唱歌「牛若丸」のふしぎ



唱歌「牛若丸」は文部省から刊行された『尋常小学唱歌』(1911.5)に初めて載りました。
作詞・作曲者は不明です。
京の五条の橋の上、
大の男の弁慶は
長い薙刀ふりあげて、
牛若めがけて切りかかる。

牛若丸は飛び退いて、
持った扇を投げつけて、
来い来い来いと欄干の
上へあがって手を叩く。

前やうしろや右左、
ここと思えば又あちら、
燕のような早業に、
鬼の弁慶あやまった。
切手
「牛若丸と弁慶」1995年発行


『義経記』に五条橋はでてこない?!
牛若丸と弁慶の闘いの物語といえば、中世の軍記物語『義経記』が有名でしょう。
弁慶は太刀を千本あつめる計画を思い立ちます。集めるといっても、他人の持ち物をぶんどるのですから、いかにも弁慶らしい、ずいぶん乱暴な話です。
毎晩、京の都で太刀を奪いとり、いよいよこれで千本めの太刀が集まるという夜のこと。弁慶は西洞院通松原にある五条天神にでかけます。
「どうぞ良い太刀を授けてください」と、願いを神様にかけます。
すると、神社のすぐそばの堀川通で牛若丸とであうことができました。弁慶は良い太刀が手に入った、と思ったことでしょう。ところが、なんとしたことか、闘いは弁慶の完敗に終わります。弁慶はくやしくてなりません。
翌日の6月18日の夜は、ちょうど清水寺の観音様の縁日でした。弁慶もおまいりしますと、ここでも牛若丸とでくわします。
ところが、この軍記物語では、たがいに太刀で闘っています。唱歌に歌われた闘いかたとはまるでちがうのです。なにより、五条橋の闘いのことはでてきません。

物語の基礎は巌谷小波がつくった
明治を代表するお伽噺作家の巌谷小波(いわやさざなみ)は、1894(明27)年7月から1896年(明29)年8月にかけて、博文館から「日本昔噺」(全24編)というシリーズをだしました。いまわたしたちがよく知っている子どもむけの昔話や伝説の多くは、このシリーズがもとになっています。
『牛若丸』(1896年7月)は、この「日本昔噺」シリーズの第23編にあたり、子どもむけの牛若丸の物語のもとのかたちになりました。
小波の物語では、弁慶は狭い五条橋で薙刀を振りまわすことになっています。

日本昔噺(表紙)日本昔噺(口絵1)日本昔噺(口絵2)
日本昔噺(表紙)日本昔噺(口絵1)日本昔噺(口絵2)

物語の舞台を歩く
東大路通をわたってずっといくと、六道珍皇寺の門前にでます。ここに「六道の辻」の石碑が建っています。
寺の斜めむかいにある小さな飴屋では、名物の「幽霊子育飴」を売っています。
西福寺の地蔵堂にもまた「六道の辻」の石碑がありますから、それを左に見てさらにすすむと、鴨川にかけられた松原橋(旧五条橋)にまでいきあたります。
こうした寺院や名所は、このあたりいったいの地が古くは葬送の地であったことのなごりです。つまり、旧五条橋は清水寺へおまいりをするための橋であるとともに、この世とあの世をわける境界にかけられた橋でもあったのです。
松原橋(旧五条橋)を渡って、さらにずっといくと、やがて五条天神にまで行き着くのです。
こうして物語の舞台を歩いてみると、一直線に並んでいることがわかります。


※この続きは、わたしの新著『名作童謡ふしぎ物語』(創元社 2005年1月刊行予定)をご覧ください。
…関連するエッセイに「唱歌『一寸法師』のふしぎ」があります。


参考文献
巌谷小波・原著/上田信道・本文校訂&解説
日本昔噺』 (平凡社 東洋文庫 692)