山猫軒の料理メニュー 《研究書案内》



近刊の研究文献あれこれ

 近刊の児童文学関係の雑誌・紀要論文と研究書を概観する機会があった。
 ちょっと前までは、日本児童文学の研究といえば、宮沢賢治と新美南吉が定番であったが、いまや椋鳩十と金子みすゞが南吉に迫る勢いである。1998年中に刊行され、児童文学の研究文献と見なしうる雑誌・紀要論文は、賢治が42編、南吉が14編に対し、椋が7編、金子が6編という状況だ。どうしても、教科書に教材として採用されている作家が上位を占めるのは解らないでもない。北原白秋(3編)あたりより金子みすゞの研究論文が多いのも、ブームゆえの現象か。しかし、それにしてもちょっと異常な気がしないではない。
 単行本の刊行点数については、明らかに退潮傾向を示している。〈本当は恐ろしい〇〇〇〉という類の本がベストセラーになる中で、なんとも寂しい限りである。
 児童書を手がける大手の出版社では、ほとんど専門書を出さなくなった。読書嫌いの子どもが増加する一方で少子化の進行もあり、児童書の出版が目に見えて減少している。大手とはいっても児童書を手がける出版社は一般書の大出版社に比して小さい社が多いから、経営は大変だろう。今年に入って大手から出た本のうち、児童文学研究書といえるものは、講談社から『メールヒェンの起源―ドイツの伝承民話―』(アンドレ・ヨレス著/高橋由美子訳)、岩波書店から『児童文学の故郷』(桑原三郎)、国土社から『少年詩とは何か―子どもに かかわる詩問題―』(畑島喜久生)ぐらいだろうか。
 そうしたわけで、理論書を手がけるのはどうしても中小の良心的な出版社に限られるようになってくる。
 『植民地台湾の児童文化』(游珮芸 明石書店)は、学位論文をもとに刊行されたもの。著者は台湾出身の若手研究者で、二つの国に散逸した文献資料を発掘し、関係者への聞き取り調査も行っている。巷によくある業績かせぎの紀要論文とは比較にならないほどレベルが高い。日本語を母語としていながら駄文を書き散らしている者など顔色なしというところか。旧植民地の児童文学については、先に『韓国・朝鮮児童文学評論集』(仲村修編訳 明石書店)が出ているが、旧植民地関係では〈満州・関東州〉でもかなりの児童文学作品が刊行され、〈内地〉との交流も盛んであった。だから、この分野の研究は成立しうるはずだが、まだ、誰も手をつけていない。アジアの中の日本児童文学という視座から総合的に検証していくことは今後の大きな課題であろう。
 『冒険と涙―童話以前―』(高橋康雄 北宗社)は、明治期の芸術的児童文学を〈えてして冒険を抑制しがちであり、それでありながら「涙」を禁じる〉ものだという認識から論じる。大衆的児童文学の研究で知られる高橋らしいユニークな視点が見られる。
 『日本科学小説年表』(會津信吾 里艸)は、明治から昭和20年8月までに刊行された古典SFを年表にまとめた労作で、人名索引付き。子どもむけのSF読物にも丹念に目配りをしている。調べもののツールとして便利なばかりか、ページをぱらぱらとめくっているだけでいろいろな発見ができる。ただ、古書店の里艸が刊行する非売品であるため、一般の方の目にふれる機会が少ないのは残念である。
 研究の基礎資料としては、雑誌の復刻版が出ている。
 自分が関係している出版物で恐縮だが、明治の少年雑誌「小国民」が復刻刊行中(上笙一郎・上田信道編 不二出版)で、今秋には配本が終了するはず。この雑誌は日本で最初に小学生を対象にして刊行され、教育勅語の発布や日清戦争当時の教育資料としても興味深い。従来、まとめて見ようとすれば、大阪国際児童文学館に直接出向いてマイクロフィルムで閲覧するしかなかった稀覯資料である。一般の方が個人で購入するには少し高価であるが、せめて大きな図書館には備えて欲しい。
 また、昨年には戦後の同人誌「豆の木」が復刻(大阪国際児童文学館編 大阪書籍)された。これは長崎源之助やいぬいとみこ、佐藤さとる等が活躍した雑誌。地味な出版物だが熱烈なファンの支持も受けてすでに完売したという。
 以前、本誌に「理論書・研究書の出版が危ない」(1997.3)という記事を書いたことがあるが、不況の長期化もあって状況は一層きびしいようだ。先だっても、児童文学の分野に限らず、良心的な専門書の出版で知られたある小出版社が倒産した。そして、全国の自治体では予算の一律削減が大流行。これは予算の絶対額の少ないものほど打撃が大きい愚行であるから、もともと予算の乏しい公共図書館はどこも悲鳴をあげている。加えて、文部省は国立大の教育学部の教員・学生の定員を思い切って削減した。こうして、児童文学の専門書のマーケットは、ますます縮小しているように思える。
 それから、もうあきらめてしまっているのか、いまではあまり言う人もないが、消費税が重くのしかかる。現行の税率でさえ少部数の学術出版物を買う身にはかなりの痛手である。例えば、復刻版「小国民」の税額は14,400円にもなる。しかも、税率アップは必至の情勢であろう。消費税は制作費や流通経費にもかかるので、免税になっても5%値下げできるわけではない。しかし、日本の学術文化を支えるため、儲けにならない専門書に特例処置はとれないものか。
 ただ、平成15年度から全国の学校図書館に司書教諭が配置されることは明るいニュースかもしれない。教員定数は増えない(兼務の発令におわるだけ?)し、「小規模校」(全国の半数近い学校)には配置されない。とはいえ、子どもの本に関心を持つ人の数が少しは増えるかも知れないと、かすかな望みが持たれている。だが、これとて有資格者の短期・大量養成が原因で安易なハウツーものばかりがはやることにならねば良いと願うが…。
 なお、近刊の研究文献の一覧は石井直人・中川理恵子・藤本芳則の各氏の協力を得て作成し、わたしのホームページ(http://nob.internet.ne.jp)中で公開している。

【「本とこども」1999.10掲載】