インターネット版

児童文学資料研究
No.94

発行日 2003年11月15日


目  次


「教室」収録の児童文学論(1)大藤幹夫
野村吉哉『童話文学の問題』藤本芳則
唱歌「夏」と「夏は来ぬ」考上田信道

「教室」収録の児童文学論(1)

  昭和16年3月1日発行
  厚生閣刊

「これからの童話作家に」 小川未明

 つぎの文章は時代の表現として興味深い。
 「いま日本の目指してゐる、東亜共栄圏の文化建設は、これまでの世界に類のない偉大な理想の表現だけあつて、哲学観から、倫理観から、西欧文明になづんだものには、容易に理解されないのであります。そのためにも、よく肇国の精神を理解して、亜細亜の新しい神話が書かれなければならぬ時です。/今迄、世界を風靡したお伽噺や、童話に現はれた精神や、感情は、すべて西洋の文化を基礎として発生した、功利主義のものが多かつたが、これからの私達の持つ童話の特質は、我等が東洋民族の伝統と実生活に立脚した、超人的にして、高邁な意志の現はれでなければならぬのであります。」
 ここでの「超人的にして、高邁な意思」とは何か。
 「東亜に於ける永遠の楽天地を建設するために、高度国防国家の必要が、力説される所以も知らなければならぬのであります。しからざれば、私達に、新しい夢の生れ出ることもないのであります。これからの童話を書かんとするものは、先づ自からが、人類に対して、偉大なる夢を持つことからはじまる。しかし、それは、詩人にして、はじめて可能であり、また子供の心に徹することを得るものではなかろうか。」
 ここでもまた、抽象的な言辞しか述べられていない。
 「文学であるためには、その作品は、情熱から生れたものでなければならぬ。即ち第一義の精神的産でなければならぬ。作家は、子供と共に悲しみ、子供と共に喜び、子供と共に笑ふ、両者の関係が全く一体とならなければならぬ。」
 「ねばならぬ」と強調されるほど空虚に響く。
 結びの言葉を引用しよう
 「芸術的感化は、実践倫理の如く、教鞭の下に、規律と習慣と教訓によつて、児童を陶冶することゝちがひ、児童自からの感情に訴へて、自省し、感憤し、奮起し、行動に移すものであるから、かくの如き作品は、精鮮にして、純粋でなければならぬのであります。これは、その作家が、真の詩人にしてはじめて可能なることであつて、童話の面にもいろいろあるであらうが、特に芸術としての童話は、かくの如きでなければならぬと思ふのであります。」
 読者にどれほどの説得力を持ちえたか。時代の表現とする由縁でもある。

「童話作家の感想」 坪田譲治

 この一文はまさに「感想文」である。
 「魔法使ひは遠い古代の世界にばかりに住んでゐて、科学の世界現代には影も形も見せなくなつてしまひました。」
 「童話の世界に夢がなくなつたのです。」
 「では、どうしたらいゝでありませう。」
 結論は「これからは或は魔法使ひは以前ほど活躍しないにしても、そのやうなものゝ住む世界、これを描いてくれる作家が出て来はしないかといふことであります。」
 自身認めるように「とりとめもない」一文である。このような内容の文章を五ページにわたって書ける筆力に感心。

「これからの少年小説」   吉田 甲子太郎

 山本有三、吉野源三郎共著になる『君たちはどう生きるか』は「構成からいつても、描写から見ても、これ以上の少年小説が、今までの日本に、あまり多く書かれてゐようとは考へられません。作者は見事に少年の生活のなかへもぐり込んで、内がはから、彼等の生活を描いてゐます。それでゐながら、ちやんと現実に対する正確な認識を与へることにも成功してゐます。」と絶賛される。
 「私は、「君たちはどう生きるか」のなかに、これからの少年小説の一つの形に対する示唆を認めます。」とも言う。
この作品のなかにある少年たちへの豊かな愛情、何物かをたゝき込まなければやまない作者の烈しい気魄、新鮮で健全な詩情、科学を愛する探究心、それらのものすべてがこれからの少年小説には、どうしても必要なものだからであります。
 しかし、「少年小説といふものは、もともと、おとなの作家が書いて、これを少年に与へたものです。」「考へ方によつては、すべての少年小説は、指導書の役目を帯びてゐる」と言う発言はうなずけない。第一「おとなの作家」とは何か。「そこには、指導的な心持が、作者のがはに、起つて来ることになるはず」ことが自明の理なのか。
 「波瀾重畳の伝記小説風な少年小説」は「構成に至つては、江戸文学の読み本類と選ぶところのないご都合主義であり、荒唐無稽さです。かういふ小説は、少年の夢をはぐくむどころか、かへつて、その夢をすさませるのに役だつばかりです。科学小説などと銘打つたものに、しばしば、かういふたぐひのものを見うけます。」というのも、時代の状況を反映した意見である。
 「これからの日本が求める少年小説の備へるべき性格の、あらゆる要素が『君たちはどう生きるか』のなかにその萌芽を示してゐるかといふと、かならずしも、さうはいへません。この作品がわが国民文学となるためには、一つの大きな要素が欠けています。それはしひていへば、日本的風格とでもいふべきものです。純然たる創作でありながら、この作品には、どことなく西欧的な匂ひが感ぜられます。」
 そう批評しながら「それでは日本的風格とはどんなものだといはれると、簡単に返事するのに困ります。」
 吉田の「日本的風格」の備わった作品とは、『あゝ玉杯に花うけて』や『街の太陽』などの作者・佐藤紅緑の「長編少年小説」に行き当たる。
 「作品にみなぎる作者の気魄、美しく流れてゐる詩情、厳正な倫理観等から見て、今まで日本に現はれたものとしては第一流の作品に属すると思ひます。」しかし、ここでも氏は留保する。「残念なことに、佐藤氏の作品は、その持つ時代感覚に於て、もはや、今日のものではありません。その詩情には詩吟的な古風さが感ぜられ、倫理観には町やつこ的任侠の臭味があり、作中人物の逞しさには、むしろ、粗暴の傾きが看取されるのが困ります。」さきほどの「第一流の作品」という評価はどこへ消えたのか。それでも「作品にのぞむ佐藤氏の気魄だけは、何処までも尊敬されなければならないと思ひます。」と苦しい弁明が続く。「私が、これからの少年作家に求めてやまないものは、まづ第一に、この気魄だからであります。」これでは、少年小説は、作品の評価より、書き手の「気魄」によって左右されることになる。
 吉田の求める「これからの少年小説」は、「佐藤紅緑氏の作品が持つ日本的風格と、山本有三先生、吉野源三郎君の作品が持つ時代的感覚と科学的精神、この両方を渾然と調和させることができたなら、まづ、これからの日本少年小説の一つの形が完成するのではないかと思ひます。」いみじくも書かれて通り、吉田の求める「少年小説」は、「日本」少年小説であった。

 結論を急ごう。
 私は、浮薄なるロマンチシズムを追放して、何はともあれ、厳正なリアリズムの上に少年小説を立てるといふことが、まづ、今日の急務だと思ふのです。(略)
現実の生活の暗さを、かくすところなく語りながら、これを打ち破つてゆく勇気と意力を燃えあがらせる。大きな理想を背景としたヘロイズムを鼓舞する。打たれても、たゝかれても、決してへこたれない、筋ぼねの強さをきたへあげる。かういふ力を持つた少年小説は、リアリズムの上に立たなければ、生れて来るはずがありません。

(大藤幹夫)



『童話文学の問題』

  野村吉哉著
昭和18年12月18日
平路社

 四六判、本文一九四頁、二円一〇銭、初版二〇〇〇部。多くは雑誌「童話時代」より夫人が選んだもの。全体は五つに分かれている。目次を示す。

一 「まづ、正しき現実を」「童話と現実」「イソツプ及びグリム的童話を排す」「童話と童心」「超現実童話」「童話の現実」
二 「童話の社会性」「童話物語の方向」「童話と精神」「童話と教育」「童話文学の地方性」「童話文学の道徳性」
三 「童話の正道」「空想の制御」「児童の理解」「童話の貧困」「童話と綴り方」「危険な童話作家」
四 「寂しきヴヰオリン弾き」「人魚の姫」「マツチ売の少女」「小波氏の事など」
五 「文学と童話文学」「児童を取扱つた文学と児童を対象とする文学」「童話文学の飢餓」「新しき動物童話文学を待望す」「童話文学の使命」「新しい童話の任務」
 さまざまな角度から児童文学を論じながら、結局本書の根底にあるのは、「童話文学」と「文学」とは異なるという主張である。野村のいう「童話」は、それが、劇の形式をとると童話劇、歌謡的形式だと童謡になるというものである。従って「童話文学」は、「童話」が、文学の形をとったものとなる(「文学と童話文学」)。このような「童話」に対する把握のありかたは、明治期の「お伽劇」「お伽唄」などの「お伽」と類似している。
 以下おおむね収録順に内容をいくつか紹介しよう。
 最初の評論は、「甚しく出鱈目な、荒唐無稽な、超自然的な事柄、一般に「童話的」であると称せられてゐる。なぜなら童話は「児童ノ話」であるから。といふような考へ方は全く落語じみてゐる。」(「まづ正しき現実を」)と、「童話的」なものへの世間の理解を批判する。天使や悪魔の存在や月と人間との会話などの超自然的現象を取り扱おうとする作家たちは、神話や伝説、民話を制作しようとしているようなものだ、となかなか手厳しい。といって、「夢想的」なものを否定するのでもない。「正しき現実」を見ていないところに問題があると説く。つまり、作品が現実と切り結んでいないというのである。これは、「童話に於ては現実だけが唯一にして全部でなければならない」(「童話の現実」)と、別の箇所でも繰り返される意識である。
 次の「童話と現実」では、大人には不可解なことがら、たとえば電信柱が歩き出すといったことも、子どもには不自然ではない、というような意見を、「所謂早発性痴呆症的童話作家の唯一の信條であるらしい」と一蹴する。何故かといえば、子どもの現実は大人の現実の中では成立しないからである。「我等は彼等の現実の誤りであることを教へねばならぬ」というのが帰結。
 ここからは、当然童心主義が批判されることになる。「童話と童心」で、大人は童心を持っていないから、与えられるのは「大人の心」であり、童話は、「児童に与へる大人なの話」だと一刀両断である。さらに、子どもは成長するにしたがって、童心を脱いでいく。愚かな童話作家は、それを取り上げふたたび与えようとすると嘆じる。「童心」の把握が単純すぎるのは、野村の理解そのままなのか、論理をはっきりさせたい気持からあえてそうしたのかはよくわからない。
 イソップやグリム童話は、寓話、伝説であり、童話ではないとして、グリムの焼き直しや模造品的童話を否定するのが「イソツプ及びグリム的童話を排す」である。「荒唐無稽な、超自然的な事柄」を批判した立場からすれば、当然の帰結でもあろう。
 「童話の社会性」では、個人の願望は社会全体の要求に従属し、それに適合しなくてはならない、との認識を示す。個人の幸福は、社会の幸福とかならずしも一致せず、「或場合には個人の不幸が社会の幸福となる事も多い」といい、「従って童話はかゝる現実を語るものである必要もある」という。社会全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえないといったある詩人の主張と、真っ向から衝突する。これには、日中戦争から大東亜戦争へと動いてきた社会情勢が反映しているのかどうか。
 童話は、しばしば教育と関係付けて論じられてきた。作家の側からいえば、教育性を童話に盛り込もうとしてきた。このことを、「童話と教育」では、「教育に関する知識を何一つとして持つてゐない筈の多くの童話作家が、童話に教訓を附加して、童話を教育の具たらしめやうとするに至つては、まさに言語道断である」と断言する。なぜなら、すでに存在する文化を児童の体験の中に植え付けるのが教育で、童話は、児童の精神生活のうちに新しい文化を創造するものだからである。野村によれば、教育と童話は反対のベクトルを持っていることになる。しかし、のちに述べるように、童話文学は、「文学」よりも「教育」の側にあるとする矛盾した記述もみえる。童話への視点の取り方で発言はかなり揺れをみせる。
 童話に「有害なる童話」と「有害ならざる童話」の二分類を想定し、後者を児童に与えるよう努めなければならないというのが、「童話の正道」の主旨である。しかし、「有害」の実質的内容が明らかではないためわかりにくい。「有害ならざる童話」を、「有益なる童話」と混同してはいけないともいう。「有益なる童話」は、一部の児童のためにあり、多くの子どもには無用だと、近視と眼鏡を比喩に用いて説く。しかし、「有益なる童話」の具体的実体が語られないので、主張の輪郭がはっきりしない。この一文だけではなく、本書の全体に渡って具体性が乏しく、明快さに難がある。
 しかし、具体的作品に即した文章もある。「イソツプ及びグリム的童話を排す」はすでに触れた。アンデルセンについて論を展開しているのが、「寂しきヴヰオリン弾き」である。
 アンデルセンは、童話よりも大人向きの作品に学ぶべきものがあるというものの、童話にみられる「社会的な現実に対する鋭い批判」は、時と所を異にする日本の現在の子どもには適切たり得ないと、童話には消極的評価を下す。一方、大人向けの「寂しきヴヰオリン弾き」を子ども向けに再話すれば童話文学の傑作の一つになるだろうという。
 続いて「人魚の姫」をめぐって批判的見解が示される。この作品には、恋愛や新婚の閨房への忍び込みや、他種族への迎合があり、最後に主人公の昇天へとつながっていくのは、「日本の道徳からは理解できない」という。西洋の子どもにはいいが、日本の子どもたちに、「与へられて良い童話では決して無い」とするのが野村の立場である。日本の風俗習慣や伝統などを重視した発言は、随所にみられる。野村の場合、それは、愛国的精神からというよりも、現今の社会の中で子どもを健全に成長させるというところに理由があるように思える。「まづ、正しき現実を!」という最初に収められた評論からは、そう感じられる。
 「童話と文学とは、又断固として別個の存在である」と、語り始められるのが「文学と童話文学」である。続けて、「童話文学は文学の一部をなすものではない」と述べる。ゆえに、すぐれた作家はすぐれた童話を制作するとは限らないとして、上司小剣の一作品を例に、イソップの焼き直しで日本一愚劣だと批判する。続けて「末流作家」として坪田譲治をあげ、それとは正反対のすぐれた童話作家に小川未明を持出す。未明の童話は面白くないが、教科書はもっと面白くないといい、「氏の童話文学は、与へられて喜ぶといふものではないかもしれない。だが進んで理解を欲するものとなつてゐる」という。教科書と比較するところに、野村の「童話文学」の性格がうかがわれる。異なるカテゴリにある文学と童話文学を混同し、童話文学を文学として取り扱おうとして、童話文学の発展を阻害してきた傾向の強いのは、「雑誌「児童文学」に拠る人ゝ」であるとの批判も記しておこう。
 「文学」と「童話文学」はどこが違うのか、という肝心な点について、次のように述べる。
 文学の本質は、「自我開放の形式」、あるいは「自我発展の作用」であり、自分以外の読者を考慮して、読者の興味に迎合したものは、「単に読み物であるのにすぎぬ」という。童話文学が、「自我開放の形式」による文学の一種であるなら、本質的には子どもと何の関係もないはずと述べる。童話は、明らかに最初から対象が存在しているので、童話作家は、童話を吸収し、童話によって発展する児童の自我を考えざるを得ない。つまり、「童話の本質は、「児童自我の発展」になければならぬ」というのが、野村の童話観である。しかし、「自分以外の読者を考慮」すると読み物になるというのであれば、童話は必然的に読み物になるはずであるが、このことについての説明はない。また、「児童自我の発展」に寄与するものという考えにたてば、童話文学は、教育に近くなる。実際、野村は、「童話は他我発展の形式」であり、「「教育」「政治」等と同一の側にあると言へる」と述べる。
 さて、野村の童話観を一言で述べているのは、次の箇所だろう。「童話は即ち「大人の立場から」「社会的理想を」「児童に与へる」ものである」(「童話文学の使命」)。これは、次のことばに連なっていくが、背後に時局が感じとれる。
 大人も子供も、誇るべき伝統と歴史を持つ日本国民として生れて来ました。子供たちにこのことを充分に自覚させることは、大人の任務であると共に、又今日以後の童話の意図せねばならぬ点でありましょう(「新しい童話の任務」)。

(藤本芳則)



唱歌「夏」と「夏は来ぬ」考

上田信道


 いまではあまり知る人もないが、かつて『新撰国民唱歌』という唱歌集があった。国立国会図書館には、この唱歌集が第一集から第五集まで所蔵されている。
 この唱歌集の『第二集』に「夏」という唱歌が掲載されていて、たいへん興味ぶかいことに、この唱歌のメロディーは一般に「夏は来ぬ」(佐佐木信綱・作詞 小山作之助・作曲)として知られているものとまったく同じである。
 『第二集』の奥付によると、1911(明34)年7月25日付の発行、著作者は小山作之助で、発行所は開成館「夏」については、「作歌」が「無名氏」、「作曲」が「本元子」になっている。
 「本元子」は、小山作之助の別名である。
 鮎川哲也の『唱歌のふるさと うみ』(音楽之友社 1995)によると、「本元子」の名前は、小山作之助が自信作に準じた作品につけたようだ。その一方で、急がされて推敲不充分なものにはみずから「作曲者不詳」としたのだという。
 もしそうであれば、作詞者の「無名氏」は、小山作之助自身のことかもしれない。この場合は、推敲不充分というより、「夏は来ぬ」の作詞者である佐佐木信綱に遠慮して、そのようにしたものであろうか。
 「夏」については、すでに著作権が消滅しているので、次にルビを含めて全文を引用・紹介する。

一 あたらく、ほりたる池に、水ためて、
金魚はなさん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
二 手をうてば、群[むれ]くる鯉を、数へつゝ、
橋を渡らん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
三 おとゞひが、作りあひたる、築山[つきやま]に、
苔をはやさん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
四 葉桜の、若葉[わかば]すゞしき、下蔭[したかげ]に、
釣床[つりとこ]つらん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
五 そよ風の、ふきくる夕べ、ぶらんこに、
のりて遊ばん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
六 紫に、菖蒲[あやめ]花さく、公園を、
そゞろあるかん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
七 蓮の葉の、丸く浮べる、田の水に、
目高[めだか]すくはん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
八 こゝかしこ、蜻蛉[とんぼ]おひつゝ、疲るれば、
草にねころぶ、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
九 夜に入れば、手に手に笹[さゝ]を、持ちいでゝ、
ほたる狩せん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
一〇 凉しくも、出でくる月を、松に見て、
唱歌うたはん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
一一 とく起きて、咲き初めたる、朝顔の、
花をかぞへん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
一二 玉よりも、清く光りの、朝露を、
ふみ心地[こゝち]よき、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
一三 朝毎に、父を助けて、庭はきて、
草に水やる、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
一四 学校の、休みにならば、父上と、
山のぼりせん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
一五 登山[とざん]する、富士のふもとに、わらぢをも、
はき習ふべき、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
一六 谷がけの、瀧に打たれて、心まで、
清く洗はん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
一七 あら波の、寄せ来[く]る磯[いそ]に、潮[しほ]あびて、
からだ鍛[きた]はん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
一八 海原[うなはら]に、盥[たらひ]うかべて、海士[あま]の子と、
遊びくらさん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
一九 うちつれて、ボートすゝめて、海国の、
男児ならはん、夏こそ今よ、いざ来れ、
 
二〇 学校の、休みのひまに、国のため、
身を固むべき、夏こそ今よ、いざ来れ、
 金田一春彦・安西愛子編『日本の唱歌(上) 明治篇』(1977 講談社)をみると、部分的にではあるが「夏」について紹介がある。該当箇所の著者は、金田一春彦であろう。
 ここでは、「夏」と「夏は来ぬ」の関係について「歌詞から見ると、この方(「夏」のこと―引用者)が古い形と思われるが、刊行年代が、佐佐木のものの方が早い点、不審である」と記されている。(未完)