) | 吉見正雄 | 14〜16 |
自由欄其二 読後感(批評) | 平木凡太郎 | 16〜16 |
編輯後記 | | 裏表紙 |
原稿募集 「選評」編輯部 奥付 | | 裏表紙 |
1号から「新興芸術としての童話の発展性と可能性とに就いて」(喜多村信一)をとりあげる。まず、「童話そのものが、単に児童文学の一領域にのみ止まらずして、新しき文芸運動としてその広い視野に奔出する事の可能性が充分に暗示されてゐる」と基本的認識を示す。ついで、現代の文芸の大部分が著しく多様な問題を提示しているのは、「何等かの意味に於て、新たなる文芸運動の出現を、包孕、暗示するものではなかろうか」と分析し、その新しい文芸こそ〈童話〉であると、次のように主張する。「しかも、特殊文芸として、その特異性の下に童話が見直される時には、在来の文芸が可成の困難としてゐた点を容易にその融合の中に見出し得るのである。(略)そして在来の文芸が困難とした大衆性と芸術性との包容を豊富にする事ができるのである」。
主張そのものは明瞭といってもよいが、結論に至る論理展開に説得力はない。
2号の大島庸夫「新興童謡の確立を提唱す」では、「童謡が学校教育、又は階級意識の誘発に使用され、教化條件を具備するといふことは第二義的なことである。即ち児童を対照とするか否かといふことは、吾々芸術家にとつては主たる問題ではない」とし、「吾々の芸術はかゝる不純な創作本能を排除して常に直観の世界にヴイヴイツドに生きるべきである。そこに吾々の持つ芸術性の永遠性があり、不滅性がある」と説く。この後プロレタリア童謡の批判に筆が及ぶが、ここでも〈童謡〉が、子どもを意識しているかどうかは問わないと、喜多村信一の〈童話〉に対する立場とほぼ同じである。
3号の吉見正雄「新興童話理論」は、「思想的立場」「教化意識よりの解放」「一般文学への発展」「新興童話の位置」の四項目より成る。これだけでもどういう内容かの見当はつくかもしれない。あらましを述べると、まず「マルキシズム」に対立する立場をとると表明、ついで教化意識に基づく童話を否定し、「童話をしてながら幽囚せしめてゐた教化意識より解放する事を企図し、且つその企図をして充分なるものたらしめる為に、児童文学と云ふ特殊範囲より脱却せしめられて、一般文学へ発展すべき事を望む」。そういう〈童話〉の「対象となるもの根拠となるもの」は、「我々すべての根幹に潜流してゐるところの、そして単なる人間性以上に深化された児童的なるもの」(傍点ママ)とする。
4号の吉見正雄「新興童話は如何なる芸術思潮の上に立つか」は、3号掲載評論の補説。3月号で述べたところが、それまでの芸術至上主義とどこが異なるかを次のように説く。
「旧き芸術至上主義」は、「何等の社会的観察を遂げなかつた結果」、「一切の社会的接合面を遮断し、孤立的尊厳に迄高める迷路に陥入つて」しまい、「社会的政治的問題に何等か芸術が関与する事は、芸術の純粋性を汚し堕落せしめる」と結論したとき、「根底から崩壊し始め」た。一方、目的意識、教化意識を説くマルキシズムに立脚したものは、「芸術を社会的存在」として見た結果、「芸術の自立的存在を無視」することになった。「目的意識の君臨は、形式主義への転落、或ひは社会的偽瞞を生むもの」であるから、排撃せざるを得ない。以上のように二つの立場を要約したのち、「我々は、人間を社会的聯関の中に見る。(略)一切の存在は、社会に対して、有機的な関係にあり、その作用聯関の下に活動し、且つ発展してゐる。且つ、その社会は、個々の機能の有機的関係に於いて、構成せられてゐる」として、「社会生理学的解釈の上に立つ我々は、芸術を社会生理的関係に於いて見、全体社会機能繊維の一部分として見る」と主張。教化意識の問題に対しては、「我々の芸術は。我々の燃えるやうな思想感情の、自由な表現でなければならない」として否定する。
要約すると、社会的存在としての人間の立場を踏まえつつ、自己の思想感情を直接に自由に吐露すること、とでもなるのであろうか。肝心なのは、この主張を具体化した作品が現われたかどうかであるが、結果は思わしくないままに終わった。(未完)
金蘭社版『日米大海戦』(豊島次郎)の意味するもの | 上田信道 |
ここに取り上げるのは、金蘭社から出た『日米大海戦』で、著者は豊島次郎、初版発行は1930年12月20日、「金蘭社模範名著叢書」中の一冊として刊行された。定価50銭、186頁の長編ものである。手元の版は1931年6月15日発行の8版。初版発行後、半年でこれだけの版を重ねたのだから、かなり売れたようだ。
豊島次郎は〈著者〉となっているが、この書は英国人バイウオーター(H.C.Bywater)の『太平洋戦争』(The Great Pacific War, 1925)を、子どもむけにリライトしたものである。むろん、子どもむけのリライトであるから、日米両国の政治状況や世論の動向というようなことは一切省かれ、戦局の推移だけを記述している。また、中国大陸で日本軍が中国軍によって敗北するというようなことも除かれている。やはり抄訳であり、ベストセラーとなった堀敏一訳述の『太平洋戦争』(1925年9月12日 民友社)と比較しても、こうした傾向が顕著である。だが、日米戦争の発端から日本の敗北と休戦にいたる戦局の推移自体は概ね忠実に守られている。
ところで、この『日米大海戦』は1937年7月6日付で発禁処分を受けた。『増補版昭和書籍雑誌新聞発禁年表』(小田切秀雄/福岡井吉編 1981年 明治文献資料刊行会)によると、1934年10月15日付発行のものが発禁処分を受けたという。だから、ここで取り上げた書について新たに版をおこしたものが処分の対象になったのかもしれない。発禁の理由は「戦争挑発の理由により一〇、一一付禁止処分済のものと同一内容」とある。これは、1935年11月22日付で「国交上悪影響」の理由により発禁処分を受けた加治亮介『日米大海戦』(1935年11月15日)のことを指すものと思われる。
管見によれば、1932年頃から、日米未来戦記ものの取締が次第に強化されていったようだ。『増補版昭和書籍雑誌新聞発禁年表』によって、取締のありようを見てみよう。
まず、1932年10月22日付で水野広徳の『打開か、破滅か興亡の此一戦』が発禁となり、その理由に〈左傾的記事あり〉ということが挙げられた。同じ年の12月11日付発禁のフロイド・ギボンズ『アメリカ総攻撃』は〈日本に共産主義革命を仮想〉していることが理由に挙げられている。
1933年には、ホノルル税関で日本の雑誌付録が総て没収されるという事件がおきた。日米の取締当局がこの問題にかなり神経質になりはじめていたことがわかる。『出版年鑑 昭和九年版』(1934年6月5日 東京堂)は、連合通信の入電を紹介。それによれば、11月30日・12月8日の二回にわたり、雑誌「日の出」の1934年新年号付録『説日米戦未来記』(福永恭助)が没収されたという。ただ、日本国内ではこの付録は取締の対象になっていない。つまり、この時点での日本国内では日米未来戦というテーマ自体が禁止されていたわけではないのである。
1934年2月には、陸軍・海軍・外務・内務の四省が協議して《戦争挑発的出版物取締》の基準を明確化。『出版年鑑 昭和十年版』(1935年7月3日 東京堂)によれば、《対外戦争における戦略、戦術を推知せしむる如き事項》と《故なく他国の感情を刺戟し戦争を挑発する虞れある事項》が取締の基準とされた。こうした取締の強化により、同年12月24日付で発禁になった村田義光『少年海戦隊』では、〈対米戦争を仮装せる点あるによる〉ことが理由に挙げられている。つまり、元海軍大佐でありながら非戦論を唱えて治安当局からマークされていた水野広徳の著作のように、思想上のことが問題になっているのではない。日米未来戦を想定すること自体が発禁の理由になっているのである。そして、この取締の強化は先述の加治亮介『日米大海戦』の発禁などの動きへとつながっていく。
ちなみに、会津信吾『昭和空想科学館』(1998年2月5日 里艸)によると、平田晋策の単行本版『昭和遊撃隊』(1935年2月24日 大日本雄弁会講談社)が「少年倶楽部」連載時には日米間の未来戦記であったものをアキタニヤ国と八島国との間の戦争に書き改めた理由は、こうした状況から発禁処分を恐れたからだろういう。
けれども、少なくとも、豊島次郎『日米大海戦』の初版刊行の時点では、このような治安当局の干渉を恐れる必要はなかった。そして、この書がバイウオーターの書のストーリーを忠実に再現していることには、非常に大きな意味があると言わざるを得ない。何故ならば、子どもむけの日米未来戦記中において日本の敗北を明確に記述しているからである。
無論、子ども読者を配慮してか、末尾に「附記」として次のような短文がある。
附記―戦は終りました。悲惨な、戦は終りました。世界的な海軍通だと云はれてゐるバイウオーター氏は、かうして、歴史ある我々の祖国に対して―常勝の夢をむさぼつてゐる我々国民に対して、敗戦を予想してくれました。敗戦の予想―それは、我々祖国に対する警鐘です。
編者はこの警鐘を、将来祖国を双肩に担つて立つ小国民の皆さんに、高らかにうち伝へたに外なりません。
この書にはこの箇所のほか、何処にも原著者であるバイウオーターの名前はでていない。にもかかわらず、ここでは〈著者〉が突如として〈編者〉に変身。ストーリーは〈編者〉である自分の予想ではなく、あくまで外国人であるバイウオーターの予想だとする。それも、この予想は〈警鐘〉だから、〈小国民〉の未来の努力によって、実際には当たらないというニュアンスを言外に滲ませる。ためらいがちでいかにも言い訳めいた書き方であり、子ども読者への〈配慮〉を示していると言えよう。しかし、日米未来戦における日本の敗戦を描いたということは厳然たる事実なのである。
先に、私は「大正期における日米未来戦記の系譜」(「児童文学研究」29号 1996年11月)を公にしている。この論考中では、主として宮崎一雨と阿武天風の子どもむけ日米未来戦記について記述。このおり、日本に於ける子どもむけ日米未来戦記の特徴について概括を行った。次の一節はその主要部分である。
このように、海軍力が圧倒的に不利であるにもかかわらず、空想上の新兵器の登場によって戦局は一挙に覆される。それは、子どもむけの読物である限り、たとえ未来戦であっても日本の敗戦というストーリーを受け入れる土壌がなかったからだと思われる。こうした《教育的配慮》の重圧下にあることが、大衆的児童文学の特質であった。
今でも、この概括については基本的には正しいと思っている。
しかし、豊島次郎の『日米大海戦』が発禁になるまで出版し続けられ、しかもかなりの数の子ども読者の間で読まれたという事実がある以上、この書を重要な例外として位置づけておかねばならないと思う。(完)
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