インターネット版

児童文学資料研究
No.74


  発行日 1998年11月15日
  発行者 〒546-0032 大阪市東住吉区東田辺3-13-3 大藤幹夫


目  次


1997年下半期紀要論文[補遺]大藤幹夫編
1998年上半期紀要論文大藤幹夫編
「童話精神」について(1)藤本芳則
明治末の企業メセナ―全国小学校成績品展覧会―上田信道

1997年下半期紀要論文[補遺]

大藤幹夫編

[日本児童文学]

  1. 「「猫」の笑いを支える〈仕掛け〉―語り手=「吾輩」を巡って―」辻村敬三「京都教育大学 国文学会誌」(京都教育大学国文学会)第27・28合併号 51-61頁  12・×
[宮沢賢治]
  1. 「賢治と啄木―青春と東京―」米田利昭「駒沢女子大学研究紀要」(駒沢女子大学)第4号 101-112頁 12・24
[世界児童文学]
  1. 「A・アトリーの子ども時代と作品―グレイ・ラビットの世界を中心にして−」上田由美子「大阪薫英女子短期大学研究紀要」(大阪薫英女子短期大学)第32号 169-177頁 12・1
  2. 「ルイス・キャロルの世界(4) 聖職、演劇、子どもの写真」笠井勝子「研究紀要」(文教大学女子短期大学)第41集 35-40頁  12・10
  3. 「ヨハンナ・シュピリ作 『ハイジ』の研究(U)」山田はるつ「研究紀要」(東京音楽大学)第21集 91-106頁 12・20
  4. 「日本におけるディケンズ―『クリスマス・キャロル』の翻訳本を通して見た場合」宇佐美太市「英文学論集」(関西大学英文学会)第37号 35-63頁 12・20
[童謡・唱歌]
  1. 「白秋童謡の分析(1)」笹本正樹「高松大学紀要」(高松大学/高松短期大学)第27号 423-445頁 3・20
  2. 「唱歌と現代文学(2)」若井勲夫「京都文教短期大学研究紀要」(京都文教短期大学)第36集 185-193頁 12・20
[民話・昔話]
  1. 「死神のいるグリム童話 「死神の名づけ親」をめぐって」金成陽一「いわき明星大学人文学部研究紀要」(いわき明星大学)開学10周年記念特別号 243-273頁 10・15
  2. 「昔話に秘められた叡智とその教育的意義―「なら梨とり」―(その2)」金井朋子「京都文教短期大学研究紀要」(京都文教短期大学)第36集 170-174頁 12・20
[絵本・漫画]
  1. 「絵本に見るサンタクロース」中山佐知子「一宮女子短期大学紀要」(一宮女子短期大学)第36集 153-222頁 12・21
[児童文化]
  1. 「子どもと音楽―児童文化の視点から―」戸刈恭紀「愛知県立大学文学部論集  児童教育学科編」(愛知県立大学)第46号 17-25頁 8・15
  2. 「かごめかごめ論(下)―その神話的イメージ―」中川香子「聖和大学論集(教育学系)」(聖和大学)第25号A 81-92頁 12・20

1998年上半期紀要論文

大藤幹夫編

「白百合女子大学児童文化研究センター研究論文集」(白百合女子大学児童文化研究 センタ−)U 2・×


  • 「『グリム童話集』第1巻(1812年)の研究」間宮史子 1-37頁
  • 「絵本『あおくんときいろちゃん』の翻訳をめぐって」高鷲志子 38-52頁
  • 「ファージョンの枠物語における"マレイ川の源探求"と"物語る行為のイメージ化"」川越ゆり 53-70頁
  • 「昔話絵本『馬子と山姥』の比較研究―絵本のテキストはいかにイラストレーションに影響するか―」藤本朝巳 71-104頁
「論攷宮沢賢治」(中四国宮沢賢治研究会)創刊号 3・1
  • 「詩章『青森挽歌』・童話「サガレンと八月」における心的体験の克服の行方―『春と修羅』第二集前半の下書稿(一)(二)段階の構想―」秋枝美保 1-16頁
  • 「宮沢賢治と植民地主義―テクストの国境線―」段 裕行 17-29頁
  • 「[冬のスケッチ]本文手入れ時期に関する覚書―《文語詩稿》とのかかわりから―」島田隆輔 30-36頁
  • 「定稿紛失作品「旱害地帯」の本文校訂に関わる一試論―「詩人時代」第5巻3号(昭和10年3月)掲載形に拠りつつ―」平沢信一 37-44頁
  • 「土佐の詩人岡本弥太の宮沢賢治理解―測定された一つの宇宙(新資料を踏まえて)―」鈴木健司 45-61頁
  • 「賢治と緑石の一面」木村東吉 62-75頁
「紀要 椋鳩十・人と作品」(椋鳩十文学記念館)第3号 3・31
  • 「子どもと共に探る椋鳩十文学の魅力―中期作品『孤島の野犬』『マヤの一生』を中心に―」萬屋秀雄 10-17頁
  • 「椋文学に浪漫性を探る―戸川文学との比較において―」阿部真人 18-24頁
  • 「「孤島の野犬」―近代リアリズム動物文学の確立―」浜野卓也 25-30頁
  • 「中国における椋文学―とくに「マヤの一生」について―」劉 永珍 31-39頁
  • 「椋鳩十の人と文学」満江 巌 40-45頁
  • 「あかね色の声」原田泰治 46-48頁
  • 「教育者 椋鳩十―加治木高等女学校時代―」二見剛史 49-55頁
  • 「椋さんと種子島」福満武雄 56-61頁
  • 「椋鳩十の道化」濱里忠宜 62-69頁
  • 「いじめられっこ 彦チャン」久保田幸雄 70-73頁
  • 「約束を果たして」片町糸孝 74-76頁
  • 「母と子の20分間読書」堀内 徹 77-82頁
  • 「鳩ポッポ先生」羽島さち 83-90頁
「国際児童文学館紀要」(大阪国際児童文学館)第13号 3・31
  • 「雑誌『ちゑのあけぼの』とその時代―明治十九年〜明治二十一年―」桝居 孝 1-20頁
  • 「三宅花圃の少女小説の文体―「車の轍」を中心に―」小松聡子 21-39頁
  • 「雑誌「小国民」(のち「少国民」)解題(五)」鳥越信 40-48頁
  • 「佐々木邦の児童文学―『いたづら小僧日記』研究―」西嵜康雄 49-69頁
  • 「松山思水と「日本少年」」上田信道 70-96頁
  • 「羽田書店版『風の又三郎』の成立に関する考察(2)―松田甚次郎『土に叫ぶ』との関連を中心に―」遠藤 純 97-108頁
  • 「現代の、「仕掛け絵本」考」永田桂子 109-122頁
  • 「本のパートナーとしての子ども―歴史的概観―」テーオド−ル・ブリュッゲマン 23-48頁
  • 「大阪国際児童文学館における物語体験の可能性(5)―絵本『ぼくはジャガ−だ』の物語体験―」土居安子 49-71頁
  • 「表現上の特性からみた二つの〈ごんぎつね〉」上田信道 72-88頁
  • 「金井信生堂・絵本目録(1)―第1期1908(明治41)年から1923(大正12)年まで―」大橋真由美 89-112頁
  • 「ムーミン童話研究参考文献目録(6)」高橋静男 113-121頁
「ワルトラワラ」(ワルトラワラの会)第9号 5・10
  • 「扉のむこうへ 宮沢賢治のめざしたもの/連載第6回・第二部・銀河鉄道の終着駅(2)」松田司郎 13-29頁
  • 「縄文の国・愛欄土 イ−ハト−ヴ・異界への旅[9]」牛崎敏哉 30-40頁
  • 「連載第九回 賢治植物考 烏瓜と四次元の植物」藤原義孝 41-47頁
  • 「イ−ハト−ヴ星空案内所 第三回・彗星
  • くじら座・うみへび座」高山 勉 48-54頁
  • 「ライカン(山県頼咸)の鉱物講義 ワルトラワラ分校の特別授業」板谷栄城 55-63頁
  • 「イ−ハト−ヴ料理館F [新]校本宮沢賢治全集 校異篇をたべる その1」中野由貴 64-70頁
「文学と教育」(文学と教育の会)第35集 6・30
  • 「戦時下の綴方と坪田譲治―『綴方子供風土記』と『綴方 家のほまれ』、そして戦後へ」根本正義 1-9頁
  • 「読書単元の研究―「豊かな読書・表現活動を」(光村・中一)を中心に―」※宮沢賢治 河内昭浩 19-25頁
  • 「現代文化論―出版文化にみる読書とマンガの考察―」中村久美 34-44頁
  • 《文献目録》「雑誌『児童心理』の読書に関する文献」松井馨子 73-83頁
  • 「教師像を描く教材および作品一覧/第一部 教師像を描く小学校の教科書教材/第二部 『読書世論調査』にみる教師像を描く作品(上)」 五十嵐哲也 84-97頁
  • 「読むエネルギ−を重視した学習(終) 単元「宮沢賢治の世界」―学習の流れと実践のまとめ―」 宮津大蔵 98-108頁
[児童文学・一般]
  1. 「現代日本の幼年文学」国松俊英ゼミナール「文芸論叢」(文教大学女子短期大学部)第34号 99-109頁 3・15
  2. 「「児童文学」の臨界点」(学生論文)渡辺正樹「和光大学人文学部・人間関係学部紀要」(和光大学)別冊 エスキス97 107-116頁 3・20
  3. 「雑誌『童話』の読書生活―〈現実味〉と〈なつかしさ〉を読む―」杉田智美「武庫川国文」(武庫川女子大学)第51号104-114頁 3・21
  4. 「児童文学におけるレズビアン表象の意味」大脇美智子「アメリカ文学」(日本アメリカ文学会東京支部)第59号 18-26頁 6・1
[日本児童文学]
  1. 「「たけくらべ」論(1)―子どもの退場・恋愛の回避―」岡部隆志「紀要」(共立女子短期大学)第41号 15-28頁 1・31
  2. 「独歩「春の鳥」」中島礼子「国士館短期大学 紀要」(国士館短期大学)第23号 35-70頁 3・1
  3. 「描かれた子どものこころ―洪作少年の言語形成過程―」橋詰静子「女子教育」(目白学園女子短期大学)第21号 15-19頁 3・25
  4. 「翻訳者との対話―独訳『坊ちゃん』を手掛かりに―」徳永光展「姫路人間学研究」(姫路独協大学)第1巻第1号 31-42頁 3・25
  5. 「若松賎子訳『小公子』による「教育する母親」の言遂行的構成―明治二〇年代前半における「日本児童文学」の言説編制―」目黒 強「国語年誌」(神戸大学)第16号 102-114頁 2・15
  6. 「国分一太郎の戦時下の作品について」前田 均「天理大学学報」(天理大学)第49巻第2号第187輯 1-12頁 2・26
  7. 「宇野浩二『揺籃の唄の思ひ出』(昭和期刊行版)の本文について―各版の相互関係と異同―」蔀 際子「金沢学院大学文学部紀要」(金沢学院大学)第3集 56-70頁 3・1
  8. 「戦時体制下における上沢謙二の作品―キリスト教児童文学者が見せた二つの側面―」服部裕子「愛知女子短期大学研究紀要」(愛知女子短期大学)第31号 155-168頁 3・1
  9. 「廣介童話の成立・序続橋達雄「国学院栃木短期大学紀要」(国学院栃木短期大学)第32号 1-18頁 3・10
  10. 「千葉省三「虎ちゃんの日記」考」続橋達雄「野州国文学」(国学院栃木短期大学)第61号 1-24頁 3・15
  11. 「新美南吉「手袋を買ひに」を読む―父ぎつねの不在を巡って―」半田淳子「学芸国語国文学」(東京学芸大学)第30号 122-129頁 3・15
  12. 「壷井栄研究―栄と「母性」―」辻 久美子「東洋大学短期大学論集日本文学編」(東洋大学短期大学)第34号 58-69頁 3・15
  13. 「『野ばら』と『一つの花』について」原 國人「中京国文学」(中京大学)第17号 38-47頁 3・19
  14. 「坪内逍遥と巌谷小波青木稔弥「文林」(神戸松蔭女子学院大学)第32号 83-124頁 3・20
  15. 「名作に描かれた子どもと教師―有島武郎の「一房の葡萄」について―」滝沢典子「学苑」(昭和女子大学)699号 2-12頁
     6・1
[宮沢賢治]
  1. 「「一つのメルヘン」成立に関する一考察―宮沢賢治「やまなし」との比較から―」中野新治「日本文学研究」(梅光女学院大学)第33号 97-109頁 1・20
  2. 「夏のをどりの第三夜―「かしはばやしの夜」論1小埜裕二「上越教育大学国語研究」(上越教育大学)第12号 63-73頁 2・21
  3. 「宮沢賢治「かしはばやしの夜」論―力動的なコミュニケーヨンの様式―」秋枝(青木)美保「比治山大学現代文化学部紀要」(比治山大学)第4号(1997年度版) 23-34頁 3・×
  4. 「宮沢賢治「山男の四月」論―主題をめぐって―」田中千博「日本文学論叢」(大谷女子大学大学院)第4号 34-43頁 3・1
  5. 「宮沢賢治論―身体的語彙から見る賢治の宇宙―」岡屋昭雄「教育学部論集」(仏教大学)第9号 1-12頁 3・2
  6. 「宮沢賢治 いのちへの共感」山根道公「文芸論叢」(文教大学女子短期大学)第34号 36-37頁 3・15
  7. 「宮沢賢治「烏の北斗七星」と戦争のディスクール」千田洋幸「学芸国語国文」(東京学芸大学)第30号 70-78頁 3・15
  8. 「宮沢賢治と内村鑑三」新保祐司「都留文科大学研究紀要」(都留文科大学)第48集 27-50頁 3・20
  9. 「宮沢賢治と〈造園学〉―「装景」との関わりを中心に―」森本智子「武庫川国文」(武庫川女子大学)第51号 125-135頁 3・21
  10. 「宮沢賢治の「十二巻のセリーズ」についての考察」田中千保子「文教国文学」(広島文教女子大学)第38・39合併号 
     225-236頁 3・25
  11. 「宮沢賢治と遠野 1―賢治作品と遠野郷―」佐藤誠輔「遠野物語研究」(遠野物語研究所)第2号 124-134頁 3・31
  12. 「『銀河鉄道の夜』―ジョバンニの変容―」武田秀美「星美学園短期大学研究論叢」(星美学園短期大学)第30号 3-17頁 3・31
  13. 「宮沢賢治「一本木野」評釈」和田康一郎「紀要」(東京成徳短期大学)第31号 51-54頁 3・31
  14. 「宮沢賢治試論櫻井 進「アカデミア」(南山大学 人文・社会科学編)第67号 482-471頁 3・31
  15. 「宮沢賢治という現象―注文のある世界―」村井 紀「日本文学」(日本文学協会)第47巻第5号 92-93頁 5・10
[世界児童文学]
  1. 「『十五少年漂流記』はどこからどこへ漂流するか―『スイスのロビンソン』から『蝿の王』へ―」岩尾龍太郎「西南学院大学 国際文化論集」(西南学院大学)第12巻第2号 255-278頁 2・25
  2. 「オスカー・ワイルドの「幸福な王子」におけるフェミニズム」金丸千雪「九州女子大学紀要」(九州女子大学)第34巻3号 1-16頁 3・×
  3. 「ネズビットのバスタブル家三部作について―子どもの語り手の意味―」依岡道子「名古屋女子大学 紀要」(名古屋女子大学)第44号 357-367頁 3・5
  4. 「時間についての省察―M・エンデの『モモ』の時間と休日の意味についての問い―」高島 明「東京国際大学論叢 経済学部編」(東京国際大学)第18号 125-135頁 3・20
  5. 「読者の時代へ―イギリス児童文学(研究)の現在―」谷本誠剛「関東学院大学文学部 紀要」(関東学院大学)第82号
     147-152頁 3・25
  6. 「マーク・トウェインとキプリング」渋谷 章「国際経営・文化研究」(国際コミュニケーション学会)第2巻第1号 159-168頁 3・25
  7. 「砂の妖精Psammead―魔法と子どもたち―」福本由紀子「甲南女子大学大学院 英文学論集」(甲南女子大学大学院)第15号 17-27頁 3・31
  8. 「ミルンの世界U 『困惑するクマのプーさん』についての覚書」宮添輝美「江戸川女子短期大学紀要」(江戸川女子短期大学)第13号 106-117頁 3・31
  9. 「ミルンの世界V 〈クマのプー〉における文と挿絵の一体性について」宮添輝美「江戸川女子短期大学紀要」(江戸川女子短期大学)第13号 118-129頁 3・31
  10. 「『トムは真夜中の庭で』におけるミルトン的主題―「黙示録」第10章1−6節と〈楽園回復〉―」野呂(金窪)有子「東京成徳短期大学 紀要」(東京成徳短期大学)第31号 13-22頁 3・31
  11. 「トルストイの童話と教育―『トルストイのアーズブカー心をたがやすお話』をめぐって―」西本鶏介「学苑」(昭和女子大学)699号 13-22頁 6・1
[民話・昔話]
  1. 「グリム童話における「根の国」考」中川義英「天理大学学報」(天理大学)第49巻第2号 113-126頁 2・26
  2. 「登場人物の意味構造―「赤ずきん」を題材にして―」岡野雅雄「文教大学言語文化研究所紀要」(文教大学)第10号 1-18頁 2・28
  3. 「グリム童話「がちょう番の娘」をめぐって―転移・逆転移再考―」氏原 寛「椙山女学園大学研究論集」(椙山女学園大学)第29号 人文科学編 21-32頁 3・1
  4. 「グレーテルとヘンゼル―新しい文学講義の試み―」関根俊二「聖和学園短期大学紀要」(聖和学園短期大学)第35号
     31-42頁 3・10
  5. 「グリム童話とアンデルセン童話の14の比較」中島信子ゼミナール「文芸論叢」(文教大学女子短期大学)第34号 89-98頁 3・15
  6. 「桃太郎説話研究」中山悠子「日本文学研究会会報」(東洋大学短期大学)第13号 10-33頁 3・15
  7. 「ハンス・ザックスとグリム兄弟 KHM147「焼かれて若返った小男」を例に」加藤耕義「学習院大学文学部研究年報」(学習院大学)第44輯 63-93頁 3・20
  8. 「William Faulknerと民話―『ローワン・オークの幽霊たち』を考える―」阿部 宏「いわき明星大学人文学部研究紀要」(いわき明星大学)第11号 67-77頁 3・25
  9. 「裏窓からみえる心象風景―グリム童話「ラプンツェル」を読む―」金成陽一「いわき明星大学人文学部研究紀要」(いわき明星大学)第11号 119-132頁 3・25
  10. 「『スウェーデン民話集』を読んで」薮下紘一「駒沢大学北海道教養部研究紀要」(駒沢大学)第33号 45-54頁 3・31
  11. 「グリム童話『いばら姫』の私訳と研究」蔀 雅二「市立名寄短期大学紀要」(市立名寄短期大学)第30巻 81-89頁 3・31
  12. 「ペロー童話解読法〜あなたは真の童話を知っていますか?〜」(卒業論文) 高橋由加里「人間文化」(神戸学院大学)第11号 127-136頁 6・30
[詩歌・童謡]
  1. 「北原白秋童謡語彙の数量的研究」加藤妙子「日本語研究センタ―報告」(大阪樟蔭女子大学)第5号 1-44頁 1・8
  2. 「日本の歌(童謡・唱歌・懐メロ・流行歌)の中の気音について」重田 勲「文学芸術研究」(大阪電気通信大学)第14号 15-22頁 3・14
  3. 「有本芳水の少年詩について―『芳水詩集』を中心に―」溝手恵理「倉敷市立短期大学研究紀要」(倉敷市立短期大学)第29号 94-88頁 3・14
  4. 「明治期の倫理教育と唱歌 2―曲のつかない教育勅語関係唱歌について―」雨宮久美「日本大学教育制度研究所紀要」(日本大学)第29集 49-97頁 3・25
  5. 「生涯学習における童謡・唱歌の位置付け その3〜絵画と童謡・唱歌の関係「わが心の風景画展」を通して〜」兎束淑美「紀要」(上田女子短期大学)第21号 83-108頁 3・31
  6. 「野口雨情著『童謡教本』(尋常一、二年)―「ちよだのおしろ」から「ざう」まで―」金子未佳「二松」(二松学舎大学大学院)第12集 168-208頁 3・31
[絵本・漫画]
  1. 「少女・女性漫画にみる女性文化」日下 翠「比較社会文化」(九州大学大学院)第4巻 21-34頁 2・20
  2. 「ジェイムズ・サーバー『たくさんのお月さま』の魅力 絵本のなかの文学性」橋本賢二「大阪教育大学 英文学会会誌」(大阪教育大学)第43号 37-52頁 2・25
  3. 「「ももたろう」絵本考(2)」大藤幹夫「学大国文」(大阪教育大学)第41号 49-71頁 2・28
  4. 「マンガ版ビルドゥングスロマンの形成とその変容」中西茂行「金沢学院大学文学部紀要」(金沢学院大学)第3集 10-33頁 3・1
  5. 「絵雑誌の研究・戦時下の出版『コドモノクニ』の場合」中村悦子「大妻女子大学紀要―家政系―」(大妻女子大学)第34号 113-132頁 3・1
  6. 「ビアトリクス・ポターの生涯と作品」設楽志津「英米文学科研究年誌」(金沢学院大学)第5号 39-60頁 3・10
  7. 「漫画「サザエさん」にみる戦後家族関係の変遷―役割構造の視点からの「量的」分析―」植村勝彦「愛知淑徳大学論集」(愛知淑徳大学)第23号 15-33頁 3・10
  8. 「たった一回生きるために―佐野洋子『100万回生きたねこ』論―」加藤久美子「学芸国語国文学」(東京学芸大学)第30号 149-153頁 3・15
  9. 「絵本「ちびくろサンボ」に対する意識調査と「読み聞かせ」についての研究(その1)」平岩定法/出口俊一「中京女子大学研究紀要」(中京女子大学)第32号 31-40頁 3・31
  10. 《講演》「絵本とユーモア」長 新太「児童文化研究所所報」(上田女子短期大学)第20号 71-83頁 3・31
  11. 「絵本の読み聞かせについて」三宅光一「外国語教育論集」(筑波大学)第20号 131-158頁 3・31
[児童文化]
  1. 「滑川道夫読書指導論における児童文化的視点」足立幸子「日本語と日本文学」(筑波大学)第26号 52-59頁 2・28
  2. 「児童文化論 序-その5- 学校図書館と児童文化」大井源一郎「国学院短期大学紀要」(国学院短期大学)第16巻 49-81頁 3・23
  3. 「教育改革の時代と子どものゆくえ―「子ども文化」の再構築のために―」望月重信「明治学院論叢」(明治学院大学)第614号 1-27頁 3・31

「童話精神」について(1)

藤本芳則

 「童話精神」は、小林純一、関英雄、茶木七郎、戸塚博司、柴野民三らによって創刊された同人誌。同人以外にも外部からの寄稿を掲載。東京童話作家クラブ発行、編集兼発行人、小林純一。50頁〜40頁内外。六冊で終刊。創刊の経緯等は関英雄『体験的児童文学史 後編』(1984)に詳しい。
 全号の内容と主要な評論、エッセイを紹介する。ただし、創刊号の関の評論、その反論として二号に掲載の菅忠道の一文については、関の著書前出)に記述されているので略す。
 なお、一頁目に記された巻頭言に相当する部分は、第五、六冊以外は関の執筆。

創刊号(昭和14年11月1日発行)
童話精神≠フことば (無署名)1〜1
お店のうた二つ[綿屋のお店/竹屋のお店](詩)小林純一2〜3
蝦蛄(童話)柴野民三4〜8
サアニカ(童話)小林純一9〜14
アダム(戯曲)戸塚博司14〜34
童話文学の新精神(評論)関 英雄35〜41
私装1(時評)奈街三郎42〜43
森田たま「鉛の兵隊」(批評)周郷 博44〜45
「愛の一家」批評(批評)小林純一45〜46
幼年のイクスタシイ―カロッサ作「幼年時代」読後―(批評)関 英雄46〜47
児童映画のこと―「友吉と馬」「子供と兵隊」を観て―(批評) 小林純一 48〜49
映画「虎ちゃん日記」に就いて(批評)関 英雄50〜50
後記戸塚博司・関 英雄・小林純一51〜52

 奈街の「私装」は、「片々たる時局もの、銃後ものゝ多いのはどうだらう。しかも新人ほど争つて書いてゐるのには、茫歎の他はない」といい、「教壇的時局モラルにすぎない」と批判。この時期にはまだこうした発言が可能だった。

第二冊(昭和15年3月12日発行)
思想と意匠(無署名)1〜1
夕焼(詩) 小林純一2〜3
葦原の朝(その一)(戯曲)戸塚博司4〜11
サ〜カスが来た(童話)茶木七郎11〜17
雪(童話)小林純一18〜25
『童話文学の新精神』に寄せて―関英雄氏の論稿に対する若干の疑義―(評論)菅 忠道26〜29
私装2(時評)奈街三郎30〜32
幼き日の町へ(エッセイ)(批評)関 英雄33〜37
与田凖一著「牡蛎の旅行」(批評)関 英雄38〜39
ケストネル「ラツドの綴方帳」(批評)小林純一39〜39
劇団「東童」への批判と要望(批評)清水 清40〜41
雑記(エッセイ)戸塚博司・関 英雄・茶木七郎・小林純一42〜46

 「日本の子供」と「ルーペ」の評を奈街が書いている。「ルーペ」は、「自分の子だけは、尠くともこんな雑誌を欣んで読むやうな子にしたいと、念願したくなつた小学生の新しい雑誌」とベタ褒めだが、「日本の子供」はその逆。

三冊(昭和15年8月25日発行)
一つの途 (無署名)1〜1
青い船と三輪車(童話)関 英雄2〜9
葦原の朝(その二)(戯曲)戸塚博司10〜23
体で書くこと(エッセイ)与田凖一24〜25
私装3(時評)奈街三郎26〜29
槙本楠郎著「猫と誕生日」読後(批評)関 英雄30〜31
よき歌の論―童謡の文化的考察―(批評)本田鉄麿31〜33
雑記(エッセイ)戸塚博司・茶木七郎・関 英雄・小林純一34〜36

 奈街の時評「私装」は、日本新人童話賞を受賞した岡本良雄「八号館」について、「傑作かも知れないが、あくまで旧人たちの張りめぐらした柵内を一歩も出ぬ傑作」とし、「冗漫な上つすべりの会話」「生理的実感を伴つてこない構成」と批判、「一階では尹君のお父さんが、涙を流して喜んでゐた。」を引用し、「安易な誇張、概念的表現」と批判する。

(未完)

第四冊(昭和15年12月28日発行)
素朴な真理(無署名)1〜1
馬(詩) 茶木七郎2〜3
牛づれ兵隊(童話)宮原無花樹4〜10
鴉(童話)関 英雄11〜17
千代紙の小筥(童話)小林純一18〜25
伝統と新風―新体制下の児童文学―(評論)関 英雄26〜28
同人座談会 映画「風の又三郎」の諸問題小林純一・関 英雄・茶木七郎29〜32
未明童話「蘭の花」を読む(批評)関 英雄33〜33
宿命と安住―童謡集「鴎のたまご」を読んで(批評)小林純一33〜35
東童公演 夜明けの子供(批評) 戸塚博司35〜35
雑記(エッセイ)宮原無花樹・茶木七郎・関 英雄・小林純一36〜40

明治末の企業メセナ―全国小学校成績品展覧会―

上田信道

1912(明45)年は実業之日本社の創業十五周年にあたり、記念事業として〈全国小学校成績品展覧会〉を開催した。これまで五周年ごとに開いていた園遊会を取り止め、展覧会を開催することにしたのである。同社の社史『実業之日本社七十年史』(1967年6月10日)によると、「会場は上野公園竹の台(現在の東京都美術館の場所)にあった元商品陳列館を当て、全国各地から約一千三百の小学校を選んでその児童生徒の図画、工作、作文、習字、裁縫等約十二万点を陳列した。この種の催しでは当時これほど大規模なものは我国では始めてであり、わが社としても無論はじめて経験することであった」という。
 この展覧会には、総裁に大隈重信、協議員に吉岡郷甫ほか文部省の学務局長・視学官クラス多数、賛助員に芳賀矢一・新渡戸稲造・尾崎行雄を始め東京・広島の両高等師範学校校長、東京・奈良の両女子高等師範学校校長ほかを擁した。「日本少年」(一九一二年四月号)は、「費用一万円を提供して」云々、「特設した三十間堀の事務所には、毎日十数名の事務員と記者」云々と、準備の様子を伝えている。会期は、最初、五月二五日から六月一三日までの予定であったものが、評判が高いため、六月一八日までに延長。一日あたりの一般入場者三千人、団体入場者三千人、会期を通じて十六万人の入場者があったという。入場料は一人につき五銭をとったが、小学校児童の団体は無料とした。
 《成績品》は、〈書方〉〈綴方〉〈図画〉〈裁縫〉〈手工〉の五分野に分けられた。「少女の友」(1912年8月号)によると、出品規定は概ね次のとおりであった。すなわち、〈書方〉は尋常四学年以上の各学年。〈綴方〉は尋常三学年以上の各学年で、尋常六学年に限り「親の恩」という題を課した。〈図画〉は尋常一〜三学年(三学年のみの誤植か?)に記憶画、四学年に臨画、五学年に写生画、六学年に考案画、高等一学年に写生画、二学年に考案画を課した。〈裁縫〉は尋常四学年は随意、五学年は一つ身襦袢、六学年は一つ身単衣及び補綴法、高等一学年は一つ身袷衣、二学年は一つ身綿入及び補綴法であった。〈手工〉は尋常四学年以上の各学年で、材料及び大小は随意であったという。
 優秀作には賞牌と賞状が出された。審査員は青山師範、東京高等師範、東京女子高等師範の教諭・訓導から各分野ごとに2名(綴方は6名)を選任。選考の結果、金牌が各分野につき三名。銀牌が各分野につき百名程度。銅牌が各分野につき二百名程度選ばれ、ほかに各学年を通じて成績良好と認められた学校に褒状が贈られている。褒賞式は同年6月30日、神田一ツ橋にある帝国教育会で行われた。
 《成績品》のほかにも、教育参考品として諸外国の教育品、諸種の玩具、飛行機模型などを出品した。後年、盛んに開催される教育博覧会の先駆けと言えよう。また、「日本少年」「少女の友」の二誌がいかにできるかをテーマに、滝沢素水の冒険小説や有本芳水の少年詩の原稿、活字の文選・組方・紙型、ステローから印刷製本までの過程を展示。自社のPRに怠りのないことも、無論である。
 会期中には皇太子、三皇孫ほか皇族、乃木大将など多数の高位高官の来場があった。実業之日本社社長である増田義一は、この年の五月、衆議院議員に当選。増田の政治力が窺える出来事である。
 博文館の編集者であった木村小舟は「何事も宣伝の世の中ではあり、殊に宣伝の巧妙なる実業之日本社の企画ではあり、為めに連日入場者雲集し、殊に高貴の御方さへ、御来観あらせらるゝといふ有様にて、私設の展覧会としては、稀に見るの名誉を博し、大成功裡に其の幕を閉ざした。/さればこそ、この事あつて以来、両誌の勢力は、真に旭日昇天の概を来し、為めに多年牢固たる地盤を擁したる「少年世界」すら、聊か後方に瞠着たるの感なきを得なかつた」(『少年文学史 明治篇』一九四二年七月一〇日 童話春秋社)と述べている。この年、「日本少年」の発行部数は一五万部、「少女の友」は八万五千部にのぼり、少年少女むけの雑誌としてはかつてない部数であった。実業之日本社は、明治期を代表する児童雑誌出版社であった博文館を凌駕し、業界の頂点に立った。この時期の展覧会の開催は、実業之日本社の隆盛ぶりを内外に見せつけたと言えよう。
 《成績品》を集めるため、実業之日本社では全国二千余校の小学校を対象に出品を勧誘した。勧誘の対象となる学校は、各府県の視学が各郡から三校を選ぶというやりかたであったらしい。前年、日本の植民地になったばかりの朝鮮にも出品を促した。韓国皇族の来場もあり、〈日韓併合〉の事実をあらためて知らしむることに配慮したことがわかる。文部省では二回にわたって視学官会議を開いた。また、折から上京中の視学九十二名を大隈伯爵邸でひらかれた会議に招請。民間が主催する展覧会でありながら、官の力をも動員し、国家目的に添った催しであった。
 《成績品》の内容については、具体的に明らかにすることができないので、「日本少年」(1912年7月号)から審査員の評の一部を紹介して、これに代えることにしたい。
 〈書方〉については、「字の形を整へることにばかり気を配つて筆の運びに注意しない人が多い」(水戸部寅松)とする。〈綴方〉については、「無理に悲哀を書いたものや、無理に或仮空のことを拵へて書いたものが多く、何か他に訴へるものがあつて、自分の心中を熱心に表はしたものが少い」(芦田恵之助)「先生が子供の能力を考へないで、自分の選んだものを無理に子供に課したやうな観がある」(馬淵伶祐)という。〈図画〉は、「野外の景色は小学校の子供に書かせるには無理な点が多いから、総てかういふものは採らないことにした」(阿部七五三吉)「何しろ新しい図画が出来てから日が浅いから、考案画とか写生画とかいふものの意味が充分に分つてゐないやうに思はれる」(肥後盛熊)という。〈手工〉は「青森の蔓細工、宮島の盆などは、なかなか大人でも及ばないほど良成績なのがある。かういふものは恐らく子供の家で其の商売をやつてをるからであらう」「材料をば特定せずに、仮へば軍艦を一つ造らうと思へば、厚紙も針金も又粘土も必要であるやうに、子供自身の考から何か造らせて、そして夫れに必要なことを教へ導く方がよいと思ふ」(大倉柾次郎)という。
 なお、「少女の友」(1912年4月号)の広告に「児童成績品の展覧会が、少年少女の学業進歩に利益する処多いといふ事は、今更申すまでもありません。そして、日本全国小学校児童の成績品を一堂に陳列して見たいといふ考は、教育家と云はず父兄と云はず、万人の斉しく希望するところでありました。けれどもこれには、莫大な費用と労力を要するので、未だ一回も挙行せられたことがありません。我が実業之日本社では、少年少女教育界の為にこれを惜み、今回、此費用と労力とを提供して、文部省協賛の下に、これを計画する事になりました」とあって、展覧会の趣旨と性格を明らかにしている。
 しかし、当時、こうした企業メセナを教育界が受入れることは、まだ容易ではなかったようだ。東京市内の学校の出品が地方の学校に比べて少ないので、実業之日本社の編集記者たちが手分けをして各学校を訪問した。すると、出品しない理由は、〈期日に間に合はない為〉はともかく、〈展覧会を営利事業と認むる為〉にあったという。説得の結果、誤解を解く学校もあったが、どうしても納得しない学校も少なくなかったらしい。一方、地方の学校からは予想の三倍も出品があった。これは、都市部より地方の方が、視学という官の威令が行き渡っていたためかもしれない。