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学校図書館の再生は可能か

―学校図書館法の〈改正〉におもう―

 本年6月11日付で、「学校図書館法」の〈改正〉法が公布・施行された。〈改正〉の焦点は、学校図書館司書教諭(以下、単に司書教諭)に関する事項にある。第一は、学校図書館には平成15年度から司書教諭を必置する(政令で定める規模以下の学校を除く)こと。第二は、司書教諭の資格を取るための講習を《大学その他の教育機関》が行うこと、というものであった。
 そもそも、「学校図書館法」は昭和28年に制定された法律で、全国の小中高校(盲学校ほかを含む)に、学校図書館を設置し、学校図書館には司書教諭を配置することを定めていた。ところが、その「附則」に、《当分の間》司書教諭を置かないことができるという定めがあった。そのため、今日に至るまで、ごく一部を除いて学校図書館に司書教諭は配置されてこなかった。つまり、学校図書館という施設はあっても、運営の中心となるべき肝心の司書教諭がいないという、まったくお粗末な状況が、44年間も放置されてきたのである。
 それでは、今回の法律の〈改正〉によって、学校図書館は再生することができるのだろうか。残念ながら、事態はそれほど楽観できそうもない。
 まず、「学校図書館法」に定める司書教諭は専任ではない。兼任だとは法律のどこにも書いていないが、行政の理屈では専任と書いていない以上は兼任だということになるらしい。なぜなら、今回の〈改正〉で、教員の定数が増えるわけではないからである。
 つまり、現在も学校図書館の係を担当している教諭をそのまま司書教諭にあてるだけ。実態は何も変らないということになるおそれがある。本年6月11日付の文部省初等中等教育局長名の通達(以下、単に「通達」)によると、「校務分掌上の工夫を行い、司書教諭の担当授業時間数の減免を行うことは、従来と同様、可能である」という。しかし、もし、教員増なしに各学校の《工夫》で担当授業時間数を減らせるなら、法律〈改正〉の必要などなかったはず。平成15年度を待たず、さっさと《工夫》すればよいのだが、今の学校にそんなゆとりはない。
 さらに、今回の〈改正〉では、《政令で定める規模以下の学校》には司書教諭を配置しなくてもよいことになっている。《政令で定める規模以下の学校》とは、全国の学校のうち、なんと半数近い学校がこれにあたる。つまり、半数近い学校に司書教諭(たとえ名目だけの兼任教諭であってもだ)を置かないことに、法律上の根拠を与えるという、ひどい内容になっているのである。
 また、従来、司書教諭の講習は大学で行うとされていたが、今回、「その他の教育機関」が付け加えられた。「通達」によれば、この機関は「各都道府県及び市町村の教育センター等が考えられる」というが、それにしても安易である。もともと、司書教諭の資格の取得基準は低すぎる。わずか8単位相当(実務経験者はさらに軽減)の講習で「マルチメディア時代に対応」(「通達」)など不可能。その上、間に合わせの大量養成ということになれば、ものの役に立つはずもなかろう。充分な研修の機会も与えられないまま、資格の取得と司書教諭の兼任発令だけが強制されては、教師はたまったものではない。
 しかも、司書教諭の発令は学校司書の廃止の理由になりかねないとさえ、言われている。学校司書とは学校図書館担当の事務職員。法律上の明確な規定のないまま、自治体独自の判断で配置されるケースが増えているが、こうした措置が廃止されては困る。「通達」では、学校司書と司書教諭の役割の違いに「留意すること」とされたが、この程度では何の保障にもなるまい。ちなみに、学校司書の多くは非正規職員で、確たる身分保障がない。
 こんな〈改正〉が関係者の〈悲願〉だったと思うと、実に苛立たしい。
 しかし、何よりも危惧することは、いまの学校教育が、学校図書館を本当に必要としているのかということだ。学校図書館の役割は生徒の主体的な学習活動と教師の創造的な教育活動を支えることにあり、司書教諭の役割は学校図書館がこうした機能を発揮できるようリードすることにある。今の学校教育に、司書教諭のこうした活動を受け止める余地があるのだろうか。

【「本とこども」1997.9掲載】