インターネット版

児童文学資料研究
No.82


  発行日 2000年11月15日
  発行者 〒546-0032 大阪市東住吉区東田辺3-13-3 大藤幹夫


目  次


2000年上半期紀要論文紹介大藤幹夫
「少国民歴史」―雑誌「小国民」創刊10周年記念―上田信道
中西芳朗著『童話の仕方』について藤本芳則

2000年上半期紀要論文紹介

大藤幹夫


「国際児童文学館紀要」 第15号 3.31

  • 変貌しつつある現代の絵本事情―1980年代以降― 永田桂子
  • 研究と資料『1928年版 水口』―巽聖歌の未刊行自筆童謡集について― 上田信道
  • 雑誌「小国民」(のち「少国民」)解題(7) 鳥越 信
  • 『学習新聞』細目(1) 小松聡子
  • "The Contamination of the Fairy Tale,or The Changing Nature of the Grimms' Fairy Tales" Dr.Jack Zipes
  • おとぎ話の混交―グリム童話の変容 ジャック・ザイプス/訳 吉田純子
  • 大阪国際児童文学館における物語体験の可能性(7)―「魔法」の連続ワークショップ― 土居安子
「紀要 椋鳩十・人と文学」 第5号 3.31
  • 種子島の河童の声 椋 鳩十
  • 「自然のものたち」と生きる―椋文学が問いかけるもの― 小峰紀雄
  • 『片耳の大鹿』にさそわれて 水上平吉
  • 椋先生没後の『駒草物語』 鬼塚りつ子
  • 私とモモちゃん 尾沢あかね
  • 喬木村から椋文学を探求して 池田佐知夫
  • 『読む楽しさを子どもたちに』 渋谷代志枝
  • 地域性を生かした「大造じいさんとガン」の学習指導 鹿児島県実践国語教育研究会
「白百合女子大学児童文化研究センター研究論文集」 4号 3.×
  • 明治期における「小人」の意味するところのもの―グリム童話の翻訳を中心に― 池田美桜
  • 幼年文学における一考察―上沢謙二『新幼児ばなし三百六十五日』を通して― 佐々木由美子
  • 第一共和国時代(一九一八―一九三九)のチェコ児童文学 村上健太
  • E・L・カニグズバーグのFrom the Mixed-up Files of Mrs.Basil E. Erankweilerにおける教育性と娯楽性 横田順子
  • 巌谷小波日記 翻刻と注釈―明治二十八年― 猪狩友一・木村八重子・竹田修・中川理恵子
「別冊 子どもの文化」 2 (子どもの文化研究所) 5.25
  • 子どもの居る位相―座標軸の消滅と失見当識― 片岡 輝
  • 子ども達のいま≠検証する―子ども臨床の現場から― 小林 剛
  • 子どもたちと映像の時代―アニメーション番組研究― 畠山兆子
  • 「子どもの文化」研究における遊び(遊びの素材)の「解釈論」あるいは「構造理解」研究の可能性 岡 健
  • 児童文化学への模索―児童文化財研究からの脱却をめざして― 川勝泰介
  • 「児童文化」研究から「子ども関係学」へ―〈非教育学〉、〈脱文化〉宣言― 加藤 理
  • 「児童文化」研究を求めてきた筋道をふりかえる 古田足日
  • 砂場―子どもの表現が躍動する小宇宙― 石井光恵
「ビランジ」 6号 (竹内オサム) 5.30
  • マンガにおける〈媒介者〉と〈傍観者〉 竹内オサム
  • 長編アニメが三本も公開されたのだ 渡辺 泰
  • 雑誌挿絵原画の個人所蔵について 羅望菫子
  • 戦後の『少年クラブ』の変遷(前篇) F・Mロッカー
  • 雑誌『少年』掲載のマンガ 竹内オサム
「注文の多い土佐料理店」 第2号 (高知大学宮沢賢治研究会) 6.30
  • 童話集『注文の多い料理店』に関する文章心理学的考察―『赤い鳥』系列の作家との比較― 嶋田美和
  • 一読者として読む雨ニモマケズ 峯近玲子
  • 狼森と笊森とデクノボー 熊谷 崇
  • 中原中也と宮沢賢治 吉竹 博
[児童文学一般]
  1. 「幻の昭和二十年代の少年少女雑誌―『少年時代』『少女世界』『世界少年』のこと―」 根本正義「東京学芸大学紀要」第2部門・人文科学 第51集 301-311頁 2.×
  2. 《講演》「ファンタジー、語源の旅―ファンタジーを読み解くためのいくつかのキーワード」」 奥田継夫 「城南国文」(大阪城南女子短大) 第20号 2-10頁 2.20
  3. 「『少女世界』にみる明治中期の「お伽噺」」 中川理恵子 「武蔵野女子大学短期大学部紀要」第1号 67-77頁 3.1
[日本児童文学]
  1. 「童話における登場者の登場のさせ方について―未明童話を中心に―」 小田澄子 「国語国文論集」(安田女子大)第31号 89-97頁 1.8
  2. 「松谷みよ子の「モモちゃんとアカネちゃん」シリーズにおけるパパの存在」 堀 恵子 「大阪教育大学紀要」第1部門第48巻2号 87-97頁 1.31
  3. 「小川未明「赤い蝋燭と人魚」論―伝承説話の影響と創作的付加をめぐって―」 堀畑真紀子 「国語国文学研究」(熊本大)第35号  45-61頁 2.29
  4. 「現代児童文学の行方―いぬいとみこ『ながいながいペンギンの話』をめぐって―」 酒井晶代 「淑徳国文」(愛知淑徳短大) 第41号 45-62頁 3.3
  5. 「椋鳩十「片耳の大鹿」―醸成から顛末まで―」 安楽良弘 「愛知江南短期大学紀要」第29号 1-14頁 3.10
  6. 「『力餅』と『ハムレット』―藤村童話から―」 冨田和子 「椙山国文学」(椙山女学園大)第24号 67-79頁 3.12
  7. 「宇野浩二『揺籃の唄の思ひ出』の本文―初出・初版を中心に―」 蔀 際子 「日本文学研究年誌」(金沢学院大)第9号 27-35頁 3.15
  8. 「『杜子春』をめぐる諸問題」 張 蕾 「鶴見日本文学」(鶴見大)第4号 77-85頁 3.15
  9. 「灰谷健次郎の初期作品」 川上美香 「日本文学研究年誌」(金沢学院大)第9号 65-79頁 3.15
  10. 「「てぶくろをかいに」の読み方・読まれ方」 田中 実 「国文学論考」(都留文科大)第34号 63-74頁 3.20
  11. 「芥川龍之介研究―杜子春の語彙について―」(卒業論文)  新井由紀 「東洋大学短期大学論集日本文学編」第36号 66-78頁 3.23
  12. 「奈街三郎の幼年童話」 藤本芳則 「大谷学報」(大谷大) 第79巻第1号 1-14頁 3.30
  13. 「新美南吉の知多半島―南吉の乗った通勤列車―」 松岡義和 「市立名寄短期大学紀要」第32巻 55-58頁 3.31
  14. 「壷井栄小論―「あたたかい右の手」を主として―」 三浦雅樹 「信愛紀要」(和歌山信愛女子短大)第40号 1-4頁 3・×
  15. 「(講演要旨)「赤い鳥」と森 三郎」 酒井晶代 「鈴木三重吉「赤い鳥」通信」2000春号44 45-54頁 5.30
[宮沢賢治]
  1. 「宮沢賢治「ポラーノの広場」考―序章―〈ポラーノ〉の語源考察―」 山下聖美 「藝文攷」(日本大)第5号 98-109頁 1.1
  2. 「宮沢賢治研究―「草穂」考―」 奥本淳恵「国語国文論集」(安田女子大) 第30号 61-70頁 1.8
  3. 「民話の影からファンタジーを読み解く―「どんぐりと山猫」物語の生成―」 北野昭彦 「龍谷大学論集」第455号 199-222頁 1.30
  4. 「宮澤賢治『銀河鉄道の夜』小論―プリオシン海岸の「標本」と「証明」―」 菅野 博 「解釈」(解釈学会)第46巻 42-47頁 2.1
  5. 「「イーハトヴ」の近代―「東北」の記憶と忘却―」 段 裕行 「日本文学」(日本文学協会)第49巻第2号 23-34頁 2.10
  6. 「宮沢賢治童話研究資料覚え書(11)―「四次元」に見る昭和三十年代前半期の傾向―」 大藤幹夫 「学大国文」(大阪教育大) 第43号 37-59頁 2.29
  7. 「宮澤賢治の方法」 井上寿彦 「東海学園 国語国文」(東海学園女子短大)第57号 14-34頁 3.1
  8. 「(講演要旨)宮沢賢治の詩・童話と音楽―童話「雪渡り」を中心に―」 佐藤泰平 「駒沢短大国文」第30号 99-100頁 3.1
  9. 「宮沢賢治 死後世界への意識の変遷―妹トシのメーテルリンク受容との関わりから―」 山根知子 「ノートルダム清心女子大学 日本語・日本文学編」第24巻第1号(通巻35号) 13-26頁 3.1
  10. 「(講演抄録)人間を見るもう一つの視点―賢治のアイロニーとユーモア―」 井上寿彦「人間文化」(東海学園女子短大)第15号 13-31頁 3.1
  11. 「「北守将軍と三人兄弟の医者」 改稿考―将軍像を中心に―」 植田信子 「名古屋女子大学 紀要」46(人文・社会編)1-14頁 3.6
  12. 「宮澤賢治「雪渡り」の一考察―異空間(子どもの王国)と現実世界をつなぐもの―」 国分雄治(学生) 「盛岡大学日本文学会研究会報告」(盛岡大)第8号 28-33頁 3.10
  13. 「宮澤賢治「風の又三郎」における異界表現―栗の木・色・大人をめぐって―」 木本雅康 「論叢」(長崎外国語短大)第54号 55-64頁 3.10
  14. 「羅須地人協会の時代における宮澤賢治の音楽活動の変質について」 西崎専一 「名古屋音楽大学研究紀要」第18号 37-61頁 3.10
  15. 「宮沢賢治の生前未発表童話考(2)」 続橋達雄 「野州国文学」(国学院栃木短大) 第65号 65-89頁 3.15
  16. 「宮澤賢治「農民芸術概論」論―「農民」から「地人」へ―」 竹内直人 「日本文学論究」(国学院大)第59冊 87-95頁 3.20
  17. 「宮沢賢治「虔十公園林」論―仮構としての〈虔十公園林〉―」 木村功 「岡山大学 国語研究」第14号 1-14頁 3.20
  18. 「詩「青森挽歌」における《心象スケッチ》の時と場所―再構成された体験―」 鈴木健司 「高知大国文」第30号 1-10頁 3.20
  19. 「宮沢賢治の音楽をめぐって」 真野美佐子 「大垣女子短期大学 研究紀要」第41号 1-16頁 3.20
  20. 「修羅―認識という罪―宮沢賢治論」 宮川雅子 「弘前大学 国語国文学」第22号 39-55頁 3.23
  21. 「宮澤賢治研究―『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』から『グスコーブドリの伝記』へ―」(卒業論文)  小森浩未 「東洋大学短期大学論集日本文学編」第36号 39-53頁 3.23
  22. 「宮沢賢治研究―『銀河鉄道の夜』について―」(卒業論文)  橋本朋子 「東洋大学短期大学論集日本文学編」第36号 54-65頁 3.23
  23. 「苹果と夜汽車―葬儀としての「銀河鉄道の夜」」 今泉康弘 「日本文学論叢」(法政大)第29号 12-20頁 3.31
  24. 「宮沢賢治とシベリア出兵」 米田利昭 「日本文化研究」(駒沢女子大)第2号 154-163頁 3.31
  25. 「賢治と女性(3)―文語詩に見る〈女たち〉への眼差し―」 浜下昌宏 「神戸女学院大学 女性学評論」第14号 157-182頁 3.31
  26. 「宮沢賢治とベートーヴェン―《運命シンフォニー》が意味するもの(1)」 多田幸正 「湘北紀要」(湘北短大)第21号 121-133頁 3.31
  27. 「(特別講演)賢治に習え、21世紀の教育」 秋山仁 「東海大学紀要 体育学部」29 55-63頁 3.31
  28. 「『注文の多い料理店』「序」の検討―体験への招待―」 高橋由桂 「国学院大学大学院文学研究科論叢」第27号 62-69頁 3.31
  29. 「宮澤賢治の方法」 井上寿彦 「東海学園国語国文」第57号 14-34頁 3・×
[世界児童文学]
  1. 「『ハックルベリー・フィンの冒険』―文学人類学の視点」 阿久沢 騰 「藝文攷」(日本大)第5号 1-62頁 1.1
  2. 「姉妹の物語―「くるみわりのケイト」と『魔女とふたりのケイト』をめぐって」 白井澄子 「紀要」(立教女学院短大)31 1-14頁 1.14
  3. 「サン=テグジュペリの『星の王子さま』―バオバブをどう考えるか―」 水本弘文 「北九州大学文学部紀要」第59号 37-48頁 1.25
  4. 「"A Lump of Deformity"―『ガリヴァ旅行記』における病気について"」 山内暁彦 「言語文化研究」(徳島大)第7巻 17-44頁 2.20
  5. 「『鏡の国のアリス』における純粋理性ゲーム」 長島秀男 「東大阪短期大学紀要」第25号 127-132頁 2.25
  6. 「マーク・トゥエイン『ハックルベリー・フィンの冒険』の英語―不敬ことばが透けて見える面白さ―」 藤井健三 「紀要」(中央大) 第181号(文学科第86号) 27-54頁 2.25
  7. 「アンデルセン童話 "Den Standhaftige Tinsoldat" 受容の壁―映し出された原作者の心情とその解釈―」 北川公美子「東海大学短期大学紀要」第33号 11-17頁 2.27
  8. 「世紀末のアン―キット・ピアソン『目ざめと眠り』―」 本多英明 「相模女子大学紀要」第63A 25-33頁 3.10
  9. 「『不思議の国』の衣服考―チョッキを着たウサギはなぜ魅了的か?―」 坂井妙子 「日本女子大学 紀要」人間社会学部 第10号 39-51頁 3.15
  10. 「アンデルセン童話の病理―花三話の分析から―」 矢吹省司 「国学院大学紀要」第38巻 103-135頁 3.20
  11. 「子どものファンタジーの可能性―E・T・A・ホフマンの「子どものメールヒェン」をめぐって―」 中川 浩 「日本大学理工学部 一般教育教室彙報」第67号 1-7頁 3.25
  12. 「アンデルセンの世界(1)―21世紀へ伝えたい豊かな世界―」 佐藤義隆 「紀要」(岐阜女子大)第29号 97-109頁 3.31
[童謡・唱歌]
    「万物と個の接するところ―まど・みちおの世界―」 福田委千代 「学苑」(昭和女子大)718号 17-27頁 3.1
  1. 「童謡・少年少女詩における方言詩の系譜」 畑中圭一 「名古屋明徳短期大学紀要」第15号 5-33頁 3.10
  2. 「日本におけるマザーグースの受容―北原白秋の場合(2)―」 田中妙子 「東京純心女子大学紀要」第4号 83-89頁 3.30
  3. 「英国伝承童謡の実態調査及び言語教育のライム」 楠本君恵 「法政大学多摩論集C」第16巻 251-278頁 3.×
  4. 「吉田定一の童謡について―童謡集『よあけのこうま』を中心に―」 本間千裕 「文学と教育」(文学と教育の会)第39集 31-37頁 6.25
[民話・昔話]
  1. 「比較文学教育の試み―日韓・子ども文化の比較を通して―」 足立悦男 「日本文学」(日本文学協会)第49巻第1号 50-59頁 1.10
  2. 「女性はどのようにイメージ化されてきたか(2)―おとぎ話に見られるジェンダー観―」 鈴木万里 「東京工芸大学女子短期大学部紀要」第17巻第2号 57-96頁 1.25
  3. 「おとぎ話のジェンダーとフェミニズム」 谷口秀子 「言語文化論究」(九州大)第11号 29-37頁 3.1
  4. 「タバートの『シンデレラ』―チャップブックの変容―」 木村利夫 「鶴見大学紀要」第37号 1-16頁 3.10
  5. 「民話に対する児童・生徒の意識の実態と一考察―長野県の民話を中心に―」 滝沢 晃 「信大国語教育」(信州大)第9号 53-72頁 3.24
  6. 「笠地蔵譚」 中野真麻里 「国文学研究資料館紀要」第26号 223-251頁 3.29
  7. 「昔話の語りの装置―伝承を支えるもの―」 武田 正 「山形女子短期大学紀要」第32集 45-65頁 3.31
  8. 「グリム兄弟の「子供と家庭のメルヒェン」翻訳最初期事情」 中山淳子 「龍谷紀要」(龍谷大)第2号 101-113頁 3.31
  9. 「昔話の一考察―人生後半期における心の成熟―」 水野瑞江 「福山市立女子短期大学紀要」第26号 3-12頁 3.31
  10. 「神話と児童文学 その2―続・スサノヲのヤマタノヲロチ退治神話について―」 原田留美 「精華女子短大紀要」第26号 59-80頁 3.31
[絵本・漫画]
  1. 「読みの冒険:『ペレのあたらしいふく』」 高鷲志子 「紀要」(立教女学院短大)第31号 15-33頁 1.14
  2. 「読書療法の可能性―養護施設での読みあいを中心に―」 村中李衣 「日本文学研究」(梅光女学院大)第35 61-71頁 1.20
  3. 「『葉っぱのフレディ』考」 今関雅夫 「帝京大学短期大学紀要」第20号 89-98頁 1.31
  4. 「『旅の絵本 4』を読む」 辰巳義幸 「城南国文」(大阪城南女子短大)第20号 1-15頁 2.20
  5. 「グリム童話絵本の考察(1)―リスベート・ツヴェルガーの『赤ずきん』―」 藤本朝巳 「フェリス女学院大学文学部紀要」第35号 47-88頁 3.1
  6. 「ヴァージニア・リー・バートンとフォリーコーブ・デザイナーズ」 宮城正枝 「香川短期大学紀要」第28号 1-10頁 3.20
  7. 「読み聞かせを構成する保育者の思考と行動―同一絵本の3回の読み聞かせ場面の分析から―」 横山真貴子 「人間文化論叢」(お茶の水女子大)第2巻 169-181頁 3.31
  8. 「絵本の翻訳」 三宅茜巳 「紀要」(岐阜女子大)第29巻 111-122頁 3.31
  9. 「ドイツの絵本『ともだち』の私訳と研究」 蔀 雅二 「市立名寄短期大学紀要」第32巻 59-67頁 3.31
  10. 「スポーツマンガにおける若者のアイデンティティー―少年マンガを中心に―」 白松 賢 「文学論叢」(徳島文理大)第17号 61-75頁 3.×
[児童文化]
  1. 「選択授業「児童文化」と子どもの言葉―理論と授業実践―」 簗瀬正子 「研究紀要」(奈良佐保女学院短大)第8号 33-37頁 1.15
  2. 「「にんぎょ姫」と「リトル・マーメイド」―映画化による原作の変更と文化的スクリプト―」 高橋 晃 「武蔵野女子大学短期大学部紀要」第1号 93-103頁 3.1
  3. 「明治末の地方における子ども博覧会について」 川口仁志「九州造形短期大学紀要」第22巻 33-46頁 3.17
  4. 「児童学再考―児童学的自伝から―」 内藤徹 「金城学院大学論叢」通巻186号(人間科学編 第25号) 9-21頁 3.20
  5. 「学校図書館と「禁書」事件―児童・生徒の知る権利をめぐる問題状況―」 中村克明 「関東学院大学文学部 紀要」第88号 167-176頁 3.25
  6. 「子どもと向き合うことの意味―子ども研究の「現在」から―」 望月重信 「明治学院論叢」(明治学院大)第645号 1-16頁 3.31
  7. 「月光仮面はだれでしょう?―テレビ映画『月光仮面』論もしくは正義論」 高橋康雄 「札幌大学総合論叢」第9号 21-61頁 3.31
  8. 「「少女の人生はなんて歪んで見えるのでしょう」―エミリー・ディキンソンのジェンダーはトラブル―」 浜田美佐子 「東海女子大学紀要」第19号 89-104頁 3.31
  9. 「「子ども学」によって、21世紀こそ子どもの世紀にしよう―パラダイムの転換を求めて―」 小林登 「子ども学」(武庫川女子大)第2号 4-12頁 3.31
  10. 「「児童文化」関係文献資料・目次(二)―1946〜1969―」 川勝泰介 「幼児教育研究紀要」(名古屋経済大学・市邨学園短大)第13号 1-51頁 3.×
  11. 「昭和二十年代の読書論―娯楽としての読書の全否定について―」 根本正義 「文学と教育」(文学と教育の会)第39集 64-68頁 6.25

「少国民歴史」
―雑誌「小国民」創刊10周年記念―

上田信道


 「少国民歴史」は、雑誌「小国民」(のち「少国民」に改題)の創刊10周年にあたって、第10年2号(1898年1月15日)に掲載された。「本誌少国民は発刊以来こゝに第十年の号を用ふるに至りたれば、其間の小歴史を述べて、十齢の記念と為さんとす」という趣旨の記事である。無署名だが、おそらく石井研堂の筆になるものであろう。わずか5頁の記事にも関わらず、当事者のみが知る事実も多く、明治期の児童雑誌の実態に迫る貴重な資料である。
 まず、創刊当時の状況について「少年幼童の、家庭に伴ふべき適当の雑誌なきを慨嘆し、高橋省三氏の始めて小国民第一号を出せしは、実に明治二十二年七月十日にして」云々、「館主高橋氏、編輯発行を兼ねしも、編輯上のことは、時の教育週報記者戸城伝七郎氏の助力を受けたること多し。」と記す。それでは、研堂はいつ頃からこの雑誌の編集に関わるようになったのであろうか。記事中には「第六号より、石井研堂氏を編輯顧問とし、毎号寄稿を請ふこととし、爾後、同氏は、陰に陽に力を尽されて、今日に及べり。」とあるものの、第5号以前のことまでは分からない。少なくとも全く関係がなかったはずはなかろうというのが、わたしの思いである。また、「編輯顧問」とは如何なる職務であったかも不明。ただ、この当時、研堂は小学校訓導(教員)の職に就いていたので、役所への配慮から主筆兼任の事実をカムフラージュするための方便であったことは想像できる。研堂が訓導を辞して同誌の主筆に就任した事実が報じられるのは第3年第10号(1891年)であったが、ここではこの事実についての論及がない。ずっと実質的な主筆であったのだから、わざわざ正式就任の事実を記載する必要を認めなかったのではないか。
 「小国民」の創刊号は当時としては驚異的な売り上げを記録した。その状況を「当時、高橋氏の、此事業を興すや、多くの資金を積みおきて始めたるには非ざりしも、四六時中眠食を忘れて拮据し、且つ、営利一辺の商人根性を離れて事に従ひしかば、忽ち読者を江湖に得、初版二千五百部を売り尽して直に再版せり。」と書いている。「初版」と「再版」を詳細に比較すると、ここでいう「再版」は単なる《増刷》ではなく、いったん解版したあとで新たに版を組み直す、文字どおりの《再版》であったことがわかる。それほど売れるとは、当事者自身も想像しなかったと思われる。これまでの児童雑誌が対象としていなかった低い年齢層の小学生(当時は四年制)にターゲットを絞りこんだことが成功の理由であろう。創刊に関わった人たちが、当時の子どもの要求を的確に掴んでいたことがわかる。なお、その後の発行部数の爆発的な増加については、『復刻版「小国民」』(1998〜99 不二出版)の解説書に書いておいたので、ここでは触れない。
 周知のとおり「小国民」(のち「少国民」)は口絵や挿画・図版に力を入れていた。「小国民歴史」においても、記述の多くがこの方面のことに割かれている。
 「小国民歴史」では、「始め、少年の雑誌は文章と画と相待たざるべからざるを悟り、極めて挿画を豊にして、文章の意義を助けんことを期し居りしが、発売部数の増すに従ひ、本年(1891年―引用者)五号以下は、三十余版づゝを挿むに至れり。これ等、従来の諸雑誌には絶て無きことなり。而して第七号より、西洋木口版を挿みしが、日を追ひて、其彫刻も精巧になり、漸次世に行はれたり。」と誇らしげに記されている。西洋木口版については、佐久間文吾と精巧館彫刻部(フランスから帰朝した合田清が創設)が担当したとの記述もある。また、一八九一年の「十六号に、写真銅版の口絵を挿みたりしが、当時、最新の印刷物として、世に歓迎せられたり。」と、当時としては最も先端的な技術が取り入れられていたことがわかる。
 他に、1890年の「第十二号文林に、ポンチ画四面を入れしは、ポンチを文林欄に挿める嚆矢なり。」、翌年の「十三号より、表紙画毎号変更すること行はれ、十四号に、変化戯画を挿む。之を、雑誌に変化戯画を挿む嚆矢とす。」とあって、初期の児童雑誌における漫画のありようを示している。
 中でも力を入れたのは多色刷りの口絵についてであった。「画は、初号二号共、尾形月耕氏の揮毫を請ひしが、第三号より小林清親氏に改めたり。」「第九号(1890年―引用者)口絵は、彩色摺となせり。少年雑誌にて彩色口絵を挿むこと、之を嚆矢とす。」とある。さらに、その後の推移については、1891年の第16号から「挿画の一部を富岡永洗に托することとなる。」こと、1893年より「小堀鞆音氏が、二十三号以下、専ら本誌のために彩筆を揮はる」こと、一八九四年の「冬より、前田竹坡尾竹国観二氏小堀氏に従ひて筆を執り、後、絵画部担当主任となる。」ことが記されている。
 最後に、児童雑誌における最も早い時期の筆禍事件についてである。
 1894〜95年の日清戦争は、近代日本における最初の本格的な対外戦争であった。「本誌も新聞紙条例によりて、学術以外の戦况を記載することとなり、二十一号より実行せり。発売数又頓に増殖す。」という。戦争関係の記事を取り上げた理由は、子ども読者の要望に応えるという意味もあったが、もうひとつには当局の誘導があったのである。
 ところが、翌1895年に至って筆禍事件が発生した。「第一号に掲げたる手旗信号法は、軍事の秘密を記載したるものなりとて、海軍省の告発する所となりしが、二月二十二日、下谷区裁判所にて、管轄違の宣告せられ、同三月二十七日、東京地方裁判所にて、編輯人発行人共に、各軽禁錮三ケ月に処せられしが、不服にて控訴院に上告し、十一月二十日、控訴を却下せられ、再び大審院へ上告せしに、十二月二十二日、海軍省令第六号は取り消され、次て無罪の宣告を受けたり。」という。これとは別に「九月十五日の第十八号は、記載の事項治安を妨害する廉にて、発行停止と発売禁止とを蒙れり。鳴呼露国と題したる一頁の文章が、当局者の癪に触れしならんと、皆人いへり。この発行停止は、三回に亘り、読者にそむくこと多きために、止む得ず、少国民の名にて、同十一月十二日、第一号を続刊し、同三号にて本年度を終れり。」という事態を招いている。
 「少国民歴史」によると、どの記事に「事項治安を妨害する廉」があるのかという説明がなされないまま処分が下ったことがわかる。今日では、児童雑誌に対する言論抑圧の歴史を語るとき、必ずと言っていいほど「小国民」の発禁事件が取り上げられる。このとき、《「鳴呼露国」で遼東半島の還付を批判したため》云々と記述されることが多いが、正確には《そのように推定される》と記述すべきなのである。


中西芳朗著『童話の仕方』について

藤本芳則


 昭和3年3月15日初版、所見のものは、昭和17年4月15日9版、コドモ芸術学園発行、総頁371、非売品。初版との相違の有無は不明。童話の理論的著作が14年も版を重ねている例は多くないので、とりあげてみたい。
 話して聞かせる際、「どんなお話を選ぶか、どう云ふ風にして聞かせるか等々の問題」を「考察したいのが本書の目的」(「序」)と述べる。『童話の仕方』という書名から分かるように口演童話の方法について述べたものではあるが、他にも劇や童謡についても言及する。
 全体は次のような構成になっている。

  開始頁(割当頁数)
第一章お話の仕方1頁(88頁)
第二章童話教育論89頁(35頁)
第三章 童話劇私見123頁(29頁)
第四章 童謡の作り方お話の作り方151頁(31頁)
第五章 日本文学の童話的考察181頁(45頁)
第六章 実演講義225頁(147頁)

 みてわかるように、書名は第一章をとったもので、二章以下は、教育、演劇、童謡など各方面にわたって言及したもの。第六章は紙上実演とでもいうべきもので、口演の文章とそれをどのように演じるかを解説する。これにはもっとも多くの頁が当てられている。
 以下いくつかの章をピクアップしてみてみたい。

一章「お話の仕方」
 「お話」を空想的芸術的な「芸術的童話」と、現実的教訓的な「教育的童話」と二分し、初学年(尋常三年位まで)とそれ以上に対応させる。お話は「教育的に選択をする事を第一條件」とするというのも、芳朗が、もと教員であり、教育活動の一環として口演童話に関わっていたところから生じる見方であろうか。
 高学年向きの「教育的童話」は、「ねらひ所のあるお話、目的童話」で、「発明美談、感動美談、偉人美談等々」も含まれ、これの「発展したものが、所謂大人の称する普通講演である」という。これに対し「芸術的童話」は、「幼年向の童話には教訓の意味は認められなくても非常に香高き芸術的のものを発見しうる」とされ、「どっと笑はせて喜ばせるだけでも充分の効果はある」と述べる。幼い子どもたちには、「教育的」側面を強調していない。要するに、フィクションによる文芸的物語は、中学年あたりの子どもまでを対象とするとみているのである。
 笑いということでは、笑いのない話は、「無理である、拙である、適当な笑、ユーモアをとり入れなくてきは話は生きては来ぬ」と指摘する。唐突のようだが、南吉が物語性を強調して、紙の童話も口演童話も同じジャンルだといったことを思い出す。南吉のユーモアの由来は口演童話のこうした性格を踏まえているのかもしれない。
 中西芳朗の「お話観」は、「子供は出来るだけ朗らかにあかるく愉快に導いて行きたい、それが私の本来の主張である」という教育者の意識に支えられている。「朗らかにあかるく愉快に」という見方は、ごく平凡なものだが、それだけに一般には支持され、長期に渡って幾多の著作を残し得たのだろう。

第二章「童話教育論」
 童話の研究がおざなりであるが、「これによつてのみ完全なる人間味は培ひ得る」ものが童話であり、そこに教育的意義がある。良い童話に含まれる徳性や国民性は自然に聴くもののそれを涵養するという。つづいて絵本にも言及し、内容はもとより絵、色彩、造本、活字の大きさまで述べている。たとえば、尋常三四年までには四号活字以上の大きさが望ましいという。こまごました指摘は、昭和一三年の「児童読物改善ニ関スル指導要綱」を連想させる。

四章「童謡の作り方お話の作り方」
 本文の章題は、「童謡の作り方味ひ方」とある。明治二五年生れの芳朗の子供時代には童謡ということばについて、「この語あるを聞きもしなければ、知りもしなかった」という証言がある。大正期にくらべ昨今の童謡の低調さを述べたあと、自作童謡を例に成立事情などを述べつつ作法を論じる。そのなかで、自信作は世に広まらず、不出来と思われた作が歌われていると述べているのが、童謡の評価の問題と関係して注意をひく。というのも、童謡は、詩と曲が単に合わさっただけではなく、有機的な関係によって一体となった表現として成立するにもかかわらず、曲に関しての言及がみられないからである。もっぱら詩に重点をおいて、曲を軽視する傾向は、現代の童謡論にもみられる。言い換えれば曲もあわせて論じる童謡論の方法が当時も今もまだないことを示している。
 さて、作り方の結論は、「自然に、見た通り、聞いた通り、感じた通りを素直に、わざとらしくなく、すら/\と表現して行く、そこに詩が生れ、歌が出て来るので。作らうと思つて作れるものでもなし。」と、いささか肩透かしの感がある。
 「お話の作り方」では、「主として幼学年向きの想像を主として構成される純童話」をめぐって、技術論や心構えを説く。「子供の読むものだからと思つて、いゝかげんの事をかいたり、半可通で知つたやうなことは全然かゝぬこと」は、今でも大切であるに違いない。ただ、「大人の読むものなら、たとへ間違つてゐたとしても読者の方で、訂正もしてよんでくれるが」というのはどんなものか。創作態度の考察も表面的で、新味にかける嫌いがある。

六章「童話の実演講義」
 実際の作品六編について、声の出し方、ジェスチャーなどの態度についてかなり詳細かつ具体的に解説したもの。たとえば、最初の「餅売茂助」は作品が二頁弱であるのに、講義部分は作品の引用があるとはいえ、一三頁をとっている。口演の誌上再現といってもよく、興味深い。