山猫軒の料理メニュー 《研究書案内》



近代日本児童文学史に貴重な証言 ほか

 『斎藤佐次郎・児童文学史』(九六年五月 金の星社)が刊行された。八〇〇頁近い大部の書である。
 本篇は二部構成になっている。第一部〈「金の船」=「金の星」の時代〉は、斎藤の生い立ちから、雑誌「金の船」(のち「金の星」)創刊前後のいきさつを経て、敗戦直後の社業の復興にいたるまでを、ほぼ編年体形式で記述。戦時下の戦争協力の出版物の数々、軍需産業の事業家に転身しようとした斎藤自身の決意までが隠すことなく率直に語られている。とかく回想録ではこうしたことは隠したがるものだが、そのようになっていないところが好ましい。第二部〈思い出の作家たち〉では、金の星社と関係のあった作家・画家・作曲家について列伝形式で語られている。周知のとおり、著者は金の星社の創業者であり、文字どおり日本の児童文学の歴史とともに歩んできた人物である。だから、本書を通して当事者ならではの貴重な証言が多数語られていることは言うまでもない。
 もともと、この書は金の星社の創業六十周年を記念して企画発案されたものであったが、脱稿がのびのびになっているうち、著者の死亡により中断のやむなきに至った。その後、遺された原稿と資料の整理が宮崎芳彦に託されていたが、このほど長年にわたる整理・校訂作業を終えてようやく刊行されたものである。社史というものは、概して読まれずにしまいこまれてしまう。だから多くの人に読まれるものを世にだしたいというのが斉藤の遺志であった。そしてそれはみごとに実現している。一人の出版人の回想、一つの出版社の社史ということを遥かに超えて、今後、日本の近代児童文学史を語る上で書かせない資料と言えるだろう。ただ、著者の死亡というやむをえない事情があったとはいえ、戦後児童文学の歩みがついに語られることなく終わったのは、かえすがえすも残念なことである。
 また、巻末に付された補注・年譜・索引類の篇は全部で三百頁近くにも及び、遺稿の編集・校訂にあたった宮崎の丹念な仕事ぶりが窺える労作である。補注には本篇の読解に必要な人物や時代背景に関する注釈、参考資料といった記述のほか、宮崎による独自の解釈や児童文学史観に至るまでが丹念に書き込まれ、やや過剰とさえ思える。これをもって《充実》と言うべきかは議論の分かれるところかもしれない。
 なお、本書の入手方法については、金の星社に直接問いあわせていただきたい。
 最後に最近刊行された事典を二冊紹介しておく。高橋静男ほか編『ムーミン童話の百科事典』(九六年五月 講談社 二八〇〇円)、『児童文化人名事典』(九六年一月 日外アソシエーツ 一四八〇〇円)がそれである。前者はムーミンシリーズとヤンソンに関する事典。教えられることが多い。例えば、ムーミンシリーズで〈こけもも〉と翻訳されている植物は、実は〈ブルーベリー〉や〈つるこけもも〉のことらしい。〈すずき〉と〈いわな〉では釣れる場所も姿かたちもまるで違う魚だが、これも混同して翻訳されているという。日本の読者がいかにいいかげんなムーミンを読まされているかがわかる。後者は日本の児童文化に関わる歴史的な人物から現代の人物に至るまでを対象とする人名事典。確かに手軽で便利には違いないが、率直に言って間違いの多さに失望した。

【「日本児童文学」1996.9掲載】