インターネット版

児童文学資料研究
No.83


  発行日 2001年2月15日
  発行者 〒546-0032 大阪市東住吉区東田辺3-13-3 大藤幹夫


目  次


村岡花子「童話と童謡」大藤幹夫
沖野岩三郎『日本の児童と芸術教育』藤本芳則
三重県で刊行された児童雑誌「小学世界」上田信道

「童話と童謡」村岡花子

  〈国語文化講座 第三巻〉『国語教育篇』
  朝日新聞社刊 昭和16年9月30日発行

 本講座は、「序」によれば、「国語を愛護尊重する精神こそは、愛国心の本元であり、国の文化を護り発展させて行く原動力であります。我が国今日の急務である「一億一心」の実現も、日本民族が、その共同の宝である日本語を唯一の国語として持つてゐるからこそ可能なのであります。」「国語を護り、醇化し発展統一させる国家が強大になり、伸張して来ます。それ故、国語の問題は国家民族の根本的な問題で、これを一部有識者の手に委ねて顧みなかつた時代は、もはや過ぎ去りました。」こうした状況―太平洋戦争直前の―をとらえ反映させるために「我が国家民族と共に進展して来た日本語の過去と現在の姿と、更に将来の方向を明らかにしたい希願」から刊行されたものである。
 村岡の論稿を紹介する前に、興味ある資料をとりあげてみたい。本書の附録「月報3」である。座談会「国民学校の国語教育を語る」で出席者は、文部省編修課長・井上赳、同図書監修官の松田武男と石森延男、音楽家・壇道子の四名である。
 この中で「児童文学に就いて」―この時は、まだ「児童文学」が生きていた―が語られている。記者が、石森に「国民学校の国語といふ立場から、児童の読み物としての雑誌など」の批評を求めたことにはじまる。
 石森は、「一般民間のものは「作者」といふものが強く出てゐる」ことが教科書との違いであることを説明して、「一般の読み物には(略)ニュアンスの豊かな、個人の芸術に訴へる、文学性といふものを盛つて子供の教養を高めてゆくべき」と、さしさわりのない回答をしている。壇から「子供の読み物の中で、仮名遣ひなどが間違つたもの」があることを指摘されると、それを直す必要性について同意を示し、「一年生向きなら一年生の漢字なり、語法で書かれたらいゝ」と役人的な答弁をしている。石森と同職の松田の発言は勇ましい。「私は皇国民として児童を採り上げて考へてゆくといふ、その考へ方、やつぱり児童の文学を書く作家の心構へもそこにあるべきだと思ふのです。皇国民の錬成をする、自分が書いた物を通して皇国民の錬成をしてゆくといふ考へでなければ、これからの児童文学はいけないと思ふのです。」と発言し、「お母さん方の心構へ」としても、「子供は自分だけの子供ぢやない。皇国民、日本の臣民、さういふやうな本質を持つてゐる。さういふ心構へで子供を躾けてゆくべきだ」とする。石森も「同感ですね。」と肯定の姿勢を表明している。「さういふ態度で作家が書かなければならないといふことには、全然同感です。」
 時代は松田の求める「少国民文学」への道を進む。それは指呼の距離にあった。
 本書には、花岡の他に石森延男「国民学校の話し方」、百田宗治「国民学校の綴方」の他に、石井庄司「中等学校の国語教育」、石黒修「諸外国の国語教育」、輿水実「参考書目」など国語科教育の研究者たちの論稿がある。
 21頁ばかりの中で花岡は、「幼児と童話」「家庭と童話」「童話の種類」「動物童話」「神話と子供」「国語教育と童話」「童謡」「児童の芸術としての和歌」など多岐にわたって論じている。「童謡」については「私は何も言ふ資格を持たない」と書いているように主として「童話」について書いているが、まとまって童話観を述べているわけではない。興味ある項目の論述を紹介したい。
 童話について「国語文化の方面だけについて、それがどんなやうに言葉の教育と結びついてゐるかといふ点を考へて見たい」と主旨を述べている。
 「幼児と童話」では、語る幼児童話について書いている。
 「コッチカラ オ茶ガ 来テ、アッチカラ、笛ガ来テ、『オチャッピー』デストサ」という話をあげて、「「お茶」といふ名詞と、「ピー」といふ笛の音の表現とを結びつけて、「オチャッピー」としゃれたところが、何とはなしに、調子としてのをかしみを持つのであらう。」と書いているあたりに、当時の「幼児童話」のありようがうかがわれる。
 「お噺」が子守歌の形式で与えられることをとりあげて、その中には「残忍非道の唄」もあることを認めて、「それを歌ふのは、大抵、子守り女であり、背中におぶつた乳呑子を寝かしつけようとして疳癪まじりにたたきつけながら胴間声を張りあげてゐる。歌ふといふよりも、わめくといふ方が、適切な表現である。」などと書くあたり、少女小説の書き手・翻訳家として知られる花岡の言としては違和感がある。
 「家庭と童話」に、「話しかたについては一般の母親は一種の恐れを感じてゐる。余りに上手な話術家があり過ぎる。童話口演といふ一つの技術が立派に出来あがつてしまつたほど、我が国にはこの方面の専門家が多い。」とするのは、時代の「童話」のとらえ方を示すと同時に状況をいう証言になっている。現在、当時の「上手な話術家」「専門家」の実態はあまり知られていないのではなかろうか。
 すぐれた童話作品とは物語と教訓とが一緒に溶け込んでゐるものでなければならない。読んでも聴いても、自然に、素直に、その中の真理―作者の信念が相手の幼い心の中に、作品の筋の動きと共に流れ込んでゆく筈である。
 ここに花岡の童話観が披瀝されるのだが、真理=作者の信念という考え方が示されている。
 「童話の種類」の中で「優れた生活の上の真理を伝へたい場合、あまりに日常身辺の事件に依つて語るよりも、むしろずつと離れた、空想的な取材に依る方が、その印象を鮮やかにすることが出来る」というのは、生活童話風の作品を多く書いた花岡の言葉として目をひく。
 「生活童話」について、ついてつぎのように書いている。

生活童話といふものに対しての観念をもつと自由に、のびやかに私どもが持つことに依つてもつとすぐれた生活童話が盛に生れるやうになり、又、今までの間に、既に古めかしいものとして捨てられかかつてゐる多くのお伽噺的のものの中から、非常にすぐれた、尊い生活意識を植ゑつける役割を果たし得るもののあるのを発見し、これを子供等に与へて、彼等の喜びを増し、盛な生活力を与へることが出来ると思ふ。
 生活童話=身辺雑記のスケッチではない、という主張がここにうかがえて興味深い。
 「桃太郎」での「進取的な気象」「おほらかな心」は「これからの日本の子供の生活の方向として強調すべき点」としてお伽噺の読み直しを求めている。
 「動物童話」として『たのしい川辺』(ケネスグレアム著、中野好夫訳)がとりあげられる。「動物童話」を通して「同情の教育」が求められ、「同情心、惻隠の心が湧き起こつてくる」という。
 東亜共栄の生活の建設にめざす日本帝国の少国民たちは、他の民族に対して同情を持ち、尊敬を払ふことを早くより教へられなければならない。
という時代の〈よみ〉にとらえ直されるのである。
 「神話と子供」では、『カミサマノオハナシ』(藤田美津子著)が紹介され、その古事記物語を「適当に整理して、聴かせ得る部分を子供等に与へることは我が国の貴い国体を早くより知らしめ皇国の民としての完成を期する上に必要である」と読まれる。同書は、戦後(昭和四十一年)にも書名『かみさまのおはなし―にっぽんのしんわ』(教学研究社)として出版されたのだが、どのように読まれたのだろうか。
 「童謡」の項では、与田凖一の『山羊とお皿』が紹介され、「つくづく詩を持つた童謡の貴さに打たれて、感激の涙が眼に浮かんで来た。」と書かれている。「真にすぐれた童謡は大人の洗錬された空想より生れ出でたものであることは言ふまでもない。」というのはおもしろい。
 「童心への郷愁もいい。然し、それにしても子供の生活のたのしさやたくましさを思ひ返し、それをたたへるものであつて欲しい。」と本稿は結ばれている。

(大藤幹夫)



『日本の児童と芸術教育』

  沖野岩三郎 著
  大正14年11月15日発行
  金の星社

 本書は、題名が示すように、芸術教育について述べたものだが、童話論としても見過ごしがたい。所見のものには目次がないので本文中の見出しを抜き出しておく。本文327頁。

児童教育といふ言葉の一つ手前に考ふべきこと(3)
児童芸術教育の楷梯(11)
童謡と唱歌(38)
童話とお伽ばなし(43)
神話と童話(49)
国民性と童話(77)
現代の日本の児童に如何なる童話を与ふべきか(160)
童話成立の要素(266)
童話の用語中最も慎むべき事(268)
読ませる童話と聞かせる童話(272)
興味中心の童話(289)
正風童話とは何ぞや(296)
児童芸術の相互扶助(298)
現代日本の子供と其の読みもの(303)
少年少女大会を開く時の管理法(312)
 巻頭におかれた「児童教育といふ言葉の一つ手前に考ふべきこと」で、人間に育てられている犬や牛馬などの身近な動物が狂暴になりつつあるが、そこに日本の国民性がうかがわれると述べる。子どもたちは、このような国民性をもつ大人たちからどのような教育を受けているかと危惧し、その危機感が本書の根底にある。したがって暴力やそれを物語化した武勇談や復讐談への批判が随所にみられる。以下見出し順に内容をおってみたい。
 「児童芸術教育の楷梯」では、人間社会の歴史的発展を「野蛮(原始)時代」「智識時代」「道徳時代」「宗教時代」と区分し、最後の「宗教時代」を最終段階とするが、現実にはこの四つの段階が混在して混沌としているとする。この四区分は人間個人にも適用されるが、そのとき社会と個人との間に煩悶が生まれる。その煩悶を減少させるために、人間の「野蛮時代」である子どもに教育が開始され、その初期から芸術教育が位置付けられると説く。子どもと原始人に類同性をみるのは、沖野だけではなく、同時代の一般的見方であった。以下幼児に対する教育の在り方が語られるが、要点は、「幼児のみの持つ自分の世界に呼吸してゐる彼等に、大人の世界の持つ解釈を与へようとする事は彼等にとつて此上もなき迷惑」だから、幼児の世界に適合するものが必要だというもの。土をいじるところに「彫刻といふ芸術の起原」があるというように、子どもの諸活動に芸術の萌芽を見出し、これを育てていくことが主張される。
 続いて童謡、唱歌、神話、童話、お伽ばなしなどの相違を歴史的視点から語り、巻頭で問題にした暴力的国民性について論じているが省略する。
 「現代の日本の児童に如何なる童話を与ふべきか」では、次の六点をあげる。まず第一は、「構想の宏大」。「桃太郎主義の範囲を超越した、スケールの大きいもの」といい、小波を意識した発言である。第二に、「正義と愛とが欠けてゐてはならない」。童話は道徳を主にすべきものではないが、「全体に大きな道徳が含まれてゐなければならない」という。「大きな道徳」とは、広義の教育性ということだろうか。第三に、「人間味を失つてはいけない」。第四に「話を男子或は女子だけに限つてはいけない」。性別だけでなく、人種的差別を撤去せよと説く。第五に、「雄々しき話」。といっても「私は寧ろ児童に戦争談を面白く聞かせる事を有害だとする論者である」と述べ、人道的な意味の「雄々しさ」であるとする。第六は、「詩的であらねばならない」。ここでいう「詩的」は、言語表現上のことではない。沖野によれば散文は、窮屈であったり涙を強要するような殺伐な世界であり、韻文は平和な世界を意味している。
 「童話の用語中最も慎むべき事」では、容貌など身体に係わる言葉や、職業的階級意識に強く注意を促している。子どもを傷つけるような表現を戒めたもので、現在からみれば当然のことであるが、大正期には沖野のような意識をもつ作家はさほど多くなかったことは、同時代の作品が証明している。
 「興味中心の童話」では、教訓的な話をするより、「毒にもならず薬にもならないものを撰んで、単に興味をつないで行けばよい」童話が推奨される。「鼠の嫁入り」をはじめ例にあげられている話をみるとナンセンスや笑話に属すものである。ただし、これらが全面的に認められているわけではない。「こんな話は童話といふべきものか否やは問題」とされ、真の興味中心の童話とは、読後に「清々しい清い心持を子供に懐かせ得たもの」とされる。ナンセンスへの理解は、人権意識などにくらべると、さほど進んでいると言えないのは残念。
 「正風童話とは何ぞや」は、興味中心の童話に対比する意味で言及したものだろう。「日本児童の童心に適応したる芸術的作品」のことを「正風童話」とし、その「属性は、「平和」「道徳」「芸術」である」とされる。そのため「泥棒修業の話や、詐欺行為の話」などは否定されるが、沖野にかぎらず、教育的発想で童話をみるかぎりピカレスク的な作品は生れない。
 「現代日本の子供と其の読みもの」では、小学校以後の子どもの読物に触れている。男子は小学校から中学、実業学校へ進むと青年のような教育を受けるので、少年時代がない。それに対して、女学校では時折口演童話があり、童謡がうたわれることもある。ここから、男子は幼年期から青年期へととんでしまうが、女子は幼年期から少女期をへて青年期へと段階をおうことができると沖野はみる。中学校の生徒が童話を子どもっぽいと感じ、教員も童話などを学校で楽しもうと考えないのは、中等教育という制度がそういう気風を醸成しているからだ、という指摘は一考に値する。読物の内容が男女の性差によって分別されていくというより、「男の子は、小学校六ケ年の課程を終ると同時に、自己及び家庭といふ事を考へるよりも先づ天下国家を考へる教育を受ける」ところに武勇談、活劇物を愛好する理由があるというのである。
 男子向き読物は、童話から武勇伝、冒険談に飛躍するが、女子向けには、過度に感傷的な少女小説もあるものの、総体的に大人への読物へとなだらかに続いているという。このような問題意識の背後にあるのは、「幼稚期」から「成人期」まで男女共に同じものを読ませたいという主張である。さらにそういう考えは男女に尊卑はないという信念に基づいている。
 沖野岩三郎の思想が十分うかがえる一冊である。

(藤本芳則)




三重県で刊行された児童雑誌「小学世界」

上田信道


 雑誌「小学世界」について紹介する。入手した号は創刊号のみで、いつまで続いたものかは不明。奥付によると毎月1回20日発行とあるが、創刊号は1906(明39)年5月25日付になっている。定価は1冊6銭、6冊34銭、12冊60銭。総ルビ、菊判。表紙は四色刷石版で「八咫鏡と撫子」(厳泉画伯揮毫)の図柄。本文80頁のほか目次・口絵・広告の頁がある。口絵は3頁、4点の写真版によって構成されている。各頁には「三重県師範学校と同校長根岸福弥氏」「津市高等小学校」「津市高等小学校長川村寛氏」のタイトルを付し、最後の口絵には文部大臣名で川村校長を顕彰した「小学校教育効績状」の全文が麗々しく掲げられている。教育界との強い結びつきが窺える。出版社は豊文館。所在地は津市地頭領町十九番屋敷で、広告などから察するに理科や教育、学校用の副読本などを刊行していたらしい。また、豊文館ではこの雑誌の発刊を機会に「活版部」「製本部」を新たに設置し、編集・印刷・製本まで総てを社内で賄う体制を整えていたようである。
 無署名の「発刊の辞」では、まず「嗚呼、将来有為なる、県下の少年諸君よ、吾人は、諸君と共に、この三重県下に、生を享けたることを、祝せずんばあらざるなり。」云々と三重県の風土・産業の優れていることを述べ、「况や、国家の宗祀、伊勢神宮の鎮座せる地たるをや。」と郷土愛を喚起して、三重県を中心としたローカル児童雑誌であることを宣言する。さらに、続けて「嗚呼、この天下唯一の楽土に、生を享けたる吾人、徒に、安逸無為を事とすべけんや。須く、大に、知徳を修養し、以て、天下唯一の発展を試みさるべからざるなり。而して、かのこれを試むる、否、試みざるべからざるものは、即、諸君にあらずして誰ぞや。吾人は、夙に、諸君の、修養を助けんとして、思索すること、時あり。今や、日露の事、我国の、光輝ある条件のもとに、局を結び、戦勝国の少年として、益、諸君が、修養の急を感じ、こゝに、この冊子を発刊して、小学世界と名づく。聊なりとも、諸君が、これによりて、得る所あらば、吾人の幸とする所なり。」と、日露戦争後の戦勝気分を背景にして創刊の意義を説く。
 次に、目次を紹介しておく。【 】内は欄名、[ ]内はわたしの補記である。投稿の各タイトルと著者名は省略した。

発刊の辞[無署名]
【教への道】
人間の分類松蔭居士
【語り草】
新兵のくらし(其一射撃)歩兵二等卒
文福茶釜蓮池 清
【学の海】
シャムの象狩稲垣女史
台湾と樺太(其一)栗田桃嶺
春の七草(上)理学博士・松村任三談
白虎隊柳軒居士
日本外史講義蘋洲潜夫
英語会話[外国人ト子供]     ST生
文章法和富春江述
【文林】
名家文[貝原益軒先生「大和俗訓」]
文章[投稿]
新体詩[投稿]
和歌[投稿]
俳句[投稿]
【落葉籠】
一口ばなし[無署名]
考へ物[投稿]
軽口問答[無署名]
あほだら経[「日露戦争始末」]  天竺道人
世界異聞[無署名]
日々の心得[「牛乳の見分け方」] 竹庵山人
はがき集[投稿]
新しき本[無署名]
近時片々集[無署名]
【懸賞文募集】[規定]
 【教への道】は論説欄、【語り草】は読物欄、【学の海】は知識読物や学習ものを中心とした欄、【文林】は投稿を中心に文章を磨くための欄(一部絵の投稿を含む)、【落葉籠】はお楽しみほか雑多な内容の欄、といった位置づけであろうか。「新兵のくらし」は初めて本格的な射撃訓練を受ける新兵の失敗談を面白おかしく書いたもので、日露戦争直後らしい企画。「文福茶釜」は昔話の再話である。
 投稿者の殆どは三重県下の高等小学校の生徒だが、隣接する和歌山県東牟婁郡内の高等小学校の生徒も混じっている。ほかに、東京・京都・兵庫などの地名が見え、おそらくこれらは学校関係のつてを頼って集めたものであろう。殆どは教師の手が入っていると見え、形式が整ってそつなく書かれている。その中で、「和歌」についてだけは、子どもの率直な気持ちが歌い込められていて興味深い。例えば、「おとーさんわたししけんに第一で/合格したでほめてください(兵庫県=石野岩造)」は成績が良かった喜びを素直に表現。「万歳といふて送つた兄さんを/また万歳といふてむかへた(津市=栗田和子)」は日露戦争の戦勝と兄の無事復員の喜びを表現しているし、「のゝさんと両手合せて弟が/わたしのかざる雛棚おがむ(兵庫県=鳴川徳子)」は弟の微笑ましい様子を、「竹さんはちさい雀をつかまへて/米粒やつてたのしんでゐる(山田=中西一夫)」は子どもの生活をそのまま写生している。このように、「和歌」欄だけが、大正自由主義教育の影響下にある童謡や童詩を思わせる内容になっているのはなぜだろうか。