児童文学資料研究
発行日 2003年11月15日 |
「教室」収録の児童文学論(1) | 大藤幹夫 |
野村吉哉『童話文学の問題』 | 藤本芳則 |
唱歌「夏」と「夏は来ぬ」考 | 上田信道 |
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「教室」収録の児童文学論(1)昭和16年3月1日発行厚生閣刊 |
この作品のなかにある少年たちへの豊かな愛情、何物かをたゝき込まなければやまない作者の烈しい気魄、新鮮で健全な詩情、科学を愛する探究心、それらのものすべてがこれからの少年小説には、どうしても必要なものだからであります。しかし、「少年小説といふものは、もともと、おとなの作家が書いて、これを少年に与へたものです。」「考へ方によつては、すべての少年小説は、指導書の役目を帯びてゐる」と言う発言はうなずけない。第一「おとなの作家」とは何か。「そこには、指導的な心持が、作者のがはに、起つて来ることになるはず」ことが自明の理なのか。
私は、浮薄なるロマンチシズムを追放して、何はともあれ、厳正なリアリズムの上に少年小説を立てるといふことが、まづ、今日の急務だと思ふのです。(略)
現実の生活の暗さを、かくすところなく語りながら、これを打ち破つてゆく勇気と意力を燃えあがらせる。大きな理想を背景としたヘロイズムを鼓舞する。打たれても、たゝかれても、決してへこたれない、筋ぼねの強さをきたへあげる。かういふ力を持つた少年小説は、リアリズムの上に立たなければ、生れて来るはずがありません。
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『童話文学の問題』野村吉哉著昭和18年12月18日 平路社 |
さまざまな角度から児童文学を論じながら、結局本書の根底にあるのは、「童話文学」と「文学」とは異なるという主張である。野村のいう「童話」は、それが、劇の形式をとると童話劇、歌謡的形式だと童謡になるというものである。従って「童話文学」は、「童話」が、文学の形をとったものとなる(「文学と童話文学」)。このような「童話」に対する把握のありかたは、明治期の「お伽劇」「お伽唄」などの「お伽」と類似している。
一 「まづ、正しき現実を」「童話と現実」「イソツプ及びグリム的童話を排す」「童話と童心」「超現実童話」「童話の現実」 二 「童話の社会性」「童話物語の方向」「童話と精神」「童話と教育」「童話文学の地方性」「童話文学の道徳性」 三 「童話の正道」「空想の制御」「児童の理解」「童話の貧困」「童話と綴り方」「危険な童話作家」 四 「寂しきヴヰオリン弾き」「人魚の姫」「マツチ売の少女」「小波氏の事など」 五 「文学と童話文学」「児童を取扱つた文学と児童を対象とする文学」「童話文学の飢餓」「新しき動物童話文学を待望す」「童話文学の使命」「新しい童話の任務」
大人も子供も、誇るべき伝統と歴史を持つ日本国民として生れて来ました。子供たちにこのことを充分に自覚させることは、大人の任務であると共に、又今日以後の童話の意図せねばならぬ点でありましょう(「新しい童話の任務」)。
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唱歌「夏」と「夏は来ぬ」考 | 上田信道 |
金田一春彦・安西愛子編『日本の唱歌(上) 明治篇』(1977 講談社)をみると、部分的にではあるが「夏」について紹介がある。該当箇所の著者は、金田一春彦であろう。
一 あたらく、ほりたる池に、水ためて、 金魚はなさん、夏こそ今よ、いざ来れ、 二 手をうてば、群[むれ]くる鯉を、数へつゝ、 橋を渡らん、夏こそ今よ、いざ来れ、 三 おとゞひが、作りあひたる、築山[つきやま]に、 苔をはやさん、夏こそ今よ、いざ来れ、 四 葉桜の、若葉[わかば]すゞしき、下蔭[したかげ]に、 釣床[つりとこ]つらん、夏こそ今よ、いざ来れ、 五 そよ風の、ふきくる夕べ、ぶらんこに、 のりて遊ばん、夏こそ今よ、いざ来れ、 六 紫に、菖蒲[あやめ]花さく、公園を、 そゞろあるかん、夏こそ今よ、いざ来れ、 七 蓮の葉の、丸く浮べる、田の水に、 目高[めだか]すくはん、夏こそ今よ、いざ来れ、 八 こゝかしこ、蜻蛉[とんぼ]おひつゝ、疲るれば、 草にねころぶ、夏こそ今よ、いざ来れ、 九 夜に入れば、手に手に笹[さゝ]を、持ちいでゝ、 ほたる狩せん、夏こそ今よ、いざ来れ、 一〇 凉しくも、出でくる月を、松に見て、 唱歌うたはん、夏こそ今よ、いざ来れ、 一一 とく起きて、咲き初めたる、朝顔の、 花をかぞへん、夏こそ今よ、いざ来れ、 一二 玉よりも、清く光りの、朝露を、 ふみ心地[こゝち]よき、夏こそ今よ、いざ来れ、 一三 朝毎に、父を助けて、庭はきて、 草に水やる、夏こそ今よ、いざ来れ、 一四 学校の、休みにならば、父上と、 山のぼりせん、夏こそ今よ、いざ来れ、 一五 登山[とざん]する、富士のふもとに、わらぢをも、 はき習ふべき、夏こそ今よ、いざ来れ、 一六 谷がけの、瀧に打たれて、心まで、 清く洗はん、夏こそ今よ、いざ来れ、 一七 あら波の、寄せ来[く]る磯[いそ]に、潮[しほ]あびて、 からだ鍛[きた]はん、夏こそ今よ、いざ来れ、 一八 海原[うなはら]に、盥[たらひ]うかべて、海士[あま]の子と、 遊びくらさん、夏こそ今よ、いざ来れ、 一九 うちつれて、ボートすゝめて、海国の、 男児ならはん、夏こそ今よ、いざ来れ、 二〇 学校の、休みのひまに、国のため、 身を固むべき、夏こそ今よ、いざ来れ、
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