山猫軒の料理メニュー 《エッセイ》




大正の名作童謡 そのエッセンスを楽しむ

―『日本童謡集』(与田凖一編 岩波文庫)―


 大学へ入ったばかりのころ、何かのはずみでこの文庫本を買った。そのときは、ごく軽い気持ちでしかなかったから、パラパラとめくっただけで、それきりになってしまった。
 ところが、児童文学というものに興味がわいてきて、児童詩の講義に顔をだすと、明治生まれで定年間近の教授が、「北原白秋は〜」「西条八十は〜」「野口雨情は〜」と、大へんな熱弁をふるわれたのである。それを聴いているうちに、これはただ事ではない、と感じた。そこで思いだしたのが、放りっぱなしになっていた文庫本である。
 読んでみて驚いた。たとえば、加藤まさをは「月の沙漠」を書いた叙情画家というイメージしかなかったが、年少労働者にまなざしをむけた「工場の子」や、子どものマイナス面に目をむけた「盗んだ薔薇」がある。同じく叙情画家の竹久夢二にも「ぼくのボール」という少年野球を題材にした童謡がある。あとから知ったが、抒情詩人を再評価したことが、この文庫本の手柄のひとつであった。
 雨情の「証城寺の狸囃子」には「証、証、証城寺〜」で知られる童謡にもうひとつのバージョンがある、ということもわかった。ただ、漫然と読んでいるだけではわからず、初出雑誌「金の星」の写真版をじっと見ればわかるところが深い。いまでこそ虫眼鏡が必要だが、そのころには肉眼で見えたはずだから、時の流れを感じてしまう。
 時の流れといえば、いま手もとにある本は、2002年6月25日付発行の第五八刷である。初版は1957年12月20日付の発行だから、ロングセラーという言葉は、この文庫本のためにあるのだろう。
 ―最近の文庫本や新書本にはろくなものがない。昔は文庫本でもこんな名著があった。
 そうなげきながらも、そのわたし自身が『謎とき 名作童謡の誕生』(平凡社)という新書本を書いてしまった。新年早々には『名作童謡ふしぎ物語』(創元社)という本までがでるのだから恐れ入る。こういう本を書くときに、まず考えるべきは「何が名作童謡か?」ということなので、この文庫本は実に頼りがいがある。いまは、白秋・八十・雨情の童謡を100編ずつ選び、註釈と評伝などをつける仕事をしている。この4月から2ヶ月に一度ずつだす予定(注:5月からの刊行に変更)だが、神をも畏れぬこんな所行の助けになるのも、この文庫本なのだ。
 新しく童謡関係の本を書きおろすときにでも、あいもかわらず半世紀も昔の文庫本のお世話にならざるを得ないのは、なんとなく悔しい気もするが…


【「悠」(ぎょうせい) 2005年2月号に掲載】


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