山猫軒の料理メニュー 《エッセイ》



絶版・品切れを惜しむ本

 かつては子どもたちの間で良く読まれたし、児童文学に関わるおとなたちから非常に高い評価を受けていたにもかかわらず、いつのまにか消えてしまった作家というものは、いつの時代にも存在する。
 現代日本の児童文学でそうした作家をあげよと言われれば、宮口しづえ(1907〜94)がまっさきに思いうかぶ。宮口は児童文学作家としてのデビューは遅かったものの、児童文学者協会新人賞(57)、未明文学奨励賞(59)、野間児童文芸賞(75)、赤い鳥文学賞(80)を次々に受賞。60年代に子ども時代を過ごした人を中心に、宮口の名前をなつかしく思う人も少なくないだろう。代表作の『ゲンと不動明王』(58)は、東宝から映画化(61)もされているが、今では手軽に読むことのできない作品になってしまった。そこで、少し長くなるが内容を紹介しておく。
 主人公のゲンは続編『山の終バス』(61)『ゲンとイズミ』(64)にも登場。小学校高学年の男の子で、木曽の深い山の中にあるセイカン寺という山寺に生まれた。11歳の時に母親は病死。腕白で利かん気な性格だが、根は優しく妹思い。母親がなくなってから悲しみを紛らすためよけいに元気がよくなり、いたずらもするようになった。感情を率直に表すことが苦手なので、時には周囲のおとなたちから強情で可愛げがないと誤解を受けることもある。ゲンは5つ年下の妹のイズミ、オッチャン(父親のこと)、手伝いに来てくれている親類のねえちゃんとの4人で暮らしていたが、隣り村のクオン寺へ小僧として住み込みの修行に行くことになる。しかし、学校でゲンをからかった子どもを殴って宿直室に残された事をきっかけに、クオン寺から家出。結局、中学生になるまでは実家にということで、セイカン寺へ戻された。しかし、留守中に父は再婚しており、継母となった人になじむことができない。だが、周囲のおとなたちはゲンを理解して暖かく見守り、やがてゲンも継母を受けいれる。
 ゲンを通じて子どもの気持ちの屈折が描き出され、良い子・腕白という類型を超えた子どもの姿が提示された作品である。継母を受け入れられない子どもの気持ちが巧みに描かれているのは、著者が継母として子どもを育てた経験が反映しているためだろうし、随所にちりばめられた木曽地方の方言や食べ物・習俗は、リアルな子ども像を裏打ちしている。宮口のデビュー当時は、「とらちゃんの日記」の千葉省三に比して評する人もあったほど。子どもの心理を生き生きと描いて児童文学の世界に登場し、あたたかで善意に満ちた素朴な作風に、宮口の特徴がある。
 ところが、いまや、この作家の著書を書店で買うことがまったくできなくなっている。『日本書籍総目録』は書店を通じて入手可能な本をほぼ網羅。毎年、新版が刊行されてたいへん便利な目録であるが、この最新版を見ても、宮口の名前は出てこない。古い総目録を遡って調べると、89年版には『箱火ばちのおじいさん』(74)の1冊だけがまだ掲載されていたが、90年版からは完全に名前が消えてしまったことがわかる。宮口が亡くなったとき、雑誌「日本児童文学」は追悼特集を組んだが、この時点ではすでに宮口の単行本のすべてが絶版・品切れになっていたわけだ。
 宮口が児童文学作家としてデビューした前後の頃は、現代児童文学の出発点とされ、松谷みよ子、いぬいとみこ、佐藤さとる、古田足日、山中恒といった新人たちが新しい作品を引っ提げて登場。彼らは現役の作家としていまも活躍中であるが、その彼らのデビュー当時の作品と宮口のそれを比べても遜色は感じられない。
 もっとも、宮口は70年代の終わり頃に体調を崩し、80年に脳梗塞で倒れてからは創作活動をしていない。また、作品の時代背景が少し古いから、現代では受け入れられにくいのかもしれない。そういう事情はあるにしても、1冊の著書も入手できなくなっているというのはいかにも残念。こうした作品がこのまま消えてしまうのはおしいので、どこかの出版社で再刊してくれないかと思うが、絶版・品切れの状態が続いて久しい。
 ところで、日本児童文学におけるロングセラーといえば、江戸川乱歩の子ども向け探偵小説のシリーズがその筆頭ではあるまいか。『日本書籍総目録』にはこのシリーズがずらりと並んでいて、未だに人気の高いことがわかる。子どもの読書に関する各種の読書調査でも、常に上位にランクされ続けている。シリーズ最初の『怪人二十面相』は1936年の発表であるから、実に60年以上にもわたる超ロングセラーということになる。しかし、作品の時代背景が古びているといえば、これほど甚だしい作家も少ないはず。大都市郊外の広大なお屋敷、洋館、焼け跡、防空壕跡。そしてなによりも、少年探偵団が活躍する空き地や原っぱという風景は、いまやどこにも見られない。もっとも、乱歩の描く〈東京〉が現実の〈東京〉ではなく、異次元ワールドとしての〈東京〉であることに人気の秘密があるということで、一応の説明は成り立つ。が、それにしても、いまの子どもたちにとってはこうした風景をイメージすることすら難しいはずだ。
 だから、宮口の作品の背景となる時代が少々古びているとはいっても、それだけでは絶版・品切れの理由にはならないのではないか。しかも、子どもの心のひだに分け入って描く作風であるだけに、描かれている時代に隔たりはあっても、現代の子どもに充分通じるものがあると思う。結局のところ、宮口の作品のようなものには、人目をひくようなハデさがないのだろう。ベストセラーにはならないまでも、限られた数であっても根強い支持者が存在し続けるロングセラーというものも、あっていいはずだ。しかし、子どもの数が減少を続け、子どもが本を読まなくなってきているいま、こうした地味な作品を出版することが営業的に無理になってしまったのだろうか。少々地味ではあるけれど、心にしみわたるものがあるような作品の受け入れられる余地がなくなったとすれば、残念なことだ。

【「本とこども」1997.6掲載】