児童文学資料研究 |
「少年軍事小説と理学思想」古賀邦夫(「児童」所載) | 大藤幹夫 |
2000年発行紀要論文紹介(補遺) | 大藤幹夫 |
竹貫佳水の経歴考―博文館入社まで―(その1) | 上田信道 |
松美佐雄著『日曜学校に於ける童話の話方』 | 藤本芳則 |
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「少年軍事小説と理学思想」 古賀邦夫「児童」 昭和10年1月1日発行 |
謹賀新年!とある。教育雑誌にこう記されねばならない状況が多くの子どもの上にあったことを忘れてはならない。
今年中にお弁当の食べられないような子供が一人もゐなくなる様に。年初に当つて希望するのはまづこの凡庸な願ひです。日本の何処かの子供達の上に餅のないお正月が訪れてゐるのではないか。それを思ふとゐても立つても居れません。
子供を誇大妄想的な軍国主義者たらしめようとする少年少女雑誌の戦闘熱がいままで教育者や父兄によつて殆んど真面目に反省されもしなかつたのはどうした事でせう。着実剛毅な子供こそ真実に現代のために用意さるべき子供であるのに。と批判されている。
非常時日本の浪に乗つて、軍事小説が近頃引き続いて、少年雑誌には勿論のこと、少女の雑誌にさへ現はれ出した。安つぽい涙小説などに較べると、子供の勇気を奮ひ立たせ、日本の国に対する認識を深めさせるといふ点で、此の事自身は決して悪い現象ではないのである。と認めつつ、「現在世に現はれてゐる軍事小説の或者は、それを我々理学畑の者から見ると、大分物足りない」として、具体的にまづ平田晋策の『昭和遊撃隊』があげられる。
A国のルビー軍港は、土人の一ト攻めによつて、忽ち攻め落とされる事になつてゐる。近代的の防備を凝らした要塞地帯が、高が土人の襲撃によつて、かくもたやすく落ちるものであらうか?こうした批判を「その位のロマンチシズムはあつてもいゝだらう。」という声のあることを承知の上で、「一度之が子供の心に及ぼす影響を考へるならば左様なことは云はれはしまいと思ふ。」と反論する。
子供は兎角空想に耽りやすい。「昭和遊撃隊」の様に手軽に取り扱つてあると、大発明などは簡単な思ひつきで出来るものの様に思ひはしないだらうか?と憂えている。
肉弾さへあれば、理学的の武器や防備などは、どうにでもなるといふ、一世紀前の旧い頭の持ち主がいまでも持つてゐる、ある間違つた思想に捉らへられることはないであらうか?この筆者の心配がやがて事実になる。「一世紀前の旧い頭の持ち主」が日本を支配することになる。そして悲劇を生む。
学校で教わる算術や理科などが、第一にあまり六ケ敷い述語を使ひ過ぎるのと、もう一つには、其様な学問が、彼等の眼の前に起こる、世の中の色々な現象と、あまりに掛け離れてゐる様に、(彼等に)見えるからなのである。理数離れをいわれる現在にも通じる(それだけ教育現場は変わつていない)ように思える。
現在非常時に際会して軍事小説が大流行を来してゐる際、之を巧に利用して子供に理学思想を吹き込むことは、極めて時宜に適つた企てであり、又実際次代の日本国民の基礎を形作る上に於て、極めて必要な事であると思はれる。これは発想が逆転して、文学性を放棄することになる。(軍事小説に文学性を求めなくとも、理学に奉仕する作品になってしまう。それはもはや小説と呼べるものではなく単なる科学読み物であろう。)
その小説は、子供に向つて軍事思想、愛国思想を吹き込むと共に、大に理学に対する趣味をも併せ養はせ、錦の上に花を添へた様な立派なものになると信ずるのである。つぎに、「少女倶楽部」掲載の山中峯太郎の「黒星博士」も「同じ様に云ひ得られる」としながら「一つ事を繰りかへすのはくどくなる」としてくわしくはのべられない。
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2000年発行紀要論文紹介(補遺) | 大藤幹夫 |
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竹貫佳水の経歴考―博文館入社まで―(その1) | 上田信道 |
群馬県士族 登代多弟 竹貫直次 旧前橋藩 | |
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1875(明8)年3月10日 | 群馬県前橋市石川町ニ於テ生 |
1892(明25)年4月 | 東京市芝区攻玉社尋常中学科卒業 |
1894(明27)年2月 | 同社土木科卒業 |
1894(明27)年4月13日 | 東京湾築港調査掛申付月俸拾円ヲ給ス(東京市参事会) |
1894(明27)年12月10日 | 依願免調査掛(東京市参事会) |
1894(明27)年12月19日 | 雇員ヲ命シ月俸拾円ヲ給ス/臨時測図部附ヲ命ス(陸軍省) |
1895(明28)年1月16日 | 自今月俸拾五円ヲ給ス/臨時測図部測図手ヲ命ス(陸軍省) |
1895(明28)年2月1日 | 遼東半島ヘ出張ヲ命ス(陸軍省) |
1895(明28)年7月1日 | 帰朝 |
1895(明28)年9月20日 | 朝鮮ヘ出張ヲ命ス(陸軍省) |
1896(明29)年4月5日 | 朝鮮ノ帰途台湾ヘ出張ヲ命ス(陸軍省) |
1896(明29)年8月15日 | 帰朝 |
1896(明29)年9月19日 | 臨時測図部被廃雇員ヲ免ス(陸軍省) |
1897(明30)年1月12日 | 東京市水道助手申付月俸拾五円ヲ給ス(東京市参事会) |
1899(明32)年12月2日 | 調査部勤務工務取扱申付月俸弐拾円ヲ給与(第一区土木監督署) |
1899(明32)年12月20日 | 任東京府技手/給八級俸/内務部第二課勤務ヲ命ス(東京府) |
1900(明33)年6月28日 | 依願免本官(東京府) |
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『日曜学校に於ける童話の話方』松美佐雄著大正15年1月10日発行 大谷派本願寺社会課 |
(1)心の感触を濃かに養ふこと(3)の想像力については、教育家は空想的な話に批判的だが、「子供の想像は将来科学の圏外に発達するものでありますから、之を童話時代に於て養ふことは実に貴重」だと想像力を伸ばすことを主張する。小波らが空想は害との意見を批判したのと同じで、この時期になっても非現実的な物語を疑問視する意見のあったことを知る。
(2)心の純一性を養ふこと
(3)自由なる想像性を養ふこと
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