インターネット版

児童文学資料研究
No.84


  発行日 2001年5月15日
  発行者 〒546-0032 大阪市東住吉区東田辺3-13-3 大藤幹夫


目  次


『児童図書に関する調査』(日本出版文化協会)大藤幹夫
「鴎外博士の思い出」(松村武雄)について上田信道
吉松祐一『学校に於ける童話の活用』藤本芳則

児童図書に関する調査

    社団法人 日本出版文化協会 昭和17年12月発行

 本冊子の表紙は、B5大で左上端にマル秘の赤印が認められる。総ページ114ページである。ガリ版印刷。
 内容は、

一、本調査の目的並にその方法
二、児童の部
三、父兄の部
四、教師の部
に章分けされている。
 「児童の部」に限って項目を見ると、(1) 一箇月間の読書量、(2) 内容による分類、(3) 価格による読書量、(4) 入手の経路、(5) 閲読の場所、(6) 読後の処置、(7) 所有する図書の冊数、(8) 家と書店との距離、(9) 印象に残つた図書、(10) 読みたいと思ふ図書。
 かなりきめ細かい調査で(6)(8)などが目を引く。
 「父兄の部」「教師の部」には「児童に読ませたい図書」「児童から避けたい図書」の項目がある。
 調査対象は、「本協会職員出張の上」北海道から九州の福岡、長崎県までの13校が選ばれた。「純農村」「小都市」「商工地帯」「工業地帯」「商業地帯」「住宅地帯」の代表とされる。児童は、原則として「初等科第三学年以上」で高等科(第一、二学年)までの2566名、父兄は、2441名、教師は118名である。
 さて、この調査の目的であるが、これより先に二度の出版状況を対象とした「児童図書に関する調査」(昭16・11、昭17・4)を受けて「児童図書を与へられる側の児童の読書状況を調査し、それに照応させて抑制、推奨等の方策を講することが必要」になってきたことによるものである。(傍点引用者)専門家数氏(※名前は記入なし)による原案から予備調査をへて実施された。
 紙数の許す限り内容を紹介したい。
 まず「児童の部」の「一箇月の読書量」だが、書籍は平均3.43冊、雑誌の平均は、1.03冊である。現在の読書調査(「学校読書調査」)と対照させるために小学校、中学校(戦前は二学年分)に分けると、戦前は、書籍は、小学児童は平均3.4冊、中学は、3.44冊、雑誌のそれぞれは0.8冊、1.5冊になる。
 最新の「第46回学校読書調査」(「毎日新聞」2000・10・27)によると、小学生の平均は6.1冊、中学生は2.1冊、雑誌にいたっては、小学生5.7冊、中学生5.7冊である。
 比較において中学生の書籍の平均以外すべて現在の数字が上まわっている。とりわけ雑誌の冊数は7倍、4倍と大きい。中学3年の数字が欠けていることを合わせ考えても、現在の子どもの「読書離れ」は言いえない結果を示している。(雑誌の数字については、さまざまな因子が加えられるだろう。)
 内容別(絵本・文学・文化・科学・技能・総記)に見ると、東京の高等科で「文学」に、集中している現象が見られる外は、ほぼ同じ傾向を示している。(「文学」の内容に作文・文集が含まれている。)指摘されるのは、「科学書が全体を通じていずれも一割以下にあること」で、「現下の科学教育振興の政策に鑑みて考慮の必要があらう」とされるのは、現在ともに変わらない。
 雑誌で読まれているのは、「少年倶楽部」「幼年倶楽部」「少女倶楽部」などの講談社系の雑誌である。「家の光」「キング」などの成人向きの雑誌も読まれ、女子においては、この他に「婦人倶楽部」「主婦之友」が多く読まれている。(現在の子ども読者向けの雑誌が、現在とくらべると圧倒的に少ないことにもよるのであろう。)
 「印象に残つた図書」にあげられるベスト5は、「講談社の絵本」が圧倒的で、次いで「乃木大将」「野口英世」「二宮金次郎」「アジアの曙」と続く。伝記ものが多いのも現在と同傾向を示している。「小公子」「アンデルセン」「家なき子」「フランダースの犬」などのいわゆる名作読物の名があげられる。日本のものでは「アジアの曙」の他に「見えない飛行機」「ひらがな童話」「あのみちこのみち」「子供隣組」の名があるが、大衆的児童文学が目立つ。
 「読みたいと思ふ図書」の書籍でも「講談社の絵本」「亜細亜の曙」「大東亜戦争」「漫画」「国史」と続き創作児童文学の影は薄い。雑誌も「少年倶楽部」「少女倶楽部」「幼年倶楽部」と講談社系が並ぶ。
 「父兄の部」の「図書選択の主体」は、「母」「本人」が多く、父親は「兄姉」以下である。これもまた現在と軌を一にするところである。「教師」の名はない。
 「図書選択の根拠」は「実物を見て」が76.88%を占め、「文部省などの推薦による」ものは、わずか0.1%で「その周知方法の上に改善の余地のあることを示唆している」と書かれている。「文部省などの推薦」は、東京の1.0%以外には、まったく見られていない、という状況である。「教師の薦めによる」数字が10.45%あるところから「児童に対する良書推薦はこの教師の存在を度外視することの出来ないことが結論として云へる」とあるのだが、「先生の推薦」図書がいかなるものか、ほぼ推察できよう。
 「児童に読ませたい図書」は、内容の種類別を見ると、「伝記」「科学」であって、「歴史書と科学書とが児童図書に対して特に強く要望されている」常識を裏付けたとされる。「参考書」が求められることは「その是非は別として偽らぬ親の心理が現はれている」と見られる。
 雑誌において、昭和16年後半の児童図書の出版状況が、伝記歴史を合わせて全体の4.3%、修養が1.3%、軍事1.0%であるのに対して「読ませたい図書」の中で絵本が46.9%、文学が34.2%という不均衡を示し、「理想と現実との間に著いギャップのあることは出版指導の上に於て特に重要視されねばならない事実である」と結論づけている。内容の傾向では「教育的なもの」「為になるもの」の他に「時局認識を与へ、日本精神を涵養することを、児童図書に対して期待してゐることは恐らく一時代以前の児童図書観と比較して著しく異る点であらう。」と解説される。また、高等科になると「常識を涵養するもの」より「実用的なもの」が求められる傾向は、「国民学校の教育目的と照応して興味がある」とされるのは、その方向が推察できる。
 「児童から避けたい図書」のナンバーワンは、「漫画」である。高等科になると「小説」と入れかわる。「漫画、小説、講談、雑誌」と云う区分けがよくわからない。「小説中の探偵小説、冒険小説、雑誌中の大衆雑誌はそれぞれその数が多いので、独立させた」ともある。
 「空想的なもの」「殺伐なもの」「粗悪なもの」「下品なもの」が「具体的な批評」と認められている。「興味本位なもの」「空想的なもの」が指弾されるのは、従来の児童図書の「顕著な性格を突いたものであつて、著作、出版の面で反省すべき事項」とされる。こうした抽象的な批評(?)を受けて、児童図書を「抑制(取り締まり)」を正当化しようとする姿勢がうかがわれる。
 「児童図書に関する感想」では、内容について「科学に関するを望む」「歴史、伝記に関するものが欲しい」などに次いで「大東亜戦争を認識させるやうなものが欲しい」「空想的なものはよくない」とある。少数ながらとしながら「健全な漫画物がないのを遺憾とする」「少女雑誌は興味本位に陥らず烈婦伝等を取入れられたい」「標準語を使用して欲しい」などが紹介されている。
 「出版社に関する」回答では、「講談社、小学館の出版物を推賞する」外に「業者の整理統合を要望」するものが多く「出版社を二つか三つに減少して欲しい」「経営困難なものは廃業し、広告を廃し、週報の如く安価で且つ権威あるものを出版して貰ひたい」などがとりあげられている。これは統制を進めようとする側にとって、実に都合のいい回答だが、数量は不明である。「読書傾向に関する」ことでも「戦争物を大変に喜ぶ」「科学的なものは飽きが来ない」という回答も、その「科学的」の内実は問題にされていない。
 「読書の功罪に関するもの」では、「弊害に属するやうなものの方が数多い」とあって、「勉強の妨げになる」「用事を言付けても応じない場合があつて困る」などはおとなの側の勝手な言い分で、子どもが読書に夢中になる要因に目を向けていない。
 「読書指導に関するもの」の中に「児童図書は子供ばかりではなく父兄に教へる点が多いから父兄も進んで子供と一緒に読むのがよいと思ふ」という回答を見ると救われる思いがする。
 「推薦制度に関するもの」の中では、「「推薦制度は非常に結構である」といふ意見が非常に多く、これに反対するものは一つも見られない」とは、どうしたことか。
 「出版傾向に関するもの」で「「児童図書は最近相当に改善されてきた」といふ批評は極めてその数が多い」というのも推薦制度への自画自賛になっている。
 「出版指導に関するもの」でも「出版文化協会を法制化してその指導力を強化して貰ひたい」「出版社の統合を希望する」などは、都合がよすぎる感がある。
 「教師の部」は回答数が少ないこともあって、とりあげる項目も少ない。また、教師の、たとえば読書指導への構えも「かなり個人差が現はれてゐる」とある。
 「児童に読ませたい図書」の第1位は「科学」で次いで「伝記」となって「父兄の部」と変わらない。「児童から避けたい図書」の第1位は「漫画」、次いで「講談」「小説」と続く。これも「父兄の部」と同傾向。
 父兄と違うとされるのが「功利主義的なもの」「感想的なもの」とあるが、これはよくわからない。これを「具体的」な指摘とするのはどうしたことか。
 「読書愛護児童の調査」によると、「読書愛好児童の大多数は成績優良なもの」となっている。健康状態も「概して良好」とある。「温順」「明朗」「研究的」な児童が多いとか。
 これほどの内容の調査報告なら、わざわざマル秘の印は不要なのではないか、と思われた。

(大藤幹夫)



「鴎外博士の思い出」(松村武雄)について

上田信道


 森鴎外は『こがね丸』に序文を寄せ、「少年園」や「少年世界」にも寄稿。とりわけ、「標準日本お伽文庫」叢書全6冊(森林太郎・松村武雄・鈴木三重吉・馬淵冷佑/撰 1920〜21 培風館)の企画に大きな役割をはたすなど、児童文学と因縁浅からぬものがある。本稿で取り上げる「鴎外博士の思い出」は、松村武雄の随想集『疎鐘』所収の一篇で、鴎外と「標準日本お伽文庫」の関りについて詳述。書誌は、1943年5月30日刊、B6判、401頁で、版元は培風館である。
 なお、この資料については、「月刊百科」(平凡社)の6月号にエッセイ「森鴎外と児童文学」を書いて少し触れておいたが、もともと「東洋文庫を読む」というコーナーに寄稿を求められたものであるため、通り一遍の紹介にとどめざるをえなかった。書き捨てるには惜しい資料的価値があると思うので、あえて若干の重複を恐れず、ここに紹介することにしたい。併せてお読みいただければ幸いである。
 まず、「標準日本お伽文庫」の企画について。これについては「大正九年秋のことであつたと思ふ。当時東京高等師範学校訓導を勤めてゐられたM氏が、児童読物としての我が国の神話・伝説・童話の代表的なものを整理して置きたいといふ念願を起して、その由を鴎外博士、鈴木三重吉氏及び自分に諮られた。M氏の熱心な奔走によつて、やがて相談がまとまり、材料の選択には自分が、文章作製にはM氏が、推敲には博士、鈴木氏及び自分が当るといふことになつた」と記されている。むろん、「M氏」とは馬淵冷佑のことである。
 次に、鴎外が説話を再話するにあたり、芸術的見地から内容を書き換えたという事実についてである。松村は「説話に於ける形式や表現が、文学的手法や芸術性を裏切つてゐるとき、博士一流の文学的潔癖ともいふべきものが厳しく鋭く発動して、どうにも我慢のならぬ気持から、これを他の形式若くは他の表現に改鋳せずにはゐられなかつた」ことを概括的に述べる。具体的な例は「物臭太郎」などである。すなわち、『御伽草子』中に伝えられる物臭太郎の歌について「博士には、この歌の平俗な匠気、紛々たる月並臭が、どうにも我慢が出来なかつた」ので、鴎外は松村に書簡を寄せて「折りつれば、たえぬる琴の音をたてて/われこそ泣かめ、人は責めねど」としてもらいたいと言い送った。「これは博士の自作である。そして「拙くはあるが、本の歌の俗臭紛々たるよりはましであらう」といふ意味のことが、書き添へてあつた」という。
 その一方、「源頼光の四天王の一人である貞光の姓について、「碓氷」とすべきか、「碓井」とすべきかの論議が、博士と自分との間に幾回も取り交された」ことなどもあったという。
 結論として「かうした出来事をつぎつぎと追懐する毎に、説話の事実性を尊重する「一人の鴎外博士」の背後に、更に芸術的表現に気むづかしい註文を有する「他の一人の鴎外博士」の面影がはつきりと浮び出て、ひとり会心の微笑を漏らす」と結ばれている。
 さらに、「説話の事実性と歴史の事実性との間に存する極めてデリケートな関係についても、博士はこまやかな心遣ひを持つて居られた」ことについて述べられている。その例は「玉取説話」であった。鴎外は松村にまず書簡を寄せ、「鎌足、不比等、唐高宗ナド、アマリ歴史上明白ナル人物故、歴史読本トノ対照上ヘンナコトニ相成可申ト、色々考案イタシ、大体小生ダケノ意見ハ相極申候」と予告。やがて校正刷が松村の元に送られてくると「在来の「玉取」説話に於ける「藤原鎌足」が「藤の大臣」となつて居り、「唐高宗」が「唐の天子」となつてゐた」という。校正に添えられた鴎外の書簡は「何分子供ガ歴史読本トスグニクラベテ考ヘルコトハ避ケタキニ付、人名ヲボンヤリサセル方針ヲ取リタルマデニ候。猶御勘考被下度候」とあったとのことである。この件について松村は「つまるところ、博士は、固有名に代ふるに漠然たる称呼を以てすることによつて、お伽噺と歴史読本との対照上「ヘンナコト」になるといふ難関を切り脱げようと試みられたのであつた」と解釈する。
 しかし、松村は鴎外のこの措置にはやや不満があったようで「人名を「ボンヤリサセル方針」そのものには賛同するが、(中略)「藤の大臣」の如き、子供の読物に現れる称呼としては、些か雅醇に過ぎて、ぴたりとその胸に来ないであらうといふ心配がある」とも記している。
 最後に、文章表現について。「博士は、表現の簡古性を第一の要義とされた。いい意味の簡樸と古拙とを、大いに尊重された」のに対して、「鈴木三重吉氏は必ずしも博士と見解を同じうしてゐなかつた。(中略)よく「まづい、まづい」と苦い顔をしてゐた」という。これについて松村は「あの文章の草稿はM氏がこしらへたものであり、可なり博士の筆が加へられたとは云ふ条、博士自身の文ではない故、なるほど拙いところも確かにある」と、馬淵には手厳しい。その一方で、「第三者として冷静に観ずるなら、鈴木氏の童話に於ける文体は、少し粘りが強過ぎる。どこかねちねちしたところがあり、それに息が長過ぎる。一口にいへば、簡樸古拙といふ風趣とは頗る縁の遠い行き方である」とも批判する。
 鴎外の文章については「博士は、第一に、なるだけ副詞を避けられた。動詞だけでは意味や度合が十分に現れない場合は兎も角として、動詞だけで用が足りる場合には、決して副詞を持ち出されなかつた。第二に、なるだけ複合動詞の使用を避けられた。接頭語の結びついた動詞もまたその好むところではなかつた。これ等はみな簡樸な表現を第一義とするといふ主意から出てゐると思ふ」「表現の古拙を尊ぶといふ意味から、民間説話に於て屡々採られてゐる伝統的な、とぼけたやうな表現や、民間説話が好んで用ひる「特定文句の繰返し」なども、頗る大切にされた」と、はなはだ好意的である。
 鴎外の文章の評価をめぐっては、神話学者・松村武雄と童話作家・鈴木三重吉の再話に関する考え方の違いが窺える。


『学校に於ける童話の活用』

  吉松祐一著
  昭和6年1月5日発行
  文化書房刊

 四六判本文504頁、附録98頁、定価2円60銭。奥付には、「童話の活用」とのみ記載。
 「例言」に「学校教育に於て―学級、講堂で善き童話を聞かせ、童話教育の実施を主張したるもの本書」とある。口演童話を中心にした一冊。多くは口演童話資料(作品)で占められ、論考部分は少ない。全体は次のように構成されている。

第一章 学校教育と童話
第一節 童話教授の回顧/第二節 児童心理と童話/第三節 各教科の童話教材/第四節 童話の教育の目的
第二章 童話選択の標準
第一節 優秀なる童話の條件/第二節 児童の発達段階と童話
第三章 学校に於ける童話の活用
第一節 教科の補充童話/第二節 年中行事偉人記念日と童話
第四章 童話術
第一節 話材の研究/第二節 お噺の仕方/第三節 童話の研究法
第五章 資料篇(年中行事と偉人記念日)
第六章 童話教育の諸問題
附録 学芸会童話
 第一章では、「第二節 児童心理と童話」で子どもが童話(口演童話)を好む理由を、「お噺の持つ本質と児童の心理とが完全に一致するから」とみて「児童の本能」と「興味」から説明する。「本能」として列挙されているのは、「好奇」「模倣」「恐怖」「好闘」「同情」「滑稽」の六要素。「好奇」などは肯定できるとしても、「模倣」となるとどうだろうか。解説では、「話者の巧みなるゼスチユア物真似等の子供に喜ばれるのは、この本能あるが為」とされるが、「本能」とするのは疑問だろう。
 「興味」では、大人と異なる点として「超自然物」「自然物」「生物」の三つをあげている。「超自然物」である巨人、小人、鬼、天狗などは、子どもの「空想生活に於ては、実在のもの」であるし、「自然物」への興味は、子どもが原始人的な感覚を残しているからだとする。
 「第三節 各教科の童話教材」では、童話が九種に分類されている。A幼稚園話・B滑稽譚・C寓話・Dお伽話・E伝説・F神話・G歴史譚・H自然界の物語・I実事譚である。見て分かるように統一された分類基準に基づいているわけではない。しかし、同時代の童話観を反映した分類とみれば興味深い。たとえば「幼稚園話」を例にとれば、これだけが読者の発達段階に着目した分類になっているのは、幼稚園と小学生の間に境界を認めているからだろう。解説には、「噺全体が、韻律を有するもので言はゞ童謡に近いもの」と述べられている。現在の幼年童話が、小学校初級までを含めて考えることが多いのとくらべると、少しずれが感じられる。
 「第二章 童話選択の標準」からは、「第一節 優秀なる童話の條件」を紹介すると、優秀な童話の条件として、A生活感、B韻律と反復、C美的快感、D活動性の四点をまず指摘し、それぞれを解説する。「A生活感」とは、親密感を有することで、ここから主人公も読者と同年輩が望ましいとされる。「B韻律と反復」は、幼年向きには韻律が不可欠であり、「童話の統一と明瞭の度を増す」には繰り返しが必要というもの。「C美的快感」は、「アラビアンナイト」「アンデルセン」などを例に美的要素の豊かなものが望ましいという。「D活動性」とは「冒険的要素」や巨人伝説のような「誇張」、「滑稽的要素」などのこと。だが、「誇張」「滑稽的要素」がなぜ「活動性」の範疇にはいるのかは理解しがたく、説明不足の憾みが残る。
 「第四章 童話術」は、読む童話を話す童話に移すための留意事項を述べたもの。実演者として実績のある著者の体験をもとに、話の構成、上演、本質について記される。まず、話は、「序(まくら)」「本話」「結び」から組み立てられいると分析し、本話の部分の要点を次のように述べる。すなわち、筋は必ず一貫していることが大事で、主客は明瞭であること。主人公は最初から最後まで登場し、話の中心になっていること。登場人物は少ない方がよい。子どもを明るい方へ導くような内容であること。クスグリを適当に入れて平板さを防ぐこと。最後におくクライマックスを成功させるために、筋も結びも組み立てられるべきである。以上のようなものだが、娯楽映画の方法とよく似ていることに気づく。多人数を同時に楽しませる技術は類似しているということだろうか。
 「第二節 お噺の仕方」では、とりたてて目新しいことは述べていない。が、喋る言葉として「標準語(東京語)」を強調し、「地方の童話研究家が、一度は是非東京に出て其処に生活し、標準語と、東京の子供の言葉を覚えねば、真の童話は語れない」というのは、「よ程迄研究を積んだ人の真の叫びであらう」とまで述べるところに、〈標準語教育〉の根深さがある。
 「第六章 童話教育の諸問題」から「音楽童話」「絵噺」「理科童話」「ラヂオ童話」への言及を摘記する。まず、「音楽童話」「絵噺」は「いづれも最近主として低学年児童に向つて実施されてゐるもの」で、「音楽童話」は必ず童謡を含み、適宜ピアノ伴奏による話者の歌を混在させるというもの。絵噺は、興味深い場面を掛図にしておき、掛図をみせながらお話をするというもので、学校での紙芝居が一般化する前の様子がうかがえる。このような「絵噺」が、紙芝居の普及する下地にあったのだろう。
 「理科童話」とは、「近年流行」しているもののひとつで「科学の応用」を「興味深く子供の生活に即して、童話的に解らせようとする」のが主眼。「理科童話」は明治期から存在しているが、そのことに触れていない。「理科童話」の流れは大正期あたりに伏流となったのであろうか。
 最後に新しく誕生した「ラヂオ童話」に触れている。「ラヂオ童話」の使命のひとつは「童話の家庭復帰」で、多忙な母親にかわって、「優秀なるおはなしを夜毎に聞かせる慈母の役目」をラジオ童話に求めると述べている。ラジオという新しいメディアへの過剰な期待がみてとれる。(藤本芳則)

(藤本芳則)