うさぎ追いしかの山



こころざしをはたして

 ところで、辰之は下水内高等小学校の生徒時代には冬だけの下宿、教員時代には通年の下宿として飯山の真宗寺に滞在していましたが、この下宿先の寺の次女・井上つる枝と恋愛結婚しました。1898(明31)年のことです。
 この結婚のとき、つる枝の母親が出した条件というのが、たいへんユニークで面白いのです。
 「将来、寺の山門から人力車に乗って帰ってくるようになれ。」
 ようするに《出世しろ》という意味でした。
 辰之がほんとうに人力車に乗って真宗寺に帰ってきたのは、1925(大14)年のことです。
 この年、辰之は文学博士号を取得しました。
 辰之が飯山鉄道(現・JR飯山線)の替佐駅に降り立つと、故郷の永田村の人びとがおおぜい迎えにきています。辰之はこのときの感動を、「帰郷吟」と題した一連の短歌で「停車場に並みいる子ども礼正し 聞けば皆これわが姪我が甥」などと詠みました。
 辰之の実家の裏手にはウサギを追った「かの山」の大平山などがひろがり、反対側には小鮒を釣った「かの川」の斑川が流れています。
 いまではこの川に「ふるさと橋」がかけられ、欄干のパネルをたたくと「故郷」のメロディーをかなでるしかけになっています。川沿の遊歩道には「春の小川」や「朧月夜」の碑も建てられ、辰之が「紅葉」で「秋の夕日に照る山紅葉…」と歌いこんだモミジの木は、豊田村の村木に指定されています。


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