インターネット版

児童文学資料研究
No.81


  発行日 2000年8月15日
  発行者 〒546-0032 大阪市東住吉区東田辺3-13-3 大藤幹夫


目  次


1999年上半期紀要論文[補遺]大藤幹夫編
1999年下半期紀要論文大藤幹夫編
雑誌「金の鳥」創刊をめぐって藤本芳則
佐藤紅緑「私の小説に就いて」(「少年倶楽部」1928年12月号)ほか上田信道

1999年上半期紀要論文[補遺]

大藤幹夫編


「別冊 子どもの文化」(子どもの文化研究所)創刊号 5.25

  • 子どもの成長を「文化の視点」からとらえたい―研究誌『別冊 子どもの文化』創刊にあたって― 古田足日
  • 子どもの生活と〈参加〉 加藤 理
  • 電子空間上の情報と「遊び」―メディアから見た子どもの生活―森下 みさ子
  • 園保育と子どもの生活 師岡章
  • 「居場所」づくりに内在する論理の錯綜―「居場所」という呪文に消去される「関係」― 東 宏行
  • 藤本浩之輔の「子ども文化」をめぐって 上村朋佳
[児童文学一般]
  1. 「「野田一揆」と新田小十郎―児童文学の視点でとらえた遠野の一揆―」 松岡義和 「市立名寄短期大学紀要」第31巻 91-97頁 3.31
  2. 「雑誌『少年園』における「少年」―論説欄を中心に(1)―」 酒井晶代 「愛知淑徳短期大学研究紀要」第38号 1-11頁 6.20
[日本児童文学]
  1. 「「赤い鳥」と森三郎」(講演) 酒井晶代 「中部図書館学会誌」第40号 1-12頁 2.×
  2. 「新美南吉童話の魅力―孤独から無償の愛へ―」(講演) 谷 悦子 「南吉研究」第38号 1-37頁 3.1
  3. 「坪田譲治とキリスト教」 劉 迎 「岡山大国文論稿」第28号 33-41頁 3.31
  4. 「与田凖一著書目録稿」 青木文美 「愛知教育大学大学院国語研究」第7号 97-114頁 3.31
[宮沢賢治]
  1. 「母なる自然・父なる自然―「オツベルと象」論―」 小埜裕二 「金沢大学国語国文」第24号 77-84頁 2.24
  2. 「宮沢賢治研究の50年―中国への紹介―」 王 敏 「東京成徳大学研究紀要」第6号 87-92頁 3.15
  3. 「テクストの多声性と読者の<物語>―宮沢賢治「おいの森とざる森、ぬすと森」の授業実践記録を手がかりとして―」 山元隆春 「国文学攷」(広島大学国語国文学会)第161号 27-42頁 3.31
[世界児童文学]
  1. 「「魔法」と再生―The Secret Garden論」 安藤 聡 「FOCUS」(愛知大学)第16号 57-64頁 3.20
  2. 「現実を言語テクストとして構築するための言語資源―『フランダースの犬』の分析を通して―」 長谷川明子 「桜の聖母短期大学紀要」第23号 111-136頁 3.31
  3. 「『ロビンソン漂流記』について」 吉海直人 「総合文化研究所」(同志社女子大)第16巻 32-35頁 3.31
[童謡・唱歌など]
  1. 「イギリス伝承童謡に見られる遊びの風土(1)」 井田俊隆 「立命館言語文化研究」(立命館大)10巻4号 147-188頁 1.20
  2. 「日本における子守歌―幼児期における日本の子守歌の考察―」 千葉圭説・岡元真理子 「北海道女子大学短期大学部研究紀要」第36号 287-289頁 3.24
[昔話・民話]
  1. 「「小男」の草紙と『一寸法師』」 八木幾子 「日本文芸学」(日本文芸学会)第35号 39-53頁 3.30
  2. 「ジャンルの規定=昔話・神話・物語―天人女房譚・異類婚姻譚の〈語り〉と〈言説〉を比較検討して―」 東原伸明 「高知女子大学文化論叢」創刊号 1-14頁 3.31
[絵本・漫画]
  1. 「日本語イマージョン教育における児童文学―日米の恐竜絵本を中心に―」 半田淳子 「東京学芸大学紀要」第2部門 人文科学第50集 255-267頁 2.28
[児童文化・その他]
  1. 「学校図書館と児童・生徒の知る自由」 中村克明 「日本文学会誌」(盛岡大学)第11号 1-8頁 3.8
  2. 「「戦時下における児童文化」について(その4)「東日小学生新聞」の「紙上作品展覧会」における位相と展開(4)―」 熊木 哲 「大妻女子大学紀要―文系―」第31号 133-144頁 3.20

1999年下半期紀要論文

大藤幹夫編


「梅花児童文学」(梅花女子大学大学院)第7号 7.5

  • ハインリヒ・ホフマンの絵本―『もじゃもじゃペーター』とその影響をめぐって― 野村修
  • チ・ランケ・ハル―日本農耕文化の二つの底流― 稲田浩二
  • 現代児童文学の動向(二)―谷川俊太郎の世界― 谷 悦子
  • 運定めの昔話「水の神」考―「立ち聞き者」をめぐって― 前田久子
  • 怪人二十面相の正体―江戸川乱歩の「子供心」― 西村理恵
  • 『赤い鳥』における中国像 浅野法子
  • タイにおける日本作品の翻訳問題―「狐」のタイ語訳をめぐって― ピンサライ・カムシリ
  • 『若草物語』の明治期翻訳の諸問題―『小婦人』に見られる削除― 小谷加奈子
  • アーサー・ランサムの Swallows and Amazons シリーズにおける Robinson Crusoe の影響について―Critical Adventureとしての観点から― 松下宏子
  • 『ナルニア国物語』に関する一考察―なぜスーザンはナルニアの世界から排除されたか― 宇佐見由美
「ワルトラワラ」(ワルトラワラの会)第12号 11.10
  • 扉のむこうへ―賢治のめざしたもの・連載第9回 第2部・銀河鉄道の終着駅〈5〉銀河の旅 松田司郎
  • 森永のエンゼルマーク イーハトーヴ・異界への旅(12) 牛崎敏哉
  • 文語詩を読む…その1 [日本球根商会が] 赤田秀子
  • 文語詩稿 一百篇・作品四十一番「塔中秘事」を現場から読む 岡沢敏男
  • 宮沢賢治のプラネタリウム 加倉井厚夫
  • 賢治の創作現場をさぐる 賢治の修羅も齢をとる 板谷英紀
  • イーハトーヴ料理館 10 [新]校本宮澤賢治全集校異篇をたべる その3(第6・7巻) 中野由貴
  • 2 かあいさうの群れ イーハトーヴの種子 杉岡ふみ
「ヘカッチ」(北海道子どもの文化研究同人誌)4 11.20
  • 北海道の童謡詩人たち(3) 名取和彦著『コロポックルへのセレナーデ』 柴村紀代
  • 百田宗治著作書誌解題ノート 佐藤将寛
  • 郷土の児童文学者と宮沢賢治 横田由紀子
  • 玉青の文学―中国校園文学の流れと共に 笠原 肇
  • 札幌の「人形劇」を考える―人形劇フェス冬の祭典を中心に― 鈴木喜三夫
  • 三木露風未発表小論集について―昭和2、3年『光明』紙に発表分― 平中忠信
  • 科学新聞『子供の国』―財団法人・子供の国の児童文化活動― 谷 暎子
「梅花女子大学 文学部紀要」33 児童文学編16 12.25
  • 絵双六と赤本―「新板隠里福神嫁入双六」と『かくれ里ふく神よめいり』をめぐって― 加藤康子
  • 新美南吉の文体考―〈語り〉と自然描写を中心に―谷 悦子
  • 児童文学者としてのE・V・ルーカス 三宅興子
  • スコットランド伝承子守唄における妖精のイメージをめぐって 鵜野祐介
  • 金の巻毛と三匹のくま 石澤小枝子
「注文の多い土佐料理店」(高知大学宮沢賢治研究会)創刊号 12.29
  • 「オツベルと象」論―《仲介者》の時間と《オツベル・象》の時間 矢野弥生
  • 「雁の童子」論―トルストイ「人は何で生きるか」を起点に― 山口佳奈
  • 宮沢賢治と現代のシンガーソングライター 湯浅光太
[児童文学一般]
  1. 「『赤い鳥』における教育観―悪役をてがかりとして―」 坂野久美子 「淑徳文芸」(愛知淑徳短大)第12号 157-178頁 7.1
  2. 「一九六〇年代児童文学素描―現代日本児童文学史への再構想―」 宮川健郎 「昭和文学研究」(昭和文学会)第39集 77-88頁 9.×
  3. 「大衆児童文学論と現代児童の読書」 米谷茂則 「学芸国語教育研究」(東京学芸大)第17号 33-59頁 10.1
[日本児童文学]
  1. 「浜田広介「椋鳥の夢」の世界―不在の〈母〉の出現―」 斎藤英雄 「九州大谷国文」(九州大谷短大)第28号 16-38頁 7.1
  2. 「『蜘蛛の糸』―〈筆削〉の意味―」 浅野 洋 「国文学解釈と鑑賞」第64巻11号 51-54頁 11.1
  3. 「『杜子春』」 黄 英 「国文学解釈と鑑賞」第64巻11号 79-82頁 11.1
  4. 「活字と肉筆―『坊ちゃん』の「原稿」と「初出本」と「初版本」と―」 西崎 亨 「武庫川女子大学言語文化研究所年報」第10号 37-53頁 7.31
[宮沢賢治]
  1. 「宮沢賢治の挽歌」 江島政光 「九州大谷国文」(九州大谷短大)第28号 10-15頁 7.1
  2. 「宮沢賢治「なめとこ山の熊」の構想」 和田悦子 「文月」 (大阪教育大学)第4号 1-12頁 7/31
  3. 「宮沢賢治と古典 覚書」 下西善三郎 「上越教育大学研究紀要」第19巻第1号 1-14頁 9.30
  4. 「宮沢賢治と〈映画的〉想像力―同時代映画を起点として―」 平澤信一 「日本近代文学」(日本近代文学会)第61集 43-58頁 10.15
  5. 「ジョバンニの夢―『銀河鉄道の夜』考」 高橋康雄 「札幌大学総合論叢」第8号 1-166頁 10.31
  6. 「宮沢賢治の生前未発表童話考(一)」 続橋達雄 「野州国文学」(国学院栃木短大)第64号 1-23頁 10.31
  7. 「宮沢賢治と尾形亀之助―「銅鑼」での邂逅」 和田博文 「現代詩手帖」第42巻・第11号 60-65頁 11.1
  8. 「宮沢賢治「よだかの星」を読む」 島田博雄 「解釈」第45巻 43-49頁 12.1
  9. 「宮沢トシと成瀬仁蔵―「実践倫理講話」筆記録を中心に―」 山根知子 「成瀬記念館」第15号 25-41頁 12.24
  10. 「宮沢賢治童話作品論 賢治童話「紫紺染について」を読む」 中野隆之 「黒葡萄」(中野隆之)第16号 6-16頁 12.25
  11. 「宮沢賢治作、絵本「水仙月の四日」の絵画性とその表現」 杉浦篤子 「藤女子大学・藤女子短期大学紀要」第37号・第2部 35-47頁 12.25
[世界児童文学]
  1. 「精霊に愛された少女―A・アトリーと「妖精物語」―」 中野節子 「Otsuma Review」(大塚女子大)第32号 21-33頁 7.1
  2. 「K・グレアムの『楽しい川べ』の世界」 橋本祐子 「Otsuma Review」第32号 301-306頁 7.1
  3. 「『ピーター・パン』とJ・M・バリー作品と作家について―」 布山智子 「Otsuma Review」第32号 307-312頁 7.1
  4. 「アリスの不思議の国の意味論の冒険―その2―」 小木野 一 「国際文化研究所「論叢」」(筑紫女学園大・短大)第10号 43-57頁 7.31
  5. 「George MacDonald―ファンタジー童話考察―」 葛原香代子 「TOMORROW」(大阪女子大学大学院)第18号 1-17頁 8.1
  6. 「『グリーン・ノウの子どもたち』論―五感で楽しむファンタジー」 西澤喜代美 「十文字学園女子短期大学研究紀要」第30集 37-44頁 12.15
  7. 「『不思議の国のアリス』研究―日本語訳の比較―」 杉本圭子 「島根国語国文」(島根県立島根女子短大)第10号 100-129頁 12.20
  8. 「C・S・ルイスと竜の話」 川崎佳代子 「英米文学」(神戸山手女子短大)第10号 1-14頁 12.25
[童謡・唱歌など]
  1. 「三木露風の作品創作過程について」 和田典子 「兵庫大学短期大学部 研究集録」第33号 1-12頁 8.31
  2. 「新資料 三木露風詩稿ノートの解題と細目―「1925ノート」と「『お日さま』自序ノート」―」 和田典子 「兵庫大学短期大学部 研究集録」第33号 13-22頁 8.31
  3. 「イギリス伝承童謡に見られる遊びの風土(2)」 井田俊隆 「立命館言語文化研究」11巻2号 193-200頁 9.30
  4. 「明治十年代末期における「唱歌/軍歌/新体詩」の諸相」 榊 祐 一  「日本近代文学」(日本近代文学会)第61集 1-13頁 10.15
  5. 「唱歌と現代文学(4)」 若井勲夫 「京都文教短期大学研究紀要」第38集 212-224頁 12.20
[昔話・民話]
  1. 「昔話に秘められた叡智とその教育的意義―「なら梨とり」―(その3)」 金井朋子 「京都文教短期大学研究紀要」第38集 201-211頁 12.20
  2. 「日本昔話に関する資料ノート―「猿蟹合戦」「天狗のうちわ」―」  沢井耐三 「愛知大学 文学論叢」文学会創設五〇周年記念特輯 1-20頁 12.25
  3. 「『グリム童話』の研究―「白雪姫」〈KHM53〉の心理と育児の問題―」 川口鮎美 「日本語文化研究」(比治山大)第2号 21-31頁 12.25
  4. 「映像情報の違いが受けとめに及ぼす影響―『かちかちやま』をとり上げて―」 平井美智子・伏見陽児 「茨城キリスト教大学紀要」2 社会・自然科学 第33号 17-30頁 12.25
[絵本・漫画]
  1. 「絵本に関する知識データに基づく質問応答システムの研究」 伊藤路子・藤井敦・石川徹也 「図書館情報大学研究報告」18巻第1号 1-9頁 9.10
  2. 「〈子供マンガ〉という境界―手塚治虫と“藤子不二雄”の間―」 吉村和真 「立命館言語文化研究」11巻2号 59-68頁 9.30
  3. 「3−6歳期の子どもの絵本選択にみられる性差」 坂本 瑞・前川貞子 「紀要」(奈良文化女子短大)第30号 45-54頁 11.1
  4. 「絵本の翻訳について―Madeline's Rescue を和訳して―」 水野晶子 「紀要」(杉野女子大・杉野女子大短大)第36号 157-172頁 12.20
  5. 「レオ・レオニの絵本の世界」 季 頴 「聖和大学論集(教育学系)」第27号A 267-279頁 12.20

    雑誌「金の鳥」創刊をめぐって

    藤本芳則


     大正11年4月1日、金の鳥社より雑誌「金の鳥」が創刊された。菊判、96頁、30銭であった。内容は、童話、唱歌、投稿欄とこの時期の童話雑誌の標準的構成である。
     同時代の童話雑誌の例に洩れず、散佚してしまい全体像がつかめない。そのためか、『日本児童文学大事典』に独立項目としてとられているが、簡略な記述しかない。しかし、大阪国際児童文学館所蔵(平12年7月現在)の10冊足らずに目を通してみても、なかなかの執筆陣である。創刊号の一部を紹介すると、「英国皇太子歓迎の歌」(巌谷小波詞/野口米次郎英訳/弘田龍太郎曲)、「太鼓腹の張吉」(漫画、岡本一平)、不思議な国の話(童話、室生犀星)、「無憂樹の花」(童話、岸辺福雄)、「三人兄弟(少年小説、山中峰太郎)、「猫と人形」(少女小説、長谷川時雨)、「貧乏な歌」(ロシア童話、秋田雨雀)といった作品がならぶ。十分な調査ができれば、注意を払ってしかるべき雑誌と思われる。以下、創刊の経緯について若干述べてみたい。
     「仏教童話」2巻3号(大11年3月1日中央仏教社)に「『金の鳥』創刊の趣旨」と題する広告がみられる。そこには、「仏教童話」は宗教的色彩が濃すぎるので、「質実剛健なる純日本的精神の涵養に資すべき内容とを有する児童雑誌」を企画したとある。「金の鳥」という誌名は、仏典中の金翅鳥よりとり、英国皇太子来朝を契機に発行するというもの。さらに、「金の鳥」は事実上「中央仏教社」の経営でああるが、「世間的雑誌を標榜する関係」から「金の鳥社」の名義を使うことになったと説明がある。確かに、「仏教童話」の発行所の住所は「東京市牛込区矢来町十一番地」であり、金の鳥社の住所も同一で、編集発行人も同1の飯塚哲英。ただし、「仏教童話」発行元の中央仏教社は、第2巻第4号(大13年8月1日)より、発行人はそのままに大日本仏教少年団に変わる。ちなみに「仏教童話」は巌谷小波監修と謳っており小波の童話が掲載されている。これも調査したい雑誌であるが、まとまって所蔵する公共的機関はないようだし、『日本児童文学大事典』にも項目としてはとられていない。
     さて、「金の鳥」創刊に関しての大きな反応は、いまのところ見出せずにいるが、仏教系の児童雑誌「金の塔」に批判的意見が掲載されているので次に引用する。

     近く『金の塔』とおなじやうな名前の童話雑誌が仏教徒の手から出る事を聞いて私達は大変喜んで居りました。所がその発表された広告を見まして非常に悲しく思ひました。それによりますと、世間に売らんが為に全く仏教的色彩をさけて、純世間的雑誌とずるといふ事です。何といふ卑怯な態度でせう。何を憚つて仏教的色彩をさける必要がありませう。(無署名 大11年3月15日)
     具体的誌名を欠くが、時期的にも符号するので「金の鳥」とみてまず誤らないだろう。実物ではなく広告の段階での批判であることから、「金の塔」と「仏教童話」とは単なるライバル以上の何かがあったのかもしれない。
     興味深いのは、「金の塔」の宣伝ビラに、発行元である大日本仏教コドモ会の顧問として、巌谷小波、加藤咄堂、柳沢政太郎、島地大等、高島平三郎、関寛之、秋田雨雀らの名前がみえることで、小波、高島、雨雀は「金の鳥」創刊号の執筆者でもあった。
     「金の鳥」創刊号巻末の「編輯室より―本誌を愛読する皆さまへ―」に、創刊の経緯が広告よりも詳しく記されている。それによると、十分な準備期間をもたずに創刊したので、「思つた半分にも行かなかつた」とのこと。なぜ創刊を急いだのかといえば、英国皇太子来朝を記念するとともに東京上野での平和博覧会開催にあわせるためであったらしい。本誌冒頭におかれた「英太子を奉迎して」(高島平三郎)と題するエッセイでも、「此の「金の鳥」といふ雑誌は、そのまごゝろを込めて、【英国皇太子を―藤本】お迎へする一つとして創刊し」と述べられている。とはいうものの、これらの説明は真実を語っているとは思い難い。本当のところは、といってもあくまでも推測でしかないが、「仏教童話」だけでは経営がおもわしくなかったため、購読者を一般に広げて経営の安定をはかろうとしたのではなかったか。「仏教童話」は、8頁程度のパンフレットであり、約6倍の頁数をもち内容豊富な雑誌「金の塔」には太刀打ちできなかったと思われる。ちなみに両誌はともに同じ年(大正10年)の創刊されたと思われ、競合関係にあったと考えられる。
     「金の鳥」は、創刊の趣旨を「純日本的精神の涵養」にあるとした。具体的にはつぎのように述べている。「ともすると世の中には日本人とよばれない心の持ち主がある」ので、
    皆さまたちが知らずに読む世の童話雑誌、お伽噺にもさういふ人たちによつて出来、さういふ心を持つてたくみに童話の中へ織り込んでゐるのもあります。これをわたしたち日本人たるものから見ては、甚だあぶないことで、大いに慨かねばならぬのです。それを憂へて生れたのはこの「金の鳥」であります。
    という。抽象的な表現なのでわかりにくいが、西洋的色調の童話などをさしているのかもしれない。何にしても、現今の童話は不健全なものがあると主張することで、読者を獲得しようとしたとも読める。
     誌名については、「世の中に「金の鳥」といふ表題が、世間にある童話雑誌の名を混じてつけたもので、徳義上面白くないとか何とかいふ人などもあるさう」だが、そのようなことはないと苦しい弁明をしている。ここにいう「世間にある童話雑誌」は「金の船」とも考えられるが、前年に創刊された「金の塔」を示しているとも考えられる。仏典中に根拠を求めているとはいえ、ことさらに世間的に知られた雑誌名を真似たという印象はぬぐえない。こうした戦略をとりつつ創刊された雑誌であるが、どれほど続いたものか、残念ながら終刊号は未確認である。

    佐藤紅緑「私の小説に就いて」
    (「少年倶楽部」1928年12月号)ほか

    上田信道


     佐藤紅緑の児童文学について論じられるとき、「私の小説に就いて」は必ずといってよいほど引用される文献である。「あゝ玉杯に花うけてを愛読されたる諸君は今紅顔美談を愛読して下さる、著者たる私に取つては何より喜ばしく思ひます。今回少年倶楽部編輯局から私に『何故小説を書くや』に就いて御話をせよとの要求がありましたので私は喜び勇んで其れを申上げます」で始まる少年小説論で、2段組み、4頁。おりから連載中の「紅顔美談」の末尾に続けて掲載された。「小説とは何ぞや」「著者の苦労」「小説の読みやう」「諸君に感謝す」の小項目が立てられている。
     まず、「小説とは何ぞや」の項では「小説は文学であります、文学にはいろいろありますが、要するに読者の心を美くしく高い方へ導くものが最上の文学であります。今日日本では文学者が沢山ありましてそれぞれに特色を発揮して居りますが、読者の精神修養のためになるものが甚だ少ないと思ひます」と、自らの小説観を語る。こうした過剰なまでのメッセージ性こそ、紅緑の真骨頂であった。
     ただ、この項の結びは「私は昨年まで少年小説を書いた事はありません、其れは普通の小説より大変にむつかしいからであります」となっている。この記述をそのまま信じて、紅緑の少年小説は前年の「あゝ玉杯に花うけて」をもって嚆矢とするという論考を見かけるが、これは事実ではない。「少年倶楽部」の編集者であった加藤謙一が紅緑に少年小説の寄稿を依頼したとき「なにッ、このおれにハナたれッ小僧の読む小説を書けというのか」と「この無礼者めがッといわんばかりの剣幕」でどやされたこと、「“玉杯”は、先生の五十四歳の処女作である」ということを『少年倶楽部時代―編集長の回想―』(1968年9月28日 講談社)に記していることも、通説の流布に拍車をかけたようである。実はわたし自身も『日本児童文学大事典』(1993年10月31日 大日本図書)で誤りを犯している。調査不足に反省を込めて自戒したい。
     紅緑の子どもむきの著作中、確認できる限り早い時期のものは1901年8月刊行の『滑稽俳句集』(少年園)であることは既知の事実である。新たにわかった事実は、1919年6月号の「世界少年」誌に「少年:小説|親友」というタイトルの短編を寄稿していたことである。この少年小説の結末部は「人間の尊ぶべきは財産でもない名誉でもない門閥でもない智識でもない腕力でもない。只だ一つである。それは美くしき感情である」という言葉で結ばれる。後年の少年小説を髣髴とさせることに注目しておきたい。
     次に、「著者の苦労」の項では、「少年小説は何故むつかしいかといふに、一言でも一句でも醜悪を避けねばならず、野卑であるとか、無理であるとか、少年の清い心に悪感化を及ぼすとか、危険な好奇心を挑発せしむるとか、家庭や学校の方針と違反するとか、面白いだけで修養にならないとか、凡てさういふ事を絶対に警戒せねばなりません」と論述する。紅緑の実子であるサトウ・ハチローが少年時代に非行に走ったことは良く知られているが、少年の心は本来清いものだとする子ども観の表明である。「面白いだけで修養にならない」作品が具体的にどういうものであるかを記していないのは残念だが、《面白くて為になる》という講談社の主張に合致した発言であった。
     そのあと、「小説の読みやう」以下の項においては、具体的に作品名をあげて論述。著者が自ら執筆の狙いを堂々と書き連ねるところが、いかにも紅緑らしいといえようか。
     まず、「紅顔美談」である。「紅顔美談は何が目的かといふに、私は第一に友情の美くしさを諸君に味はつていただきたい、第二に少年時代の勇気を味はつていただきたい、第三に智と勇と仁此の三徳を味はつていただきたい」(「小説の読みやう」)という。次に、「あゝ玉杯に花うけて」である。「私は『あゝ玉杯に花うけて』に於て諸君の前に提供した問題は矢張り友情と義侠と師弟の愛でした、特に私は今日の学生に最も欠けて居るものは、師に対する礼儀のない事、艱苦に耐ふる力のない事、卑劣な娯楽に耽る事、此の3つだと思つて居ります、『玉杯』は此点に就て諸君の反省を御願ひしたのです」(「諸君に感謝す」)と記す。そして、結論は「私の小説が何十万の読者の中只だ一人でも救ひ得るならそれは何より光栄なのです。生れて小説に筆を執るものの真の喜びはこれです」(「同前」)であった。
     ところで、紅緑の「私の小説に就いて」があまりに有名でありすぎるためか、それほど知られていないが、「少年倶楽部」のこの号には、大仏次郎・菊池幽芳・池田宣政がそれぞれ興味深い記事を寄せているので、ここに紹介しておきたい。
     まず、大仏次郎は「私の考へてゐること」と題して「私は毎日書いて愉快に感じるより心苦しく感じることの方が多い。これでいゝのかな? いつも、この考が幽霊のやうに私にとりついて苦しめます。だが私は勉強してゐる。だから、かうしてゐる内に、やがて自分の会心のものが出来るやうになりさうにも思ふ。未来のこの希望だけが私を力附けてくれる」と記す。子どもむけだからといって手を抜かない誠実な態度が窺える。
     菊池幽芳の「「家なき児」を掲げるについて」は大仏と対照的である。菊池は次号から連載する翻訳について「但しこの小説は雑誌に掲載するものとしては長過ぎます。そして単行本として見るには、差支がなくても、月々の雑誌で見るには、冗長に失するところや、だれるやうなところもあります。そこで私は原作のいゝところだけを取つて、比較的興味の少いところや、ムダナところはすべて省略します。どこもかしこも緊張に満ちた場面だけを訳して行きたいと思ひます。その点においては却つて私の全訳本よりも、興味多いものとなる自信があります」と記す。いわゆる名作ダイジェスト版として訳出することを堂々と表明しているところに、幽芳の児童文学観が反映しているといえよう。必ずしも子どもむけだから手を抜くという意味ではないし、未だに名作ダイジェストが出版され続けている。だが、今日では少なくともまっとうな《翻訳》とは見なされないだろう。
     池田宣政の「「リンカーン物語」のはじめに」も、次号から連載する伝記の予告である。ここでは「あの大人物の貧しい少年時代から不孝な死にいたるまでの生涯が大きい感激と深い教訓に充ちて居る」「だから私はリンカーンの大きな事業を並べ立てることはしないだらう。それよりも極く小さな出来事を拾上げて、この大人物がどんなに美しく正しい心の持主の人、どんなに涙と血の多い人だつたかと云ふことを諸君にお伝へしたいと思ふ」と記されている。偉人の業績より幼年時代のエピソードや人柄に重点をおいて評価するところに、日本における伝記の伝統的な描き方を見ることができる。その典型であるといえよう。